- Nahum M. Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate," in Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath, ed. Isadore Twersky and Jay M. Harris (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993), 1-27.
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驚くべきことに、彼が著作活動を始めたのは50歳になったときだった。なぜ50歳から書き始めたのかは明らかではないが、その少し前に病気をしたから、あるいはローマで異端として告発されたので異端ではないことを証明したかったから、などさまざまな理由が考えられる。彼が残した注解は聖書すべてをカバーするものではない。現存するのは五書、イザヤ書、十二小預言書、詩篇、ヨブ記、メギロット(エステル記、コヘレト書、雅歌、哀歌、ルツ記)のみである。しかし彼は他にもヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、箴言、エズラ・ネヘミヤ記、そして歴代誌の注解も書いたと述べている。
彼は他の中世聖書注解者の誰よりも聖書解釈の歴史に対する知識が深かったといわれる。彼はトーラー注解の序文において、彼以前の聖書解釈を批判的に4つのタイプに分けている。
- ゲオニーム:世俗の科学の成果を過剰に含んでいる。
- 異端カライ派:伝承と口伝律法を否定し、恣意的な解釈をしている。
- キリスト者:聖書にエゾテリックな意味を求め、主観的・寓意的な解釈をしている。
- キリスト教世界におけるユダヤ聖書解釈:タルムード賢者たちの説教を字義的に取り、ヘブライ語文法を無視している。
彼自身の聖書解釈の方針は、文法的、文献学的、そして文脈に即した研究を基にした(grammatical analysis and intellectual acceptability, p. 6)、テクストのストレートな解釈であった。しかし同時に、トーラーにおけるハラハー上の問題に関しては、賢者たちの解釈の権威を認めていた。当時聖書写本の正確さでずば抜けていたスペインで育ったイブン・エズラは、所与の聖書本文をそのままで解釈することを目指した。そのため、彼は当時すでに写本に記されていた「写字生の修正(ティクネ・ソフェリーム)」を無視することもあった。また彼は、テクストの破損や改訂の必要性を仄めかすヨナ・イブン・ジャナハの「置き換え理論(substitution theory)」にも激しく反対した。むしろ彼は、聖書における語の用法、スタイル、レトリックに注目し、またヘブライ語の文法に依拠することで難局を乗り切ることを目指したのである。彼はヘブライ語や聖書のスタイルとして次のような特徴を指摘している。
- 省略(ellipsis):冗長な言葉を省略できる。
- 転置・逆転(transposition, invert):語順、節順、エピソード順が逆転する。
- 並置(juxtaposition):節と節との並置には何らかの関連した意味がある。
- キアスムス(Chiasmus):二つのものが言及されるとき、二度目には二つ目が先に言及される。
- 間隔を置いた要約的反復(resumptive repetition following an interval or interruption):ある出来事が言及されたあとに、しばらくして同じ出来事に言及することがある(出14:8,9; Ex 20:15, 18; Num 32:2, 5)。
イブン・エズラは、カライ派を批判していたことからも分かるとおり、口伝律法を重視する立場を取る。特に、聖書におけるハラハー的な箇所については、賢者たちの伝承に依拠している。一方で、ハラハー以外の箇所については賢者たちの解釈に遠慮なく批判を加えた。彼は、代々伝えられてきた伝承(カバラー)と、賢者たち自身がロジックや討論の実践によってテキストから導き出した事柄(セヴァラー)とを厳密に区別していたのである。そして場合によっては、ラビたちの見解をまったく否定することもすらあった。
さらに、彼の傾向として、タルムードより後代のラビ的解釈にはほとんど重きを置かなかった。彼はサアディア・ガオン、ヨナ・イブン・ジャナハ、サムエル・ベン・ホフニ、ラッシーをはじめ、40人ほどの先行者たちに言及しているが、そのほとんどを、莫迦にした枕詞をつけて紹介している。特にカライ派と、ヒッウィー・アル・バルヒ(9世紀)と某イツハキに対しては容赦がない。ただ彼がこうした聖書解釈者たちを単に捨て置かず、いちいち名を挙げて批判しているのは、裏返せば彼らの著作がイブン・エズラ当時よく読まれていたことの証左でもある。スピノザへとつながっていく彼の「本文批評」の意識は、こうした「文壇」事情に促されるかたちで形成されていったともいえる。
そうした「本文批評」の意識の中で、イブン・エズラは聖書中のアナクロニズムに注目した。申命記32章はモーセを三人称で描いているが、これは、五書の著者はモーセだとする当時の見解に矛盾する。彼はこの箇所を後代の付加だと見なしている。これは、なるべく聖書本文をそのままのかたちで意味が通るように解釈するという彼の基本方針に反するようにも思える。実際Sarnaも、「It is hard to establish the criterion by which Ibn Ezra differentiated acceptable from inadmissible anachronisms, p. 19」と述べている。彼はまた、モーシェ・ハコーヘン・イブン・チキティラ(1080年没)の影響下で、イザヤ書の複数著者説に言及している。
最後に、イブン・エズラの聖書解釈の特徴として、注解することで自身の哲学を開陳しているということが挙げられる。彼は晩年に哲学に特化した小品をものしてはいるが、彼の哲学はむしろ注解の中から導き出される。それによると、彼はソロモン・イブン・ガビロールに影響を受けた新プラトン主義者というのが定説になっている。
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