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2019年10月11日金曜日

エノク=エッセネ派仮説の提唱 Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis #1

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 1-17.

クムラン共同体の思想的同定の議論は、依然として「エッセネ派仮説」が有力と見なされている。さまざまな修正案も出されているが、学術的なコンセンサスは得られていない。こうした議論は無駄ではなく、研究者たちがクムラン考古学を虚心坦懐に再考するのに役立っている。

クムラン共同体の起源と思想的なルーツに関して、Ben Zion WacholderやShemaryahu Talmonは反ツァドク派サークルであるとする。一方で、Lawrence H. Schiffmanは、派閥の分裂によって、もともと規範的なツァドク派的だった伝統が党派的な現象に変化したのだと考えた。

いずれにせよ、エッセネ派仮説は、第二神殿時代のユダヤ思想の複数的な発展に照らして、ラディカルな方向転換が図らなければならない。エッセネ派仮説の典型的な欠点は、クムランとエッセネ派を同一視してしまうことである。研究者たちはしばしばエッセネ派的姿勢を描くためにクムランのテクストを使用することがある。しかしクムランは、より大きく複雑なエッセネ派運動の一部に過ぎない。

さらに死海文書研究はコーパスを区切ることでタコツボ化していることも憂慮される。ちょうど新約学者がそうであるように、死海文書のスペシャリストも他の第二神殿時代の文学の研究者から切り離されてしまっている。いわば自己満足の幻想(an illusion of self-sufficiency)に陥っているのである。現代の死海文書研究の問題は方法論の弱さである。

そこで本書の著者は「体系的分析(systemic analysis)」をユダヤ文献に適用する。そうすることで、あるグループの思想的構造を基盤としてその文書を比較することができる。また思想的・時系列的につながった文書の鎖を形成することで、体系的分析は自立的にユダヤ教を特定し描写することができる。ここで重要なのは、体系的分析と「歴史記述的分析(historiographical analysis)」を区別することである。両者は必ずしも同じ分析結果をもたらさないからである。

歴史記述的分析はあるグループに関する後代の記録の歴史的信頼性を判定するもので、体系的分析はあるグループの思想的遺物を研究、分類、区分するものである。具体的に言えば、歴史記述的分析はヨセフスの記述に基づいて、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派などについて分析し、体系的分析は死海文書に基づいてクムラン共同体について分析することである。つまり、歴史記述的分析は、名前が知られているが資料を残していないユダヤ教を特定し、体系的分析は資料を残しているが名前が知られていないユダヤ教を特定するための方法である。古代の歴史記述が述べていることとと、現存する文書が我々に言わせることとは食い違うことがあるが、それが一致するとき、特定のユダヤ教の包括的な議論が可能になる。

このような方法論を用いて、著者は、古代の歴史家が「エッセネ派」と呼ぶものはクムラン共同体のみならず、現代の歴史家が現存する資料に基づいて「エノク派ユダヤ教(Enochic Judaism)」と呼ぶものをも含むと主張する。そしてこれを「エノク=エッセネ派仮説(Enochic/Essene hypothesis)」と呼ぶ。著者によれば、『エノク書』は第二神殿時代のさまざまな多様性の核にあるという。こうした見解はPaolo Sacchiらの研究によって牽引されてきた。『エノク書』に見られる特異な悪の概念が、第二神殿時代に特定の派閥を作る力となっていた。重要なことは、我々は『エノク書』からこの派閥の存在を知ることができるが、それが古代においてどのように呼ばれていたかは知らないということである。そこで「エノク派ユダヤ教」と暫定的に呼ぶわけである。

エノク派ユダヤ教を扱う際の方法論的注意点は次である。第一に、『エノク書』はエノク派ユダヤ教の主要なソースだが、この派はエノクが出てこない文書も作成したし(『ヨベル書』、『十二族長の遺訓』、『第四エズラ記』など)、エノクが出てきてもこの派の文書ではないものもある(『シラ書』、フィロン、ヨセフスなど)。

第二に、『エノク書』は黙示文学だが、エノク派ユダヤ教の歴史はユダヤ教黙示文学の歴史とは必ずしも一致しない。ユダヤ教黙示文学には、ダニエル書、ヨハネ黙示録、『第二バルク書』なども含まれるが、これはエノク派ユダヤ教の文書ではない。

第三に、『エノク書』は黙示思想の重要な証言だが、エノク派ユダヤ教の歴史はユダヤ教黙示思想の歴史とは必ずしも一致しない。John J. Collinsは世界観としての黙示思想(apocalypticism)と文学形式としての黙示文学(apocalypse)の区別を提案している。黙示思想は黙示文学の世界観として規定できるが、黙示的世界観は黙示文学以外でも表現できるのである。Sacchiはさらに、世界観としての黙示思想(apocalypticism)と思想的派閥としての黙示派(apocalyptic)の区別も提案している。ある二つの文書が同じ黙示思想を共有していても、両者が同じ派閥であるとは限らないのである。

Collinsの考え方だと、『エノク書』とそれに反対するダニエル書やヨハネ黙示録は共にユダヤ教黙示思想の歴史に含まれる。両者は思想的違いにもかかわらず、同じ黙示的世界観を共有していたからである。Sacchiの考え方だと、特定のユダヤ教黙示派(たとえばエノク派ユダヤ教)の歴史にダニエル書やヨハネ黙示録は含まれない。

著者はエノク派ユダヤ教とクムラン共同体の関係性について明確な見解を持っている。彼によれば、エノク派ユダヤ教とは、エッセネ派の主流派の現代的な名前であり、そこからクムラン共同体が過激で反抗的で周辺的な子孫として別れたのだという。しかし、エノク派ユダヤ教はその後クムランのエッセネ派の考え方を拒絶し、むしろ洗礼者ヨハネやイエスの派閥の誕生に貢献したのだった。

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