- Devorah Dimant, "The Biography of Enoch and the Books of Enoch," in eadem, From Enoch to Tobit: Collected Studies in Ancient Jewish Literature (Forschungen zum Alten Testament 114; Tübingen: Mohr Siebeck, 2017), 59-72.
From Enoch to Tobit: Collected Studies in Ancient Jewish Literature (Forschungen Zum Alten Testament)
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Devorah Dimant
Mohr Siebrek Ek
Mohr Siebrek Ek
『エノク書』研究はクムランにおけるアラム語断片の発見によって飛躍的に進展した。研究史の初期に、G.H. Dixはエチオピア語訳の『エノク書』は五つの文書からなるが、それらをひとつのコーパスとして見ることの重要性を訴えた。そしてエノク五書をトーラーの五書に関連付け、それらの似ている点を主張した。
クムラン断片の校訂者であるJozef MilikはこのDixの見解を取り入れ、エチオピア語訳のみならず、前100年頃のクムランでも五書形式のエノク文書が存在していたと主張した。この見解については、論文著者の博士論文をはじめ、Jonas C. Greenfield & Michael E. StoneやMichael A. Knibbらが反論を加えている(また「たとえの書」がキリスト教由来の3世紀後期の作であるというMilikの主張も同じ者らによって反論されている)。
Milikは、アラム語写本4Q204が「寝ずの番人の書」「夢幻の書」「エノク書簡」や「ノアに関する付加」までも含んでいることから、当時エノク文書を集める習慣があったことを論じている。さらに、クムランでは「たとえの書」の代わりに「巨人の書」が収録されたとMilikは主張する(「巨人の書」が書かれている4Q203はもともと4Q204の一部だったと彼は考えているが、この説はのちにLoren Stuckenbruckによって覆された)。ただし「天文の書」だけは長すぎるので別の写本に写されたという。論文著者はこうしたMilikの説には懐疑的である。五書形式に固執するあまり、「巨人の書」にその一翼を担わせるのは強引な説明である。『エノク書』のようなあまりに断片的な保存状態の作品を写本の形式からのみ語ることは不適切である。
そこで論文著者は、「『エノク書』とは似たような文書のよせあつめなのか、それとも確かなプランに基づいて集められ並べられたものなのか」という最も基本的な問いを立て、それを文学的な分析に基づいて検証している。そして結論を先取りするならば、『エノク書』とは、エノクの伝記という確かなテーマのために構築された統一的なコーパスであるという。
論文著者の文学的な分析の対象は、主に『ヨベル書』4:16-25と『エノク書』それ自体である。後者ではエノクについての記述がある。『ヨベル書』の記述は、創世記5:21-24においてエノクの生涯が三分割されていることに従っているが、エノクが彼の知恵や知識を書きとめ、それを伝えたという付加的な説明を加えている。また『ヨベル書』の記述は「天文の書」からの記述を含む4Q277と同じ伝承を保存している(これは『エノク書』と『ヨベル書』の文学的な依存関係を示しているわけではない)。
一方で『エノク書』それ自体の分析によると、「寝ずの番人の書」中の6-11章は残りの章とスタイルや意図があまりに違い、むしろ非偽典的な『創世記アポクリュフォン』『ヨベル書』『聖書古代誌』などに類似していることから、別の起源に由来するという。「天文の書」はエノクの旅からはじまって、彼の最終的な消失前の最後の行いまでを取り上げているので、「寝ずの番人の書」の次に来るべき内容を持っているといえる。「夢幻の書」は『ヨベル書』と同様に、父親から息子へと伝えられた過去の経験に基づく知恵と教えといった遺訓的な内容を持っている。「エノク書簡」も古典的な遺訓の形式を備えている。「ノアに関する補遺」は、エノクの地上での晩年から死後のことに言及している『ヨベル書』4:23-26に対応する内容を持っている。エノク文書の基礎的な選集はここまでで、エノクの行いと教えのあらすじを物語っていた。
「たとえの書」は他の文書に現れているようなエノクの伝記的パターンに従わない特徴を持っている。「たとえの書」が焦点を当てる2つのトピックは、第一に、擬人には褒美を、悪人には罰を与える裁きの日、そして第二に、天使たちとの旅においてエノクに明らかにされた場所の描写である。「たとえの書」に特徴的なのは、他のエノク文書であれば個別に扱われるトピックをつなげるという傾向である。他のエノク文書と違い、「たとえの書」は限定的な時代や単独のトピックに集中せず、エノクの生の完全な概観を目指している。こうした諸特徴は「たとえの書」の成立が比較的後代であったことを示している。「たとえの書」がクムランで発見されなかったことも考え合わせると、同書はアラム語原典コーパスにもともとあったものではなく、後から付加されたのだろう。
以上より、『エノク書』は確たるテーマと構造を持っていたといえる。それはエノクの行為や知恵の包括的な証言を伝えることである。構造的には、「寝ずの番人の書」「天文の書」「夢幻の書」「エノク書簡」および「補遺」が元来のかたちであり、「たとえの書」はのちに付加された。
クムラン断片の校訂者であるJozef MilikはこのDixの見解を取り入れ、エチオピア語訳のみならず、前100年頃のクムランでも五書形式のエノク文書が存在していたと主張した。この見解については、論文著者の博士論文をはじめ、Jonas C. Greenfield & Michael E. StoneやMichael A. Knibbらが反論を加えている(また「たとえの書」がキリスト教由来の3世紀後期の作であるというMilikの主張も同じ者らによって反論されている)。
Milikは、アラム語写本4Q204が「寝ずの番人の書」「夢幻の書」「エノク書簡」や「ノアに関する付加」までも含んでいることから、当時エノク文書を集める習慣があったことを論じている。さらに、クムランでは「たとえの書」の代わりに「巨人の書」が収録されたとMilikは主張する(「巨人の書」が書かれている4Q203はもともと4Q204の一部だったと彼は考えているが、この説はのちにLoren Stuckenbruckによって覆された)。ただし「天文の書」だけは長すぎるので別の写本に写されたという。論文著者はこうしたMilikの説には懐疑的である。五書形式に固執するあまり、「巨人の書」にその一翼を担わせるのは強引な説明である。『エノク書』のようなあまりに断片的な保存状態の作品を写本の形式からのみ語ることは不適切である。
そこで論文著者は、「『エノク書』とは似たような文書のよせあつめなのか、それとも確かなプランに基づいて集められ並べられたものなのか」という最も基本的な問いを立て、それを文学的な分析に基づいて検証している。そして結論を先取りするならば、『エノク書』とは、エノクの伝記という確かなテーマのために構築された統一的なコーパスであるという。
論文著者の文学的な分析の対象は、主に『ヨベル書』4:16-25と『エノク書』それ自体である。後者ではエノクについての記述がある。『ヨベル書』の記述は、創世記5:21-24においてエノクの生涯が三分割されていることに従っているが、エノクが彼の知恵や知識を書きとめ、それを伝えたという付加的な説明を加えている。また『ヨベル書』の記述は「天文の書」からの記述を含む4Q277と同じ伝承を保存している(これは『エノク書』と『ヨベル書』の文学的な依存関係を示しているわけではない)。
一方で『エノク書』それ自体の分析によると、「寝ずの番人の書」中の6-11章は残りの章とスタイルや意図があまりに違い、むしろ非偽典的な『創世記アポクリュフォン』『ヨベル書』『聖書古代誌』などに類似していることから、別の起源に由来するという。「天文の書」はエノクの旅からはじまって、彼の最終的な消失前の最後の行いまでを取り上げているので、「寝ずの番人の書」の次に来るべき内容を持っているといえる。「夢幻の書」は『ヨベル書』と同様に、父親から息子へと伝えられた過去の経験に基づく知恵と教えといった遺訓的な内容を持っている。「エノク書簡」も古典的な遺訓の形式を備えている。「ノアに関する補遺」は、エノクの地上での晩年から死後のことに言及している『ヨベル書』4:23-26に対応する内容を持っている。エノク文書の基礎的な選集はここまでで、エノクの行いと教えのあらすじを物語っていた。
「たとえの書」は他の文書に現れているようなエノクの伝記的パターンに従わない特徴を持っている。「たとえの書」が焦点を当てる2つのトピックは、第一に、擬人には褒美を、悪人には罰を与える裁きの日、そして第二に、天使たちとの旅においてエノクに明らかにされた場所の描写である。「たとえの書」に特徴的なのは、他のエノク文書であれば個別に扱われるトピックをつなげるという傾向である。他のエノク文書と違い、「たとえの書」は限定的な時代や単独のトピックに集中せず、エノクの生の完全な概観を目指している。こうした諸特徴は「たとえの書」の成立が比較的後代であったことを示している。「たとえの書」がクムランで発見されなかったことも考え合わせると、同書はアラム語原典コーパスにもともとあったものではなく、後から付加されたのだろう。
以上より、『エノク書』は確たるテーマと構造を持っていたといえる。それはエノクの行為や知恵の包括的な証言を伝えることである。構造的には、「寝ずの番人の書」「天文の書」「夢幻の書」「エノク書簡」および「補遺」が元来のかたちであり、「たとえの書」はのちに付加された。
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