- J. Tate, "Cornutus and the Poets," The Classical Quarterly 23 (1929), pp. 41-45.
コルヌートスは、ネロ帝の時代に活躍したストア派の哲学者である。本論文は、コルヌートスがホメロスやヘシオドスといった詩人たちの哲学的な側面をどのように評価していたかを検証したものである。
ギリシア神学を扱った論文の第17章において、コルヌートスは、詩人たちが歌う神話を安易に寓意的に解釈することを批判している。これは寓意的解釈の有効性を主張するストア派の主流派とは異なる見解である。コルヌートスによれば、ソクラテス以前の哲学者も神話を用いたが、詩人たちは神話のロマンスの部分ばかりを取り上げ、古代の哲学者たちによる寓意を部分的にしか伝えていないのだという。
コルヌートスの寓意的解釈自体はストア派由来のものであるが、詩人に対する低い評価はその限りではない。というのも、クリュシッポスは、古代の詩人をあたかもストア派であったかのように語っていることをキケローから批判されているし、ストラボンはホメロスの詩は哲学論文であり、ホメロスは哲学者であると見なしているし、そして寓意的解釈者のヘラクリトスはホメロスの哲学と知恵について語っているからである。とはいえ、ホメロスがストア派において最も理想的な人物であるかといえばそうではない。ストア派哲学者たちは、ホメロスが自分の創作を入れていること、彼の知識が不足していること、そして大衆を相手にしていることなどを批判してはいる。しかし、ホメロスがそうした非科学的な箇所を含みながらも、寓意的解釈によって正しい知識をも伝えようとしていることを、ストア派は高く評価していたのである。
それゆえに、詩人の誤りの強調と、その哲学的な性格の否定とは、コルヌートスがストア派から異なっている特徴になっている(彼は、語源学的解釈に関しても、クレアンテスやクリュシッポスよりも穏当なものをよしとした。言葉遊びはなるべく慎まなければならないという方針だったからである)。こうしたコルヌートスの逸脱は、キケローによる批判(古代の詩人を、現在から見ることで、あたかもストア派の哲学者であったかのように解釈するべきではない)に対するコルヌートスなりの回答であったと思われる。コルヌートスによれば、古代の詩人たちは確かにストア派哲学者ではないが、彼らの作品における神話は、ストア派的な寓意的解釈と親和性が高く、また彼らよりも前の哲学者らの見解を反映しているという。
コルヌートスにおけるこうした非ストア派的な考え方は、アリストテレスに依拠したものであると思われる。アリストテレスは、神話から、エッセンスとなる神学を抽出し、残りは創作だから必要ないものだと考えた。また彼は、ずっと古代にも哲学はあったのだが、それは詩人たちの神話の中にしか残っていないのだとも考えていた。
以上から、コルヌートスは、詩人たちが哲学的な真理を含んでいると考える点においてはアリストテレス的であるが、それがほんのわずかでしかないと考えるアリストテレスに対し、もっと多くがあるはずだと考える点においてはストア派的である。一方で、すべてのストア派的な原理が詩人たちの作品にあるとは考えなかった点においては非ストア派的であるが、詩人たちが哲学的なシステムを必ずしも伝えなくてもいいと考えていた点では非アリストテレス的である。
ギリシア神学を扱った論文の第17章において、コルヌートスは、詩人たちが歌う神話を安易に寓意的に解釈することを批判している。これは寓意的解釈の有効性を主張するストア派の主流派とは異なる見解である。コルヌートスによれば、ソクラテス以前の哲学者も神話を用いたが、詩人たちは神話のロマンスの部分ばかりを取り上げ、古代の哲学者たちによる寓意を部分的にしか伝えていないのだという。
コルヌートスの寓意的解釈自体はストア派由来のものであるが、詩人に対する低い評価はその限りではない。というのも、クリュシッポスは、古代の詩人をあたかもストア派であったかのように語っていることをキケローから批判されているし、ストラボンはホメロスの詩は哲学論文であり、ホメロスは哲学者であると見なしているし、そして寓意的解釈者のヘラクリトスはホメロスの哲学と知恵について語っているからである。とはいえ、ホメロスがストア派において最も理想的な人物であるかといえばそうではない。ストア派哲学者たちは、ホメロスが自分の創作を入れていること、彼の知識が不足していること、そして大衆を相手にしていることなどを批判してはいる。しかし、ホメロスがそうした非科学的な箇所を含みながらも、寓意的解釈によって正しい知識をも伝えようとしていることを、ストア派は高く評価していたのである。
それゆえに、詩人の誤りの強調と、その哲学的な性格の否定とは、コルヌートスがストア派から異なっている特徴になっている(彼は、語源学的解釈に関しても、クレアンテスやクリュシッポスよりも穏当なものをよしとした。言葉遊びはなるべく慎まなければならないという方針だったからである)。こうしたコルヌートスの逸脱は、キケローによる批判(古代の詩人を、現在から見ることで、あたかもストア派の哲学者であったかのように解釈するべきではない)に対するコルヌートスなりの回答であったと思われる。コルヌートスによれば、古代の詩人たちは確かにストア派哲学者ではないが、彼らの作品における神話は、ストア派的な寓意的解釈と親和性が高く、また彼らよりも前の哲学者らの見解を反映しているという。
コルヌートスにおけるこうした非ストア派的な考え方は、アリストテレスに依拠したものであると思われる。アリストテレスは、神話から、エッセンスとなる神学を抽出し、残りは創作だから必要ないものだと考えた。また彼は、ずっと古代にも哲学はあったのだが、それは詩人たちの神話の中にしか残っていないのだとも考えていた。
以上から、コルヌートスは、詩人たちが哲学的な真理を含んでいると考える点においてはアリストテレス的であるが、それがほんのわずかでしかないと考えるアリストテレスに対し、もっと多くがあるはずだと考える点においてはストア派的である。一方で、すべてのストア派的な原理が詩人たちの作品にあるとは考えなかった点においては非ストア派的であるが、詩人たちが哲学的なシステムを必ずしも伝えなくてもいいと考えていた点では非アリストテレス的である。
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