- H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 45-55.
Introduction to the Talmud and Midrash Herman L. Strack Gunter Stemberger Markus Bockmuehl Fortress Pr 1992-12 売り上げランキング : 2620102 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ラビ文学が口伝として伝達されたことは、テクスト批判や批判的校訂本に方法論的な問題を引き起こした。ラビの伝承が何世紀も完璧に口伝によって伝えられたという幻想は、ラビ資料の無批判な使用を可能にしてしまったのである。歴史研究者は、事実確認をしないままにラビ文学を受け入れる一方で、明らかに事実でないと判断したところを勝手に取り除いた。思想研究者は、さまざまな記述が異なった時代に成立した事実に注意を払わず、のっぺりとした「ラビ神学」に行きついた。
ラビ文学テクストの研究にはさまざまな方法論がある。まず、文学史(Literary History)の観点からラビ文学の年代を特定することがある。このとき、我々はある作品の最終版しか語ることができないために、個々の伝承は文書全体よりも古い可能性を考慮しなければならない。この方法論では、一般に文書の著者性が問題とされるが、ラビ文学のような合成的なテクストでは不適切な議論である。テクストの年代特定においては、それが最初に引用されたのはいつなのかという、外的な証言に頼ることによって、terminus ante quemが同定される。またテクストの中で引用されているラビの中で最も新しい人物は誰か、あるいは言及されている出来事の中で最も後代のものは何か、という内的な証言に頼ることによって、terminus post quemが同定される。
文学史の中では、言語学的な検証も有効であるが、ラビ文学の場合、ラビ・ヘブライ語の儀式性や形式性ゆえに、またラビ文学が引用文学であるゆえに、さらにはラビ文学が擬古文であるゆえに、うまく機能しない。ラビ文学の文学史的研究においては、ラビ文学史の予備的な時系列を作ることがせいぜいである。その際には、タナイーム文学に優先順位がある。特にラビたちの名前に基づいて成立年代が特定され得る。また偽典、クムラン文書、新約聖書、教父文学、アラビア文学などとの比較が期待されるが、時空を隔てた諸文学の比較には注意が必要である。
文化史・宗教史(Cultural and Religious History)に基づいた研究では、テクスト解釈において、そのテクストが書かれた土地の定住の歴史、人口、経済などに注目すべきである。同時代のシナゴーグや教会、また異教の遺跡などの考古学的発見と比較すると、ラビ文学における描写はバイアスがかかっていることが分かる。ラビ・ユダヤ教とヘレニズム文化との比較は、S. Kraussらによって始められ、S. Lieberman, D. Sperber, A.A. Hallewy, H.A. Fischelらによって続けられた。特に教父文学やイスラーム文学との比較が盛んになされた。しかし、ラビ時代のパレスチナ地方のユダヤ教の多層性は十分に研究し尽されているとは言えない。
様式史(Form History)は、主に聖書学において発展してきた方法論である。M. Diberiusは福音書の様式史を明らかにしたが、H. Gunkelは旧約聖書にそれを適用しつつ、「ジャンル史(Guttungsgeschichte)」と呼んだ。「様式」が具体的なテクストの言語学的な姿のみを扱うのに対し、「ジャンル」は個別の文学的様式を、それを支配する原理や起源の状態によって同定しようとする。ラビ文学では、P. Fiebigを嚆矢に、F. Maass, J. Neusner, A. Goldberg, J. Heinemannらの研究がこの方法論を用いている。中でもNeusnerはラビ文学の「様式」を、ハラハ―的(halakhic)素材、アガダー的(haggadic)素材、注解的(exegetical)素材に分類した。
伝承史(Tradition History)は、トピックの歴史を扱うモチーフ史(Motivgeschichte)である一方で、さまざまな並行箇所を扱う共観箇所の研究(synoptic reading)でもある。この方法論による研究はあまり進んでおらず、何となれば、『ミシュナー』と『トセフタ』の共観箇所の研究すらまだ出てきていない。ただし、J. Neusnerはこの方法論がテクストの文脈を無視する点に批判的である。そして彼は、むしろ個々のラビ文学の記事の独立性を主張している。
編集史(Redaction History)は、あるテクストの最終的な編纂者の人間性や、彼の神学的な特殊性を扱う。すなわち、この方法論においては、テクストの編纂者を単なる編集者と見なさず、ほぼ著者と見なすことになる。しかしながら、ラビ文学のような合成的なテクストにおいて著者性(authorship)を語ることは不適切であることは、上で述べたとおりである。とはいえ、ラビ文学を引用文学として見たとき、編集史的アプローチは有効である。編纂者は単に無目的に引用を寄せ集めるのではなく、自身の目的を持っている。
ラビ文学テクストの研究にはさまざまな方法論がある。まず、文学史(Literary History)の観点からラビ文学の年代を特定することがある。このとき、我々はある作品の最終版しか語ることができないために、個々の伝承は文書全体よりも古い可能性を考慮しなければならない。この方法論では、一般に文書の著者性が問題とされるが、ラビ文学のような合成的なテクストでは不適切な議論である。テクストの年代特定においては、それが最初に引用されたのはいつなのかという、外的な証言に頼ることによって、terminus ante quemが同定される。またテクストの中で引用されているラビの中で最も新しい人物は誰か、あるいは言及されている出来事の中で最も後代のものは何か、という内的な証言に頼ることによって、terminus post quemが同定される。
文学史の中では、言語学的な検証も有効であるが、ラビ文学の場合、ラビ・ヘブライ語の儀式性や形式性ゆえに、またラビ文学が引用文学であるゆえに、さらにはラビ文学が擬古文であるゆえに、うまく機能しない。ラビ文学の文学史的研究においては、ラビ文学史の予備的な時系列を作ることがせいぜいである。その際には、タナイーム文学に優先順位がある。特にラビたちの名前に基づいて成立年代が特定され得る。また偽典、クムラン文書、新約聖書、教父文学、アラビア文学などとの比較が期待されるが、時空を隔てた諸文学の比較には注意が必要である。
文化史・宗教史(Cultural and Religious History)に基づいた研究では、テクスト解釈において、そのテクストが書かれた土地の定住の歴史、人口、経済などに注目すべきである。同時代のシナゴーグや教会、また異教の遺跡などの考古学的発見と比較すると、ラビ文学における描写はバイアスがかかっていることが分かる。ラビ・ユダヤ教とヘレニズム文化との比較は、S. Kraussらによって始められ、S. Lieberman, D. Sperber, A.A. Hallewy, H.A. Fischelらによって続けられた。特に教父文学やイスラーム文学との比較が盛んになされた。しかし、ラビ時代のパレスチナ地方のユダヤ教の多層性は十分に研究し尽されているとは言えない。
様式史(Form History)は、主に聖書学において発展してきた方法論である。M. Diberiusは福音書の様式史を明らかにしたが、H. Gunkelは旧約聖書にそれを適用しつつ、「ジャンル史(Guttungsgeschichte)」と呼んだ。「様式」が具体的なテクストの言語学的な姿のみを扱うのに対し、「ジャンル」は個別の文学的様式を、それを支配する原理や起源の状態によって同定しようとする。ラビ文学では、P. Fiebigを嚆矢に、F. Maass, J. Neusner, A. Goldberg, J. Heinemannらの研究がこの方法論を用いている。中でもNeusnerはラビ文学の「様式」を、ハラハ―的(halakhic)素材、アガダー的(haggadic)素材、注解的(exegetical)素材に分類した。
伝承史(Tradition History)は、トピックの歴史を扱うモチーフ史(Motivgeschichte)である一方で、さまざまな並行箇所を扱う共観箇所の研究(synoptic reading)でもある。この方法論による研究はあまり進んでおらず、何となれば、『ミシュナー』と『トセフタ』の共観箇所の研究すらまだ出てきていない。ただし、J. Neusnerはこの方法論がテクストの文脈を無視する点に批判的である。そして彼は、むしろ個々のラビ文学の記事の独立性を主張している。
編集史(Redaction History)は、あるテクストの最終的な編纂者の人間性や、彼の神学的な特殊性を扱う。すなわち、この方法論においては、テクストの編纂者を単なる編集者と見なさず、ほぼ著者と見なすことになる。しかしながら、ラビ文学のような合成的なテクストにおいて著者性(authorship)を語ることは不適切であることは、上で述べたとおりである。とはいえ、ラビ文学を引用文学として見たとき、編集史的アプローチは有効である。編纂者は単に無目的に引用を寄せ集めるのではなく、自身の目的を持っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿