- H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 149-63.
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「トセフタ」とは「付加・補足」を意味し、具体的には『ミシュナー』を補足する付加的な法的教えのことを指している。『トセフタ』は『ミシュナー』と構造を共にしている。ただし「アボット」、「タミッド」、「ミドット」、そして「キニーム」のみ『トセフタ』には含まれていない。『トセフタ』は『ミシュナー』より訳4倍ほど長くなっており、ミシュナー・ヘブライ語で書かれているが、アラム語やギリシア・ラテン語からの借用語も多く含む。
『トセフタ』の起源は、『バビロニア・タルムード』「サンヘドリン」86aによると、ラビ・ネヘミヤの作だとされている。ガオン・シェリラは、ラビ・ヒヤ・バル・アバ(とのその友人)が実際の著者だと説明している。ラシやマイモニデスも同様の見解を取る。多くの中世の学者たちは、「サンヘドリン」の指摘を無視し、ラビ・ヒヤおよびラビ・ホシャヤが『トセフタ』の著者だと主張する。Z. Frankelもこの伝統的な見解を受け入れているが、Ch. Albeckはこの二人のラビに帰されるのはわずかな部分に過ぎないと反論した。A. Goldbergは両者を架橋するために、『トセフタ』とは、ラビ・ネヘミヤがラビ・アキバおよびラビ・メイールの見解を補足したものを、ラビ・ヒヤが『ミシュナー』に依拠しつつ改訂・編集したものだと主張した。すなわち、『トセフタ』を『ミシュナー』への付加、あるいはそれへの注解と見なすわけである。
『トセフタ』と『ミシュナー』との関係は、幅広い議論を呼んでいる。研究史の中で、『トセフタ』は常に『ミシュナー』の補足と見なされていたので、それ自体を独立した者として取り上げた研究は少ない。両者には共観関係があるので、新約聖書の共観福音書の研究からも影響を受けている。両者の関係で言えることは、以下の7点である:
『トセフタ』の起源は、『バビロニア・タルムード』「サンヘドリン」86aによると、ラビ・ネヘミヤの作だとされている。ガオン・シェリラは、ラビ・ヒヤ・バル・アバ(とのその友人)が実際の著者だと説明している。ラシやマイモニデスも同様の見解を取る。多くの中世の学者たちは、「サンヘドリン」の指摘を無視し、ラビ・ヒヤおよびラビ・ホシャヤが『トセフタ』の著者だと主張する。Z. Frankelもこの伝統的な見解を受け入れているが、Ch. Albeckはこの二人のラビに帰されるのはわずかな部分に過ぎないと反論した。A. Goldbergは両者を架橋するために、『トセフタ』とは、ラビ・ネヘミヤがラビ・アキバおよびラビ・メイールの見解を補足したものを、ラビ・ヒヤが『ミシュナー』に依拠しつつ改訂・編集したものだと主張した。すなわち、『トセフタ』を『ミシュナー』への付加、あるいはそれへの注解と見なすわけである。
『トセフタ』と『ミシュナー』との関係は、幅広い議論を呼んでいる。研究史の中で、『トセフタ』は常に『ミシュナー』の補足と見なされていたので、それ自体を独立した者として取り上げた研究は少ない。両者には共観関係があるので、新約聖書の共観福音書の研究からも影響を受けている。両者の関係で言えることは、以下の7点である:
- 『トセフタ』は『ミシュナー』と一致しており、異なるとしてもわずかである。
- 『トセフタ』は『ミシュナー』では誰のものか分からない意見に名前を与えている。
- 『トセフタ』は『ミシュナー』の注解として機能する。
- 『トセフタ』は『ミシュナー』と共通の素材には直接言及しないが、そこから素材を付け加えている。
- 『トセフタ』は『ミシュナー』と法的議論や伝承者の名前で食い違っている。
- 『トセフタ』は『ミシュナー』の編成と大体同じだが、異なることもある。S. Friedmanによると、『トセフタ』は『ミシュナー』より原型に近い、原始的な編成を持っている。
- 『トセフタ』のスタイルは『ミシュナー』ほど洗練されていない。J. Neusnerによると、『トセフタ』は『ミシュナー』のように記憶しやすくは書かれていない。
M.S. Zuckermandelは、『トセフタ』とは『パレスチナ・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』のことを指している一方で、現存する『ミシュナー』とは『バビロニア・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』であると主張した。実際に、『パレスチナ・タルムード』はしばしば『トセフタ』と一致するが『ミシュナー』とは一致しない。彼は、逆に『パレスチナ・タルムード』が『トセフタ』と一致せず『ミシュナー』と一致するところは、テクスト上の汚染や改変があったと考えた。彼はこうした見解を基に『トセフタ』の校訂版を作成したわけだが、現在では受け入れられていない。
J.H. Duennerは、『トセフタ』とは、タルムード完成後に作成された、タルムード的バライタやタナイーム期の資料のことだと主張した。彼の見解は、Ch. AlbeckやI.H. Weissらによって受け入れられた。
A. Spanierは、A. Schwarzらの研究を受けて、『トセフタ』とは『ミシュナー』に関する特別なスコリアだと主張した。『トセフタ』の編集者は、『ミシュナー』から『トセフタ』を切り離すために、多くの箇所を付け加えたり取り去ったりした。そうすることで、新しい作品である『トセフタ』に統一感を与えようとしたのである。このようなスコリアはラビ・アキバの時代にはすでに存在し、ラビたちはそれらを『ミシュナー』に組み込んだのだった。
A. Guttmanは、『トセフタ』とは、それが『ミシュナー』を補足したり説明したり矛盾したりすることにかかわらず、『ミシュナー』に含まれていないタナイーム期の関連素材を集めた集成だと主張した。すなわち、比較的『ミシュナー』から独立した作品であると評価したのである。しかし、これはその場しのぎの議論にすぎない。
著者は、上の研究者たちのように、『トセフタ』と『ミシュナー』との関係性を全体として総合的に評価することは不可能であり、あくまでもマセヘットごとに特徴をつかんでいくしかないと述べている。著者によれば、「テルモット」では『トセフタ』は頻繁に『ミシュナー』を利用している一方で、『ミシュナー』は『トセフタ』に負うところはない。「スッコート」では、『トセフタ』は『ミシュナー』抜きでは解釈しがたいが、「イェバモット」では『ミシュナー』は明らかに『トセフタ』を想定していない。こうした観察は、『トセフタ』が『ミシュナー』に直接依拠しているというより、共通の素材があったことを示唆する。J. Neusnerは、「トホロット」において『トセフタ』は確かに『ミシュナー』の補足として理解されるが、「コダシーム」において『トセフタ』の議論は『ミシュナー』から独立している。こうした議論を重ねていくと、マセヘットごとの議論ですら大雑把に過ぎるかもしれない。
『トセフタ』とタルムードとの関係は、以下の4点が確実に言えることである:
J.H. Duennerは、『トセフタ』とは、タルムード完成後に作成された、タルムード的バライタやタナイーム期の資料のことだと主張した。彼の見解は、Ch. AlbeckやI.H. Weissらによって受け入れられた。
A. Spanierは、A. Schwarzらの研究を受けて、『トセフタ』とは『ミシュナー』に関する特別なスコリアだと主張した。『トセフタ』の編集者は、『ミシュナー』から『トセフタ』を切り離すために、多くの箇所を付け加えたり取り去ったりした。そうすることで、新しい作品である『トセフタ』に統一感を与えようとしたのである。このようなスコリアはラビ・アキバの時代にはすでに存在し、ラビたちはそれらを『ミシュナー』に組み込んだのだった。
A. Guttmanは、『トセフタ』とは、それが『ミシュナー』を補足したり説明したり矛盾したりすることにかかわらず、『ミシュナー』に含まれていないタナイーム期の関連素材を集めた集成だと主張した。すなわち、比較的『ミシュナー』から独立した作品であると評価したのである。しかし、これはその場しのぎの議論にすぎない。
著者は、上の研究者たちのように、『トセフタ』と『ミシュナー』との関係性を全体として総合的に評価することは不可能であり、あくまでもマセヘットごとに特徴をつかんでいくしかないと述べている。著者によれば、「テルモット」では『トセフタ』は頻繁に『ミシュナー』を利用している一方で、『ミシュナー』は『トセフタ』に負うところはない。「スッコート」では、『トセフタ』は『ミシュナー』抜きでは解釈しがたいが、「イェバモット」では『ミシュナー』は明らかに『トセフタ』を想定していない。こうした観察は、『トセフタ』が『ミシュナー』に直接依拠しているというより、共通の素材があったことを示唆する。J. Neusnerは、「トホロット」において『トセフタ』は確かに『ミシュナー』の補足として理解されるが、「コダシーム」において『トセフタ』の議論は『ミシュナー』から独立している。こうした議論を重ねていくと、マセヘットごとの議論ですら大雑把に過ぎるかもしれない。
『トセフタ』とタルムードとの関係は、以下の4点が確実に言えることである:
- タルムードにおける『トセフタ』からの引用と言えるのは、「ヨマ」70aであるが、似た文書からの引用かもしれない。
- タルムード中の多くのバライタは『トセフタ』に一致する。
- バライタの中には、意味上は近いが言い回しは異なるものがある。
- タルムード中のラビたちは、『トセフタ』に親しんでいなければ出てこない解決を議論している。
こうした観察を受けて、J.N. Epsteinによれば、タルムードは『トセフタ』を別の仕方で知っていたという。『バビロニア・タルムード』のバライタはやや今日の『トセフタ』とは異なっているが、『パレスチナ・タルムード』のそれは『トセフタ』とかなり近いため、直接の関係性があるかもしれない。
一方で、Ch. Albeckによれば、タルムードのバライタが頻繁に『トセフタ』の並行箇所から外れ、また引用しそこなっているのは、タルムードの編纂者たちが『トセフタ』を知らなかったからだという。その代わりに、編纂者たちは、『トセフタ』のもととなるソースから引用したのだった。
B. De Vriesはこれらの中間の意見として、タルムードの議論における『トセフタ』の無視は、『トセフタ』への無知を意味しないと主張した。Y. Elmanは、「ペサヒーム」の研究を基に、『バビロニア・タルムード』にある『トセフタ』に似たバライタの多くは、『トセフタ』とは別に独立して受け取られたものであり、緩やかな繋がりはあるが、別の作品だと考えた。これはAlbeckの議論に近い。
『トセフタ』に関する議論は、一般的に受け入れられているものが多くない。バライタと『トセフタ』との文言が異なるのは、前者が自由に引用したからかもしれないし、直接の引用ではなく共通のソースからの引用だからかもしれない。研究史における権威であるJ. Neusnerは、『トセフタ』とは『ミシュナー』における法規の成立の歴史とは何の関係もない、『ミシュナー』以後の文書だと主張している。彼の意見も、年代によって異なるが、『トセフタ』の編纂はおそらく3世紀のアモライーム期、すなわち『ミシュナー』が完成したあとであり、かつ『パレスチナ・タルムード』よりは前のことだったと結論付けている。『ミシュナー』完成前に形成されたのは、ごくわずかな部分に過ぎない。言語的な検証から、編纂された場所はほぼ間違いなくパレスチナである。
一方で、Ch. Albeckによれば、タルムードのバライタが頻繁に『トセフタ』の並行箇所から外れ、また引用しそこなっているのは、タルムードの編纂者たちが『トセフタ』を知らなかったからだという。その代わりに、編纂者たちは、『トセフタ』のもととなるソースから引用したのだった。
B. De Vriesはこれらの中間の意見として、タルムードの議論における『トセフタ』の無視は、『トセフタ』への無知を意味しないと主張した。Y. Elmanは、「ペサヒーム」の研究を基に、『バビロニア・タルムード』にある『トセフタ』に似たバライタの多くは、『トセフタ』とは別に独立して受け取られたものであり、緩やかな繋がりはあるが、別の作品だと考えた。これはAlbeckの議論に近い。
『トセフタ』に関する議論は、一般的に受け入れられているものが多くない。バライタと『トセフタ』との文言が異なるのは、前者が自由に引用したからかもしれないし、直接の引用ではなく共通のソースからの引用だからかもしれない。研究史における権威であるJ. Neusnerは、『トセフタ』とは『ミシュナー』における法規の成立の歴史とは何の関係もない、『ミシュナー』以後の文書だと主張している。彼の意見も、年代によって異なるが、『トセフタ』の編纂はおそらく3世紀のアモライーム期、すなわち『ミシュナー』が完成したあとであり、かつ『パレスチナ・タルムード』よりは前のことだったと結論付けている。『ミシュナー』完成前に形成されたのは、ごくわずかな部分に過ぎない。言語的な検証から、編纂された場所はほぼ間違いなくパレスチナである。