- Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 455-70.
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ヨセフスは、『古代誌』を始めとする著作の中で聖書を扱う際に、ヘブライ語、ギリシア語、そしてアラム語という三つのソースに依拠していたと大部分の研究者は考えている。しかしながら、研究史においては、Tachauerのようにヨセフスはヘブライ語テクストのみを用いたとする者や、一方でSchalitのようにギリシア語テクストのみを用いたとする者もいる。Schalitは、ヨセフスの著作における聖書の登場人物がギリシア語聖書と同じつづりになっていることを指摘するが、論文著者は、ヨセフス写本が後代の写字生によって七十人訳によせて改変された可能性があると反論する。
その出自や受けてきた教育から、ヨセフスはヘブライ語聖書をよく知っていたと考えられる。しかし、彼が持っていたヘブライ語聖書は、現在のマソラー・テクストとは異なっていた。ただし、ヨセフスはそれを忠実に翻訳して引用するというより、パラフレーズしていたので、いったいどんな聖書テクストを底本としてたかを特定することは難しい。
ギリシア語聖書は文学的にレベルが高くなく、内容に通じている者でなければ意味を取るのが難しいような書物ので、ヨセフスはそれをパラフレーズしてギリシアの知識層にまで届くようにしようとした。ヨセフスは実際に七十人訳と近いテクストを引用しているが、それは彼が実際に七十人訳を直接引用したことを必ずしも意味しない。なぜなら、彼はたまたま同じ伝承を知っていたかもしれないし、現在の写本とは別の写本を持っていたかもしれないし、また(クムラン写本の検証から)ギリシア語聖書とヘブライ語聖書とはさほど違わないのでギリシア語聖書を引用しているように見えるところもヘブライ語聖書からの引用かもしれないからである。
アラム語はヨセフスの主要言語であった。シナゴーグでヘブライ語聖書をアラム語に翻訳して朗唱するという習慣は、ヨセフスの時代から行われていた。ヨセフスはこのタルグムを活用していたと考えられるが、特に『古代誌』の1-5巻がそれ以降に比してより自由なのは、タルグムに依拠しているからだと主張する研究者もいる。タルグムの使用は特に、登場人物の名前の語源学や、聖書の中の地理などに基づくアガダー的箇所に認められる。
ヨセフスはこのようにヘブライ語、ギリシア語、アラム語の聖書を用いていたわけだが、五書に関しては主としてヘブライ語とアラム語聖書に依拠したと考えられる。しかしながら、そうした中でもヨセフスがギリシア語に従っているとき、それはフィロン、パピルスに書かれた用語集、翻訳者が組み込んだパレスティナの伝承などからの影響が考えられる。Mez、Thackeray、Ulrichらは、特に聖書の固有名詞のスペリングがギリシア語聖書に一致すると主張している(ただし論文著者はそれは写字生の修正である可能性を挙げている)。エズラ記やエステル記に関しても、ヨセフスはギリシア語聖書に依拠していると主張する者たちがいる。さらにHoelscherは、ヨセフスはヘブライ語聖書でもギリシア語聖書でもなく、ヘレニズム期ユダヤ作家に依拠していたと主張しているが、これは証拠がない。論文著者はとしては、エステル記などに関しても、やはりヨセフスは三言語のテクストを参照していたと考えている。
ヨセフスは、聖書を扱うに際し、再三にわたり自分は聖書を正確に写しており、いかなる付加も省略もしていないと述べているが(『古代誌』1.17)、実際には明らかに付加や省略をしている。これがなぜなのかについて、研究者たちはさまざまな理由を挙げている。第一に、ヨセフスは読者の聖書関する無知を当てにしていたから、というもの。しかし、パレスティナには、ヨセフスのライバルであるティベリアのユストスをはじめ、他にも多くのもギリシア語を知るユダヤ人がいたのであり、ましてやディアスポラのユダヤ人もいたのであるから、これは理由にはならない。
第二に、「付加も省略もしない」とは単に、正確さを表わすための決まり切った定型句であり、必ずしもそうではない、というもの。確かに、ハリカルナッソスのディオニュシオス、ルキアノス、偽コルネリウス・ネポスにも同様の表現が見られる。事実、聖書にも「付加も省略もしてはならない」という定式があるにもかかわらず、そもそも七十人訳には多くの修正が含まれている。ヒエロニュムスは、七十人訳に少なくとも三つの多様性があったことを証言している。
ヨセフスが使っている「翻訳する」という語は、μεθερμηνεύω, ἑρμηνεύω, μεταβάλλωなどがあるが、彼は実際にはこれらの単語を、どれも「翻訳する」よりは「解釈する」という意で使っている。そもそも、よき翻訳者たるには、機械的に言葉を置き換えるのではなく、専門家としての解釈が入らなければならない。この意味で、祭司の家系に生まれ、哲学の素養のあるヨセフスは、異教徒のために聖書に解釈を加えたわけだが、彼自身はこれを「付加」や「省略」とは考えなかったのである。
第三に、「付加も省略もしない」というのは、特別に十戒にのみ適用されることで、聖書全体ではない、というもの。実際に、ヨセフスが「付加」や「省略」を加えているのは、アガダー的な箇所のみである。
第四に、ヨセフスは成文律法のみではなく、口伝のユダヤ伝承をも聖書と考えていた、というもの。ヨセフスの時代には口伝律法は成文化されていなかったわけだが、ヘレニズム期のユダヤ人作家たち――エウポレモス、悲劇作家エゼキエル、フィロン――や、『外典創世記』、偽フィロン『聖書古代誌』などには、多くのユダヤ伝承が含まれている。これらの伝承について語ることは、ヨセフスにとって、聖書に「付加」したり、聖書から「省略」したりすることではなかったのである。
その出自や受けてきた教育から、ヨセフスはヘブライ語聖書をよく知っていたと考えられる。しかし、彼が持っていたヘブライ語聖書は、現在のマソラー・テクストとは異なっていた。ただし、ヨセフスはそれを忠実に翻訳して引用するというより、パラフレーズしていたので、いったいどんな聖書テクストを底本としてたかを特定することは難しい。
ギリシア語聖書は文学的にレベルが高くなく、内容に通じている者でなければ意味を取るのが難しいような書物ので、ヨセフスはそれをパラフレーズしてギリシアの知識層にまで届くようにしようとした。ヨセフスは実際に七十人訳と近いテクストを引用しているが、それは彼が実際に七十人訳を直接引用したことを必ずしも意味しない。なぜなら、彼はたまたま同じ伝承を知っていたかもしれないし、現在の写本とは別の写本を持っていたかもしれないし、また(クムラン写本の検証から)ギリシア語聖書とヘブライ語聖書とはさほど違わないのでギリシア語聖書を引用しているように見えるところもヘブライ語聖書からの引用かもしれないからである。
アラム語はヨセフスの主要言語であった。シナゴーグでヘブライ語聖書をアラム語に翻訳して朗唱するという習慣は、ヨセフスの時代から行われていた。ヨセフスはこのタルグムを活用していたと考えられるが、特に『古代誌』の1-5巻がそれ以降に比してより自由なのは、タルグムに依拠しているからだと主張する研究者もいる。タルグムの使用は特に、登場人物の名前の語源学や、聖書の中の地理などに基づくアガダー的箇所に認められる。
ヨセフスはこのようにヘブライ語、ギリシア語、アラム語の聖書を用いていたわけだが、五書に関しては主としてヘブライ語とアラム語聖書に依拠したと考えられる。しかしながら、そうした中でもヨセフスがギリシア語に従っているとき、それはフィロン、パピルスに書かれた用語集、翻訳者が組み込んだパレスティナの伝承などからの影響が考えられる。Mez、Thackeray、Ulrichらは、特に聖書の固有名詞のスペリングがギリシア語聖書に一致すると主張している(ただし論文著者はそれは写字生の修正である可能性を挙げている)。エズラ記やエステル記に関しても、ヨセフスはギリシア語聖書に依拠していると主張する者たちがいる。さらにHoelscherは、ヨセフスはヘブライ語聖書でもギリシア語聖書でもなく、ヘレニズム期ユダヤ作家に依拠していたと主張しているが、これは証拠がない。論文著者はとしては、エステル記などに関しても、やはりヨセフスは三言語のテクストを参照していたと考えている。
ヨセフスは、聖書を扱うに際し、再三にわたり自分は聖書を正確に写しており、いかなる付加も省略もしていないと述べているが(『古代誌』1.17)、実際には明らかに付加や省略をしている。これがなぜなのかについて、研究者たちはさまざまな理由を挙げている。第一に、ヨセフスは読者の聖書関する無知を当てにしていたから、というもの。しかし、パレスティナには、ヨセフスのライバルであるティベリアのユストスをはじめ、他にも多くのもギリシア語を知るユダヤ人がいたのであり、ましてやディアスポラのユダヤ人もいたのであるから、これは理由にはならない。
第二に、「付加も省略もしない」とは単に、正確さを表わすための決まり切った定型句であり、必ずしもそうではない、というもの。確かに、ハリカルナッソスのディオニュシオス、ルキアノス、偽コルネリウス・ネポスにも同様の表現が見られる。事実、聖書にも「付加も省略もしてはならない」という定式があるにもかかわらず、そもそも七十人訳には多くの修正が含まれている。ヒエロニュムスは、七十人訳に少なくとも三つの多様性があったことを証言している。
ヨセフスが使っている「翻訳する」という語は、μεθερμηνεύω, ἑρμηνεύω, μεταβάλλωなどがあるが、彼は実際にはこれらの単語を、どれも「翻訳する」よりは「解釈する」という意で使っている。そもそも、よき翻訳者たるには、機械的に言葉を置き換えるのではなく、専門家としての解釈が入らなければならない。この意味で、祭司の家系に生まれ、哲学の素養のあるヨセフスは、異教徒のために聖書に解釈を加えたわけだが、彼自身はこれを「付加」や「省略」とは考えなかったのである。
第三に、「付加も省略もしない」というのは、特別に十戒にのみ適用されることで、聖書全体ではない、というもの。実際に、ヨセフスが「付加」や「省略」を加えているのは、アガダー的な箇所のみである。
第四に、ヨセフスは成文律法のみではなく、口伝のユダヤ伝承をも聖書と考えていた、というもの。ヨセフスの時代には口伝律法は成文化されていなかったわけだが、ヘレニズム期のユダヤ人作家たち――エウポレモス、悲劇作家エゼキエル、フィロン――や、『外典創世記』、偽フィロン『聖書古代誌』などには、多くのユダヤ伝承が含まれている。これらの伝承について語ることは、ヨセフスにとって、聖書に「付加」したり、聖書から「省略」したりすることではなかったのである。
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