- Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 503-18.
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ヨセフスによる聖書記述の改変には二つの理由があり、第一は護教的な理由だった。そして第二は、歴史を一貫して宗教的・ユダヤ的に解釈することである。ただし、ヨセフスは聖書をあくまで神学ではなく歴史として捉えている。言い換えれば、ヨセフスは神学者としてではなく歴史家として聖書を解釈しているのである。そのために、彼は聖書の記述にはあった神へのアピールを取り除いた。たとえばアケダー解釈でも、他のユダヤ資料とは異なり、ヨセフスは、アブラハムやイサクを試す神という、神義論を理解するために決定的なコンセプトを省いている。当然、神による奇跡譚などもない。
ただし、モーセの物語においてのみ、ヨセフスは神の役割を保存している。というのも、ギリシア人の理解では、リュクルゴスのような偉大な指導者は神によって導かれる者だったので、そうしたギリシアの指導者に比すべき律法制定者モーセにもまた、同様の道具立てが必要だったからである。これはいわば護教的な理由である。
ヨセフス自身によれば、皆が彼に律法解釈について質問に来るほど、ヨセフスは律法解釈に通じていたという。実際に、パリサイ派としての彼の律法知識には目を見張るものがあったし、『古代誌』を書き上げたあとには、律法解釈に特化した著作を書くつもりも持っていたようである。ただし、多くの箇所でヨセフスの律法解釈はラビの律法解釈と異なっており、論文著者はそうした箇所を 18箇所挙げている。一方で、両者が一致している18箇所もある。
ヨセフスは、のちに律法解釈に特化した著作を書くつもりがあったにせよ、『古代誌』でもいくらかそうしたサーベイを加えている。これは、その律法を制定したモーセがいかに偉大な指導者だったかを示すため、そして彼の著作を読んだ非ユダヤ人が律法の本質を知ることができるようにするためであった。彼の律法解釈には、聖書そのもの以外に、ラビ的文書とタルグムが用いられていたと思われる。パレスティナのユダヤ人だったヨセフスが、アレクサンドリアのヘレニズム期ユダヤ人作家や死海文書のようなセクト的な文書に頼るとは思われない。
上のようなソースを持っていたにもかかわらず、ヨセフスの解釈がラビの法解釈と異なるのは、彼の目的が、ギリシア人やローマ人からのユダヤ人批判に応えるためだったからである。すなわち、護教論のために、非ユダヤ人から見て恥ずべき掟からはあえて逸脱したのだった。また異教徒がユダヤ教に改宗しやすいような解釈にも変えている。実際に、ヨセフスの時代にはユダヤ教への改宗者もたくさんいたようである。言い換えれば、ヨセフスは自分時代の事情を律法解釈に反映させている。
こうした事情を鑑みるに、ヨセフスの時代のユダヤ教というのは、たとえばG.F. Mooreが考えているほどに一枚岩ではなかったし、ラビたちによる統制もさほど取れていなかったと言える。
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