- B. Barry Levy, "Rabbinic Bibles, Mikra'ot Gedolot, and Other Great Books," Tradition: A Journal of Orthodox Thought 25 (1991): 65-81
本論文は、ユダヤ教のラビ聖書の成立と発展について概観したものである。まず、著者は「ラビ聖書(Rabbinic Bibles)」と「大聖書(Mikra'ot Gedolot)」とについて、それぞれの本来的な意味を説明する。前者が全聖書文書とその注解を意味するのに対し、後者は聖書の全文書あるいは部分を文字どおり大きな版(フォリオ)で作成したものを意味する。つまりここでの「ガドール(大きい)」とはサイズの問題である。これに加えて、より小さいサイズで五書とその注解のみで構成されるものとして、「ラビ五書(Rabbinic Pentateuchs)」がある。ラビ五書はラビ聖書より以前から親しまれていた。しかし19世紀になると、小さなサイズのラビ聖書でも大聖書と呼ばれるようになった。ここにおいて、「ガドール」は「偉大な」の意味に変わり、現在に至る。
最初のラビ聖書は1517年に出版され、続いて1524年に第二のラビ聖書が新たに出版された。ラビ聖書は、その読者がどのようにして聖書の適切な学びをしていたかを教えてくれる。ラビ聖書には同じ注解がいつも収録されるわけではないが、初期のラビ聖書(1517-1619)によく採用されたのは、ラシ、イブン・エズラ、ラダック、ラルバグらの注解であった(イブン・エズラは最初のラビ聖書には入らなかった)。中世以降の版で採用されたものとしては、アブラハム・ファリッソルのヨブ記注解とダヴィッド・イブン・ヤフヤの箴言注解があるが、定番にはならなかった。こうしたことから、ラビ聖書の特徴としては、中世初期の聖書注解が中心となっていることが挙げられる。さらにこれらの注解者たちは二つの特徴がある。第一に、方法論はさまざまだが、トーラーのみならず全聖書文書に対して関心を向けること、第二に、聖書注解者であるのみならずタルムード注解者でもあることである。第二の点に関して、ラダック、ラルバグ、ヴィルナのガオンなどはタルムード注解者であるが、ヨナ・イブン・ジャナハやイブン・エズラはそうではなかったため、後者は規範的なラビ的解釈ではないと考えられることもあった。
1517年にフェリクス・プラテンシスによって編集された最初のラビ聖書は、母音記号と詠唱記号のついた聖書本文、タルグム・オンケロス(五書)、タルグム・ヨナタン(預言書)、ラシ注解(五書とメギロット)、ラダック注解(預言書と詩篇)、ラルバグ注解(ダニエル)、ナフマニデス(ヨブ記)などが収録されていた。1524年にヤコブ・ベン・ハイムによって編集された二番目のラビ聖書は、完全なマソラーとイブン・エズラ注解を含み、以降のラビ聖書のモデルとなった。両者の最も大きな違いは、1524年版においては、すべての聖書文書に対して複数の注解が参照できるようになった点であり、それによって読者は多角的な聖書の読み方をできるようになった。印刷技術の向上によって、より多くの情報をひとつの頁に詰め込めるようになっていった。特に、1724年にアムステルダムで出版された『ケヒロット・モシェ』は八つの注解をも収録できた。
ラビ五書はラビ聖書よりも手軽であり、ラビ聖書を作成するときのモデルともなった。三種のタルグム(オンケロス、偽ヨナタン、フラグメント)、ハフタロット(週ごとの預言書箇所)、613の戒律、礼拝テクスト、タルグムや中世聖書解釈へのスーパー・コメンタリーの付加などは、最初にラビ五書に施された。1858年にウィーンで出版されたラビ五書は、のちに定番となる1907年にヴィルナで出版されたラビ五書のモデルとなった。これらのラビ五書は、ラビ聖書よりはるかに多くの注解を収録している。のちには、ヴィルナ版ラビ五書(1907年)とワルシャワ版ラビ聖書(1860年)の預言書および諸書部分を合わせたハイブリッド・ラビ聖書も作成された。
ラビ聖書が含まないものとしては、以下のものが挙げられる。ラビ・ユダヤ教以前(ヘレニズム期)の注解(ギリシア語だから)、ゲオニームやカライ派の注解(アラビア語だから)、ミドラッシュ集(ラビ聖書の作成時期がミドラッシュに重きを置かない時期だったから。例外もある)、ユダヤ哲学者の注解(ラダックやラルバグなどの哲学的な注解はある)、カバラー注解(ナフマニデスやイブン・アタルなどのカバラー的注解はある)、ハシディズム注解。
問題がある記述を検閲されたり、読者に望まれなくなったりしたために、排除されてしまう注解もあった。イブン・エズラのイザヤ書注解、ラダックの前預言者注解の序文、ノルツィの五書に関する『ミンハット・シャイ』などである。逆に、ラシュバムの注解は20世紀になって初めてラビ聖書に加えられるようになった。
ラビ聖書の成立にはキリスト教徒の存在も欠かせなかった。しばしばユダヤ人は宗教的な書物を印刷することができなかったので、キリスト教徒の出版人が代わりに教会の許可を得て出版することがあった。ダニエル・ボンベルグは宣教的な目的もあり、多額の金を払って出版許可を得ていた。キリスト教徒たちは、自分たちのためとユダヤ人のためにラビ聖書を含むユダヤ教文書を出版していたのである。ここで考慮に入れるべきは、ラビ聖書に収録された注解の選択におけるキリスト教徒の影響である。ラダックの注解はキリスト教徒の人気が高かったことが知られている。逆にオバディア・スフォルノはキリスト教徒にはあまり人気がなく、初めてラビ聖書に収録されたのは、ユダヤ人のみによって初めて出版された1724年のラビ聖書においてだった。レカナティの神秘主義的注解は、ラテン語訳がよく読まれていたにもかかわらず、収録されなかった。
イスラエルで最初に出版されたラビ聖書は『トーラット・ハイーム』である。これは聖書本文はアレッポ写本および関連の写本に拠り、オンケロス、『セフェル・ハヒヌーフ』、10の注解(サアディア、ラベイヌ・ハナネル、ラシ、ラシュバム、イブン・エズラ、ラダック[創世記]、ナフマニデス、マハラム・トーテンベルク、ヒズクニ、スフォルノ)が収録されている。オンケロスとラシュバム以外は、出版社モサッド・ハラヴ・クックから、それぞれ独立した校訂版も出版されている。『トーラット・ハイーム』はすべての注解を通常のヘブライ文字で印刷した初めてのラビ聖書である。これにより、読者によって便利になり、より読みやすくなった。ただし、多くの注解の序文を省略してしまっているので、最上のラビ聖書とは言えない。またサアディア、マハラム、ラベイヌ・ハナネルは『トーラット・ハイーム』において初めてラビ聖書に収録された。ただし、代わりに『バアル・ハトゥリーム』、『オール・ハハイーム』、『ケリ・ヤカル』、そしてヴィルナのガオンの注解は落とされてしまった。これは収録する注解の上限を16世紀に定め、ラビ聖書の伝統どおり中世を主軸にしたことによる。いうなれば、『トーラット・ハイーム』においては、説教学、普遍性、そして19世紀や20世紀の注解でアップデートするチャンスなどは、中世のプシャット主義の犠牲となったのである。この版が流通することで、説教的、ハシディズム的、ミドラッシュ的な注解が日の目を見なくなってしまった。
ちなみに、本論文が出版された当時には存在しなかった最新のラビ聖書として、バル・イラン大学の『ミクラオット・グドロット・ハケテル』がある。このケテル版はまだ完成されていないが、注解者たちの序文を含む、より完全なラビ聖書を目指している。
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