- Stefan C. Reif, "Abraham Ibn Ezra on Canticles," in Abraham Ibn Ezra y su tiempo: Acatas del Simposio Internacional: Madrid, Tudela, Toledo. 1-8 febrero 1989, ed. Fernando Diaz Esteban (Madrid: Asociacion Espanola de Otientalistas, 1990), pp. 241-49.
イブン・エズラの聖書注解を理解する上で問題となるのは、彼が遍歴生活の中でそれらを書いたために、しばしば一貫性を欠くことがある点である。Moritz SteinschneiderとAdolf Neubauerによる研究から、彼が自分の注解をしばしばあとで改訂していたことが分かっている。雅歌注解に関して、Michael Friedlanderは、イブン・エズラが二度の改訂を施していると考えた上で、フランスにいたときの二度目の改訂をA、イタリアにいたときの一度目の改訂をBと呼んだ。またFriedlanderは、改訂Bの方が改訂Aよりもテクストに対して批判的であり、非ミドラッシュ的な傾向が見られるが、その理由は当時のイタリアのリベラルな風潮がイブン・エズラにそのような改訂を可能にしたからだと主張している(Uriel Simonはこの説明には懐疑的)。Yehuda Fleischerは、Friedlanderの区分を踏襲しつつ、二度目の改訂Aがなされたのは、1156年から翌年にかけて、フランスのドルーという町でのことだったと述べている。
イブン・エズラの雅歌注解は、言語的注解(linguistic)、字義的・文学的注解(literal and literary)、そしてミドラッシュ的・寓意的(midrashic and allegorical)の三部に分かれている。改訂Aの雅歌注解では、全体に関する序文と、この三部のそれぞれに対する特別な序文が付されている。全体に対する序文では、著者とされるソロモン王を称賛し、また雅歌が性的な詩ではなく神とイスラエルとの関係を比喩的に表していることを述べている。第一部の序文では、抽象的・宇宙論的な解釈を否定し、ラビ的伝統における寓意を方法論とする旨を言明している。第二部の序文では、乙女と若者の愛のメタファーについて叙述している。そして第三部の序文では、自身はミドラッシュ・ラバーの解釈で満足しているが、それでも自らの寓意的な解釈をする必要があることを述べている。
改訂Aの第一部、すなわち言語的注解においては、他の聖書文書における彼の注解とさほど変わらないスタイルが採られている。文法的なトピックとしては、男女両性の名詞(common gender)、音位転移(metathesis)、ハパクス・レゴメナ(hapax legomena)、欠性動詞(privative verbs)、畳語形(reduplicated form)などが扱われている。また、ある語の説明のために、聖書ヘブライ語のみならず、アラム語、ラビ・ヘブライ語、スペイン語、そしてアラビア語を引くこともあった。さらに、鳥、動物、植物、石、あるいは地形などの自然物に関する定義も多く行なっている。彼は注解において、たくさんの説を挙げた上で、そうと言わずに自説を述べ、結局他の説を捨てるという手順を踏んでいた。
改訂Aの第二部の字義的・文学的注解においては、雅歌で描かれている若者と乙女の詩をそのまま解釈し、恋愛的な内容にも踏み込んでいる。ただし、そうした内容を明確に解釈したいという意志と、検閲を恐れる意識とが緊張感をはらんでいるようにも見える。また興味深いことに、イブン・エズラは雅歌をもとにして作られた当時のムスリムの恋愛詩を知っていたため、それについての言及もなされている。
改訂Aの第三部のミドラッシュ的・寓意的注解においては、族長物語や出エジプトなど、聖書の歴史的部分に関する寓意的解釈(historical allegory)と、信仰、改悛、教訓、トーラー、性的倫理などといった神学的な問題に関する寓意的解釈(theological allegory)が扱われている。ここでのイブン・エズラの記述は、自身が第一部の序文で抽象的・宇宙論的な解釈を否定しているにもかかわらず、当時の新プラトン主義哲学を濃厚に反映しているという。
一方で、改訂BはAに比べてあまり構造的でなく、スタイルにも一貫性がない。また第一部と第二部に関しては40パーセントも少なくなっており、自身の他の聖書文書の注解へのリンクもない。序文に関してもより短くなっており、全体の序文は第一部の序文と一緒になっている。ただし、Bの方が写本に関しては良好に保たれている。改訂Bの第一部では、Aと異なり、イブン・エズラの自説は匿名でなく開陳されるが、他言語に依拠した説明は少なくなっている。改訂Bの第二部では、ユーモアや性的な言及は減ったが、医学的な見解が加味されている。ムスリムの恋愛詩への言及はない。改訂Bの第三部では、抽象的・宇宙論的な議論はシンプルになり、ユダヤ的な説明においても思想よりも実践に重きが置かれている。
以上より、論文著者は三つの結論を導いている:
改訂Aの第三部のミドラッシュ的・寓意的注解においては、族長物語や出エジプトなど、聖書の歴史的部分に関する寓意的解釈(historical allegory)と、信仰、改悛、教訓、トーラー、性的倫理などといった神学的な問題に関する寓意的解釈(theological allegory)が扱われている。ここでのイブン・エズラの記述は、自身が第一部の序文で抽象的・宇宙論的な解釈を否定しているにもかかわらず、当時の新プラトン主義哲学を濃厚に反映しているという。
一方で、改訂BはAに比べてあまり構造的でなく、スタイルにも一貫性がない。また第一部と第二部に関しては40パーセントも少なくなっており、自身の他の聖書文書の注解へのリンクもない。序文に関してもより短くなっており、全体の序文は第一部の序文と一緒になっている。ただし、Bの方が写本に関しては良好に保たれている。改訂Bの第一部では、Aと異なり、イブン・エズラの自説は匿名でなく開陳されるが、他言語に依拠した説明は少なくなっている。改訂Bの第二部では、ユーモアや性的な言及は減ったが、医学的な見解が加味されている。ムスリムの恋愛詩への言及はない。改訂Bの第三部では、抽象的・宇宙論的な議論はシンプルになり、ユダヤ的な説明においても思想よりも実践に重きが置かれている。
以上より、論文著者は三つの結論を導いている:
- イブン・エズラの三部の解釈は、しばしば互いに一貫していないが、雅歌に対する一つの包括的なアプローチを代表するものである(筆者注:何を指しているのか不明)。
- 二つの改訂に見られる変化から、遍歴を重ねる中で、イブン・エズラが自らの著作を改訂・加筆する必要を感じていたといえる。
- 二つの改訂に見られる変化の原因は、必ずしもイブン・エズラがイタリアからフランスに移ったからではない。すなわち、変化の原因を書いた場所に帰するべきではなく、遍歴の中で移り変わっていったと考えるべきである。
0 件のコメント:
コメントを投稿