- Bernard Septimus, "'Open Rebuke and Concealed Love': Nahmanides and the Andalusian Tradition," in Rabbi Moses Nahmanides (Ramban): Explorations in his Religious and Literary Virtuosity, ed. Isadore Twersky (Harvard University Center for Jewish Studies Texts and Studies I; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983), pp. 11-34.
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本論文は、ナフマニデスと彼をめぐる知的世界を概観したものである。著者によれば、同時代人であるマイモニデスがアンダルシアの黄金期の最後の傑物だとすると、ナフマニデスはキリスト教ヨーロッパの文化環境に属する最初の偉大なスペイン人であるという。ナフマニデスが生まれ育ったカタルーニャ地方は、アンダルシアのイスラーム文化圏のユダヤ的伝統からの影響を受けつつも、キリスト教文化圏であり、北部ヨーロッパのユダヤ的伝統からも近い場所だった。すなわち、ナフマニデスは、アンダルシアの代表選手であるマイモニデスとも、北部ヨーロッパのトサフィストおよびカバリストとも、影響関係にあったのである。
彼が関わった大きな事件としては、マイモニデス論争とバルセロナ討論が挙げられる。ナフマニデスは、マイモニデスを支持する意見を書くことも反対する意見を書くこともあるが、通説では、実際には反対であり、支持する意見は政治的手腕を発揮したにすぎないとされている。バルセロナ討論では、ユダヤ伝承であるアガダーをもとに自らの聖書解釈の正当性を主張してくるキリスト教会に対し、ナフマニデスはアガダーの権威を否定した。通説では、彼のアガダー拒否は、彼自身の信条に反する政治的判断によるものだったとされている。
しかし、著者はアンダルシアの伝統の複雑さを考慮に入れると、上の通説は必ずしも確かではないと述べる。マイモニデスのアリストテレス主義に対する、ナフマニデスに代表されるスペインの反知性主義は、北部ヨーロッパからの輸入ではなく、アンダルシアの伝統そのものが持っていたものである。著者はこうしたことを、ナフマニデスとイブン・エズラとを比較することで明らかにする。ナフマニデスは、イブン・エズラに対し、主に三つの点から反論する。第一に、アガダーの扱い、第二に、過剰な理性的解釈、そして第三に、エソテリックな知恵に対する考え方である。こうした反論を見ていくと、ナフマニデスがイブン・エズラに対し、反発と同時に隠れた好意を持っていたことが分かるという。
ナフマニデスは、プシャット的解釈の考え方をイブン・エズラに拠っているが、単語やフレーズよりも、もっと文章の構造や概念に注目する方法を取った。と同時に、ミドラッシュのようなラビ的解釈や、場合によってはカバラー的解釈をも用いた。ただし、ナフマニデスにとってのミドラッシュ・アガダーは、あくまで説教的解釈にすぎず、プシャット的解釈ができない場合にのみ用いられるものだった。またナフマニデスは、神学的用語などについても、イブン・エズラに依拠している。
彼が関わった大きな事件としては、マイモニデス論争とバルセロナ討論が挙げられる。ナフマニデスは、マイモニデスを支持する意見を書くことも反対する意見を書くこともあるが、通説では、実際には反対であり、支持する意見は政治的手腕を発揮したにすぎないとされている。バルセロナ討論では、ユダヤ伝承であるアガダーをもとに自らの聖書解釈の正当性を主張してくるキリスト教会に対し、ナフマニデスはアガダーの権威を否定した。通説では、彼のアガダー拒否は、彼自身の信条に反する政治的判断によるものだったとされている。
しかし、著者はアンダルシアの伝統の複雑さを考慮に入れると、上の通説は必ずしも確かではないと述べる。マイモニデスのアリストテレス主義に対する、ナフマニデスに代表されるスペインの反知性主義は、北部ヨーロッパからの輸入ではなく、アンダルシアの伝統そのものが持っていたものである。著者はこうしたことを、ナフマニデスとイブン・エズラとを比較することで明らかにする。ナフマニデスは、イブン・エズラに対し、主に三つの点から反論する。第一に、アガダーの扱い、第二に、過剰な理性的解釈、そして第三に、エソテリックな知恵に対する考え方である。こうした反論を見ていくと、ナフマニデスがイブン・エズラに対し、反発と同時に隠れた好意を持っていたことが分かるという。
ナフマニデスは、プシャット的解釈の考え方をイブン・エズラに拠っているが、単語やフレーズよりも、もっと文章の構造や概念に注目する方法を取った。と同時に、ミドラッシュのようなラビ的解釈や、場合によってはカバラー的解釈をも用いた。ただし、ナフマニデスにとってのミドラッシュ・アガダーは、あくまで説教的解釈にすぎず、プシャット的解釈ができない場合にのみ用いられるものだった。またナフマニデスは、神学的用語などについても、イブン・エズラに依拠している。
ナフマニデスに見られるアンダルシアの伝統としては、古典的なアンダルシア的「モザイク・スタイル」が挙げられる。ナフマニデスの文章の中には、モザイクのように、聖書、彼より以前の聖書注解者たちの文章、アンダルシアのピユートの一節などが取り込まれている。彼自身もしばしば詩を書いた。彼のカバラー的な魂論の詩は、詩としても神学としても、ユダ・ハレヴィやイブン・カビロールらの影響を受けており、新プラトン主義的な魂理解を示している。
アンダルシアのゲオニーム的聖書偏重主義に依拠する一方で、ナフマニデスに対するフランスのトサフィストの影響も忘れてはならない。特にタルムードの解釈に関しては、スペインよりもフランス・ドイツの伝統の方が盛んであった。そして、政治的・言語的紐帯によって、カタルーニャ地方とプロヴァンスはひとつながりの場所といえたために、ナフマニデスは多くの北部ヨーロッパのタルムード学者のことを知っていたのである。
アンダルシアのゲオニーム的聖書偏重主義に依拠する一方で、ナフマニデスに対するフランスのトサフィストの影響も忘れてはならない。特にタルムードの解釈に関しては、スペインよりもフランス・ドイツの伝統の方が盛んであった。そして、政治的・言語的紐帯によって、カタルーニャ地方とプロヴァンスはひとつながりの場所といえたために、ナフマニデスは多くの北部ヨーロッパのタルムード学者のことを知っていたのである。
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