- Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 123-57.
ユダヤ教の聖書解釈同様に、初期キリスト教の解釈もアブラムを守り、彼の正しい行いを強調している。ただし、ユダヤ教がロトを不敬虔な者として描くのに対し、キリスト教はより肯定的なトーンで解釈する。キリスト教的解釈はロトを救済というレンズを通して読むのである。たとえばユリウス・アフリカヌスはアブラムとロトの別離を両者が同意できるものだったとする。
オリゲネスによると、ロトは敬虔さについてアブラムに劣るので、アブラムがロトに別れを告げたのは正当なことだったという。つまり、ロトはアブラムほど敬虔ではなく、ソドムの人たちほど悪でもない、中間の人だったのである。
シリア教父エフレムは、羊飼い同士の争いにおいてロトは完全に無実であり、ソドムへの移住も悪い決断からではなく神の義とその救済を証するためだったとする。一方でアブラムについては、ロトがソドムを選ぶことを許した点で、気前がよかったと評価する。すべての土地はアブラムに訳されたものだったが、アブラムは気前よくソドムにそれを分け与えたというのである。
ヒエロニュムスは創世記13章を兄弟性という言葉で総括している。ロトはアブラムの本当の兄弟ではなく甥だが、創世記では兄弟と表現されている。つまり、創世記の表現を字義的に取るのではなく、親族関係を表すより広い意味で取るべきである。そしてそれゆえに、論敵ヘルウィディウスのように、福音書においてイエスに「兄弟姉妹」がいたと書かれているところをマリアに他にも子供がいた(=マリアは処女ではなかった)と取るのは誤っているという。ただし、ヒエロニュムスはロトが平野を選んだことについては倣うべき行為ではないとする。その上パレスチナの平野は聖書で書かれているほど風光明媚ではなく、ヨルダン川や死海などで汚染されていると主張する。
アンブロシウスは、創13:5「アブラムと共に行ったロト」という表現から、あたかも「アブラムと共にいかなかったロト」もいる可能性があると感じて困惑する者たちがいると報告する。しかし、彼によれば、ここには二人のロトがいるのではなく、一人のロトに二つの問題があるのだという。ロトという名には「回避」という意味があるが(この解釈はフィロンやヒエロニュムスと同じ)、それは善の回避の場合と悪の回避の場合があるのである。羊飼い同士の争いについて、アンブロシウスはアブラムに責任はなかったとする。アブラムはこの争いがロトとの人間関係に波及することを恐れて、別れようとしたのである。一方でアブラムは別れないという選択肢をも与えたが、ロトは別離を選んだのだった。アンブロシウスは兄弟関係の切り離せなさを、魂の理性的部分と非理性的部分にたとえてもいる。それぞれが司る徳と悪徳は兄弟的な必要性によって互いに固く結ばれているのである。それゆえに、アブラムとロトは徳と悪徳が擬人化したものといえる。
ヨアンネス・クリュソストモスの解釈は、アブラムの問題を解決し、ロトにより肯定的な評価を与える解釈の典型例である。彼によればロトはアブラムの養子であり、したがってアブラム同様に裕福な義人である。ただし、土地を選ばせてくれたアブラムに何のお返しもせず、最終的にソドムに住むという間違いをしでかしたことは確かであり、その点はアブラムにではなくロト自身に責がある。つまり、ロトは不敬虔なのではなく間違った選択をしたのである。彼はソドムに蔓延する悪を見抜くことができなかった。クリュソストモスの解釈で興味深いのは、羊飼い同士の争いは、アブラムはもちろん、ロトとその羊飼いにせいでもなく、アブラムの羊飼いたちのせいだとしている点である。ここでクリュソストモスはアブラムのみならずロトをも非難から守ろうとしている。アブラムがロトを兄弟と呼ぶのは、彼の慎み深さゆえである。これはⅠコリ6:7-8におけるパウロの慎み深さに通ずるものである。
アウグスティヌスは、別離の後もアブラムとロトは大きな愛で結ばれていたとする。平和的な関係を維持するために働きかけていたのはアブラムのみならずロトもそうだったのである。
著者はここで教父たちの解釈からキリスト教美術に筆を移す。ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ・バシリカにある5世紀のモザイク画から、同時代の解釈が反映している部分と、聖書からは引き出せない付加的な独自の解釈を明らかにしている。そもそもモザイク画は礼拝のためにより神聖な舞台を用意し、聖書物語やキリスト教教義を信徒に教えるためのものである。このモザイク画では、アブラムとロトが同年代に描かれている。別離や争いの原因を示唆するものは何もない。古代の語り部たちは、羊飼いの争いやアブラムによる別離の命令から、ロトによるアブラムからの別離の決意への焦点をずらしていたが、このモザイク画でも同様である。同時に、アブラムは賞賛の対象となっている。ロトの行為はキリスト者が倣うべからざるものなのである。
付加的な解釈としては、第一に、アブラムとロトの子どもたちを描きこんでいる。そうすることで創世記19章のソドムの終焉と物語をつなげ、またいかにロトの移動が大規模なものだったかを示している。またアブラムの血筋とロトの血筋が別れていることを視覚的に表してもいる。メシアへと至るキリスト論的な要素はアブラムの血筋のみに伝わっていくのである。第二の付加は、それぞれの最終的な目的地を描いている。ロトにとってはソドムが、アブラムにとってはカナンがそれに当たる。とりわけカナンはキリスト教の教会のように聖なる場所として描かれている。
以上より、初期キリスト教聖書解釈による創世記13章の理解は、第一に、ロトのアブラム同行を問題視する、第二に、アブラムに関する潜在的な問題からロトによる選択へと問題の焦点を移す(アブラムによる土地提供の申し出は彼の気前の良さと、ロトは完全に不敬虔ではないが欲張りと解釈される)、そして第三に、聖書本文はロトについて曖昧な書き方をしているが、否定的な解釈の余地が残っている。要するに、キリスト教の解釈はユダヤ教の解釈ほどに決定的に否定的な解釈ではないといえる。ロトは徳と悪徳を両方持った人物として描かれる。
新約聖書中にはロトへの言及は2箇所見られる。いずれも神によるロトの救出を審判からのキリスト者の救済と見なしている。第一の箇所はルカ17:20-37で、イエスがパリサイ派からの問いに答えて人の子の到来について語る場面でロトにも言及している。イエスによれば、ロトはノア同様、他の者たちと異なり、審判の前に救済されたという。第二の箇所はⅡペトロ2:6-9である。ここでロトは、義人であるがゆえに救済されたこと、悪徳の人々により悩まされていたこと(つまりあちら側ではなくこちら側の人間である)、そして審判より救済されるというキリスト教徒の原型として見なされていることが語られている。いずれの例も、ロトは確かに敬虔な人物であるというメッセージを伝えているといえる。
著者は中世におけるロトの解釈について簡単に紹介している。ロト養子説については、ラシ、リラのニコラス、ペトルス・コメストル、ジャン・カルヴァン、マルティン・ルターらが触れている。ラダクは、ロトを連れていくことについてアブラムが神の命に従わなかったのではなく、ロトが行きたがったのだと述べる。ロトはアブラムの相続者だという解釈は、カルヴァン、ニコラス、ラシが紹介している。概してロトは肯定的に描かれるが、アブラムほどではない。中世の解釈は、ヨセフスや教父、さらにはラビ文学からの影響が顕著である。
この章の目的は、ユダヤ教とキリスト教の解釈者たちの潜在的なつながりを単に辿ることではなく、こうした伝承が早くから解釈史の一部を担ってきたことを強調することである。それゆえに、それらが中世から近代までも続いていることは不思議ではない。
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