- Mark Vessey, "Jerome's Origen: The Making of a Christian Literary Persona," in Studia Patristica 28 (Leuven: Peeters, 1993), 135-45.
18世紀のヒエロニュムス著作集の編者であるDometico Vallarsiや、16世紀のエラスムスは、ヒエロニュムスの人間性を知るには書簡を読むのが一番であると考えたが、これは早計である。というのも、ヒエロニュムスは書簡においては公的な仮面(ペルソナ)を被っているからである。彼はさまざまな仮面をつけたが、この論文で扱われているのは、キリスト教作家としての仮面である。
ヒエロニュムスが最も依拠しているキリスト教作家はオリゲネスである。彼が最初に聖書釈義をした380年のコンスタンティノポリス時代から、『著名者列伝』を書く392/3年まで、彼はこのアレクサンドリア人の著作を翻訳し、抜粋し、翻案し、模倣した。このときまでの彼の個人的な幸運は、オリゲネスの高い評価と密接に関係していた。それが変わったのは、393年にサラミスのエピファニオスがオリゲネスの著作を批判する運動を起こしてからだった。
このとき、論敵ルフィヌスからの批判に対し、ヒエロニュムスは自分がオリゲネスを賞賛したのは2箇所のみだと主張するが、もちろんこれは嘘である。ヒエロニュムスは、オリゲネスを、聖書的あるいは修道的なキリスト教文学活動の模範と捉えていた。ヒエロニュムスによれば、オリゲネスはキリスト者のホメロスであり、自分はウェルギリウスなのだった。
ヒエロニュムスによるオリゲネスへの言及といえば、『書簡33』が重要である。これはCSEL版ではローマ時代(382-385年)のパウラ宛書簡とされているが、実際には393年にベツレヘムで書かれた、パウラの宛名もない小品だと考えられる。ヒエロニュムスが396年以前にオリゲネスに言及した著作としては、(1)オリゲネスのイザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書説教の翻訳、(2)エウセビオス『年代記』の翻訳とつづき、(3)オリゲネスの雅歌説教、(4)教皇ダマススとの往復書簡、(5)マルケラとの往復書簡、がある。
論文著者は、マルケラとの往復書簡に注目する。この往復書簡は内容が多様である。社交儀礼、人物像、倫理的指導、聖書や神学の論文、悪罵、個人的な弁明、そして特に女性を含む人物描写などがある。この往復書簡を書いた時点では、オリゲネスはヒエロニュムスのヒーローである。第一に、ヒエロニュムスのオリゲネスは疲れを知らない。第二に、ヒエロニュムスのオリゲネスは聖書に注目し、関連の翻訳のみならず、原典にも当たっている。そうした意味で、このマルケラ書簡はヒエロニュムスが「ヘブライ的真理」と呼ぶものへのアプローチにおける重要な一段階と言える。ヒエロニュムスの原典重視はローマの読者にとっては驚くべき、また危険な新奇さをもったものだったはずだが、オリゲネスの評判がそうしたヒエロニュムスの聖書研究を宣伝するのに一役買ったのだった。第三に、聖書学者としてのオリゲネスの業績は比類なきものである。
マルケラとの往復書簡におけるオリゲネスの描写は中立的である。しかし、ここでヒエロニュムスが言わんとしているのは、第一に、オリゲネスの業績が規範的で勇ましいように、ヒエロニュムスの業績もまたそうであること、第二に、オリゲネスの聖書本分への姿勢が正しいように、ヒエロニュムスのヘブライ的真理への没頭も正当化されること、そして第三に、オリゲネスの教えや原則をよく消化したヒエロニュムスは、他のいかなるラテン作家よりも聖書を語るに相応しいはずであることである。ヒエロニュムスは、オリゲネスという仮面をかぶって公に自らを示すことで、他のライバルとの差をつけようとしたのである。
西方世界は、ラテン語で書くオリゲネスというヒエロニュムスのイメージを持つことで、彼から信頼できる聖書解釈を聞くことができると思うようになった。エピファニオスのオリゲネス主義論争の勃発時に、オリゲネスをいち早く批判し、また彼を賞賛していた自らの過去をなかったことにしようとしたのは、ダメージを抑えるためであった。ローマの読者がオリゲネスを読みたいときには、彼らは考えられる限り最も完全なキリスト教作家としてのヒエロニュムスを見ることになる。
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