- Michael L. Satlow, "Theophrastus's Jewish Philosophers," Journal of Jewish Studies 59 (2008), pp. 1-20.
本論文において著者は、テオフラストス、メガステネス、クレアルコスがユダヤ人を「哲学者」であると述べていることに関して、なぜそのような同一視がなされるようになったのかを探究している。結論から先に言えば、それは第一に、彼らギリシア人が「哲学者」と分類していた、東方の諸国における「賢者」や「祭司」という分類の中に、ユダヤ人が(誤って)含まれてしまったためであり、第二に、ユダヤ人の習慣として知られていた反偶像主義(aniconism)が、ギリシアにおける哲学的なそれと同一視されたためである。言い換えれば、ユダヤ人は、誤って入れられた賢者/祭司の階級、そしてギリシアの哲学的な反偶像主義との類似という、二重の意味で「哲学的」であると見なされたのである。
テオフラストスは、ユダヤ人が「哲学者というゲノス」であると述べているが、論文著者はその意味を、「民族」「国家」「人種」などいろいろあるなかで、「階級」という意味で取っている。つまり、彼はユダヤ人を、シリア人の内部にある哲学的な階級の一種として見なしているのである。これまで、Hans Lewyの研究などから、一旦ギリシア人が自分たちの思い込みによってユダヤ人の起源に適したカテゴリーを見出すと、彼らはユダヤ人を哲学者と見なし、彼らに適当な性格付けをしてきたことが明らかになっている。
これは古代ギリシアの民俗学や歴史学における次の二つの傾向とも一致している。すなわち、第一に、東方にエキゾチックな知が存在するという理想化の傾向、そして第二に、すでに流布している神話や先行者たちの報告に従って、自分で見てもいないにもかかわらず、「科学的な」説明をするという傾向である。こうした傾向によって、ユダヤ人が「東方の祭司/賢者」と一度見なされてしまうと、その先の説明は最初から決まってしまうのである。
そこから著者は、「ではなぜそもそもギリシア人歴史家たちはユダヤ人を祭司/賢者カテゴリーに入れたのか」と問う。インド人に最初に言及したギリシア人は、オネシクリトスであり、そのあとにメガステネスが続くわけだが、彼らのインド人描写といえば、犬儒派をモデルとした空想の産物に過ぎなかった。つまり、二人ともインド人賢者の思想をつぶさに研究した上で彼らを「哲学者」と呼んでいるわけではない。ここの「哲学者」は、深い知識を持った孤立した思想家を指すわけでも、ある哲学の学派に属するメンバーのことを指すわけでもない。そもそも前4世紀における「哲学」とは、第一に、実用的な訓練であり、第二に、政治的あるいは法律上の理論であった。それゆえに、ギリシア人はインド人賢者たちの持つ奇妙だが訓練された振る舞いを見たり、彼らが王たちに政治的なアドバイスをする姿を見たりしたことから、彼らを自分たちの知る最も近いカテゴリーである「哲学者」に当てはめたのである。この意味での「哲学者」の姿は、儀式を司ったり、実用的な技術(癒しなど)を提供したりする、古代近東における「賢者」のそれに近い。
論文著者はさらに、テオフラストスがブラフマンをインド人の中の一階級と見なしているのと同様に、彼がユダヤ人をシリア人の中の一階級と見なしていることに注目する(本来ならばユダヤ人は別の民族であるのだから、これは奇妙である)。また特に彼がユダヤ人の犠牲の作法に興味を持っていることにも注目する。ここから、論文著者は、テオフラストスが言及しているのはユダヤ人全体ではなく、ユダヤ人の中でも祭司のことだったと推論する。ユダヤ人の祭司は、祭儀を司る者であるから、東方の賢者イメージとオーバーラップする。そして、一度ユダヤ人の祭司が「哲学者」と規定されると、すべてのユダヤ人まで「哲学者」になってしまったのである。
さらにテオフラストスは、ユダヤ人が夜に犠牲を供するのは、すべてを見そなわす太陽から隠れるためであると述べている。おそらく彼は夕方に行われるタミッドかペサハの子羊の犠牲についての断片的な知識を持っていたのだと思われるが、ここで注目すべきは、ユダヤ人が星や太陽を含めた天に何らかの重要性を認めているとテオフラストスが考えていたことである。同様の記述は、ヘカタイオスの記録にも残されており、そちらではよりはっきりと、ユダヤ人が天を神的なものと考えている旨が記されている。ここから論文著者は、両者はここでユダヤ人の反偶像主義を暗示しているのだと考えた。そしてそのことが、特にテオフラストスをして、ユダヤ人を哲学者であると考えしめたのであるとする。ギリシアにおいても、神の姿をどのように考えるかについては、長い伝統があった。コロフォンのクセノファネスやヘラクリトスは、神人同型的な神観を否定し、より哲学的な神概念を提示した。このギリシア的な形而上学的な神概念を下敷きに、テオフラストスはユダヤ教の反偶像主義を「哲学的」と評価したのだと考えられる。
さらなる参考文献(順不同)
テオフラストスは、ユダヤ人が「哲学者というゲノス」であると述べているが、論文著者はその意味を、「民族」「国家」「人種」などいろいろあるなかで、「階級」という意味で取っている。つまり、彼はユダヤ人を、シリア人の内部にある哲学的な階級の一種として見なしているのである。これまで、Hans Lewyの研究などから、一旦ギリシア人が自分たちの思い込みによってユダヤ人の起源に適したカテゴリーを見出すと、彼らはユダヤ人を哲学者と見なし、彼らに適当な性格付けをしてきたことが明らかになっている。
これは古代ギリシアの民俗学や歴史学における次の二つの傾向とも一致している。すなわち、第一に、東方にエキゾチックな知が存在するという理想化の傾向、そして第二に、すでに流布している神話や先行者たちの報告に従って、自分で見てもいないにもかかわらず、「科学的な」説明をするという傾向である。こうした傾向によって、ユダヤ人が「東方の祭司/賢者」と一度見なされてしまうと、その先の説明は最初から決まってしまうのである。
そこから著者は、「ではなぜそもそもギリシア人歴史家たちはユダヤ人を祭司/賢者カテゴリーに入れたのか」と問う。インド人に最初に言及したギリシア人は、オネシクリトスであり、そのあとにメガステネスが続くわけだが、彼らのインド人描写といえば、犬儒派をモデルとした空想の産物に過ぎなかった。つまり、二人ともインド人賢者の思想をつぶさに研究した上で彼らを「哲学者」と呼んでいるわけではない。ここの「哲学者」は、深い知識を持った孤立した思想家を指すわけでも、ある哲学の学派に属するメンバーのことを指すわけでもない。そもそも前4世紀における「哲学」とは、第一に、実用的な訓練であり、第二に、政治的あるいは法律上の理論であった。それゆえに、ギリシア人はインド人賢者たちの持つ奇妙だが訓練された振る舞いを見たり、彼らが王たちに政治的なアドバイスをする姿を見たりしたことから、彼らを自分たちの知る最も近いカテゴリーである「哲学者」に当てはめたのである。この意味での「哲学者」の姿は、儀式を司ったり、実用的な技術(癒しなど)を提供したりする、古代近東における「賢者」のそれに近い。
論文著者はさらに、テオフラストスがブラフマンをインド人の中の一階級と見なしているのと同様に、彼がユダヤ人をシリア人の中の一階級と見なしていることに注目する(本来ならばユダヤ人は別の民族であるのだから、これは奇妙である)。また特に彼がユダヤ人の犠牲の作法に興味を持っていることにも注目する。ここから、論文著者は、テオフラストスが言及しているのはユダヤ人全体ではなく、ユダヤ人の中でも祭司のことだったと推論する。ユダヤ人の祭司は、祭儀を司る者であるから、東方の賢者イメージとオーバーラップする。そして、一度ユダヤ人の祭司が「哲学者」と規定されると、すべてのユダヤ人まで「哲学者」になってしまったのである。
さらにテオフラストスは、ユダヤ人が夜に犠牲を供するのは、すべてを見そなわす太陽から隠れるためであると述べている。おそらく彼は夕方に行われるタミッドかペサハの子羊の犠牲についての断片的な知識を持っていたのだと思われるが、ここで注目すべきは、ユダヤ人が星や太陽を含めた天に何らかの重要性を認めているとテオフラストスが考えていたことである。同様の記述は、ヘカタイオスの記録にも残されており、そちらではよりはっきりと、ユダヤ人が天を神的なものと考えている旨が記されている。ここから論文著者は、両者はここでユダヤ人の反偶像主義を暗示しているのだと考えた。そしてそのことが、特にテオフラストスをして、ユダヤ人を哲学者であると考えしめたのであるとする。ギリシアにおいても、神の姿をどのように考えるかについては、長い伝統があった。コロフォンのクセノファネスやヘラクリトスは、神人同型的な神観を否定し、より哲学的な神概念を提示した。このギリシア的な形而上学的な神概念を下敷きに、テオフラストスはユダヤ教の反偶像主義を「哲学的」と評価したのだと考えられる。
さらなる参考文献(順不同)
- John Gager, The Origins of Anti-Semitism: Attitudes Toward Judaism in Pagan and Christian Antiquity (New York, 1985).
- Louis H. Feldman, Jew and Gentile in the Ancient World (Princeton, 1993).
- Peter Schäfer, Judeophobia: Attitudes toward the Jews in the Ancient World (Cambridge, 1997).
- Bezalel Bar-Kochva, Pseudo-Hecataeus, "On the Jews": Legitimising the Jewish Diaspora (Berkeley, 1996).
- Idem, "The Wisdom of the Jew and the Wisdom of Aristotle," in Internationales Josephus-Kolloquium Brüssel 1998, ed. Jürgen U. Kalms and Folker Siegert (Münster, 1999), pp. 241-50.
- Shaye J.D. Cohen, The Beginnings of Jewishness: Boundaries, Varieties, Uncertainties (Berkeley, 1999).
- Emilio Gabba, "The Growth of Anti-Judaism or the Greek Attitude towards the Jews," in Cambridge History of Judaism 2, ed. W.D. Davies and L. Finkelstein (Cambridge, 1984), pp. 618-24.
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