- William Adler, "Abraham and the Burning of the Temple of Idols: Jubilees' Traditions in Christian Chronography," Jewish Quarterly Review 77 (1986), pp. 95-117.
本論文の中で著者は、エデッサのヤコブやバル・ヘブラエウスといったシリア語聖書解釈の中にある、アブラハムの偶像破壊に関するユダヤ教由来の聖書解釈が、『ヨベル書』のようなユダヤ文献に直接基づくものではなく、実はシュンケッロスらビザンツ時代の古代誌家たちが保存するより古代のギリシア語伝承(エウセビオス、アンドロニコス、アフリカノス、アンニアノスら)に基づくものであると論じている。
ビザンツの古代誌家たちは、アブラハムの偶像破壊やそれに続くハランからの脱出というユダヤ教ミドラッシュを知っており、それを『ヨベル書』から引用したとさえ主張しているが(ゲオルギオス・ケドレノス)、しばしばそれは現在残っているエチオピア語訳『ヨベル書』の内容とは異なっている。論文著者は、4種類の聖書解釈(何人かのロゴセテス古代誌家たちの要約、ゲオルギオス・シュンケッロス、ゲオルギオス・ケドレノス、修道士ゲオルギオス)をまず紹介する。それによると、ロゴセテス歴史家とシュンケッロスの解釈がより古いものであるという。しかし、修道士ゲオルギオスの解釈はエピファニオス『パナリオン』を翻訳し、かつヨアンネス・マララスの解釈を折衷したものであったり、ロゴセテス歴史家の解釈はユリオス・アフリカノスからのものであったりする。つまり、エチオピア語訳『ヨベル書』から直接引用したものではない。
シュンケッロスは、アブラハムとテラの年齢に関する時系列の矛盾を解決するための解釈を保存している。時系列ではハランでのテラの死の方がアブラハムのハラン出発より先に来ているが、それはテラが先に実際に死んだのではなく、アブラハム出発後のテラは精神的には死んだも同然だったからだという解釈である。これはユダヤ教文書である『創世記ラバー』に収録されている解釈である。『創世記ラバー』の解釈とはこうである:年齢だけを見ると、アブラハムは明らかにテラの死より先にハランを出発したことになっているが、聖書ではテラの死を先に書くことで、父を置いて出て行ったという罪状からアブラハムを解放し、同時に偶像崇拝者であるテラの生など死も同然だと指摘している。ただし、シュンケッロスと『創世記ラバー』では細部が異なるので、論文著者は、シュンケッロスのネタ元は、5世紀のアレクサンドリアの古代誌家であるアンニアノスとパノドロスではないかと述べている。
著者はさらに、アブラハムに関する同様の解釈を、なぜシリア語で著作した古代誌家たちも知っていたのかを検証する。そこで彼が議論の叩き台とするのが、次のSebastian Brockの論文である。
この中でBrockは、ヒエロニュムスが保存するアブラハムに関するユダヤ伝承と『ヨベル書』とをまず比較し、両者共に、アブラハムがウルを出発したのが60歳であったと言及していることに注目する。同時にこの60歳という数字は、シリア語伝承にも残されている。しかし、Brockは『ヨベル書』とシリア語伝承との相違も指摘している:アブラハムの神殿放火とウルからの出発を因果関係で結ぶシリア語伝承に対し、『ヨベル書』ではそれが薄く、神殿放火とウルからの出発との間に3年のブランクを置いているため、創世記の時系列と矛盾をきたしている。こうしたことから、Brockは、シリア語伝承は現在の『ヨベル書』に依拠しているのではなく、むしろ『ヨベル書』と共通のより古く純粋なソースに依拠していると論じている。
しかしながらAdlerは、このBrockの主張に対し、次の2点を反論する:第一に、ヒエロニュムスが保存するユダヤ伝承とシリア語伝承とは同じものではない。シリア語伝承は、時系列の矛盾に関する関心が薄いのである。第二に、ヒエロニュムスが保存するユダヤ伝承の時系列とシリア語伝承のそれとは異なっている。前者ではアブラハムがハランで75年過ごしたとされるのに対し、後者では14年である。ヒエロニュムス、シリア語伝承、『ヨベル書』が共有しているのは、アブラハムが偶像崇拝にはっきりと反対したのは60歳のときだったということである。
こうしたことから、Adlerは以下のように主張する:シリア語伝承は、Brockの言うように『ヨベル書』のプロトタイプからのものではなく、ビザンツ古代誌家に知られていたギリシア古代誌家たちの解釈からのものである。そもそもBrock自身が、シリア語伝承の中にギリシア語からの影響を認めているではないか。つまり、しばしばあるシリア語伝承がユダヤ伝承由来とされることがあるが、ことはそう単純ではない。その伝承は、直接ユダヤ教聖書解釈から来たものではなく、ビザンツ古代誌家がギリシア古代誌家から知り得た解釈を通して来たものなのである。
ビザンツの古代誌家たちは、アブラハムの偶像破壊やそれに続くハランからの脱出というユダヤ教ミドラッシュを知っており、それを『ヨベル書』から引用したとさえ主張しているが(ゲオルギオス・ケドレノス)、しばしばそれは現在残っているエチオピア語訳『ヨベル書』の内容とは異なっている。論文著者は、4種類の聖書解釈(何人かのロゴセテス古代誌家たちの要約、ゲオルギオス・シュンケッロス、ゲオルギオス・ケドレノス、修道士ゲオルギオス)をまず紹介する。それによると、ロゴセテス歴史家とシュンケッロスの解釈がより古いものであるという。しかし、修道士ゲオルギオスの解釈はエピファニオス『パナリオン』を翻訳し、かつヨアンネス・マララスの解釈を折衷したものであったり、ロゴセテス歴史家の解釈はユリオス・アフリカノスからのものであったりする。つまり、エチオピア語訳『ヨベル書』から直接引用したものではない。
シュンケッロスは、アブラハムとテラの年齢に関する時系列の矛盾を解決するための解釈を保存している。時系列ではハランでのテラの死の方がアブラハムのハラン出発より先に来ているが、それはテラが先に実際に死んだのではなく、アブラハム出発後のテラは精神的には死んだも同然だったからだという解釈である。これはユダヤ教文書である『創世記ラバー』に収録されている解釈である。『創世記ラバー』の解釈とはこうである:年齢だけを見ると、アブラハムは明らかにテラの死より先にハランを出発したことになっているが、聖書ではテラの死を先に書くことで、父を置いて出て行ったという罪状からアブラハムを解放し、同時に偶像崇拝者であるテラの生など死も同然だと指摘している。ただし、シュンケッロスと『創世記ラバー』では細部が異なるので、論文著者は、シュンケッロスのネタ元は、5世紀のアレクサンドリアの古代誌家であるアンニアノスとパノドロスではないかと述べている。
著者はさらに、アブラハムに関する同様の解釈を、なぜシリア語で著作した古代誌家たちも知っていたのかを検証する。そこで彼が議論の叩き台とするのが、次のSebastian Brockの論文である。
この中でBrockは、ヒエロニュムスが保存するアブラハムに関するユダヤ伝承と『ヨベル書』とをまず比較し、両者共に、アブラハムがウルを出発したのが60歳であったと言及していることに注目する。同時にこの60歳という数字は、シリア語伝承にも残されている。しかし、Brockは『ヨベル書』とシリア語伝承との相違も指摘している:アブラハムの神殿放火とウルからの出発を因果関係で結ぶシリア語伝承に対し、『ヨベル書』ではそれが薄く、神殿放火とウルからの出発との間に3年のブランクを置いているため、創世記の時系列と矛盾をきたしている。こうしたことから、Brockは、シリア語伝承は現在の『ヨベル書』に依拠しているのではなく、むしろ『ヨベル書』と共通のより古く純粋なソースに依拠していると論じている。
しかしながらAdlerは、このBrockの主張に対し、次の2点を反論する:第一に、ヒエロニュムスが保存するユダヤ伝承とシリア語伝承とは同じものではない。シリア語伝承は、時系列の矛盾に関する関心が薄いのである。第二に、ヒエロニュムスが保存するユダヤ伝承の時系列とシリア語伝承のそれとは異なっている。前者ではアブラハムがハランで75年過ごしたとされるのに対し、後者では14年である。ヒエロニュムス、シリア語伝承、『ヨベル書』が共有しているのは、アブラハムが偶像崇拝にはっきりと反対したのは60歳のときだったということである。
こうしたことから、Adlerは以下のように主張する:シリア語伝承は、Brockの言うように『ヨベル書』のプロトタイプからのものではなく、ビザンツ古代誌家に知られていたギリシア古代誌家たちの解釈からのものである。そもそもBrock自身が、シリア語伝承の中にギリシア語からの影響を認めているではないか。つまり、しばしばあるシリア語伝承がユダヤ伝承由来とされることがあるが、ことはそう単純ではない。その伝承は、直接ユダヤ教聖書解釈から来たものではなく、ビザンツ古代誌家がギリシア古代誌家から知り得た解釈を通して来たものなのである。
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