- H.F.D. Sparks, "Jerome as Biblical Scholar," in The Cambridge History of the Bible, Vol. 1, From the Beginnings to Jerome, ed. P.R. Ackroyd and C.F. Evans (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), pp. 510-41.
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ヒエロニュムスの処女作は、彼がアクィレイアにいた頃に書いたとされる『オバデヤ書注解』であった。これはオバデヤ書に対し、歴史的解釈ではなく寓意的解釈を施した作品であり、後年(403年)に再び取り組んだ『オバデヤ書注解』の序文において、自身でも若書きであることを認めて恥じていた。この処女作は、ヒエロニュムスの希望通り現存しない。
ヒエロニュムスは385年に、後ろ盾だった教皇ダマススが崩御し、シリキウスが次の教皇になると、ローマを離れてパレスチナへと向かったが、その前にエジプトのアレクサンドリアに立ち寄り、盲目のデュデュモスのもとで聖書解釈について学んだ。
ヒエロニュムスの晩年の410年に、西ゴート族のアラリックによってローマが陥落し、ヒエロニュムスも多くの友人を亡くしたが、そのことについては、『エゼキエル書注解』第1巻序文に詳しい。
ヒエロニュムスは新約聖書に関しては、教皇ダマススの指示によって、改訂版を作成したことが知られているが、それは新約聖書全体ではなく、福音書のみと考えられている。その理由は、第一に、アウグスティヌスがヒエロニュムスの福音書にのみ言及していること、そして第二に、ラテン語の使徒行伝、書簡、黙示録は、ヒエロニュムスの翻訳スタイルには似つかわしくないことが挙げられる。
ヒエロニュムスの聖書改訂および翻訳において、彼の存命時から受け入れられていたものは少ない。例外は福音書であるが、それは教皇のコミッションを得たものであること、そして新しい翻訳ではなく既存の翻訳の改訂であったことが理由として考えられる。教会の者たちは、自分たちが読む聖書の好みはいつも保守的であった。ただし、アクイタニアのプロスペル、ヴィエンヌのアウィトゥス、グレゴリオスI世、セビリアのイシドロスらはヒエロニュムスの版を用いた。とりわけ、カッシオドルスは、ヒエロニュムスの翻訳を含んだラテン語聖書の原型を作っており、それはアミアティヌス写本とも密接に関係している。こうして出来上がってきた「ウルガータ聖書」は、次の6要素から成っている:
ヒエロニュムスは旧約聖書をキリスト教徒として利用することは憚らなかった。彼は、多くの預言書をキリストやキリスト教の歴史と繋げて読んでいた。ヒエロニュムスの預言書注解は、同時代の誰もが成し遂げることができなかったほどの、彼の業績の中でも特筆すべきものだといえる。
- ヒエロニュムスによるユダヤ教正典の翻訳;
- ヒエロニュムスのガリア詩篇;
- ヒエロニュムスによるカルデア語からのトビト記とユディト記の翻訳;
- 未改訂の知恵の書、シラ書、第一・第二マカベア書、バルク書;
- ヒエロニュムスによる福音書の改訂版;
- 未詳の編者による使徒行伝、書簡、黙示録の改訂版
ヒエロニュムスは旧約聖書をキリスト教徒として利用することは憚らなかった。彼は、多くの預言書をキリストやキリスト教の歴史と繋げて読んでいた。ヒエロニュムスの預言書注解は、同時代の誰もが成し遂げることができなかったほどの、彼の業績の中でも特筆すべきものだといえる。
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