- G. Cuendet, “Cicéron et Saint Jérôme Traducteurs,” Revue des études latines 11 (1933): 380-400.
冒頭で、まずラテン文学と翻訳の関係について説明されます。Cuendetによると、ラテン文学はそもそもギリシア文学の翻訳からはじまったそうで、リーウィウス・アンドロニクスによる『オデュッセイア』の翻訳、エンニウスによるエウリーピデース悲劇の翻訳、プラウトゥスやテレンティウスによるピレモンやメナンドロスの喜劇の翻案、カトゥッルスによるサッフォーの翻訳などが挙げられています。しかしこれらは断片的に伝わるのみで平行箇所を比べるべくもありません。
そこで、ある程度の量の訳業が残っているラテン文学者としては、キケローが最初のひとりとなります。彼はアラートスの『パイノメナ』やプラトンの『ティマイオス』などを訳しました。キケローの翻訳論として特筆すべきは、彼が翻訳をギリシア文学を知る手段として考えていたのみならず、弁論術のよき練習方法としても考えていたということです。翻訳に対するこうした考え方は、クインティリアーヌスや小プリーニウスにも見られます。つまりキケローは「〔狭義の〕翻訳者としてではなく弁論家として訳した」ので、直訳ではなく意訳を旨とするようになったのです。
一方である時期までのキリスト教の翻訳者たちは、聖書にとりあえずアクセスできればいいという姿勢で翻訳していたにすぎませんでしたが、ヒエロニュムスはキケローに準じて直訳と意訳を区別し、基本的には意訳すべきという考え方を持つに至りました。しかし彼は聖書に限っては逐語的な正確さが必要だとも考えていました。さらに先行してあった古ラテン語訳に対する配慮も必要だったため、新約聖書の改訂に際しては控えめな校訂者に徹したのでした。
ここまではまあいいと思うのですが、Cuendetは、ヒエロニュムスの翻訳の具体例を吟味していく際に、新約聖書の訳文しか当たっていません。これはいただけません。なぜならヒエロニュムスは福音書については古ラテン語訳の校訂をしただけですし、他の文書については無名の別人によるものと考えられています。ですから、新約聖書原典のギリシア語とそのラテン語訳とを比べることでヒエロニュムスの翻訳論を語ることはできないのです。それにもかかわらずCuendetはキケローとヒエロニュムスの訳業の具体例をさらった挙句、前者は文学的な香気やラテン語への敬意を持っており、原典から独立したラテン文学足り得る翻訳をしたのに対し、後者は原典の正確な意味を追求しようとせず、機械的に翻訳したと結論付けています。こうしたことを言うためには、少なくともウルガータの旧約部分に当たるか、あるいはそもそも比較の対象として、聖書翻訳ではなく、ヒエロニュムスがラテン語訳したオリゲネスやエウセビオスの注解書などを取り上げる必要があるはずなのですが。
こうした根本的な問題はともかく、キケローの翻訳の具体例は読んでいて興味深いものが多くありました。例えば彼はヘクサメーターのギリシア詩を訳すときはラテン語でもヘクサメーターにし、またエレゲイアはエレゲイアで、イアンボスはイアンボスで再現してみせているんですね。これには驚きました(かなり難しい作業だと思います)。さらにキケローは、ギリシア語にあってもラテン語にはない文法的な制約(冠詞や分詞の用法)を、苦労してラテン語としても通じる表現に直したり、またあるギリシア語の単語にいつも同じ訳を当てるのではなく、多いものでは4つの訳語に訳しかえたりしています。
この論文は、こうした具体例を実際読んだり、ラテン文学における翻訳論の歴史を知るには非常に役に立つ一作かと思います。
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