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2011年11月29日火曜日

七十人訳の成立縁起に関する議論


  • W. Schwarz, "Discussions on the Origin of the Septuagint," in Id., Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and Their Background (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), 17-44.

Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their BackgroundPrinciples and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their Background
W. Schwarz

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先日読んだ第1章に引き続いて、七十人訳の成立縁起に関して書かれている第2章を読みました。この部分は再読でしたが、やはりいい論文は何度読んでも新しい発見があります。

Schwarzは、ここでは『アリステアスの手紙』、フィロン、ヒエロニュムス、アウグスティヌスの四者の思想を取り上げて、実に手際よく料理しています。この論文を読むにあたっては、まず大枠として、第1章で示された、翻訳における「文献学的原理」(philological principle)と「霊感的原理」(inspirational principle)という二項対立に注意が払われなければならないでしょう。この二項対立の中で、アリステアスとヒエロニュムスは前者に、フィロンとアウグスティヌスは後者に配置されています。まず『アリステアスの手紙』では、翻訳作業があくまで人間の手によって行われたことが強調されていますが、一方ユダヤ教と新プラトン主義の影響下にあるフィロンの著作では、七十人訳の翻訳には神の介入があったことが強調されました。つまり七十人訳者たちは単なる人間の翻訳者としてではなく、いわば預言者として翻訳をしたということになるのです。そしてそうであるならば、当然その訳業の産物である七十人訳もまた新たな啓示というにふさわしく、まさに神の言葉そのものといえるのです。しかしここで注意せねばならないのは、フィロンのいう預言者とは単に神の言葉を人々に伝える道具としての役割だけでなく、それを解釈=翻訳する能動的な役割をも持った存在でもあったことです。つまり預言と翻訳とは別のはたらきを持っているといえます。フィロンの七十人訳に対する神聖視はその後アウグスティヌスに引き継がれていきますが、一方で彼の預言者理解はヒエロニュムスに引き継がれていくことになります。フィロンは「霊感的原理」側ではありますが、「文献学的原理」側のヒエロニュムスにも影響を与えているわけです。

さて、こうして「文献学的原理」と「霊的原理」はすでにキリスト教成立以前から用意されていたわけですが、この二つが本当の意味で衝突するのは4世紀になってからのことでした。フィロンの「霊感的原理」に対し、ヒエロニュムスは最初はほのめかし程度に、やがてはっきりと七十人訳の霊感を否定していきます。というのも、彼はヘブライ語テキストと七十人訳とが相違していることを問題にしたわけです。なぜ七十人訳は原典であるヘブライ語テキストから異なるのか。1)写字生のミス、2)七十人訳者自身の付加。このうち七十人訳者自身の付加はさらに二種類に分けられます。a)文体上の必要性による付加、b)聖霊の権威による付加。本当に七十人訳が霊感を得て訳されてものであるならば、後者は問題ないでしょうが、少なくとも前者は言語のシンタックスに強いられて言葉を付加しているわけですから、このことは七十人訳が人間の手によるものであることを示しています。翻訳に必要なのは原典の理解と言語能力であって、預言ではないのです(「翻訳と預言とは異なる」)。

また逆に、新約聖書における旧約引用が七十人訳ではなくヘブライ語テキストと一致していることは、ヘブライ語テキストの優位を証明するものとなります。とはいえヒエロニュムスは七十人訳者が訳したのは五書だけであって、他の文書には七十人訳の霊感が及んでいないことを知っていました。すると逃げ道として、五書はともかく他の文書が七十人訳の権威を主張することはできず、翻って考えれば五書だけには権威があるというロジックも成り立ちます。このような七十人訳擁護ともとれることを交えないとならないのは、当時七十人訳派の敵対者たちからヒエロニュムスがしばしば非難を浴びせられていたからでした。しかし最終的には、プトレマイオス王をあざむくために七十人訳者たちが訳文を変えていたという『アリステアスの手紙』の記述から、ヒエロニュムスは七十人訳全体の霊感を否定します。

また新約聖書における旧約引用の問題は非常に重要で、なぜなら七十人訳と同じように霊感を得ている使徒たちが七十人訳と異なるとなれば、聖霊が矛盾していることになってしまいます。しかしそんなことはありえないので、七十人訳よりあとの使徒の方が正しいのは当然のことになります(神学的理由)。一方『アリステアスの手紙』やヨセフスの記述には、フィロン以降の七十人訳霊感説の源となった、「七十人訳者が小部屋に分かれて訳したにもかかわらず訳文が一致した」というくだりが出てきません(歴史的理由)。このように、ヒエロニュムスによれば、神学的理由からも歴史的理由からも、七十人訳が霊感を受けていたなどということは言えないということになります。

ちなみにこのあたり、Schwarzはヒエロニュムスに関する記述に熱が入っており、次のように(わりと感動的に)述べています。
It is the philologist's method to compare the different texts and to rely on the ability of human understanding to find out the truth. In this research there can be no halt. When after a long period of uncertainty he at last found what he believed to be the truth, he drew the logical conclusion, even when this meant a fight against a long tradition and against strong opposition to all new ideas and thoughts. (p.32)
さてヒエロニュムスのこの「文献学的原理」に対し、アウグスティヌスは「霊感的原理」で応えます。彼はヒエロニュムスのヘブライ語からの翻訳を歓迎しませんでした。アウグスティヌスは七十人訳にヘブライ語と異なる訳文があることは知っていましたが、教会が七十人訳(あるいは古ラテン語訳)を統一的に読んでいる限り、そうした違いは問題にならないと考えていたからです(ちなみに彼はヘブライ語はできません)。そこにヒエロニュムスの新しい翻訳が現れるとなると、最悪の場合教会の分裂をも引き起こしかねないと危惧したのです(教会の事情)。同時に神学的にも、アウグスティヌスはフィロンの説を受け入れ、七十人訳の霊感性を主張しました。七十人訳が霊感を得て訳されたものだとすると、それは原典を更新したものであるということになります。アウグスティヌスによれば、ヒエロニュムスの訳を受け入れることができないのは、彼が更新される前のテキスト、すなわちヘブライ語テキストを底本にしているからであり、本来であれば最新版である七十人訳を底本として訳さなければならないのです。このあたり、当時の最高の知性同士のぶつかりあいなわけですから、古代の議論として簡単に済ますのではなく、双方の言説に隠れているロジックを読み解いていかなければなりません。その点で、Schwarzの説明は実に明晰なものでした。

2011年11月28日月曜日

ヒエロニュムスの絵いろいろ

先日大学で本をコピーしていたら、強烈なヒエロニュムスの絵が出てきたので、思わずスキャンしてしまいました。


2011年11月25日金曜日

聖書と翻訳者


  • W. Schwarz, "The Bible and The Translator," in Id., Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation controversies and their Background (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), 1-16.

Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their BackgroundPrinciples and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their Background
W. Schwarz

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聖書翻訳に関する歴史的研究の古典的名著のイントロを読みました。この人の本はこれしか読んだことないのですが、著者はおそらく宗教改革史の専門ではないかと思われます。本書も基本的にはロイヒリン、エラスムス、ルターの論争を中心的に扱っているのですが、彼らの論争の基底にはヒエロニュムスとアウグスティヌスの論争があるという観点から古代にも一章割いています。目次は以下の通り。

I.   The Bible and The Translator
II.  Discussions on the Origin of the Septuagint
III. The Traditional View
IV. The Philological View: Reuchlin
V.  The Philological View: Erasmus of Rotterdam
VI. The Inspirational View: Luther

今日はこの一章目を読んだわけですが、具体的な歴史上の問題よりも概論的な内容でした。翻訳とはそもそも、原典の持っている思想、イメージ、リズム、韻律(詩の場合)、調子、雰囲気などを別の言語に移すものですから、その性質からして短命なものです。なぜなら翻訳=解釈にはその時代の考え方が反映せざるを得ないからです。しかし翻って聖書について考えてみると、このことは自明ではないかもしれません。なぜなら七十人訳やウルガータ、欽定訳などはずいぶん長生きしているように思われます。

なぜ聖書においてはこのようなことが起こるのかというと、宗教共同体がそこに、伝統だとか、文言や祈りの言い回しの永続性などを求めるからです。その言い回しが仮に近代語から見ると意味不明になってしまっていても、共同体内の伝統への固執(Schwartzはこれをsentimental feelingsと言いますが、p.4)は、それをむしろ有難がり、価値が高いものであると見なしさえしてきました。ですから、英語訳だけを見ても、これまで多くの翻訳がありましたが、そこには新しい訳を作ろうとする意志はあまりなく、以前の訳の改訂に留まろうとする傾向があります。

これは、翻訳者たちが自らの判断で訳したがゆえに非難されるということがないように、教会の権威に照らして翻訳を作ってきたからでした。むろんこの権威に対する姿勢には二面あり、ひとつはそれを喜んで受け入れるという姿勢で、非難を簡単に回避することができます。しかし一方では権威を受け入れたくないという姿勢もあり、彼にとってそれは重荷にしかなりません。これは別の(カトリックでない)宗教共同体に属する者にとっては当然のことで、同じ聖書箇所であっても違う宗教共同体の者たちでは異なった解釈が生まれてくることになります。

しかし同一の宗教共同体の中でも多様な解釈が許される場合があり、1)ある種の有益さがあるとき、2)聖書の学習のためのとき、3)教会を守るときには、伝統的な解釈に従わずとも特別に許されました。これ以外の信仰や道徳に関する解釈は、権威=教会に従わねばなりません。ウルガータが聖典として認められたのは16世紀とずいぶん後代のことですが、これはそれまで上のような規範、すなわちヘブライ語あるいはギリシア語原典ではなく教会こそが権威であるという規範が徹底していたために、あえて公認する必要がなかったからだったと考えられます。

また、翻訳は神の導きなしにはなしえないものだとも考えられていました。神の導きである霊感があったとき、翻訳は原典と同等の価値を有することになるわけですが、ある翻訳に霊感があったかどうかを決定するのはもちろん教会の役割でした。そのような意味で、古代では七十人訳がそれに当たるものと考えられ、また下ってはウルガータがそれに当たるものと見なされてきました。しかし翻訳には、こうした霊感的な原理(inspirational principle)とは別の原理も働いているはずです。すなわち、翻訳とはとりもなおさず人間の手によってなされているものだという意識であり、そういった立場に立てば、常に原典こそが権威となるために、それを超えるいかなる権威も存在することはできません。Schwartzはこちらの原理を文献学的原理(philological principle)と呼び、古代から中世の聖書翻訳にはこの二律背反がしばしば問題となってきたと考えます。そしてこの二つの原理の最初の衝突こそが5世紀のヒエロニュムスとアウグスティヌスの論争であり、二回目の衝突が16世紀に起こったと述べています。

本書は基本的にはこの二回目の衝突に焦点を当てているわけですが、これを十全に理解するためには最初の衝突の検証が必要不可欠です。その成果が2章の"Discussions on the Origin of the Septuagint"になります。イントロなので話があっちこっちに飛んでまとめにくいですが、とにかくSchwartzが単なる一般論からでなく、説得力をもって聖書翻訳の転換点を5世紀と16世紀に置いていることが読み取れます。

2011年11月23日水曜日

公開シンポジウム「いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える」

12月3日(土)13:00~17:00に、日本学術会議の主催で、古典に学ぶ意義を考えるシンポジウムが開かれます。場所は乃木坂の日本学術会議講堂です。発題者は、手島勲矢氏(ユダヤ思想)、三中信宏氏(進化生物学)、岡田 真美子氏(環境宗教学・地域ネットワーク論)、そして服部英二氏(哲学・比較文明学)という興味深い組み合わせです。入場無料ですので奮ってご参加ください。


公開シンポジウム
いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える―現代文明の危機をのりこえるために―

1. 主催:日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合

2. 日時:平成23123日(土)13001700

3. 場所:日本学術会議講堂
   ※営団地下鉄千代田線「乃木坂」駅5番出口を出て左、徒歩1分。


司会 
丸井 浩 (日本学術会議会員、東京大学教授/インド哲学)
小島 毅 (日本学術会議連携会員、東京大学教授/中国思想)

13:0013:10 開会挨拶
野家 啓一(日本学術会議哲学委員会委員長、東北大学理事/哲学)

13:1014:40 報 告(各パネリスト20分)
手島 勲矢(日本学術会議連携会員、関西大学非常勤講師/ユダヤ思想)
対話する科学のための二つの名前:中世ユダヤの伝統知から

三中 信宏農業環境技術研究所上席研究員/東京大学教授/進化生物学
科学的思考と民俗知識体系の共存:進化するサイエンスの源を振り返る」 

岡田 真美子(日本学術会議連携会員、兵庫県立大学教授/環境宗教学・地域ネットワーク論)
「地域ネットワークに生きる伝承知の重み」

服部 英二(地球システム・倫理学会会長/哲学・比較文明学)
「現代文明の危機と伝統知」

14:4015:20  討議者(ディスカッサント)のコメント:全体討論に向けて
中島 隆博(日本学術会議連携会員東京大学准教授/中国思想)
村澤真保呂(龍谷大学准教授/社会思想史)

15:2015:40  休 憩

15:4016:55  全体討議

16:5517:00 閉会挨拶
西村 清和(日本学術会議哲学委員会副委員長、東京大学教授/美学)

2011年11月22日火曜日

4世紀ローマとミラノにおける礼拝のラテン語化




4世紀における西方教会のラテン語化に関する論文を読みました。著者のMaura K. Laffertyはテネシー大学で教鞭をとる中世ラテン語の研究者です。


古代東方教会でギリシア語だけでなくコプト語、シリア語が使われていたように、西方教会でもラテン語だけでなくさまざまな言語(特にギリシア語)が用いられていました。しかし4世紀の後半になると、教会での使用言語が急速にラテン語に統一されていき、とりわけそれは祈りの言葉において顕著に表われました。このことを検証するために、本論文ではローマとミラノという2つの主要都市を具体例として挙げています。

本題に入る前に、Laffertyはまず古代末期におけるギリシア語とラテン語との関係について説明しています。それによると、ギリシア語が文学、学術、芸術の言語であったのに対し、ラテン語は征服、統治といったローマの帝国主義的な属性を強く有していました。さらにラテン語には、(主にギリシア語からの)翻訳の言語であるという特徴もあり、この翻訳という行為にも、対象を手なずけてこちらのものにするということから征服の意味合いが含まれています。

しかしローマの教会における言語は古来よりギリシア語であり(ローマ書しかり)、アフリカの諸教会が早くからラテン語を取り入れたあとも、ローマでは聖餐の祈りはギリシア語が使われていました。祈りの言葉の意味が分からないということは、聖餐の秘儀に呪文めいた効果を与え、またそれによって洗礼志願者のキリスト教への入信をさらに促し、一方すでに洗礼を受けた者の結束をさらに固めることを可能にしました。しかしその祈りの言葉も4世紀には急速にラテン語化し、すぐに定着化してしまいました。それはなぜか。

まずローマにおいては、教皇ダマススによって、異教的なローマ観がキリスト教的に転換されたことが大きな理由として挙げられます。非キリスト教徒のローマ市民は古来から続く伝統的なローマの文化や宗教こそがRomanitasを体現するものと考え、キリスト教信仰を持つことは非文化的であることの証明だと考えていました。ところがダマススは自らがローマの貴族社会とのつながりを深めることで、キリスト教を文化的宗教として位置付けることに成功しました。敵対者たちによって描かれる、貴族社会に取り入ろうとするダマススの描写は実に興味深いもので、貴族の女性を口説いたり、暴力団に賄賂を渡したりと、なかなかやりたい放題です。しかし中には真実味を帯びる報告もあり、たとえば貴族女性の誘惑については、370年にヴァレンティニアヌス帝によって、聖職者が寡婦の財産を横取りすることを禁ずる法令が布告されていることから、実際そのようなことがあったことを示唆しています(ダマススがしたかどうかはともかく)。しかしダマススの活動はこうしたことだけではなく、彼はパウロとペテロを記念する石碑を建て、そこにロムルスとレムスに代わって、ローマで殉教したパウロとペテロこそが、新たにローマのローマたる所以となったのだという内容のヘクサメーター詩を残しています。そうすることで彼は、真のRomanitasとはローマの伝統的な宗教や文化ではなく、Christianitasこそがその本質であるという転換を図ったのです。

ミラノのアンブロシウスの方はごく短くまとめますが、彼はアリウス派との論争の中で、アリウス派をゴート族すなわち蛮族とみなすことで、自らのアリウス派との戦いを、皇帝の対ゴート戦争になぞらえました。その一環で祈りの言葉もラテン語にしたわけですが、すると当然教会ラテン語は蛮族の言葉であるゴート語に対し、ローマの文化や教会の正統性を裏付けてくれることになります。こうしてみると、礼拝のラテン語化という同じ結果を得ながらも、ダマススとアンブロシウスの目的は異なっていたことが分かります。ダマススにとって、教会のラテン語化とは、ローマ教会を伝統的なローマ(異教)文化と同一化し、その威光をローマ教会に持ってくることを意味しましたが、アンブロシウスにとっては、正統教会から蛮族(あるいは異端)を排除し、キリスト教とローマ文明およびラテン語文化との同一性を強調することを意味しました。

ローマ編、ミラノ編共に興味深く読みましたが、Laffertyの説明は、どちらかというとローマのダマススについての方が手際がよかったように思います。何といってもダマススの女性を誑し込んで財産をかすめる悪党ぶりと、一方でヘクサメーターを巧みに操る詩人ぶりが鮮やかに描かれているのが印象的です。ちょっとダマススの詩でも読んでみようかしら。

Damasi Epigrammata: Accedunt Pseudodamasiana Aliaque Ad Damasiana Inlustranda IdoneaDamasi Epigrammata: Accedunt Pseudodamasiana Aliaque Ad Damasiana Inlustranda Idonea
Pope Damasus Maximilian Ihm

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2011年11月16日水曜日

4言語の男?ヒエロニュムスとシリア語


  • D. King, "Vir Quadrilinguis? Syriac in Jerome and Jerome in Syriac," in Jerome of Stridon: His Life, Writings and Legacy, ed. A. Cain and J. Lössl (Farnham: Ashgate, 2009), 209-23.

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ヒエロニュムスとシリア語との関係について論じた論文を読みました。著者のDaniel Kingはウエールズのカーディフ大学でシリア学とセム語学を教えている人のようです。この論文は、副題にあるように、ヒエロニュムスのシリア語能力はどのようなものだったのか(Syriac in Jerome)、そしてシリア語の伝承文学においてヒエロニュムスがどのように受容されてきたか(Jerome in Syriac)を検証しています。


この論文でいうところの「シリア語」とは、ヒエロニュムス当時ベツレヘム周辺で話されていた「パレスチナ・アラム語」のことを指します。ヒエロニュムスがこの言語を学んでいたことは、シリアの砂漠やベツレヘムに住んでいたときの証言、またダニエル書やエズラ記などアラム語で書かれた聖書の翻訳のための必要性などから明らかです。しかしKingによると、ヒエロニュムスのシリア語学習のモチベーションは、何といっても語学力の誇示であったようです。ヒエロニュムスはヘブライ語、ギリシア語、ラテン語ができることから、自らを「3言語の男」(Vir trilinguis)と称して誇っていましたが、それに加えてシリア語もできるということは、単にマイナー言語を習得したということだけでなく、残忍なサラセン人や砂漠の野獣が住む過酷なシリア砂漠を生き抜いたタフネスをも証明してくれるので、なおさら習得すること(あるいは習得したと喧伝すること)の見返りが大きかったと言えます。

ヒエロニュムスは著作の中で、sed syrum estとかsyrum est, non hebraeumとか前置きを置いて、しばしばシリア語を引いて語源的な説明しています。ここで問題となるのが、別のところで彼がよく使うChaldaeusという言葉との関係です。カルデア語はアラム語と同一視され、アラム語はシリア語と同一視されるわけですが、ではカルデア語はシリア語と同じなのでしょうか。用語として、「カルデア語」「アラム語」「シリア語」が混乱しています。Kingによると、どうやらヒエロニュムスはこれらを区別して、「カルデア語」がバビロニアの宮廷言語を指すのに対し、「アラム語=シリア語」は外国語からの借用語を含む乱雑な言語を指すと考えていたようです。なおかつ後者を表すのに彼自身は「アラム語」という言葉を使わず、常に「シリア語」という用語を用いました。Kingの説が本当に正しいのか確証はありませんが、ヒエロニュムスの著作を読むときには一つのポイントになるでしょう。

さて、私自身の関心はここまでのSyriac in Jeromeの方にありますが、この論文自体の本領は、むしろ後半のJerome in Syriacの方で発揮されているのかもしれません(おそらくKingの専門はこちら)。6世紀から7世紀の聖人伝アンソロジーの写本には著者紹介のような欄がついているようですが、そういったところにヒエロニュムスは登場してきます。これはアラビア語圏でも同様で、アラビア語に訳された聖人伝などでも、その著者としてヒエロニュムスが挙げられています。こうした聖人伝のうちでも、Historia Monachorumなどについては、7世紀の東方シリア教会のヘナニーショがヒエロニュムスの著者性を疑問視していますが、基本的にシリア世界でのヒエロニュムス評価は、何にもまして聖人伝の作家だったようです。

2011年11月14日月曜日

ヒエロニュムスのヘブライ語能力について


  • E. Burstein, "La compétence de Jérôme en hébreu: Explication de certaine erreurs," Revue des études augustiniennes 21 (1975): 3-12.

ヒエロニュムスのヘブライ語能力を論じた論文を読みました。ちなみにこちらから全文を閲覧することができるので、ご興味ある方はご覧ください。著者のEitan Bursteinについて少し調べてみたのですが、ポワティエ大学でPh.D.を取得したこと以外、詳しいことはよく分かりませんでした。論文の最後の所属には「テル・アビブ大学」とあるので、博士号取得後にテル・アビブで教えていたのでしょうか。タイトルから見て、この論文は博論のダイジェスト版のようです。

  • E. Burstein, "La compétence en Hébreu de saint Jérôme," (PhD. diss., Université de Poitiers, 1971).


この論文は、ヒエロニュムスのヘブライ語能力を検証することを目的として、注解書と書簡から採られた6つの例(創28:19, 創17:16, エゼ38:13, 詩132:6, イザ38:9, エレ31:2)を取り上げ、それぞれの箇所についてのヒエロニュムスの注解を精査しています。これらの箇所の検証からは、いずれも興味深い結果が出てきていますが、要するに、ヒエロニュムスはしばしばヘブライ語をろくに確認することなくヘクサプラを利用して注解を書いており、ひどいときにはそのヘクサプラすらろくに見ないで(大部なヘクサプラからお目当ての箇所を探すのは大変だったので)、記憶している文章に勝手にヘブライ語を当てはめて注解を書いているのだそうです。なぜ記憶に頼っているかが分かるかというと、ヘブライ語原文にない単語が注解の中で使われていることがあるからです。さらにはそうして類推によって再現したヘブライ語が間違っているのですから始末に負えません。

たとえば、ヒエロニュムスは詩132:6をEcce audivimus illum in Ephrata, invenimus eum in campis silvaeと訳した上で、illumとeumに当たるZothというヘブライ語は男性名詞を受ける代名詞だと説明していますが、ヘブライ語原文にはזאתという単語は出てきていない上に、LXXで正しくもαὐτὴνと訳されているように、これは女性名詞を受ける代名詞です。

הנה שמענוה באפרתה מצאנוה בשדה יער
ἰδοὺ ἠκούσαμεν αὐτὴν ἐν Εφραθα, εὕρομεν αὐτὴν ἐν τοῖς πεδίοις τοῦ δρυμοῦ·

すると、ヒエロニュムスはこの箇所に関して、ヘブライ語原文に出てきていない単語を出した上に、文法的にも誤った説明を加えているわけですから、原文のチェックを怠っていることは明白です。しかし、注意しなければならないのは、だからといって多くの教父学者が言うように、単純にヒエロニュムスにヘブライ語能力がないということにはならないのです。というのも、ヒエロニュムスのヘブライ語能力の有無を論じる際になされる説明としては、彼がヘブライ語から訳したというのは偽りで、実際にはLXXを参照していたのだというものがありますが、上の例からも分かるように、ヒエロニュムスは別にLXXを参照していたわけでもないのですね。ヒエロニュムスのヘブライ語には確かにいい加減な側面があるのかもしれませんが、少なくともヘブライ語ができないことを偽ってギリシア語から聖書を読んでいたというわけではないようです。

こうしたことから、Bursteinは、ヒエロニュムスにはパッシブなヘブライ語能力、すなわちある程度の読解能力はあったようだが、作文や発話などのアクティブな能力はかなりあやしいと言わざるを得ないと結論付けています。ここらへんは現在のヒエロニュムス研究でもホットな話題ですので、引き続き他の人の見解も見ていく必要がありそうです。

2011年11月13日日曜日

『旧約学研究』第8号(創立77周年記念号、2011年)

日本旧約学会の学会誌『旧約学研究』第8号が出版されました(1-7号の目次はこちらから)。今回は学会創立77周年記念号だそうで、論文4本、シンポジウム講演録3本に加え、「日本旧約学会77年史資料(1989年以降)」という付録がついています。資料が「1989年以降」なのは、すでに『日本旧約学会55年史』という書物が1989年に出版されているからで、今回の資料はその続きに当たるようです。

この資料と相互に補うようにして、日本旧約学会および日本の旧約学の歴史について書かれた関根清三氏の会長講演録を興味深く読みました。この講演によると、日本旧約学会は1933年に設立され、日本のキリスト教関係の学会としては最も歴史が古いものだそうです。歴代会長は、渡辺善太、都留仙次、手塚儀一郎、浅野順一、左近義滋、関根正雄、中沢樹、左近淑、木田献一、西村俊昭、並木浩一、月本昭男、関根清三とあり、確かに錚々たる顔ぶれです。

『旧約学研究』第8号(創立77周年記念号、2011年11月1日発行)

論文
大澤耕史「ヘブライ語聖書における「魔術」の相関図:タルムードの議論を参考にして」……1-19

加藤哲平「新約聖書における旧約引用の問題:ヒエロニュムス『最善の翻訳法』を中心に」……21-40

小友聡「コヘレト書の反黙示思想:二つの詩文をめぐって」……41-57

山我哲雄「歴代誌でアハズ王はなぜ個人的に罰せられないのか?歴代誌における応報神学への一考察」……59-91

シンポジウム「日本の旧約学」をめぐって
会長講演
関根清三「日本の旧約学:学の回顧と学会の展望」……93-114

発題講演
西村俊昭「過去を顧みて」……115-28

野本真也「雑感」……129-37

日本旧約学会77年史 
資料(1989年以降)……139-74

日本旧約学会規約……176-77
執筆者紹介……178


*付記
誤記を見つけたので挙げておきます。
(1)執筆者紹介で、大澤耕史氏の所属が「同志社大学大学院」となっていますが、正しくは「京都大学大学院」、(2)英文目次で、加藤哲平氏の論文タイトル中に「generare」とありますが、正しくは「genere」です。

2011年11月11日金曜日

「ユダヤ化した」終末論


  • W. Kinzig, "Jewish and 'Judaizing' Eschatologies in Jerome," in Jewish Culture and Society under the Christian Roman Empire, ed. R. Kalmin and S. Schwartz (Leuven: Peeters, 2003), 409-29.

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R. Kalmin

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論文の著者であるWolfram Kinzigはボン大学の教会史の教授です。

ヒエロニュムスは著作の中でしばしば、「我らのユダヤ化した者ら、半ユダヤ人」という者たちに言及し、その者たちが考える終末論を批判しています。しかし名前を挙げることはなく、しかも断片的な言及に留まっていて、その思想の全体像は不明でした。そこでKinzigはこの者を仮に「X」と名付けて、ヒエロニュムスの言及のすべてを精査することで、この者が誰なのか、そしてその終末論にどのような特徴があるかを突き止めました。その成果の全体はモノグラフとしてまとめる予定であり、本論文は部分的なアウトプットのようですが、Kinzigのビブリオグラフィを見てもどれがそれに当たるのかよく分かりません。

Kinzigによると、Xの終末論は預言書とヨハネ黙示録、そして異教的な思想の影響を受けており、特徴としては、1)LXXのみならずヘブライ語聖書に通じている、2)4世紀後半から378年以前の人物である、3)パレスティナ・シリア地方の土地勘がある、4)預言者の言葉を文字通り、現在的なものとしてとる、5)そうした預言に照らしてヨハネ黙示録を読んでいる、ということが分かったそうです。そして以上の特徴から浮かび上がってくる人物こそが、ラオディケアのアポリナリオスでした。実際アポリナリオスはヘブライ語に堪能で、ユダヤ・キリスト者の一派であるナザレ派との交流もありました。同時に父親はギリシア語の文法学者だったこともあり世俗の古典文学にも通じていました。さらに興味深いことに、ヒエロニュムスが「ユダヤ化した者ら」の主張として言及している文言と非常に似た文章がアポリナリオスの著作にも含まれているようです。

こうした調査の結果、全体的に分かったこととしては、a)キリスト教ローマの支配下におけるユダヤ教の影響の大きさ、b)アポリナリオスの聖地に対する興味は同時代のキリスト教徒と異なっていることなどが挙げられます。それはともかく少し気になるのは、Kinzigがアポリナリオスのユダヤ趣味・ヘブライ語趣味を「Philosemitism」と名付けていることで、Kinzig自身が注で述べているように、このタームの使い方はS. J. D. CohenとP. Schäferによって批判されています。どのような文脈で批判を受けているか、いずれ二人の論文をチェックしたいと思います。

以上のような内容的な部分ももちろん面白かったですが、この論文がいいのは注が充実していることで、特にイントロダクションでの研究史の注の中には、恥ずかしながらいくつか知らないものもありました。これもチェックが必要です。

日本ユダヤ学会2011年度関西例会

日本ユダヤ学会の関西例会が11月26日に同志社女子大学にて催されます。お二人の会員が発表されます。非会員の方も自由に参加できるようです。
http://www.waseda.jp/assoc-jsjs/

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関西例会のお知らせ

会員の方たちには別途ハガキでお知らせしますが、下記により関西例会を開催します。
会員以外の方もご関心がありましたら、どうぞご出席ください。

日時:11月26日(土)14時~17時30分
会場:同志社女子大学ジェームズ館J207教室(地下鉄烏丸線今出川駅から徒歩5分)

報告者と論題:

山本尚志会員
「日本のユダヤ人政策とユダヤ避難民-1938年秋から冬にかけて-」

アダ・ダガー・コヘン会員
「聖書ヘブライ語と現代ヘブライ語-アイデンティティーを求めて-」

2011年11月10日木曜日

キケローとヒエロニュムスの翻訳論


  • G. Cuendet, “Cicéron et Saint Jérôme Traducteurs,” Revue des études latines 11 (1933): 380-400.
翻訳者としてのキケローとヒエロニュムスを比較した論文を読みました。個人的な感想を先に示しておくと、この論文はキケローの翻訳技法を知るにはとても役に立ちますが、ヒエロニュムスに関しては得るところは少なかったです。


冒頭で、まずラテン文学と翻訳の関係について説明されます。Cuendetによると、ラテン文学はそもそもギリシア文学の翻訳からはじまったそうで、リーウィウス・アンドロニクスによる『オデュッセイア』の翻訳、エンニウスによるエウリーピデース悲劇の翻訳、プラウトゥスやテレンティウスによるピレモンやメナンドロスの喜劇の翻案、カトゥッルスによるサッフォーの翻訳などが挙げられています。しかしこれらは断片的に伝わるのみで平行箇所を比べるべくもありません。

そこで、ある程度の量の訳業が残っているラテン文学者としては、キケローが最初のひとりとなります。彼はアラートスの『パイノメナ』やプラトンの『ティマイオス』などを訳しました。キケローの翻訳論として特筆すべきは、彼が翻訳をギリシア文学を知る手段として考えていたのみならず、弁論術のよき練習方法としても考えていたということです。翻訳に対するこうした考え方は、クインティリアーヌスや小プリーニウスにも見られます。つまりキケローは「〔狭義の〕翻訳者としてではなく弁論家として訳した」ので、直訳ではなく意訳を旨とするようになったのです。

一方である時期までのキリスト教の翻訳者たちは、聖書にとりあえずアクセスできればいいという姿勢で翻訳していたにすぎませんでしたが、ヒエロニュムスはキケローに準じて直訳と意訳を区別し、基本的には意訳すべきという考え方を持つに至りました。しかし彼は聖書に限っては逐語的な正確さが必要だとも考えていました。さらに先行してあった古ラテン語訳に対する配慮も必要だったため、新約聖書の改訂に際しては控えめな校訂者に徹したのでした。

ここまではまあいいと思うのですが、Cuendetは、ヒエロニュムスの翻訳の具体例を吟味していく際に、新約聖書の訳文しか当たっていません。これはいただけません。なぜならヒエロニュムスは福音書については古ラテン語訳の校訂をしただけですし、他の文書については無名の別人によるものと考えられています。ですから、新約聖書原典のギリシア語とそのラテン語訳とを比べることでヒエロニュムスの翻訳論を語ることはできないのです。それにもかかわらずCuendetはキケローとヒエロニュムスの訳業の具体例をさらった挙句、前者は文学的な香気やラテン語への敬意を持っており、原典から独立したラテン文学足り得る翻訳をしたのに対し、後者は原典の正確な意味を追求しようとせず、機械的に翻訳したと結論付けています。こうしたことを言うためには、少なくともウルガータの旧約部分に当たるか、あるいはそもそも比較の対象として、聖書翻訳ではなく、ヒエロニュムスがラテン語訳したオリゲネスやエウセビオスの注解書などを取り上げる必要があるはずなのですが。

こうした根本的な問題はともかく、キケローの翻訳の具体例は読んでいて興味深いものが多くありました。例えば彼はヘクサメーターのギリシア詩を訳すときはラテン語でもヘクサメーターにし、またエレゲイアはエレゲイアで、イアンボスはイアンボスで再現してみせているんですね。これには驚きました(かなり難しい作業だと思います)。さらにキケローは、ギリシア語にあってもラテン語にはない文法的な制約(冠詞や分詞の用法)を、苦労してラテン語としても通じる表現に直したり、またあるギリシア語の単語にいつも同じ訳を当てるのではなく、多いものでは4つの訳語に訳しかえたりしています。

この論文は、こうした具体例を実際読んだり、ラテン文学における翻訳論の歴史を知るには非常に役に立つ一作かと思います。