- 野町啓「ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ思想」、岩波講座『東洋思想第1巻:ユダヤ思想1』、岩波書店、1988年、187-228頁。
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この時代の大きな出来事としてまず言及しなければならないのは、七十人訳の完成である。この訳業によって、ギリシア的な存在論を聖書の神に援用する可能性と根拠が与えられた。
「ヘレニズム」という用語を作ったのはG.ドロイセンだが、そのもとである「ヘレニスモス」という言葉は、もともとは「ギリシア語を異国語の用法や破格を含むことなく正しく話すこと」を意味した。しかし、今日のヘレニズムという用語が持つ「ギリシア化」という意味でこの言葉を最初に用いたのは、第二マカバイ記4:13であった。同書2:21, 8:1には「ユダイスモス」という言葉が「ユダヤ教」の意味で出てきている。つまり、「ヘレニスモス」という言葉は最初から対「ユダイスモス」という意味合いの言葉なのである。ただし、ドロイセンは「ヘレニスモス→ヘレニズム」という言葉を、キリスト教につながる肯定的な意味合いで用いているが、マカバイ記におけるそれは、ユダヤ教の信仰を脅かすような否定的な意味合いでしかない。
ヘレニズム期において、ユダヤ人について言及している非ユダヤ人の著作家として、アブデラのヘカタイオスがいるが、彼自身の著作は現存しない。ただし、ヨセフスとディオドロス(をさらに引用するフォティオス)による引用が残っている。しかし、ヨセフスの伝承するヘカタイオスと、ディオドロスが伝承するヘカタイオスとには齟齬が見られる。前者がユダヤ人とアレクサンドロスとの関係に重点を置き、異民族の侵略下にあっても律法を遵守したユダヤ人の姿を描くのに対し、後者は出エジプトを中心にモーセやユダヤ教について言及し、ユダヤ人が異民族との交わりにおいて律法を変更したという点を指摘する。これを研究者たちは、同じ著者の二面性ではなく、二人の著者がいたことから説明し、ヨセフスが伝承するヘカタイオスを「偽ヘカタイオス」と呼んだ。
野町は、この偽ヘカタイオスをはじめ、アレクサンドル・ポリュヒストル、クレオデモス・マルコス、アルタパノス、エウポレモスといったユダヤ人作家の著作を挙げつつ、それをヘレニズム時代の尚古主義(classicism)と結びつける。すなわち、ヘレニズム時代の東西の諸民族は、自分たちの卓越性を誇示するために、「起源上の年代の古さや文化上の重要な発明・発見の創始者の出自」を自民族に帰そうとしていたのである。そこで、上の作家たちもまたユダヤ民族の卓越性を証明するために、アブラハムやモーセにさまざまな偉業を帰すという、「アレタロギア」という手法を取った。そこから、アリストブロスを嚆矢とする「ギリシア思想の聖書起源・依拠説」が生まれてきた。
アリストブロスは、ギリシアの哲学者たちや詩人たちは、皆モーセの律法を知っており、そこから学んだという説を唱えた。その際、聖書に出てくる神の神人同型論は神の実態ではなく神の力(デュナミス)であるため、字義通りにとってはならないとした。これは、ストア派がホメロスの神話を読むときの用法である「アレゴリア」を含意する考え方である。また彼はモーセを哲学者と見なすことで、ユダヤ教をひとつの哲学として提示することに成功している。自己の立場を哲学として提示する傾向は、『アリステアスの手紙』を含め、当時のユダヤ人に見られるものだった。
フィロンは、上のような単純なアレタロギアの手法は取らない。むしろ聖書の登場人物たちは近隣のオリエント諸国の学問を身につけた人物であるとした上で、それをアレゴリアによって解釈することによって、ユダヤ民族の卓越性を証明していく。たとえば、アブラハムのカルデアからカナンへの移住は、可感的世界から可知的世界および神的世界へと上昇する遍歴の物語と捉える。そうすることで、聖書の記述の普遍化・現在化を図り、ギリシア的世界観が支配する当時の世界にそれを理解・受容可能なものとして提示するのである。さらに、予備的教養、哲学、モーセの律法を階層化し、ギリシア世界の学術は畢竟、モーセの律法を理解するための補助手段でしかないと位置づけた。