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2019年6月29日土曜日

タルグムについて  Le Déaut, "The Targumim"

  • Loger le Déaut "The Targumim," in Cambridge History of Judaism, volume 2: The Hellenistic Age, ed. W.D. Davies and Louis Finkelstein (Cambridge: Cambridge University Press, 1990), 563-90.


タルグムという言葉は一般にアッカド語起源とされるが、Ch. Rabinはヒッタイト語起源を主張する。ティルゲムはヘブライ語から他の何らかの言語に翻訳することを意味するが、タルグムというとアラム語訳を意味する。エズラ記、ネヘミヤ記、ダニエル書以外のすべての文書のアラム語訳が存在する。かつては、「タルグムは文書化が禁じられていたので、その成立自体はキリスト教以前にさかのぼるが、文書化はラビ文学の初期(後200年)をさかのぼらない」と考えられていたが、クムランでの発見によって、文書化もキリスト教以前であったことが分かっている。

捕囚時にユダヤ人は主要言語であるアラム語を学ぶように強いられたが、ヘブライ語は礼拝と聖なる文学の言語として使われ続けた。捕囚後になるとアラム語使用は増えていき、反対にヘブライ語は人々の話し言葉ではなくなった。とはいえ、ユダヤ地方で発見された諸文書は、ユダヤ地方に限っては、バルコフバの乱の頃までヘブライ語が生きていたことを示している。

ではヘブライ語が生きていたのに、なぜタルグムが必要になったのか。ヘブライ語が次第に読まれなくなったから、というのが伝統的な回答だが、実際にはヘブライ語を読める人もタルグムを必要としたのだった。なぜなら、難解な聖書テクストは「解釈」を必要としたからである。それゆえに、エズラが律法を読んだときに、「翻訳し(メフォラシュ)、その意味を提供した」のである(ネヘ8:8-9)。

口伝タルグムはシナゴーグでの朗誦の礼拝とともに発展した。新約聖書の時代には、律法と預言書を安息日に朗誦する習慣は出来上がっていたが、その内容はよく分かっていない。ミシュナー(メギラー4)には詳細が残っている。ヘブライ語テクストの朗誦者が律法なら一節ごとに、預言書なら三節ごとに読むと、翻訳者(メトゥルゲマン)が「記憶から」その翻訳を提供するのである。すでに律法を最高とするヒエラルキーができあがっていた。「記憶から」というのは「書いてはいけない」ということだが、それは現実には守られていなかった。

1832年L. Zunzはすでに、ハスモン朝時代には文書化されたアラム語訳があったに違いないと指摘していたが、クムラン文書の発見によってそれは証明された。ヨブ記のアラム語訳(11QtgJob)は、外典創世記よりもダニエル書のアラム語に近い。クムランで発見されたという以外にはクムラン的な特徴はないので、アラム語訳の文書化はクムランの特殊事情ではないだろう(見つかったのがヨブ記であることを、エッセネ派的な現象と解釈する研究者はいるが)。パレスチナ・タルグム的な過度な付加はなく、シンプルなスタイルである。第四洞窟でもヨブ記のアラム語訳は見つかっている(4QtgJob)が、こちらは小さな断片である。ヨム・キプールには大祭司の前でヨブ記を読む習慣があったが(ヨマー1.6)、難解なヨブ記を読むためには翻訳が必要だったのであろう(A. Berliner)。第四洞窟からはレビ記のアラム語訳(4QtgLev)も発見されているが、これも断片である。基本的に、クムラン文書自体の膨大さに比して、タルグム資料の収穫はわずかであったが、それはJ.Y. Milikによれば、高度に知的なエッセネ派共同体がアラム語訳を必要としなかったからだという。初期のタルグムは一般向けだったのである。クムランのタルグム資料はすべて帝国アラム語で書かれている。

創世記4:8において、タルグム、七十人訳、ペシッタ、サマリア五書には挿入句が見られることから、これらはマソラー以前の似たVorlageに依拠しているという議論がある(S.R. Isenberg)。またヨセフスは『ユダヤ戦記』をもともとアラム語で書いたので、タルグムを用いていたと考えられている。新約聖書中にもタルグムに依拠していると見られる箇所がある(エフェ4:8、マタ27:46、Ⅱテモ3:8、ルカ6:36、同11:27など)。こうしたことからパレスチナ・タルグムと新約聖書の直接的な依存関係を議論する研究者はいる。とはいえ、こうした一致は同じテクストに依拠しているというよりは、たまたま同じ口伝解釈の伝承に依拠したと考える方がよいだろう。

五書のタルグム。タルグム・オンケロスはパレスチナ・タルムードではアクィラと混同されている。オンケロスは帝国アラム語で書かれており、パレスチナを起源とするが(プロト・オンケロス)、その編纂はバビロニアで4-5世紀に行われ、スーパーリニア母音が付された。それゆえに、アキバ学派をはじめとするタナイームの教えが反映する直解主義的な方法論を取る。つまり、パレスチナの教師たちが、彼らよりも直解主義的なバビロニアの伝統に出会って生まれたのがオンケロスである。

パレスチナの諸タルグムにUrtextを求めることはできない。口伝の枝分かれが複雑だからである。完全な訳としては、偽ヨナタン(エルサレム・タルグムⅠ)とネオフィティがあり、不完全なものとしては、フラグメント(エルサレム・タルグムⅡ)とカイロ・ゲニザがある。偽ヨナタンは、翻訳というよりは敷衍である。その最終的な編纂はタルムード後である。というのも、出26:9にはミシュナーについて、創21:21にはムハンマドの妻アディシャと娘ファーティマについての言及があるからである。ただし、申33:11にはヨアンネス・ヒュルカノスへの祈りもあり、伝承の中にはかなり古いものも含まれていることが分かる。ゲニザ・フラグメントは、最も古い形を残しており、オンケロスからの影響が皆無である。アラム語を日常的に話していた写字生によって書かれている。ネオフィティは、しばしばマソラー以前のVorlageや、タナイームのミドラッシュ以前のハラハーを反映している。また、しばしばゲニザ・フラグメントとの驚くべき一致を見せる。

預言書のタルグム。預言書はシナゴーグの礼拝においてかなり初期から読まれていた。ヨナタンは、ヒレルの弟子であるヨナタン・ベン・ウジエルに帰されるが、これはテオドティオンとの混同であろう。オンケロスと平行関係にあり、パレスチナを起源とするがのちにバビロニアで編纂された。ただし、オンケロスよりは逐語的でない。

諸書のタルグム。諸書はどの文書も公認版のタルグムを持っていない。メギロット以外にはシナゴーグでの朗誦がされなかったからだろう。諸書のタルグムはすべてパレスチナ起源であるが、バビロニアからの影響も大きく受けている。箴言タルグムはシリア語訳との類似が認められる。

すべての翻訳は解釈を前提としている。タルグムもしばしば、テクストの意味を明らかにすることを躊躇なく超えることがある。またテクスト本来の意味よりも、同時代の解釈を優先することもしばしばである。タルグムのテクニックを2つにまとめると、第一に、テクストを一見して理解できるようにすること、すなわち「説明(explanation)」であり、第二に、テクストをシナゴーグの会衆に関係あるものとすること、すなわち「実現(actualization)」である。

「説明」の例は以下のようなものである。タルグムは原文のシンタックスを変え、疑問文を平叙文に変え、間接話法を直接話法に変える。二つの別のエピソードをつなげる。不明瞭な語や表現は解釈を加え、一般的でない語はより簡単な語に代える。一語をたくさんの語によって説明することもある。メタファーやアレゴリーの本来の意味を伝える。イメージを具体的なものに置き換える。聖書は無謬の書のなので、空白や矛盾は排除する。

「実現」の例は以下のようなものである。神人同型的表現を避け、神の超越性を前提とするために、神の名を呼ぶことを避ける(代わりに、メムラ、カヴォード、シェヒナーを用いる)。聖書の登場人物(アブラハム、モーセ、アロンら)の不適切な行動の描写をリタッチする。メシアニズム、終末論、天使論、トーラー祭儀などを含む。「社会学的」な翻案、すなわち地理や歴史的な事柄を同時代のものに代えることもある(イザ9:11のアラムとペリシテがシリアとギリシアになる)。ただし、タルグム作者は恣意的な方法でこうしたことをするのではなく、聖書の一体性を重視する。

タルグムは古代のユダヤ人の聖書解釈である。聖書を理解するために作られたものである。現在の研究においては、本文批評や言語学的研究に寄与するために、正確な校訂版を作成することが求められている。また文法や辞書の整備も求められる。ミドラッシュ研究との協力も必要とされている。

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