- Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 90-127.
Pierre Courcelle
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ヒエロニュムスのギリシア異教文化の知識の特徴は、それを彼が教会作家を通じて得たことである。伝統的にヒエロニュムスはギリシアについて深い知識を持っているとされてきたが、St. SychowskiやC.A. Bernoulliらによると、『著名者列伝』における記述の多くがエウセビオス『教会史』や『年代記』に依拠しているという。A.von Harnack曰く、エウセビオスがカイサリアの図書館を使うように、ヒエロニュムスはエウセビオスの『教会史』を使ったわけである。
著者はこうした評価を正当ではないと主張する。なぜなら、ヒエロニュムスは確かに『著名者列伝』でエウセビオスに頼ってはいるが、彼自身フィロンのいくつかの論文やヨセフスの全著作を読んだからである。また『著名者列伝』を書いてからさらに28年間執筆活動を続けた人物を、その著作だけで評価するのは公平でない。よりバランスの取れた評価をするために、ヒエロニュムスのすべてのアウトプットを調べなければならない。
使徒教父についてヒエロニュムスはあまりよく知らず、彼らに関する『著名者列伝』の記述はエウセビオスに拠っている。イグナティオスとポリュカルポスを知っていると述べているが、前者については誤った情報を紹介しているし、後者については著作の中で一度も引用していない。ローマのクレメンスの著作は、既存のラテン語訳には従っていないため、ギリシア語で読んだと考えられる。『ヘルマスの牧者』についても原典を読んだわけではなく、オリゲネスの影響でこれを批判することもあれば、エウセビオスに従ってこれを賞賛することもあった。以上から分かるように、2世紀のキリスト教文学についてのヒエロニュムスの知識は不十分であり、エウセビオスに拠らなければ、オリゲネス以前のキリスト教作家についてはほとんど知らなかった。
ユスティノスとアンティオキアのクレメンスついてもエウセビオス経由のわずかな知識しなかった。同じくエウセビオスに依拠しつつも、エイレナイオスについてはもう少し詳しく知っていた。エピファニオスからの引用も読んでいた形跡がある。最初の2世紀の教父たちについて、ヒエロニュムスは散漫な知識しか持っていなかった。
オリゲネスの著作は実際に読み、利用していた。F. Cavalleraによれば、ヒエロニュムスがオリゲネスについて最も辛辣だったオリゲネス主義論争の前、その最中、そしてその後も、ヒエロニュムスはオリゲネスの聖書解釈者としての科学的な価値に一片の疑問も持たなかったという。しかし、ヒエロニュムスはオリゲネスのすべての著作に等しく関心を持っていたわけではない。オリゲネスの著作群は、ヒエロニュムスによれば、スコリア(excerpta, enchiridion, scholia, semeioseis)、ホミリア(homilia)、トモイ(volumina, tomoi)の3つに分けられる。ヒエロニュムスはオリゲネスの著作の翻訳をたびたび依頼され、一時は全著作を訳すことを約束したこともあったが、結局は聖書の翻訳など他の仕事が忙しくなり、それは果たされなかった。そこで、オリゲネスの翻訳については、もっぱらホミリアを扱ったのである。オリゲネス主義論争に巻き込まれてから、ヒエロニュムスは、ホミリアは訳しても、教義的な内容を含むトモイは訳さなかったとして、自らを正当化した。しかしオリゲネスの聖書解釈はずっと読み続け、それを自らの注解の中でも採用していた。それは、E. Klostermannによれば、最後の注解作品である『エレミヤ書注解』でも同じだった。しばしばヒエロニュムスはオリゲネスに一字一句従うあまり、オリゲネスがヘブライ人教師から聞いた見解を自分自身の教師から聞いたかのように引用している。
ヒエロニュムスの『書簡33』には、オリゲネスの著作カタログが収録されている。もともと彼の全著作はカイサリア図書館に収蔵され、パンフィロスによってカタログ化されていた。そのカタログはエウセビオス『パンフィロス伝』の第3巻に収録されていたようだが、現在では失われている。パンフィロスおよびエウセビオスのカタログではオリゲネスの著作は2000巻あったとヒエロニュムスが報告しているが、彼自身のカタログには800巻しか載っていないし、収録順にもやや違和感がある。おそらく当時すでにオリゲネスの多くの著作は、アカキオスやエウゾイオスによる写本保存よりも前に、散逸してしまっていたために、ヒエロニュムスは入手できた作品だけを挙げているのだろう。ヒエロニュムスは、説教、教義的著作、注解、往復書簡など幅広く読んでいる。少なくともカタログに挙げている著作はすべて目を通しているし、それ以外にも『ケルソス駁論』、『ヘブライ語の名前について』、『マタイ福音書スコリア』、『ガラテヤ書スコリア』なども読んだ。
ここから、ヒエロニュムスのオリゲネス読書経験は広範囲であり、その知識は我々よりも深い。ヒエロニュムスにとって彼は情報の宝庫だった。ヒエロニュムスは、ある聖書文書やある一節について注解を書くとき、それに対応するオリゲネスの説教を探した。そうした説教が見つからないときには、文中でその旨を断り、その消失を惜しんだ。オリゲネスがたまたまその文書や箇所に関する注解を書いていないことが明らかなとき(たとえばダニエル書の注解はない)、ヒエロニュムスは、オリゲネスの他の著作に該当箇所への説明がないか探した。敵対者たちは、ヒエロニュムスが単にオリゲネス著作をまとめているとして批判したが、彼自身はそれを否定しないばかりか、むしろ誇っていた。
ヒエロニュムスは西方世界でヒッポリュトスを読んでいた唯一の人物でもあった。彼は、当時知られていた19作品すべてではなく、釈義的な作品のみに関心を持っていた。
オリゲネスの論敵たち、たとえば、アレクサンドリアのディオニュシオスやオリュンピアのメトディオスの著作にはあまり通じていなかった。
エウセビオスからの影響は極めて大きい。特に『著名者列伝』では、『教会史』、『年代記』、『ヘブライ語の場所の名前について』などへの依拠がはなはだしい。おそらくヒエロニュムスはエウセビオスの全著作を所有していた。エウセビオスはヒエロニュムスにとって、ラテン世界において欠くことのできない情報源だった。ただし、歴史的な情報についてはエウセビオスに負っていても、エウセビオスがひとたび事実関係の記述から外れると、まるで彼を信用していなかった。エウセビオスからの強い影響は、ヒエロニュムスがカイサリアの図書館と密接に結びついていたことを示している。
ラオディケアのアポリナリオスは、ヒエロニュムスが最も読んだ同時代人の一人である。彼の名前を挙げることは稀だが、ヒエロニュムスは彼を最も有益な聖書注解者であると見なし、頻繁に用いている。注解書以外では、『ポルフュリオス駁論』をよく読んでいる。アンティオキアにおいてアポリナリオスを通じて、ヒエロニュムスは、エウスタティオス、エメサのエウセビオス、タルソスのディオドロス、ヨアンネス・クリュソストモス、ヘラクレアのテオドロスなどに親しんだ。
コンスタンティノポリスでは、ナジアンゾスのグレゴリオスをはじめとするカッパドキア教父(ニュッサのグレゴリオス、バシレイオス、イコニオンのアンフィロキオスら)と親交を結んだ。
アレクサンドリアのディデュモスからは三位一体論、特に聖霊論について多くを学んだ。また彼の著作を翻訳することで、アンブロシウスの盗作を暴こうとした。彼の元には一月ほどしか滞在しなかったにもかかわらず、ヒエロニュムスは彼を師と呼んで慕った。一方で、ルフィヌスとの論争が始まると、そのオリゲネスを重んじる姿勢を非難した。
ギリシア文化についてヒエロニュムスが学んだのは、コンスタンティノポリス、アンティオキア、アレクサンドリア、カイサリアにおいてだったが、例外がキプロスのエピファニオスからの影響である。ベツレヘムでも、エルサレムのキュリロスやソフロニオスからの影響を受けた。
西方世界においてヒエロニュムスは偉大なヘレニストだと考えられており、事実彼は東方で長い時間を過ごしたが、彼のギリシア文化の知識にはそれでもなお深刻な欠落がある。彼は古典の異教文学をほとんど読んでいない。古典ギリシア文学への知識は、キケローに代表される西方のギリシア研究を通じたものでしかない。あるいはプルタルコスやポルフュリオスなどを通じた二次的なものである。それも自分の聖書釈義に直接的に有益なものしか読んでいない。しかし、ヒエロニュムス多くの場合自分の情報源を明らかにしていない。キリスト教作家についても、オリゲネス以前の者たちについては、ローマのクレメンスやアレクサンドリアのクレメンスを除いてまるで読んでいない。アポリナリオス、ディデュモス、オリゲネス、エウセビオスからは多大な影響を受けている。ヘレニストとしてのヒエロニュムスの目的は、西方世界にギリシア聖書釈義を知らしめることだった。それゆえに、ギリシア聖書釈義を参照せずに注解を書くラテン釈義家を強く批判した。アウグスティヌスには、ペンを取る前に読むべきギリシア作家をリストアップして送っているほどである。一方で、ヒエロニュムスの弱点は、一部のギリシアの異教文化への侮りとその人間中心的な思想への無関心である。彼はキリスト教思想と相反するような異教ヘレニズム思想を危険視した。それゆえに、聖書釈義については大いに参照していたオリゲネスの哲学には攻撃を仕掛けたのである。ここから分かるように、ヒエロニュムスの異教文学への愛好を批判していたルフィヌスは間違っていたと考えられる。ヒエロニュムスはある種の劣等感から、異教文学に詳しいと見せかけることで、その自分がさらに愛するキリスト教文学の卓越性を示そうとしたのである。異教ヘレニズムとキリスト教ヘレニズムは、ヒエロニュムスにとっては永遠に相互に結び合わないものだった。