- Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 1-9.
Pierre Courcelle
Harvard University Press
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一般的には5世紀から6世紀にかけてはデカダンスの時代と言われているが、この時代の文化がギリシア的であり続けたのか、あるいはギリシア化したのかと本書は問うている。ギリシア文学がキケローを生み、ギリシア・ローマ文化はその頂点に達したが、2世紀にもなるとギリシア語は下火になり、ラテン語が東方においても公式言語となった。ギリシア語が復権するのはユスティニアヌス帝の登場を待たねばならないが、それ以降はもはやビザンツ帝国の時代が始まっている。
これが一般的な理解だが、あまりに要約的である。実際には、Henri Pirenneが主張するように、東方と西方は7世紀のアラブ侵攻まで通常の交流を持っていたはずである。そこには、著者が言うように、ギリシア文学とラテン文学との密接な関係も含まれていた。なぜなら、多くの素材がギリシア思想と文化が生き延びていたことを示しているからである。こうした観点は、実はこれまであまりなかった。研究者たちのうちには、わずかに触れる者たち(F. Craemer, E. Renan)、一般書で触れる者たち(E. Egger, C. Gidel, J.E. Sandys)、古典期の教育分野のみ分析した者たち(E. Jullien, A. Gwynn)、異教の学校に対する教会の姿勢を研究した者たち(G. Bardy)などがいた。しかし、いずれもラテン教会の教父たちのギリシア文化レベルがいったいどの程度のものだったのかに真正面から取り組んだ研究はほとんどなかった。
興味深いことに、研究者たちはラテン新プラトン主義の歴史について誰も注目してこなかった。そもそもギリシア新プラトン主義についてもほとんど知られていないので、これは当然といえば当然かもしれない。3つの例外のひとつが、W. Theilerのもので、この中で彼はアウグスティヌスのプロティヌス知識はポルフュリオス経由だと主張した。P. Henryは、アウグスティヌスをはじめとする西方世界に深い影響を与えたのはポルフュリオスではなくプロティヌスその人だったと結論付ける。F. Boemerは、クラウディアヌス・マメルトゥスの言語とスタイルを研究することで、ラテン新プラトン主義と新ピタゴラス主義を知ることができると述べた。
著者はというと、研究の方法論として、教義論は信頼に足らず、文法は危険であるので、ただ文献学的方法論のみが最も説得的であるという。つまり、頻繁にギリシア語テクストとラテン語テクストの平行箇所を比較することで、ラテン新プラトン主義のギリシア・ソースを明らかにすることができるのである。問題は、特定の概念、信仰、方法論はどのようなギリシア・グループからローマ人に伝えられたのか、またそれはどのようにか、である。ただし、しばしばギリシア語原典は失われているので、研究は純粋に推測的にならざるを得ないことがある。またギリシア語原典が原典のまま読まれたのか、それともラテン語訳で読まれたのか、という点も重要である。
これが一般的な理解だが、あまりに要約的である。実際には、Henri Pirenneが主張するように、東方と西方は7世紀のアラブ侵攻まで通常の交流を持っていたはずである。そこには、著者が言うように、ギリシア文学とラテン文学との密接な関係も含まれていた。なぜなら、多くの素材がギリシア思想と文化が生き延びていたことを示しているからである。こうした観点は、実はこれまであまりなかった。研究者たちのうちには、わずかに触れる者たち(F. Craemer, E. Renan)、一般書で触れる者たち(E. Egger, C. Gidel, J.E. Sandys)、古典期の教育分野のみ分析した者たち(E. Jullien, A. Gwynn)、異教の学校に対する教会の姿勢を研究した者たち(G. Bardy)などがいた。しかし、いずれもラテン教会の教父たちのギリシア文化レベルがいったいどの程度のものだったのかに真正面から取り組んだ研究はほとんどなかった。
興味深いことに、研究者たちはラテン新プラトン主義の歴史について誰も注目してこなかった。そもそもギリシア新プラトン主義についてもほとんど知られていないので、これは当然といえば当然かもしれない。3つの例外のひとつが、W. Theilerのもので、この中で彼はアウグスティヌスのプロティヌス知識はポルフュリオス経由だと主張した。P. Henryは、アウグスティヌスをはじめとする西方世界に深い影響を与えたのはポルフュリオスではなくプロティヌスその人だったと結論付ける。F. Boemerは、クラウディアヌス・マメルトゥスの言語とスタイルを研究することで、ラテン新プラトン主義と新ピタゴラス主義を知ることができると述べた。
著者はというと、研究の方法論として、教義論は信頼に足らず、文法は危険であるので、ただ文献学的方法論のみが最も説得的であるという。つまり、頻繁にギリシア語テクストとラテン語テクストの平行箇所を比較することで、ラテン新プラトン主義のギリシア・ソースを明らかにすることができるのである。問題は、特定の概念、信仰、方法論はどのようなギリシア・グループからローマ人に伝えられたのか、またそれはどのようにか、である。ただし、しばしばギリシア語原典は失われているので、研究は純粋に推測的にならざるを得ないことがある。またギリシア語原典が原典のまま読まれたのか、それともラテン語訳で読まれたのか、という点も重要である。
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