- Sid Z. Leiman, "Josephus and the Canon of the Bible," in Josephus, the Bible, and History, ed. Louis H. Feldman and Gohei Hata (Detroit: Wayne State University Press, 1989), pp.50-58.
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ヨセフスはヘブライ語聖書の正典化の歴史においても重要な人物である。というのも、彼はヘブライ語聖書の完成した正典の最初の証人だからである。その証言は、『アピオーンへの反論』1.37-43にある。それによると、互いに矛盾するたくさんの歴史書を持っているギリシアとは違い、ユダヤ人は神による霊感を通して正しく書かれた22の書物を持っているという。そのうち5冊はモーセによるもので、人間の創造から律法制定者モーセの死までが書かれている。次の13冊は、モーセより後の預言者たちによって、モーセの死からアルタクセルクセスの時代までが書かれている。そして残りの4冊には、神への賛歌と生活の箴言が書かれている。
論文著者は、このヨセフスの証言を、①『アピオーンへの反論』のコンテクスト、②他のヨセフス著作で書かれている聖書および非聖書文書への姿勢、そして、③ヘブライ語聖書の成立に関する現代の研究者の見解の、3つのパースペクティブから再確認している。
第一に、『反論』は、ユダヤ人の古代誌を批判する者たちに対するヨセフスの反論という文脈にあるので、ヨセフスは聖書正典を、「聖なる書物」として語るのではなく、むしろ「信頼できる歴史書」として語っている。第二に、ヨセフスは確かに五書を中心とした聖書文書を中心には置いているが、第一マカベア書をはじめとして、非正典文書もまた引用しているので、彼が引用している文書が正典性の証拠になるわけではない。そして第三に、ヨセフスは聖書テクストは一字一句変わることなく保たれていると述べているが、本文批評の観点から見て、彼がテクストの多様性に気付いていなかったとは考えられず、むしろこうしたコメントは当時の古典的な歴史記述におけるレトリックと見るべきであるという。これは、護教論的な文書としての『反論』の性格を見ても容易に理解することができる(同様の手法は、中世になってマイモニデスなども用いているという)。
ヨセフスは22冊の内容を詳らかにしていないが、論文著者はおそらく次の文書がその内容であると考えている:5冊(五書)、13冊(ヨシュア記、士師記とルツ記、サムエル記、列王記、イザヤ書、エレミヤ書と哀歌、エゼキエル書、十二小預言書、ヨブ記、ダニエル記、エズラ記とネヘミヤ記、歴代誌、エステル記)、4冊(詩篇、箴言、コヘレト書、雅歌)。つまり、現在の数え方である24冊のうち2冊をコンビにしているので22冊という数え方になるのであって、内容自体は変わらないといえるわけだが、過去には、H. GraetzやS. Zeitlinらが、雅歌とコヘレト書、あるいはエステル記とコヘレト書はヨセフスの正典には入っていなかったのではないかという議論をしている。いずれにせよ、ヨセフスは聖書時代を、ペルシア時代の終わり、すなわちヘレニズムの始まりに置いている。
ヨセフスによるヘブライ語聖書の三部構成は、ベン・シラの序文やタルムードなどでも見られるものだが、ヨセフスは13冊の預言書と4冊のその他の書物を(たとえば霊感の有無などを基にすることで)区別していないといえる。そこで、論文著者はR. Beckwithによる次の議論を参考にしている。すなわち、ヨセフスによる本質的な区別は「歴史的か歴史的でないか」であり、さらに、その「歴史的」な書物には「モーセによるものかそうではないか」という下位区分がある。ということは、ヨセフスによる聖書の三部構成とは、「モーセによる歴史書」(=五書)、「モーセによらない歴史書」(=13冊)、そして「非歴史書」(4冊)であるということになる。
ヨセフスは、預言に関して、第一神殿時代のみに制限せず、第二神殿時代を通じて預言があったと考えているが、同時に、アルタクセルクセスより前と後とで、預言の質的変化があったとも考えている。これは、預言が途切れるとユダヤ民族の歴史が正当性をなくしてしまうため、歴史の正統性を裏書きするものとしての預言が、質はどうあれずっと続いていたと考えなければならなかったためと思われる。
論文著者は、このヨセフスの証言を、①『アピオーンへの反論』のコンテクスト、②他のヨセフス著作で書かれている聖書および非聖書文書への姿勢、そして、③ヘブライ語聖書の成立に関する現代の研究者の見解の、3つのパースペクティブから再確認している。
第一に、『反論』は、ユダヤ人の古代誌を批判する者たちに対するヨセフスの反論という文脈にあるので、ヨセフスは聖書正典を、「聖なる書物」として語るのではなく、むしろ「信頼できる歴史書」として語っている。第二に、ヨセフスは確かに五書を中心とした聖書文書を中心には置いているが、第一マカベア書をはじめとして、非正典文書もまた引用しているので、彼が引用している文書が正典性の証拠になるわけではない。そして第三に、ヨセフスは聖書テクストは一字一句変わることなく保たれていると述べているが、本文批評の観点から見て、彼がテクストの多様性に気付いていなかったとは考えられず、むしろこうしたコメントは当時の古典的な歴史記述におけるレトリックと見るべきであるという。これは、護教論的な文書としての『反論』の性格を見ても容易に理解することができる(同様の手法は、中世になってマイモニデスなども用いているという)。
ヨセフスは22冊の内容を詳らかにしていないが、論文著者はおそらく次の文書がその内容であると考えている:5冊(五書)、13冊(ヨシュア記、士師記とルツ記、サムエル記、列王記、イザヤ書、エレミヤ書と哀歌、エゼキエル書、十二小預言書、ヨブ記、ダニエル記、エズラ記とネヘミヤ記、歴代誌、エステル記)、4冊(詩篇、箴言、コヘレト書、雅歌)。つまり、現在の数え方である24冊のうち2冊をコンビにしているので22冊という数え方になるのであって、内容自体は変わらないといえるわけだが、過去には、H. GraetzやS. Zeitlinらが、雅歌とコヘレト書、あるいはエステル記とコヘレト書はヨセフスの正典には入っていなかったのではないかという議論をしている。いずれにせよ、ヨセフスは聖書時代を、ペルシア時代の終わり、すなわちヘレニズムの始まりに置いている。
ヨセフスによるヘブライ語聖書の三部構成は、ベン・シラの序文やタルムードなどでも見られるものだが、ヨセフスは13冊の預言書と4冊のその他の書物を(たとえば霊感の有無などを基にすることで)区別していないといえる。そこで、論文著者はR. Beckwithによる次の議論を参考にしている。すなわち、ヨセフスによる本質的な区別は「歴史的か歴史的でないか」であり、さらに、その「歴史的」な書物には「モーセによるものかそうではないか」という下位区分がある。ということは、ヨセフスによる聖書の三部構成とは、「モーセによる歴史書」(=五書)、「モーセによらない歴史書」(=13冊)、そして「非歴史書」(4冊)であるということになる。
ヨセフスは、預言に関して、第一神殿時代のみに制限せず、第二神殿時代を通じて預言があったと考えているが、同時に、アルタクセルクセスより前と後とで、預言の質的変化があったとも考えている。これは、預言が途切れるとユダヤ民族の歴史が正当性をなくしてしまうため、歴史の正統性を裏書きするものとしての預言が、質はどうあれずっと続いていたと考えなければならなかったためと思われる。
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