- Lawrence H. Schiffman, "The Temple Scroll and the Systems of Jewish Law of the Second Temple Period," in Temple Scroll Studies, ed. George J. Brooke (Journal for the Study of the Pseudepigrapha Supplement Series 7; Sheffield: Sheffield Academic Press, 1989), pp. 239-55.
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本論文は、『神殿巻物』の法規を『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)と比較しつつ明らかにしたものである。この論文の主題自体は『神殿巻物』だが、この論文の重要さはむしろ『律法』の分析にある。著者によると、『律法』のセクションBで扱われている20の法規のうちのいくつかが、ミシュナー・ヤダイム4.6-7の議論と一致しているという。著者は、ミシュナー中の5つの議論のうちの4つが『律法』と一致していると主張する。
第一に、すべての書物が手を汚すというミシュナー中のサドカイ派的見解は(m. Yad. 4.6)、神殿の外で屠られた動物の皮は神殿内に持ち込まれてはならず、その皮は運ぶ者の手も汚すという『律法』中の見解(B 17-20?、論者注:Schiffmanは具体的に行数を挙げていないので、これは論者によるものである)に由来するものである(B 21-23、論者注:Schiffmanは具体的に行数を挙げていないので、これは論者の判断によるもの)。
第二に、『律法』は不浄な動物の骨もまた不浄であると見なすので、それを使って取っ手などを作ってはならないという(m. Yad. 4.6および『律法』B 21-22)。
第三に、ナツォーク、すなわち水の流れに沿って不浄が流れてくることに関するサドカイ派的見解が『律法』にも見られる(m. Yad. 4.7および『律法』B 55-58)。
第四に、墓地を流れてくる水に関する議論もまた、ナツォークの議論中に見られる。
以上より、パリサイ派とサドカイ派との間にある4つの議論において、『律法』の著者はサドカイ派の主張と同じ主張を持っており、パリサイ派的な見解に反対している。もし『律法』がサドカイ派の文書であるならば、クムラン・セクトは、マカベア戦争以後にエルサレム神殿を去った、不満を抱いている祭司たちによって始められたものだと考えられる。なぜならば、ツァドクの系譜に属するものではなく、ハスモン家の者が祭司職を奪ってしまったからである。