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2013年12月16日月曜日

フィロン『モーセの生涯』:校訂版と注解

フィロンの『モーセの生涯(De vita Mosis)』の校訂版には、以下の2種類があります。
  • L. Cohn and P. Wendland (eds.), Philonis Alexandrini Opera quae supersunt, IV (Berlin, 1902).
Philonis Alexandrini Opera Quae Supersunt, Volume 4Philonis Alexandrini Opera Quae Supersunt, Volume 4
Paul Wendland Leopold Cohn Charles Duke Philo

Nabu Press 2010-03-09
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これはいわゆるCohn & Wendland版全6巻のうち、第4巻に当たります。この校訂版はグーグルブックスでも無料で閲覧することができます。『モーセの生涯』は以下のリンクから。
http://books.google.com/books?id=yn9fAAAAMAAJ&hl=ja&pg=PA119#v=onepage&q&f=false
あとロシア語なので詳細は分からないのですが、以下のサイトからもPDF化されたかたちでCohn & Wendland版を読むことができます。
http://khazarzar.skeptik.net/books/philo/

  • F.H. Colson (ed.), Philo, VI (Cambridge, MA, 1935 = LCL Philo VI).
On Abraham. On Joseph. On Moses (Loeb Classical Library)On Abraham. On Joseph. On Moses (Loeb Classical Library)
Philo F. H. Colson

Harvard University Press 1935-01-01
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これはLoeb Classical Libraryのフィロン校訂版全10巻+補遺2巻のうちの第6巻に当たります。これはロウブ叢書なので、簡単なイントロと英訳がついていて非常に参考になります。

フィロンの著作のコメンタリーは、Society of Biblical Literatureの分科会から発足した、学術誌『フィロン研究年報(Studia Philonica Annual)』に集う研究者たちによって、ブリル書店から少しずつ出版されているのですが、2013年12月現在、まだ『モーセの生涯』のコメンタリーは出ておりません。担当者はノートル・ダム大学のGregory E. Sterling氏のようです。出版が待ち遠しいですね。
『フィロン研究年報』のHP上でのコメンタリーに関する情報はこちら。
https://www3.nd.edu/~philojud/38.htm
ブリル書店のフィロン・コメンタリーの特設ページはこちら。
http://www.brill.com/publications/philo-alexandria-commentary-series

『モーセの生涯』に関する部分的なコメンタリーになり得る論文で、代表的なものとしては、以下があります。
  • Adam Kamesar, "Biblical Interpretation in Philo," in The Cambridge Companion to Philo, ed. A.  Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), pp. 65-91, esp. 65-72.
The Cambridge Companion to Philo (Cambridge Companions to Philosophy)The Cambridge Companion to Philo (Cambridge Companions to Philosophy)
Adam Kamesar

Cambridge University Press 2009-04-20
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本論文の中で、著者は『モーセの生涯』2.37-40の部分を全訳し、原文に沿ったかたちで解説を加えています。またこの本自体が、フィロンのことを知るのに極めて便利な一冊なのでおススメです。

『モーセの生涯』に関して日本語で読めるものとしては、ありがたいことに、近年出版された以下の論文があります。これは下記のリンクから、無料で閲覧することができます。

2013年10月17日木曜日

フィロンにおける聖書解釈

  • A. Kamesar, "Biblical Interpretation in Philo," in The Cambridge Companion to Philo, ed. A. Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), pp. 65-91.
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Adam Kamesar

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フィロンの聖書解釈の特徴を明らかにした論文を読みました。フィロンにとっての聖書は、ヘブライ語ではなくギリシア語訳の七十人訳でした。フィロンの七十人訳理解を知るために最も重要な個所は、『モーセの生涯』2.37-40です。この箇所については、さまざまに議論されてきましたが、嚆矢としてはS. Brockの研究が挙げられます。彼は、古代の翻訳論の二項対立、すなわち目標テクストを重視する文学的翻訳(意訳)に対し、起点テクストを重視する機械的な翻訳(逐語訳)、という二項対立の中で、フィロンは七十人訳を前者の文学的翻訳と考えていたと捉えました。
しかしKamesarは上記の『モーセの生涯』2.37-40を精読すると、驚くべきことに、フィロンはむしろ七十人訳の翻訳とは、意訳かつ逐語訳であると述べていると指摘します。ここでの逐語訳とは、単なる逐語訳ではなく、メタフォリカルでない、語源学的な訳のことを意味しています。ところで、こうしたタイプの逐語訳は、アクィラ訳の特徴としてよく言及されるものです。フィロンは七十人訳のことを、一方では意訳、他方では語源学的な逐語訳と説明しているわけです。どうしてこの2つが矛盾せずに同居できるのでしょうか。それは、フィロンによれば、七十人訳が霊感を受けた翻訳だからなのだそうです(§40)。七十人訳者たちは、言葉を用いずに(logos endiathetos)、モーセと交信することができたわけですから、言葉のレベルで訳を合わせるなど造作もないことだったとフィロンは考えています。つまり、フィロンは実際の翻訳上の起点テクストと目標テクストとの違いには関心がなく、とにかく七十人訳を神意に満ちた翻訳として描写すべく努力しているわけです。これは考えてみれば当然のことで、フィロンはヘブライ語を読めなかったわけですから、原典と訳文とを比較することはできないのです。

さて、こうしてフィロンにとって翻訳以上のものである七十人訳ですが、彼はその中でも五書に強い関心を持っています。Kamesarは、当時の文学ジャンルとの比較の中で、フィロンが五書をどのように評価していたかを論じています。通常、ヘレニズム期の聖書解釈は、当時のホメロス解釈から影響を受けていたと考えられていますが、結論から言うと、Kamesarはフィロンの時代において、文学ジャンルとして五書と比せられるべきは、ホメロスのような叙事詩ではなく、むしろ教訓詩だと結論付けています。フィロンによると、五書は、天文学的(cosmological)、歴史的(historical)、法的(legislative)部分の3つの文学ジャンルから構成されています。これはヨセフスなどにも見られる伝統的な考え方のようです。ここで注意すべきは、五書は神話(myth)を含んでいないということです。一方で、アリストテレス以来、詩にはミメーシス的(≒神話的)な詩と非ミメーシス的(≒非神話的)な詩があり、前者が叙事詩、悲劇、喜劇などを含むのに対し、後者は教訓詩を意味しています。そしてこの教訓詩の特徴として伝統的に挙げられていたのが、理論的(theoletical)、歴史的(historical)、倫理教育的(morally instructive)という3つの区分けです。これらはそれぞれ、フィロンによる五書の構成要素に対応しています。そして何よりも、五書と教訓詩には、共に、神話というミメーシスの最たる要素が欠けているという共通点があるのです。さらに、五書が教訓詩と同じジャンルであるならば、必ずしもアレゴリカルに解釈する必要はないので、フィロンの主張をつきつめると、彼は直解主義的な傾向をも持っていたといえます。フィロンの五書注解(Exposition)のシリーズにはこうした特徴がみられるそうです。

五書の歴史的な部分に関するフィロンのアレゴリカルな注解(Allegorical Commentary)は、まさにフィロンの代名詞として知られています。といっても彼は完全にリテラルな解釈を捨てたわけではなく、第一段階としては、リテラルに読むだけでは問題が生じるときに(defectus litterae)、アレゴリカルな解釈を必要としました。しかし、アレゴリーとは、本来神話を解釈するための方法でした。すると、リテラルに読んで問題が生じるからといって、アレゴリカルに五書を解釈してしまうと、それは五書に神話の解釈法を適用していることになってしまいます。これはフィロンがしばしば批判されたところでした。しかしフィロンはさらに、第二段階として、リテラルに読んで問題がないときですら、アレゴリカルな解釈をさらに加えるようになりました。これはもはや五書を神話的に解釈するためといったものではなく、五書のどんなところにも隠れた教訓的な意味を見つけるためのものでした。フィロンにとって、五書は霊感を受けた書物だったので、アレゴリカルに読みさえすれば、無価値なところなどどこにもなかったのです(つまりどこからでも教育的・教訓的意味を引き出すことができる)。ギリシア世界において文学の効用とは何かと問うたとき、アレクサンドリアでは「楽しみ」と捉え、ストア派は「教育」と捉えていましたが、ストア派ですら、楽しみとしての文学を否定することはありませんでした。しかしフィロンに至っては、五書を完全に教育的・教訓的に捉えていたのです(pan-didacticism)。これはおそらく、のちにラビ文学に引き継がれていく、ユダヤ的な伝統に即したものだったようです。まとめると、フィロンは、リテラルな意味が受け容れられないとき、アレゴリーを使って五書をある種の神話のように解釈しました(ギリシア的手法)。一方で、リテラルな意味でも読めるとき、リテラルな解釈を維持しつつ、やはりアレゴリカルな解釈をしました。これは、五書という霊感的な書物はアレゴリーを使えばどこを切っても教訓的になるからでした(ギリシア的+ユダヤ的手法)。フィロンの五書理解がしばしば二重に見えたのは、まさにこうした二重の解釈法を取っていたからなのでした。

読後の疑問点としては2つ。五書は文学ジャンルとしてはホメロスではなく教訓詩と比せられるべきだとしても、オリゲネスやヒエロニュムスなどの文献学者たちが五書を扱うときは、アレクサンドリアにおけるホメロス文献学を模範としてはのではないか。フィロンの注解(Exposition)シリーズにおけるフィロンの七十人訳理解が非神話的なものであるのに対し、アレゴリーを用いた注解(Allegorical Commentary)におけるリテラル解釈での神話的な読みをすることとが、どのように両立するのか。上の議論は、すでに発表されているKamesarの3つの論文をもとにしているようなので、いずれそれぞれ読んでみたいと思います。

2013年10月16日水曜日

アリステアスの手紙:校訂版と注解

ご無沙汰しております。今年の夏まではエルサレム・ヘブライ大学の訪問研究員としてイスラエルに住んでいたのですが、現在は米国のとある大学に、博士課程の学生として所属しております。ここのところ、ヘレニズム・ユダヤ文学のクラスで『アリステアスの手紙』を拾い読みしたので、メモと訳を残しておきたいと思います。

ギリシア語校訂版としては、主なものとしては以下があります。
  • P. Wendland(1900)
Aristeae Ad Philocratem Epistula (1900)Aristeae Ad Philocratem Epistula (1900)
Aristeas Ludovici Mendelssohn Paulus Wendland

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  • H. St. J. Thackeray(1902)
The letter of Aristeas. Translated with an appendix of ancient evidence on the origin of the Septuagint, by H. St.J. ThackerayThe letter of Aristeas. Translated with an appendix of ancient evidence on the origin of the Septuagint, by H. St.J. Thackeray
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さらに、『アリステアスの手紙』研究は蓄積がたくさんあるため、いいコメンタリーも出ています。代表的なものとして以下がありますが、Meecham版がギリシア語テクストに即してかなり詳細な説明を加えているのに対し、Hadas版は英訳に簡単な注があるだけです。
  • H. G. Meecham (1935)
Letter of AristeasLetter of Aristeas
Henry G. Meecham

Manchester University Press 1935-12
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  • M. Hadas (1951)
Aristeas to Philocrates: Letter of AristeasAristeas to Philocrates: Letter of Aristeas
Moses Hadas

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ありがたいことに日本語訳もあります。
  • 左近 淑訳(1975)
B000J9BERK聖書外典偽典〈第3巻〉旧約偽典 (1975年)
教文館 1975by G-Tools

また、ネット上で見ることのできるギリシア語テクストと英訳は以下があります。ギリシア語テクストは、上記のサッカレイ版を用いているようです。それにしても便利な時代ですね。

2012年12月24日月曜日

イマニュエル・トーブの七十人訳講読

久しぶりの更新になりました。今日はクリスマスイブですが、イスラエルでは特にいつもと変わりない普通の日になっています。

最近私は、ヘブライ語集中講座ウルパンと並行して、イマニュエル・トーブ先生の七十人訳講読の授業にも参加しています。トーブ先生については、もはや説明するのも野暮ですが、最も知られた業績としては、死海文書の校訂版(Discoveries in the Judean Desert)監修の仕事などが挙げられるでしょうか。また最近では、旧著のアップデート版(第3版)を出版しています。

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ほかにも無数の著作・論文があるので、詳しくはご本人のサイトをご覧ください。
http://www.emanueltov.info/

トーブ先生はすでにヘブライ大学を退官して名誉教授になっているのですが、今でも少数のためのゼミを開講しています。しかし、どうもヘブライ大の学生でもギリシア語をまともにやっている人があまりいないようで(どこでも同じですね)、今期は私を含めて10名ほどしか参加者がいません。しかし逆に言えば、なんて贅沢なことでしょう。世界的な学者とこんなに少人数のゼミで、しかも週2のペースで会えるなんて、はるばるイスラエルくんだりまで来た甲斐があるというものです。

さて、授業では何をしているかというと、七十人訳サムエル記の講読をしています(http://www4.huji.ac.il/htph/shnaton/index.php/Simple/21857/2013%3C/a)。授業はヘブライ語で行われますから、当然訳すのも(現代)ヘブライ語訳していくことになります。つまり、もともとヘブライ語で書かれたサムエル記をギリシア語訳した七十人訳サムエル記を、再度ヘブライ語に訳していくわけです。これがなかなか難しく、イスラエル人の学生でも、ヘブライ語原文に引っ張られてしまうのをきらって、あえて英語訳してくる人もいます。何となれば、原文を見ないで訳していても、フタを開けてみたらほとんど原文と同じ訳になることすらあるくらいです。当ブログの裏テーマである、「翻訳」について考えさせられますね。とはいえ、私にとってはヘブライ語のいい勉強にもなりますので、がんばって毎回ヘブライ語訳していってます。ちなみに、その訳はともかく、ギリシア語の発音をトーブ先生から褒められました。これは向こう50年は自慢させてもらいます笑。

訳すときに参考にしている辞書として、たぶんヘブライ大の本屋でしか売っていないヘブライ語―ギリシア語辞書があります。これはヘブライ語訳新約聖書で使われているヘブライ語と、原文のギリシア語を簡単にまとめたもののようです(どうやら出版に日本のクリスチャンが関わっているようなのですが、詳細は分かりません)。七十人訳の単語は載ってないものもあるのですが、あると何となく心強いです。一応書誌情報を書いておきます(ちなみに編者の一人であるツビ・サダンは、バルイラン大学のツビ・サダン(佐々木嗣也)氏とは別人です)。

צבי סדן וליאת קרן, מילון ביקורתי לחרגום דליטש לברית החדשה, ירושלים, אקדמון, 2006.
http://www.worldcat.org/title/milon-bikorti-le-targum-delitsh-la-berit-ha-hadashah/oclc/78531907

以下では、サムエル記上17:1-11(ダビデとゴリアテの話)の原文、七十人訳、私訳を例として挙げておきます(ちょっと私訳のところは翻訳とはいえないような直訳ばかりですが、あくまでサンプルということで)。


 וַיַּאַסְפ֨וּ פְלִשְׁתִּ֤ים אֶת־מַֽחֲנֵיהֶם֙ לַמִּלְחָמָ֔ה וַיֵּאָ֣סְפ֔וּ שֹׂכֹ֖ה אֲשֶׁ֣ר לִיהוּדָ֑ה וַֽיַּחֲנ֛וּ בֵּין־שֹׂוכֹ֥ה וּבֵין־עֲזֵקָ֖ה בְּאֶ֥פֶס דַּמִּֽים׃
1 Καὶ συνάγουσιν ἀλλόφυλοι τὰς παρεμβολὰς αὐτῶν εἰς πόλεμον καὶ συνάγονται εἰς Σοκχωθ τῆς Ιουδαίας καὶ παρεμβάλλουσιν ἀνὰ μέσον Σοκχωθ καὶ ἀνὰ μέσον Αζηκα ἐν Εφερμεμ.
ואוספים פלשתים את המהנות שלהם למלחמה והם נאספים לשכה של יהודה וחנים בין שובה ובין עזקה באפרמם

 וְשָׁא֤וּל וְאִֽישׁ־יִשְׂרָאֵל֙ נֶאֶסְפ֔וּ וַֽיַּחֲנ֖וּ בְּעֵ֣מֶק הָאֵלָ֑ה וַיַּעַרְכ֥וּ מִלְחָמָ֖ה לִקְרַ֥את פְּלִשְׁתִּֽים׃
2 καὶ Σαουλ καὶ οἱ ἄνδρες Ισραηλ συνάγονται καὶ παρεμβάλλουσιν ἐν τῇ κοιλάδι· αὐτοὶ παρατάσσονται εἰς πόλεμον ἐξ ἐναντίας ἀλλοφύλων. 
ושאול ואנשי ישראל נאספים והם חנים בעמק. הם עורכים למלחמה מאויבים של פלשתים

וּפְלִשְׁתִּ֞ים עֹמְדִ֤ים אֶל־הָהָר֙ מִזֶּ֔ה וְיִשְׂרָאֵ֛ל עֹמְדִ֥ים אֶל־הָהָ֖ר מִזֶּ֑ה וְהַגַּ֖יְא בֵּינֵיהֶֽם׃
3 καὶ ἀλλόφυλοι ἵστανται ἐπὶ τοῦ ὄρους ἐνταῦθα, καὶ Ισραηλ ἵσταται ἐπὶ τοῦ ὄρους ἐνταῦθα, καὶ ὁ αὐλὼν ἀνὰ μέσον αὐτῶν. 
ופלשתים עומדים על ההר מצד אחד, וישראל עומדים על ההר מצד שני, והגַּיְא ביניהם.  

וַיֵּצֵ֤א אִֽישׁ־הַבֵּנַ֨יִם֙ מִמַּחֲנֹ֣ות פְּלִשְׁתִּ֔ים גָּלְיָ֥ת שְׁמֹ֖ו מִגַּ֑ת גָּבְהֹ֕ו שֵׁ֥שׁ אַמֹּ֖ות וָזָֽרֶת׃
4 καὶ ἐξῆλθεν ἀνὴρ δυνατὸς ἐκ τῆς παρατάξεως τῶν ἀλλοφύλων, Γολιαθ ὄνομα αὐτῷ ἐκ Γεθ, ὕψος αὐτοῦ τεσσάρων πήχεων καὶ σπιθαμῆς· 
 ויצא איש (גיבור) חזק ממערכת פלשתים, גלית הוא שם שלו לפי גת, גובה שלו ארבעה פקיוס וספיתמה

וְכֹ֤ובַע נְחֹ֨שֶׁת֙ עַל־רֹאשֹׁ֔ו וְשִׁרְיֹ֥ון קַשְׂקַשִּׂ֖ים ה֣וּא לָב֑וּשׁ וּמִשְׁקַל֙ הַשִּׁרְיֹ֔ון חֲמֵשֶׁת־אֲלָפִ֥ים שְׁקָלִ֖ים נְחֹֽשֶֽׁת׃
5 καὶ περικεφαλαία ἐπὶ τῆς κεφαλῆς αὐτοῦ, καὶ θώρακα ἁλυσιδωτὸν αὐτὸς ἐνδεδυκώς, καὶ ὁ σταθμὸς τοῦ θώρακος αὐτοῦ πέντε χιλιάδες σίκλων χαλκοῦ καὶ σιδήρου· 
 והוא לובש את הכובע על הראש שלו ואת השריון שנעשה מכברים, ומשקל של השריון חמשה אלפים של שקלים ושל ברזל 
  
וּמִצְחַ֥ת נְחֹ֖שֶׁת עַל־רַגְלָ֑יו וְכִידֹ֥ון נְחֹ֖שֶׁת בֵּ֥ין כְּתֵפָֽיו׃
6 καὶ κνημῖδες χαλκαῖ ἐπάνω τῶν σκελῶν αὐτοῦ, καὶ ἀσπὶς χαλκῆ ἀνὰ μέσον τῶν ὤμων αὐτοῦ·
ושריונות לרגל מנחושת על הרגל שלו, ומגן עגול מנחושת בתוך שכם שלו

וְחָץ חֲנִיתֹ֗ו כִּמְנֹור֙ אֹֽרְגִ֔ים וְלַהֶ֣בֶת חֲנִיתֹ֔ו שֵׁשׁ־מֵאֹ֥ות שְׁקָלִ֖ים בַּרְזֶ֑ל וְנֹשֵׂ֥א הַצִּנָּ֖ה הֹלֵ֥ךְ לְפָנָֽיו׃ 
7 καὶ ὁ κοντὸς τοῦ δόρατος αὐτοῦ ὡσεὶ μέσακλον ὑφαινόντων, καὶ ἡ λόγχη αὐτοῦ ἑξακοσίων σίκλων σιδήρου· καὶ ὁ αἴρων τὰ ὅπλα αὐτοῦ προεπορεύετο αὐτοῦ.
והחץ של חנית שלו כמו אריגה של אורגים, והחנית שלו שש מאות שקלים ברזל. והנושא את הכלי נשק שלו הלך לפניו

וַֽיַּעֲמֹ֗ד וַיִּקְרָא֙ אֶל־מַעַרְכֹ֣ת יִשְׂרָאֵ֔ל וַיֹּ֣אמֶר לָהֶ֔ם לָ֥מָּה תֵצְא֖וּ לַעֲרֹ֣ךְ מִלְחָמָ֑ה הֲלֹ֧וא אָנֹכִ֣י הַפְּלִשְׁתִּ֗י וְאַתֶּם֙ עֲבָדִ֣ים לְשָׁא֔וּל בְּרוּ־לָכֶ֥ם אִ֖ישׁ וְיֵרֵ֥ד אֵלָֽי׃ 
8 καὶ ἔστη καὶ ἀνεβόησεν εἰς τὴν παράταξιν Ισραηλ καὶ εἶπεν αὐτοῖς Τί ἐκπορεύεσθε παρατάξασθαι πολέμῳ ἐξ ἐναντίας ἡμῶν; οὐκ ἐγώ εἰμι ἀλλόφυλος καὶ ὑμεῖς Εβραῖοι τοῦ Σαουλ; ἐκλέξασθε ἑαυτοῖς ἄνδρα καὶ καταβήτω πρός με,
 והוא (גלית) עמד וצעק אל מערכת ישראל ואמר להם. "למה אתם יוצאים להעריך מלחמה בניגוד לנו? הלא אני פלשתי ואתם עברים של שאול? תבחרו לכם איש וירד אליי
 
אִם־יוּכַ֞ל לְהִלָּחֵ֤ם אִתִּי֙ וְהִכָּ֔נִי וְהָיִ֥ינוּ לָכֶ֖ם לַעֲבָדִ֑ים וְאִם־אֲנִ֤י אֽוּכַל־לֹו֙ וְהִכִּיתִ֔יו וִהְיִ֤יתֶם לָ֨נוּ֙ לַעֲבָדִ֔ים וַעֲבַדְתֶּ֖ם אֹתָֽנוּ׃
9 καὶ ἐὰν δυνηθῇ πρὸς ἐμὲ πολεμῆσαι καὶ ἐὰν πατάξῃ με, καὶ ἐσόμεθα ὑμῖν εἰς δούλους, ἐὰν δὲ ἐγὼ δυνηθῶ καὶ πατάξω αὐτόν, ἔσεσθε ἡμῖν εἰς δούλους καὶ δουλεύσετε ἡμῖν. 
ואם יוכל להילחם איתי ואם יַכֶּה אותי, ונהיה לכם לעובדים, אך אם אני אוכל ואַכֶּה אותו, תהיו לנו לעובדים ותעבדו לנו"

וַיֹּ֨אמֶר֙ הַפְּלִשְׁתִּ֔י אֲנִ֗י חֵרַ֛פְתִּי אֶת־מַעַרְכֹ֥ות יִשְׂרָאֵ֖ל הַיֹּ֣ום הַזֶּ֑ה תְּנוּ־לִ֣י אִ֔ישׁ וְנִֽלָּחֲמָ֖ה יָֽחַד׃
10 καὶ εἶπεν ὁ ἀλλόφυλος ᾿Ιδοὺ ἐγὼ ὠνείδισα τὴν παράταξιν Ισραηλ σήμερον ἐν τῇ ἡμέρᾳ ταύτῃ· δότε μοι ἄνδρα, καὶ μονομαχήσομεν ἀμφότεροι.
ואמר הפלשתי, "הנה אני חירפתי את מערכת ישראל היום ביום הזה. תנו לי איש, ונִלָחֵם יחד שנינו."

וַיִּשְׁמַ֤ע שָׁאוּל֙ וְכָל־יִשְׂרָאֵ֔ל אֶת־דִּבְרֵ֥י הַפְּלִשְׁתִּ֖י הָאֵ֑לֶּה וַיֵּחַ֥תּוּ וַיִּֽרְא֖וּ מְאֹֽד׃ פ 
11 καὶ ἤκουσεν Σαουλ καὶ πᾶς Ισραηλ τὰ ῥήματα τοῦ ἀλλοφύλου ταῦτα καὶ ἐξέστησαν καὶ ἐφοβήθησαν σφόδρα.
ושמע שאול ו(שמע) כל ישראל את הדברים של הפלשתי הזה ותמהו ויראו מאוד


ちょっと、というか、かなりいい加減なところもありますが、まあこれからうまくなっていくということでご海容ください。週2回の授業なので、なかなかペースも早いです。明日は上サム9章の講読です。

最後に、授業第1回目のときの話をひとつ。最初の授業なので、プリントを見ながら参考図書の説明をしていたのですが、辞書の項目になったところでトーブ先生が、「あ、しまった、一冊リストに入れ忘れていた」とやおら立ち上がるや、「素晴らしい辞書(ミローン・ミツヤン)があるから、これをぜひ参照してください」と言いつつ、白板に、

M U R A O K A

と大書したのでした。やはりトーブ先生から見ても、村岡先生の七十人訳ギリシア語辞書はおススメの一冊のようです。ギリシア語を勉強している人はぜひ手に入れましょう。

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2012年10月31日水曜日

芦名「キリスト教と翻訳の問題」

最近、京大の芦名定道氏のブログで「キリスト教と翻訳の問題」という一連のエントリーがアップされています。

2012年10月15日 キリスト教と翻訳の問題(1)
http://logosoffice.blog90.fc2.com/blog-entry-700.html
2012年10月27日 キリスト教と翻訳の問題(2)
http://logosoffice.blog90.fc2.com/blog-entry-712.html
2012年10月30日 キリスト教と翻訳の問題(3)
http://logosoffice.blog90.fc2.com/blog-entry-717.html

これらのエントリー中ではさまざまな重要なポイントが述べられていますが、私にとっては特に次の指摘が重要に思われました。
キリスト教において聖書原典が重要な位置を占めることは言うまでもないが、それは、近代以降の文献学の発展による批判的な原典テキストの校訂作業の成果であって、生きられた宗教としてのキリスト教にとって、中心は翻訳された聖書にあるのである。 (「キリスト教と翻訳の問題(1)」より)
これまでの七十人訳研究(および少数ながらウルガータ研究)は、なんだかんだいってUrtextの再現のために仕方なく七十人訳を検討するという側面が強く、そうした翻訳を読者たちがどのように受容していたかということにまで思いを馳せることが少なかったように思います。つまり、翻訳そのものを見るのではなく、いつも原典を透かし見るための道具として翻訳を用いてきました。翻訳はどこまでいっても翻訳でしかない、という側面が確かにある一方で、原典の言語を読めない読者たちは、あたかもそれが原典であるかのように翻訳を読み、その枠内で議論をしてきたことを忘れてはなりません。原典に対して劣るものとして翻訳を切り捨てるのは、そうした議論をも切り捨てることに等しいと言えます。

そもそも、原典に対して翻訳を低く見ようとする考え方の中は、むしろ翻訳というものをむやみに過信しようとする心の機微が隠れているようにも思われます。翻訳が原典の正確な反映であると信じているからこそ、翻訳は原典以上(あるいは以下)のものたり得ないという結論に至ることができるのではないでしょうか。しかし、翻訳はそんなに単純なものではないはずです。オリゲネスがヘクサプラを作ったときに、七十人訳の欄において、原典にはなかったのに付加された部分、また原典にはあったのに削除された部分に、それぞれオべロス記号、アステリスコス記号をつけていますが、それと同じように、翻訳には、原典に対するさまざまな凹凸があります。この凹凸の中にこそ、おそらく翻訳者たちの人生までもが浮かび上がってくるようなドラマが隠れているはずなのですが、はたしてそういうものを見つけられるといいのですが。

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追加:
2012年10月31日 キリスト教と翻訳の問題(4)
http://logosoffice.blog90.fc2.com/blog-entry-718.html

2012年10月18日木曜日

ネストレ=アーラント28版

新約聖書の新しい校訂版が出版されたようです。いわゆるネストレ=アーラントの第28版です。
www.scholarly-bibles.com/products/Original-Texts/New-Testament/Greek/Novum-Testamentum-Graece-Nestle-Aland2.html?XTCsid=1kdm337nccbg9sg7ma8bhthqk4

出版社のサイトによると、以下の修正が施されているようです(サイトにマタイ1-8章の本文PDFあり)。

1.脚注での記号の簡略化
2.新たに発見された
Papyri 117-127の読みを追加(特に使徒行伝)
3.公同書簡の本文に30箇所以上の修正

4.欄外にある聖書外資料へのクロス・リファレンスの改訂

特に2と3は大きな変更だと思うんだけど、キリスト教会の反応はどうなのだろう?これだけ修正されてると一応手に入れておきたいものです。以下のブログ記事に実際入手された方の説明が載っています(http://gospels.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/2827-9bf0.html「ネストレ28版は27版の改訂版?」The Text of Gospels)。

2012年8月22日水曜日

テルアビブ

韓国経由でイスラエルに来て2週間ほど経ちました。私は普段はエルサレムに住んで、エルサレム・ヘブライ大学で開講されているウルパン(ヘブライ語集中講座)に通ってヘブライ語を勉強しています。ヘブライ大学に併設されているロスバーグ国際校から客員研究員の肩書をもらっているので、学生ビザで1年ほど滞在します。ビザが切れる前にヘブライ語講座を修了できるといいのですが。

毎日朝9時から昼2時すぎまでヘブライ語の授業に出て、寮に帰ってからは宿題をこなすのに精いっぱいで、ほとんど出歩くこともできないのですが、先日の平日休みを使ってテルアビブに行ってきました。

テルアビブに着いてまず驚くのが暑さ。エルサレムは砂漠気候でかつ丘の上にあるので、日中は暑くても夕方になるとかなり涼しい風が吹いてきますが、テルアビブは地中海性の湿度の高さもあり、日本の夏のような暑さでした。

暑すぎるので、確かに彼みたいにランニング一丁になりたくなる気持ちも分かります(そもそも上半身裸で歩いてる人もけっこういた)。

着いてからの行先は特に決めてなかったので、とりあえずテルアビブ美術館に行ってみました。どちらかというとモダンアートが専門のようでしたが、オーセンティックな近代絵画も多数ありました(ユトリロと藤田嗣治があったので私は満足)。

実は美術館の裏手には日本大使館があります。独立した建物ではなく、各国の大使館と一緒にビルの中に入っています(ほとんどの国がエルサレムではなくテルアビブをイスラエルの首都と考えています)。特に用はなかったのですが、これから何かお世話になるかもしれないので、入口まで行ってきました。

カルメル市場はにぎわっていました。マゲン・ダビッド広場から入るとしばらく服屋や日用品の露店が続き、しばらくすると野菜や果物の露店が軒を連ねていました。

市場を抜けてさらに歩いて行くと地中海に出ます。海岸沿いには高級ホテルが並んでいて、広場でサッカーをして遊んでいる人などがいました。

街頭インタビューに何やらしたり顔で答える路上ミュージシャン。

これは私の印象であって、実際のところどうなのかよく分かりませんが、テルアビブにはエチオピア系の人が割と多かったような気がします。これはアムハラ語で書かれたポスターだと思いますが、おしゃれですね。

テルアビブは確かに暑かったですが、私はとてもいい印象を持ちました。道をきくと皆嫌な顔をせず答えてくれますし(エルサレムではすごく嫌な顔をされる)、バスの乗り心地もいいですし(エルサレムのバスは乗るだけで酔う)、住むならテルアビブの方がいいかもしれません。