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2017年8月21日月曜日

死海文書入門 Vermes, "Introduction"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 1-25.
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死海文書が発見されてすぐに、次の三つの点が一般的な合意となった。第一に、E.L. Sukenikが述べたように、クムラン共同体はエッセネ派だったこと。第二に、死海文書のほとんどは前2世紀から後1世紀に成立したこと。そして第三に、「義の教師」の敵としての「悪の祭司」はマカベア朝のヨナタンあるいはシモンであること、である。

死海文書の最初の主エディターであるR. De Vouxは、7人の若手から成る校訂版作成チームを作ったが、彼らが若すぎたことと、De Vouxの家父長的な権威主義ゆえに、期待ほどの成果を上げることができなかった。

第二の主エディターであるP. Benoitの時代の成果は貧しく、これを著者は「20世紀最大の学問的スキャンダル」と呼んでいる。組織の欠落や多忙のみならず、テクストをチームで独占する学問的帝国主義がこうした事態を招いたと言える。ハーバード大学のF.M. CrossとJ. Strugnellが写本を大学院生に割り当てて、その校訂を博士論文にさせたことも、作業の遅延を引き起こした。

第三の主エディターであるJ. Strugnellは33年間かけて一冊も出版することができなかった。また著者を含む周囲の者たちの序言を聞き入れようともしなかった。彼は結局、反ユダヤ主義的発言ゆえにエディター職を解雇された。

第四のエディターであるイマニュエル・トーヴは、チーム内のみでのテクストの独占という悪癖を抜け出せなかったが、Ben Zion WacholderとMartin Abeggによるコンピューターを用いたテクスト復元、そしてWilliam A. Moffettによる写真アーカイブの公開など、テクストの自由化を求める機運が高まった。以降は、こうした非公式での写本利用と同時に、公式の校訂版の出版が進められた。

死海文書のテクストは、エステル記以外の聖書文書、アポクリファ(アラム語およびヘブライ語のトビト記、ヘブライ語のシラ書など)、偽典(ヘブライ語ヨベル書、アラム語エノク書など)、セクト的文書(『ダマスコ文書』意外まったく新たに発見されたものばかり)などがある。

死海文書の年代の特定には、古文書学と放射性炭素測定とがある。両者共に、死海文書は一般に、前2世紀から後70年の間に成立したものだと見なしている。

洞窟で見つかった写本は、その近くにあった共同体の遺跡と関係していると一般に考えられている。またこの共同体はエッセネ派と同一視されている。このクムラン=エッセネ派説に反対する者たちは、古典テクスト(フィロン、ヨセフス、プリニウスら)の証言とクムランの実態とが微妙に食い違っている点を指摘するが、著者はやはりエッセネ派説が最も正しいと考えている。

死海文書の重要性としては、ヘブライ語およびアラム語で書かれた現存するユダヤ文献として最古のものだという点が挙げられる。アポクリファや偽典に関しては、これまでギリシア語訳のみで知られてきた文書のヘブライ語やアラム語テクストを保存している点が重要である。セクト的文書に関しては、『ダマスコ文書』以外すべての文書が新しく知られることになったものである点が重要である。

クムランでは冊子型の書物ではなく、いつも巻物型の書物が読まれていた。一点一画もゆるがせにしないマソラー本文の伝統と異なり、クムランにおける文書には流動性が見られる。文書の中では、五書、預言書、そして諸書の中で詩篇が多く引用されている。

新約学者たちはしばしば死海文書に出てくる義の教師や悪の祭司を新約聖書の登場人物と同一視した。しかしながら、著者に言わせれば、こうした議論はどれも信頼性が低いという。ただし、新約聖書と死海文書とを比較して、少なくとも次のことが言える:第一に、言語上の根本的な類似、第二に、イデオロギーの類似、第三に、ヘブライ語聖書への姿勢の類似、第四に、修道制や宗教的な晩餐、そして第五に、カリスマ的・終末論的側面などである。

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