- Rudolf Pfeiffer, "The Rise of Scholarship in Alexandria," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 87-104.
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紀元前4世紀にギリシアで起きた政治的・社会的な変化により秩序は失われ、不安定な現在に生きる人々は、偉大な過去に憧れるようになった。それは詩に携わる人々も同じであった。新時代の作家たちは、特にイオニアの詩人たちを振り返ることによって、自分たちの新しい詩的テクニックを作り出そうとした。これは、第一に、詩の再生と未来のために必要なことであり、第二に、過去の達成に対する責務であった。
前4世紀のコス島のフィリタスがこうした新しい世代の嚆矢である。彼は、ストラボンによると、詩人であり学者でもあったという。詩人としてのフィリタスは、哀歌、短い叙事詩、そして風刺詩などを残している。彼は、短いスペースの中で美的な完成を目指した新しい詩人たちの最初であると目された。また彼は、ヘルメシアナクスが作成した、オルフェウス以降の目立った初期詩人のリストにおいて、唯一名前が挙げられている古典期後の詩人である。
学者としてのフィリタスは、言葉の選択のために必要な単語帳を作成した。この単語帳の作成は、過去の偉大な詩人の作品を深く理解するためにも役立った。フィリタスによる、珍しい表現、専門用語、ホメロス用語の集成は、ギリシアですぐに有名になった。フィリタスは、プトレマイオス一世による下命を受けて、その息子のプトレマイオス二世の家庭教師となった。フィリタスの弟子であるエフェソスのゼノドトスもまた彼の家庭教師として仕えた。
フィリタスのような学者詩人の伝統は、コロフォンのアンティマコスに受け継がれた。彼は、初期ヘレニズム文学とその後のヘレニズム文学とのリンクのような存在だった。とはいえ、後代のカリマコスなどは、アンティマコスの詩はあまりエレガントでないと評価した。アンティマコスはむしろ、ヘレニズム期以前の唯一のホメロス校訂者であった。むろん、彼の仕事は校訂というほど精度の高いものではなく、やはり最初の校訂者はゼノドトスと言うべきだが。
フィリタスも、アンティマコスも、のちのカリマコスも、皆非アリストテレス的な背景を持つ学者たちだったが、彼らの住むアレクサンドリアに、たとえばテオフラストスの弟子であるファレロンのデメトリオスを通して、アリストテレス的な思想が入ってくることによって、学問の第二ステージが始まったのであった。
プトレマイオス一世が作ったアレクサンドリアの博物館は、シュノドスとも呼ばれており、王によって任命された祭司が統括する宗教的な組織であった。この博物館は、逍遥学派によってギリシアからエジプトに写されたアテーナイの出店のような施設ではない。事実、博物館員には哲学者はおらず、むしろ文献学者や科学者が統括していた。彼らには食事と高給が保証され、税金を支払う必要も講義を行なう必要もなく、自由に研究することができた。彼らは、象牙の塔ならぬ、素晴らしい鳥かごの中で俗世から切り離されて生活していた。
博物館の中にあるいくつも施設の中で、図書館は特筆すべきものだった。エウセビオスによって引用されたエイレナイオスは、この図書館の創設者がプトレマイオス一世だったと証言している。図書館長のファレロンのデメトリオスは、アテーナイとアレクサンドリアとをつなぐ人物だった。図書館長としてのデメトリオスについては、『アリステアスの手紙』と、ツェツェス『アリストファネスへの序言』とにおいて証言されている。前者においては、ヘブライ語聖書の五書がギリシア語に訳されたことが語られているが、後者ではそれは省かれている。他にも、時系列、二つ目の図書館の存在、所蔵する本の数など、両者には齟齬が見られる。
前3世紀は本の世紀であった。人々は、かつての優れた文学を収集・改訂し、保存に努めた。現存する最古のパピルスがこの時代のものであることは、当然のことと言える。このようにして、学術が生まれ、発展していったのである。アレクサンドリア図書館は公に開かれていたので、この学術には多くの人間が参加することができたのだった。
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