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2016年2月26日金曜日

テラの死(創11:32)に関する時系列の問題 Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?"

  • J.A. Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?" in Language, Theology, and The Bible: Essays in Honour of James Barr, ed. Samuel E. Balentine and John Barton (Oxford: Clarendon Press, 1994), pp. 170-81.
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創世記11:31-32によると、テラは息子アブラム(以下アブラハムに統一)らと共にカルデア人の土地ウルを離れて、カナンの地を目指したが、途中ハランへに留まった。テラは205歳でそこで死んだ。一方で創11:26によると、アブラハムはテラが70歳のときに生まれ、また創12:4によると、75歳のときにハランを離れたので、テラはアブラハムがハランを離れたときに145歳であり、その後も60年生き続けたことになる。そこで著者は、なぜアブハラムは父を置いていったのか、そしてなぜテラはカナンを目指していたのにハランに留まり、なおかつ息子についていかなかったのかと問う。

この時系列の問題に関し、マソラー本文、七十人訳、ウルガータ、ペシッタ、タルグムは何の解決も与えていないが、サマリア五書は異なった時系列を提示している。創11:32において、205歳で死んだとされているところを、サマリア五書のみは145歳で死んだとしているのである。すなわち、テラはアブラハムがハランを離れたあとも60年間生き続けたのではなく、アブラハム出発の年に死んでいたということである。これは、使7:4と同様の解釈である:
アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住んだ。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地に移した。
また、フィロン『アブラハムの移住について』177にも同様の解釈がある:
まずアブラハムはカルデアから出発し、ハランに住んだ。彼の父親がそこで死んだあと、彼はその土地から移動し、その結果彼はすでに二つの土地を去っているわけである。
論文著者は、使徒行伝とフィロンの解釈は、もしかしたらケアレスミスかもしれないと述べているが、サマリア五書の解釈を支えるものでもある。

論文著者は、まずテクストの破損の可能性を検討するが、205を145に変えてしまう合理的な理由を見つけるのは困難であると結論する。そこで、これは意図的な改変であるという前提に進むことになる。旧約学の研究史においては、改変の理由として、いくつかの説がある。Budde, Gunkel, Zimmerliらは、創12:1における神からのアブラハムへの呼びかけに父親への言及があることから、このときにテラが生きているように合わせる必要が生じたと考えた。一方で、Cassuto, Wenham, Hughesらは、11章で語られるテラの死が12章で出てきたら時系列と合わなくなるので、数字を減らす必要が生じたと考えた。

次に、論文著者は、ヘブライ語の数字表現に注目する。創11:32は旧約学においてはP資料に属す箇所と考えられているが、205歳を表すときの表現として、マソラー本文の表現はP資料の表現として通常のものである。しかし、145歳を表すサマリア五書の表現は普通ではないパターンであるという。とはいえ、P資料の記者はしばしば一貫しない数字の表現を用いるので、このことからサマリア五書の数字がマソラー本文と比べて二次的なものであると結論付けることはできない。

なぜP資料が、テラがアブラハムに同道しなかったのかについても疑問の残るところであるが、論文著者によれば、P資料は必ずしもすべてを明確に説明するわけではないので、これはP資料のやり方とかけ離れてはいないという。すると考えられる他の可能性としては、もともとはこれをきれいに説明する伝承があったが、P資料はそれを自身の物語の中に組み込まなかったのではないか。これは他の箇所との比較から、あり得なくもない可能性であるが、論文著者は慎重にも、存在しない証拠をもとに語ることは避けるべきであるとしている。他に論文著者は、Cassutoの説明を紹介しているが、それも妥当性が低いとしている。

以上より、次のような結論が導き出される:マソラー本文の205歳とサマリア五書の145歳のどちらかを、純粋に本文批評で決めるのは困難である。P資料は、さらなる解釈が存在した可能性を暗示しているが、それは我々には伝わっていないので議論することができない。言い換えれば、創11:32のオリジナルな読みの問題を解決することは不可能である。

関連記事

2016年2月19日金曜日

ギリシア・ローマの教育におけるホメロスの役割 Hock, "Homer in Greco-Roman Education"

  • Ronald F. Hock, "Homer in Greco-Roman Education," in Mimesis and Intertextuality in Antiquity and Christianity, ed. Dennis R. MacDonald (Studies in Antiquity and Christianity; Harrisburg: Trinity Press International, 2001), pp. 56-77.
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本論文は、古代世界の教育において、ホメロス作品がいかに使われていたかを概観したものである。ギリシア・ローマ世界では、初級・中級・上級という三段階の教育方法が採られていた。初級学校においては、γραμματιστήςと呼ばれる教師のもとでのアルファベットの学習から始まり、音節、単語、文章、そして最終的には短い詩の一節を学ぶ。Raffaella Cribioreは、初級学校においては、読みの練習だけではなく、きれいに文字を書くための習字の練習もされていたと指摘している。中級学校においては、文法と文学について学び、教師はγραμματικόςと呼ばれていた。上級学校に行く者は限られていたが、行った者は修辞学か哲学を学んだ。多くの者は修辞学を選び、ῥήτωρやσοφιστήςのもとで弁論の技術を学んだ。Teresa Morganは、教育におけるリテラシーは、アイデンティティとステイタスの基準としても機能していたことを指摘している。

初級学校においては、アルファベット順に、ホメロス作品に登場する固有名詞のリストが用いられていた。このリストは音節数が徐々に増えていくようにもなっており、初学者がだんだんと文字を覚えていくことができるようになっていた。メナンドロス作品の固有名詞リストも見つかっているが、ホメロスは群を抜いて高頻度で使われていたことが知られている。このリストを正確に写すことで、正しい文字の書き方を学び、それを読むことで正しい発音も学ぶのである。さらに、Janine Debutによると、教師はリストの登場人物について説明することを通して、ギリシアの歴史と文化の基礎を教えていたのだという。このリストを学んだあと、生徒たちは短い文章を書き写しつつ、暗記した。

中級学校においては、文法と文学が講じられた。生徒たちは母音と子音を区別し、音節について学ぶ。そして単語を8つの品詞に分類し、最終的に長い文学作品を解釈することを学ぶことになる。このとき、こうした分析の実例としてのホメロス作品では、『オデュッセイア』よりも『イーリアス』の方が好まれた。この段階で生徒たちがホメロス作品を読むときには、古代の難解な詩的表現をコイネー・ギリシア語に改めた、スコリア・ミノラというアンチョコのようなものの助けを借りていたという。そして『イーリアス』をパラフレーズし、一問一答で内容理解を深めていった。

上級学校においては、修辞学と哲学が学ばれていた。修辞学においては、法廷弁論、審議弁論、演示弁論という3つの型があったが、これらを身に着けていることは成人の義務と見なされていた。これを練習するために、生徒たちはより短くて簡単な作文から始めていったが、そうした小弁論はπρογυμνάσματαと呼ばれた。この小弁論の例として用いられていたもので現存するものとしては、アレクサンドリアのテオン、タルソスのヘルモゲネス、アンティオケイアのアフトニオス、そしてミュラのニコラオスの作のものが残っている。

小弁論の中では、さまざまなジャンルが扱われたが、中でもδιήγημα, γνώμη, ἠθοποιίαにおいて、頻繁にホメロス作品が用いられた。διήγημαは物語の中の特定の出来事、διήγησιςは物語全体のことを指すが、ホメロス作品をもとにこの二つの用語の違いが説明された。γνώμηにおいては、ホメロス作品の中の金言が引用された。金言の中でも、奨励、諫止、混合、誇張を表すものに関してよく用いられたという。そしてἠθοποιίαにおいては、ある出来事の中で登場人物がいかにも言うであろうことを生徒が作文するときに、題材としてホメロスが用いられた。この仮想会話をうまくやるためには、その場面のみならず、その前後の場面をも知っていなければならないため、ホメロスのように皆が知っている題材を取ることは有効なのである。

以上より、ホメロスの叙事詩が教育の三段階のすべてにおいて重要な役割を持っていたことが分かる。いやしくも教育を受けた人であれば、ホメロスを諳んじていることが求められていたのである。

2016年2月6日土曜日

佐々木嗣也氏講演会(神戸・ユダヤ文化研究会)


日時: 2016 年 2月 14日(日) 14:00 - 17:00

場所: こうべまちづくり会館  2F ホール
        (元町商店街内・高速神戸「花隈」下車徒歩 2 分)

参加費: 正会員=無料、一般参加者= 500 円、学生=無料(受付で学生証をご呈示下さい)


講演 : 「異文化間コミュニケーションの視点から見たイスラエル式言語行動・非言語行動」

【講師】 佐々木嗣也さん ( ささきつぐや Sadan Tsvi/ バル・イラン大学 )

【要旨】

 本講演では、先行研究ならびに本講演者の経験・観察に基づき、現代ヘブライ語の基礎を習得した日本語話者が平均的現代ヘブライ語話者と誤解のない円滑なコミュニケーションを図るために知っておくべきイスラエル式言語行動 ( 謝るか・頼むか・断るか等 ) ・非言語行動 ( 沈黙・表情・視線・頷き等 )を日本式のそれとも適宜比較しながら実例を挙げてご紹介したい。尚、前半でご紹介する現代ヘブライ語の実例には日本語の逐語訳を添えることで、現代ヘブライ語を学ばれたことがない方々でも平均的現代ヘブライ語話者が実際の場面でどうことばを使用するのかを理解 ( ・堪能 ?!) してもらえるよう配慮する。

【講師略歴】

1963 年秋田県生まれ。後にイスラエルに移住・帰化。エルサレム・ヘブライ大学ヘブライ語学科博士課程修了 (PhD)。バルイラン大学ヘブライ・セム語学科上級講師、ヘブライ語アカデミー言語学用語委員会委員、 Journal of Jewish Languages (Brill) 書評編集長、エスペラント語アカデミー会員。専門は言語学。主な研究分野は現代ヘブライ語、イディッシュ語、エスペラント語、辞書学、固有名詞学、社会言語学。

個人ウェブサイト : http://biu.academia.edu/tsvisadan/

オリゲネスの著作について Crouzel, "The Works of Origen"

  • Henri Crouzel, Origen (trans. A.S. Worrall; San Francisco: Harper & Row Publishers, 1989), pp. 37-49.
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オリゲネスは、「彼が自分自身で書いたほどの量の書物を、いったい誰が読めるだろうか」とヒエロニュムスをして言わしめたほど大量の著作を残したが、のちにオリゲネスをめぐる異端論争などの影響で、その多くが失われてしまった。失われる前のオリゲネスの著作リストは、ヒエロニュムスの『書簡33』に詳しい。これはおそらくヒエロニュムスがカイサリアの図書館で見た著作群だと思われる(エウセビオス『教会史』第6巻に残されている著作リストと巻数が異なる場合は括弧でエウセビオスの巻数を書いた):

旧約聖書の注解(とその他)
  • 『創世記注解』13巻(エウセビオス12巻)
  • 『創世記説教抜粋』2巻
  • 『出エジプト記注解抜粋』
  • 『レビ記注解抜粋』
  • 『雑録』10巻
  • 『イザヤ書注解』36巻(エウセビオス30巻)
  • 『イザヤ書注解抜粋』
  • 『ホセア書のエフライムについて』
  • 『ホセア書注解』
  • 『ヨエル書注解』2巻
  • 『アモス書注解』6巻
  • 『ヨナ書注解』
  • 『ミカ書注解』3巻
  • 『ナホム書注解』2巻
  • 『ハバクク書注解』3巻
  • 『ゼファニヤ書注解』2巻
  • 『ハガイ書注解』
  • 『ゼカリヤ書の冒頭注解』2巻
  • 『マラキ書注解』2巻
  • 『エゼキエル書注解』29巻(エウセビオス25巻)
  • 『詩篇1-15篇注解抜粋』
  • 『詩篇1篇注解』
  • 『詩篇2篇注解』
  • 『詩篇3篇注解』
  • 『詩篇4篇注解』
  • 『詩篇5篇注解』
  • 『詩篇6篇注解』
  • 『詩篇7篇注解』
  • 『詩篇8篇注解』
  • 『詩篇9篇注解』
  • 『詩篇10篇注解』
  • 『詩篇11篇注解』
  • 『詩篇12篇注解』
  • 『詩篇13篇注解』
  • 『詩篇14篇注解』
  • 『詩篇15篇注解』
  • 『詩篇16篇注解』
  • 『詩篇20篇注解』
  • 『詩篇24篇注解』
  • 『詩篇29篇注解』
  • 『詩篇38篇注解』
  • 『詩篇40篇注解』
  • 『詩篇43篇注解』2巻
  • 『詩篇44篇注解』3巻
  • 『詩篇45篇注解』
  • 『詩篇46篇注解』
  • 『詩篇50篇注解』2巻
  • 『詩篇51篇注解』
  • 『詩篇52篇注解』
  • 『詩篇53篇注解』
  • 『詩篇57篇注解』
  • 『詩篇58篇注解』
  • 『詩篇59篇注解』
  • 『詩篇62篇注解』
  • 『詩篇63篇注解』
  • 『詩篇64篇注解』
  • 『詩篇65篇注解』
  • 『詩篇68篇注解』
  • 『詩篇70篇注解』
  • 『詩篇71篇注解』
  • 『詩篇72篇冒頭注解』
  • 『詩篇103篇注解』2巻
  • 『箴言注解』3巻
  • 『コヘレト書注解抜粋』
  • 『雅歌注解』10巻
  • 『雅歌注解』2巻(若いときに書いた)
  • 『エレミヤ哀歌注解』5巻
  • 『モノビブリア』
  • 『諸原理について』4巻
  • 『復活について』2巻
  • 『復活についての対話』2巻
  • 『箴言の諸問題について』
  • 『カンディドスに対するウァレンティニアノスの対話』
  • 『殉教について』
新約聖書の注解
  • 『マタイ福音書注解』25巻
  • 『ヨハネ福音書注解』32巻(エウセビオス22巻)
  • 『ヨハネ福音書注解抜粋』
  • 『ルカ福音書注解』15巻
  • 『ロマ書注解』15巻
  • 『ガラテヤ書注解』15巻
  • 『エフェソ書注解』3巻
  • 『フィリピ書注解』
  • 『コロサイ書注解』2巻
  • 『第一テサロニケ書注解』
  • 『テトス書注解』
  • 『フィレモン書注解』
旧約聖書の説教
  • 『創世記説教』17巻
  • 『出エジプト記説教』8巻
  • 『レビ記説教』11巻
  • 『民数記説教』28巻
  • 『申命記説教』13巻
  • 『ナウェの子ヨシュア記説教』26巻
  • 『士師記説教』9巻
  • 『過越祭説教』8巻
  • 『列王記上説教』4巻
  • 『ヨブ記説教』22巻
  • 『箴言説教』7巻
  • 『コヘレト書説教』8巻
  • 『雅歌説教』2巻
  • 『イザヤ書説教』32巻
  • 『エレミヤ書説教』14巻
  • 『エゼキエル書説教』12巻
  • 『詩篇3篇説教』
  • 『詩篇4篇説教』
  • 『詩篇8篇説教』
  • 『詩篇12篇説教』
  • 『詩篇13篇説教』
  • 『詩篇15篇説教』3巻
  • 『詩篇16篇説教』
  • 『詩篇18篇説教』
  • 『詩篇22篇説教』
  • 『詩篇23篇説教』
  • 『詩篇24篇説教』
  • 『詩篇25篇説教』
  • 『詩篇26篇説教』
  • 『詩篇27篇説教』
  • 『詩篇36篇説教』5巻
  • 『詩篇37篇説教』2巻
  • 『詩篇38篇説教』2巻
  • 『詩篇39篇説教』2巻
  • 『詩篇49篇説教』
  • 『詩篇51篇説教』
  • 『詩篇52篇説教』2巻
  • 『詩篇54篇説教』
  • 『詩篇67篇説教』7巻
  • 『詩篇71篇説教』2巻
  • 『詩篇72篇説教』3巻
  • 『詩篇73篇説教』3巻
  • 『詩篇74篇説教』
  • 『詩篇75篇説教』
  • 『詩篇76篇説教』3巻
  • 『詩篇77篇説教』9巻
  • 『詩篇79篇説教』4巻
  • 『詩篇80篇説教』2巻
  • 『詩篇81篇説教』
  • 『詩篇82篇説教』3巻
  • 『詩篇83篇説教』
  • 『詩篇84篇説教』2巻
  • 『詩篇85篇説教』
  • 『詩篇87篇説教』
  • 『詩篇108篇説教』
  • 『詩篇110篇説教』
  • 『詩篇118篇説教』3巻
  • 『詩篇120篇説教』
  • 『詩篇121篇説教』2巻
  • 『詩篇122篇説教』2巻
  • 『詩篇123篇説教』2巻
  • 『詩篇124篇説教』2巻
  • 『詩篇125篇説教』
  • 『詩篇127篇説教』
  • 『詩篇128篇説教』
  • 『詩篇129篇説教』
  • 『詩篇131篇説教』
  • 『詩篇132篇説教』2巻
  • 『詩篇133篇説教』2巻
  • 『詩篇134篇説教』2巻
  • 『詩篇135篇説教』4巻
  • 『詩篇137篇説教』2巻
  • 『詩篇138篇説教』4巻
  • 『詩篇139篇説教』2巻
  • 『詩篇144篇説教』3巻
  • 『詩篇145篇説教』
  • 『詩篇146篇説教』
  • 『詩篇147篇説教』
  • 『詩篇149篇説教』
  • 『詩篇説教抜粋』
新約聖書の説教(とその他)
  • 『マタイ福音書説教』25巻
  • 『ルカ福音書説教』39巻
  • 『使徒行伝説教』17巻
  • 『第二コリント書説教』11巻
  • 『テサロニケ書説教』2巻
  • 『ガラテヤ書説教』7巻
  • 『テトス書説教』1巻
  • 『ヘブライ書説教』18巻
  • 『平和についての説教』
  • 『ピオニアへの勧めの説教』
  • 『断食についての説教』
  • 『一夫一婦制と三重婚ついての説教』2篇
  • 『タルソスにての説教』2篇
  • 『フィルミアヌス、グレゴリオス、その他さまざまな人々からの手紙のオリゲネスによる抜粋』2巻
  • 『オリゲネスの件に関する公会議の手紙』2巻
  • 『オリゲネスからさまざまな人々への手紙』9巻
  • 『自作弁護のための手紙』2巻
エウセビオスは『教会史』第6巻の中で、これらの著作をアレクサンドリア時代、カイサリア時代、そして晩年に分けている。エウセビオスの記録とヒエロニュムスの記録とで、しばしば巻数が異なっている。またヒエロニュムスが『書簡33』の中で言及していないものとしては、『ケルソス駁論』8巻と『ヘクサプラ』がある。

聖書解釈に関しては、3つの型があることが分かる:第一に、聖書に関して一節ずつ学者のレベルで注解したもの。第二に、同様の事柄に関するスコリア。そして第三に、聖書に関して一節ずつ一般の聴衆に向けて解説した説教である。

上で挙げたオリゲネスの著作は、長い時間の中で失われていった。特にユスティニアヌスによる非難と禁止によって、複製ができなかったことが大きかった。辛うじて残っているのは、後代の修道士たちが隠し持っていたために運良く難を逃れたものが多い。ただし、注解や説教などは、ルフィヌスとヒエロニュムスによるラテン語訳で残っているものがある。部分的であっても、ギリシア語とラテン語訳とが両方残っている作品としては、『諸原理について』、『エレミヤ書説教』、『マタイ福音書注解』(訳者不明)が挙げられる。

『ヘクサプラ』は、全体として複製されることはなく、オリジナルはペルシア人およびアラブ人によって破壊されるまでカイサリアの図書館にあったと考えられる。部分的には、特に七十人訳部分が繰り返し複製された。またシリア語訳されて『シュロヘクサプラリオン』として残された。

他に部分的にでも現存するものとしては、以下のものが挙げられる:
  • 『ヨハネ福音書注解』(ギリシア語9巻分)
  • 『マタイ福音書注解』(ギリシア語8巻分と不詳訳者によるラテン語訳部分)
  • 『雅歌注解』(ルフィヌス訳)
  • 『ロマ書注解』(ルフィヌス訳)
  • 説教279篇(ギリシア語21篇、ルフィヌス訳、ヒエロニュムス訳)
  • カイサリアのパンフィロスとエウセビオス編『オリゲネス弁護』6巻にまとめられた注解と説教
  • バシレイオスとナジアンゾスのグレゴリオス編『フィロカリア』にまとめられた注解と説教
  • カテーナに収録された注解
  • 後代の著者(オリュンポスのメトディオスやエピファニオスら)による引用
  • 『諸原理について』(ギリシア語部分、ルフィヌス訳、ヒエロニュムスによる引用、ユスティニアヌスによる引用、その他著作家による引用)
  • 『殉教の勧め』
  • 『祈りについての論文』
  • 『復活祭についての論文』
  • 『ヘラクリデスとの対話』
  • 『グレゴリオス・タウマトゥルゴスへの手紙』
  • 『ユリウス・アフリカヌスへの手紙』
  • 『ケルソス駁論』
オリゲネスの思想を再構成するために、しばしば研究者はギリシア語で保存された主要著作ばかりに注目するきらいがあるが、これは多くの説教に残されている牧会者としてのオリゲネスの姿を消してしまう危険性がある。

偽プルタルコス『ホメロスについて』概説 Lamberton, "Introduction"

  • Robert Lamberton, "Introduction," in Plutarch: Essay on the Life and Poetry of Homer, ed. J.J. Keaney and Robert Lamberton (American Philological Association American Classical Studies 40; Atlanta: Scholars Press, 1996), pp. 1-31.
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偽プルタルコスの『ホメロスについて』は、ホメロスを諸学の祖として称揚しつつ、その言語、思想、世界観、そして作品の内容を分かりやすく説明した、初学者向けの古代のハンドブックである。本書は13世紀のマクシモス・プラヌデスによってプルタルコスに帰され、『モラリア』と共に保存されていたが、現在では明らかに著者はプルタルコスではないと考えられている(これを最初に主張したのはDaniel Wyttenbach)。というのも、4世紀に作成されたプルタルコスの著作リストである「ランプリアス・リスト」の中に本書は挙げられていないのである。とはいえ、本書の一部が3世紀のパピルスに残っていることから、プルタルコスと同時代から2世紀末頃までに書かれたものではあるとされている。このterminus ad quemの算定は、2世紀に発達したピタゴラス神秘主義的な寓意が本書のどこにも含まれていないことからくるもので、やや曖昧なものである。著者がプルタルコスを知っていた可能性も高いが、プルタルコス本人の主張と明確に異なることも述べられている。

偽プルタルコスの目的は、ホメロスを諸学の祖として証明することで、彼を称揚することであった。プラトンは、ソクラテスがしきりにホメロスを否定していたと書き残しているが、偽プルタルコスはこのプラトン的伝統には無関心であった。かといって、ストア派哲学に完全に依拠しているわけでもない。ただし、はっきりと反エピクロス派ではあった。また、彼は後代の思想家のアイデアをホメロスの記述の中に「発見」することもあった。

偽プルタルコスがホメロスの真作と考えていたのは『イーリアス』と『オデュッセイア』だけであり、それぞれ肉体の強さと魂の気高さとを象徴しているとした。ホメロスの作品に悪徳が登場することについて、彼は、ホメロスが徳と悪徳との両方を登場させたのは、読者が自分自身で倫理的感覚を磨き、自ら徳を選ぶように期待しているからだと説明した。すなわち読者の積極的な役割が求められているのである。

ホメロスの言葉遣いを、偽プルタルコスは寓意と定義している。彼によると、この寓意はあるものを別のもので言い換えることだが、そのとき皮肉や風刺が関係してくるという。寓意は、ヒント(ヒュポノイア)と言い換えることも可能である。こうした、表面上の意味以上の意味は、謎(アイノス、アイニグマ)という言葉でも表されている。

偽プルタルコスはホメロスが発明した人間の議論を、歴史的(ヒストリコス)、理論的(セオレティコス)、そして政治的(ポリティコス)とに分けている。歴史的議論は、過去の出来事の物語を扱うものである。理論的議論は、自然学(physics)、倫理学(ethics)、そして弁証法(dialectic)に分けられる。

理論的議論中の自然学の中では、宇宙論、神論、霊魂論などが扱われる。偽プルタルコスは、ホメロスが神を非肉体的、非物質的なものと考えていたと述べている。言い換えれば、ホメロスが肉体的な神を描いたのは、詩を書くにあたって必要に迫られたからだというのである。ホメロスの神々は、実際にはプラトン、アリストテレス、テオフラストスが考える神だったのである。霊魂に関しては、偽プルタルコスは特にピタゴラス主義的な考え方を持っていた(霊魂移入など)。プラトン『クラテュロス』からの影響も見られるが、それもピタゴラス主義的に変えられている。オデュッセウスの冥府下りも、魂の肉体からの分離と理解された。こうした物質的な魂理解はピタゴラスに依拠しているが、非物質的な魂というプラトンとアリストテレスからの影響も見られるという。倫理学に関しては、偽プルタルコスはストア派的というよりも、逍遥学派的であるという。とはいっても、オデュッセウスの英雄的行為のプラトン主義的理解とストア派的理解とを並置することもあり、こうした諸学派間の矛盾に関してはあまり興味を持っていないようである。

政治的議論は、実際にはホメロスの修辞学的側面、すなわち彼の演説の修辞学的力と弁論家のテクニックに関する彼の知識を扱っている。

興味深いのは、ホメロスの詩を占いに用いる観点である。偽プルタルコス以前にホメロスのテクストに魔術的目的のために言及しているものはないようである。こうした叙事詩を占いに用いるという方法は、ハドリアヌス帝の時代にウェルギリウスの『アエネーイス』を寓意的解釈することで始められたことなので、ローマで生まれた実践法がギリシアに輸入された好例であるといえる。

2016年2月3日水曜日

ポワティエのヒラリウスとユダヤ教口伝律法 Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX"

  • Adam Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX: A Translation of Tractatus Super Psalmos 2.2-3 with Introduction and Commentary," Vigiliae Christianae 59 (2005), pp. 264-85.
ポワティエのヒラリウス(c. 310-c. 367)は、『詩篇注解』の中で、七十人訳の卓越性を証明するために、七十人の翻訳者がモーセにさかのぼる口伝律法の後継者であるという議論を展開している。彼の議論の根拠は、マタイ23:1-3:
イエスは群衆と弟子たちに話した。「律法学者たちやパリサイ派の人々はモーセの座についている。だから、彼らが言うことはすべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは見倣ってはならない」。
という箇所である。ヒラリウスによれば、口伝律法という聖書外伝承の知識を持つことによって、七十人はヘブライ語聖書原典にある不明瞭さを解釈することのできるようになり、他のどの翻訳よりも正確に訳すことができたというのである。Kamesarは、これと似たロジックは『タンフマ』や『プシクタ・ラバティ』におけるラビ・ユダ・バル・シャロームの議論にも見られるというが、ラビにとっての口伝律法が『ミシュナー』に結実するものであるのに対し、ヒラリウスはその口伝律法はすでに七十人訳者に託されたのだと考えている。

このヒラリウスの議論の出所についてはさまざまに論じられてきたが、Kamesarは、ヒラリウスの独自性をまず認めたうえで、偽クレメンス文学、エピファニオス、そしてオリゲネスの議論に見られる類似の箇所との比較を試みている。

偽クレメンス文学においては、モーセが出エジプト記や民数記に出てくる70人の長老に口伝律法を伝えたために、その伝承によって彼らが聖書をより正確に解釈できるようにしたという記述が出てくる。つまり、口伝律法と七十人の長老に関する記述はあるのだが、それをギリシア語訳聖書である七十人訳に繋げてはいないのである。

これに対しエピファニオスは、モーセによる70人の長老の任命は、七十人訳の翻訳者の任命の予型であると言明している。ただし、この両者に直接的な繋がりがあるとは述べていない。ヒラリウスが述べているように、口伝律法がモーセから70人の長老に受け継がれ、さらにそれが七十人訳の翻訳者にまで受け継がれていったと考えることと、エピファニオスが述べているように、70人の長老の任命が翻訳者の任命の予型であると考えることとは、似ているようで実は異なっている。

論文著者は、ヒラリウスの口伝律法理解には、オリゲネスに代表されるアレクサンドリア的な粉飾があるという。というのも、ヒラリウスは七十人訳に受け継がれた「霊的」性質とアクィラ訳の「字義通りの」性質とを対置しているからである。ただし、ここでの七十人訳の「霊的」性質にもヒラリウス独特のものがある。オリゲネスやアウグスティヌスなどが七十人訳の霊性の理由を翻訳者の預言的な霊感に求めるのに対し、ヒラリウスは口伝律法の霊的性質に求めるからである。この口伝律法の霊性とは、ただ翻訳者に霊感が降りてきたというだけのものではなく、モーセから70人の長老たちへ、長老たちから翻訳者たちへ、そして翻訳者たちからイエス時代のパリサイ派にまで連綿と続く霊性である。

オリゲネスは、ルカ11:52で示されているように、パリサイ派は聖書理解の「鍵」、すなわち霊的解釈を持っているにもかかわらず、それを使うことを怠ったと述べている。これはヒラリウスによる、パリサイ派に口伝律法が受け継がれているという指摘を想起させる。ゆえに、ヒラリウスに影響した伝承をオリゲネスも知っていたといえるのである。パリサイ派に聖書の霊的かつ口伝の解釈を帰するというのは、パリサイ派を字義的な解釈者と見なすという教父の伝統的な理解とは異なっている。エウセビオスなどは、霊的あるいは寓意的な解釈をアレクサンドリアのユダヤ教やエッセネ派に帰するのに対し、ヒラリウスは聖書の霊的な理解をパリサイ派の伝統と理解しているのである。

2016年2月1日月曜日

キリスト教文法学:アレクサンドリアのクレメンスとオリゲネス Irvine, "Clement of Alexandria and Origen"

  • Martin Irvine, The Making of Textual Culture: ‘Grammatica’ and Literary Theory, 350-1100 (Cambridge Studies in Medieval Literature 19; Cambridge: Cambridge University Press, 1994), pp. 164-69.
The Making of Textual Culture: 'Grammatica' and Literary Theory 350–1100 (Cambridge Studies in Medieval Literature)The Making of Textual Culture: 'Grammatica' and Literary Theory 350–1100 (Cambridge Studies in Medieval Literature)
Martin Irvine

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古代の文法教育に関して、アレクサンドリアのクレメンスとオリゲネスとの見解をまとめたものを読みました。クレメンスの主要作品としては『プロトレプティコス』『パイダゴゴス』『ストロマテイス』といったものが残っているが、これらはアレクサンドリアの文法学(グランマティケー)によって準備された文学文化の産物である。聖書は新しい教育(パイデイア)のためのテクストとなったので、それを教育し、解釈することを通してキリスト教的共同体が作られるようになった。

特に『ストロマテイス』は、ヘレニズム期に流行したアンソロジー形式で書かれており、テクストと注解、古典文学の批判、解釈の目的に関する反省、古典文学や聖書文学の寓意的解釈、言語に関する議論、そして古代哲学の解釈などが雑録風に収録されている。『ストロマテイス』は、キリスト教的解釈の高度なグノーシスを求めて文法学の訓練をしている者たちのための解釈の訓練のためのものだった。

クレメンスにとって、キリスト教聖書解釈者はキリスト教的グノーシスの予備知識としてのギリシア哲学にも通じている人物でなければならなかった。なぜなら、ギリシア的教育は真理を区別し、またそれを守るための精神を訓練してくれるからである。それゆえに、彼は自らを、ディオニュシオス・トラクスのようなギリシアの文法学者の伝統に連なる者として考えていた。

クレメンスは、文法と意味論に関してはアリストテレスとストア派に、またロゴスの形而上学に関してプラトンに依拠していた。アリストテレスに倣い、彼は語り(speech/phone)が名前(names)、概念(concepts)、そして実際のもの(actual things)から成り立っていると考えた。すなわち、名前(name/ta onomata)とは概念(concept/ta noemata)を象徴するものであり、また概念とは実体(subjects/ta hypokeimena pragmata)の印象のことなのである。この区分は、名前(onomata)と実際のもの(pragmata)という二分割でも表現されることがある。そしてキリスト者は、表現(lexis)ではなく意味されるもの(semainomena)に関心を持つべきであるとした。一方で、プラトンに倣い、彼は神とは何よりも発声(phone)、すべての思考(noema)、すべての概念(ennoia)であり、決して語られたり書かれたりはしないものと考えた。それゆえに、高度なグノーシスは、謎めいた語りや寓意的な解釈からのみ得られるものだという。

オリゲネスの仕事は多岐にわたっているが、ヘレニズム期の文法学者から続く伝統的なジャンルの作品を残している:スコリオン、注解、雑録、校訂版、対話篇、そして正典の組織などである。エウセビオスは、オリゲネスとはキリスト教の文法学者であると述べている。またポルフュリオスは、オリゲネスがプラトン、ロンギノス、ストア派のカイレモン、コルヌトスらの影響を受けていると見なしている。オリゲネスもまた、アレクサンドリアの文学文化の中で、同じヘレニズム的な文法学的解釈の伝統の中に位置しているのである。寓意的解釈を最初に体系的に取り入れたキリスト教作家として、オリゲネスはアンブロシウス、ヒエロニュムス、アウグスティヌスらに大きな影響を与えている。

中でも重要なのが『雅歌注解』である。彼はソロモンの書物(コヘレト書、箴言、雅歌)がそれぞれギリシアの文学的ジャンルおよび哲学的原理に呼応していると考えた。箴言は神秘への関心を呼び起こし、コヘレト書は目に見えるものや肉体的なものが空しいと教え、そして雅歌は知恵を探し求める者が、愛に覆われた霊的な意味を持った、永遠かつ目に見えないものに至ると説いた。