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2015年10月31日土曜日

ユダヤ・ヘレニズム歴史文学概観 Geiger, "Form and Content in Jewish-Hellenistic Historiography"

  • Joseph Geiger, "Form and Content in Jewish-Hellenistic Historiography," Scripta Classica Israelica 8 (1988), pp. 120-29.

本論文は、ヘレニズム期のユダヤ人による歴史文学の概観である。Felix Jacobyがギリシア人歴史家の著作のコレクションを作成したとき(Die Fragmente der griechischen Historiker)、彼は「ギリシア人」を「ギリシア語で著作した人」としたので、ユダヤ人であってもギリシア語で著作をものした者も、このコレクションに収録されることになった。しかし、ギリシア語で書いたユダヤ人歴史家が、他のギリシア人作家と何も変わらないのか、それとも彼らがギリシア語で書いたことで何らかの変化があったのかは問われるべき問いである。

論文著者によれば、第二マカベア書は形式はヘレニズム的で内容はユダヤ的な文書であるという。第二マカベア書は、キレネ人ヤソンの5巻の書物を要約したものだと本文の中に書いてあるが、長い歴史ものの要約(epitome)というのは、ヘレニズム期の流行りだったことが知られている。つまり、第二マカベア書において、この要約というギリシアの文学形式に則ったことで、内容にも少なからぬ影響があるのである。

ひとたび作家が書物を書くことを決めると、彼は不可避的に文学ジャンルを考えねばならず、そしてどのジャンルに自分がこれから書く作品が属するのかを決めなければならない。しかも、ギリシアの文学ジャンルはヘブライ文学やアラム文学の要求とは必ずしも一致していないため、ヘブライ文学の特徴を完全に維持したままギリシア語の著作を書くことは難しいのである。こうしたことから鑑みるに、キレネ人ヤソンの著作も、おそらく王や政治家の業績に関する歴史記述であっただと思われる。こうした文学は、一連の統治者の歴史を語ることで、ある国の歴史を描こうとするものである。

こうしたギリシアの歴史記述に沿って書いたユダヤ人歴史家として、論文著者は、『ユダヤの王たちについて』を書いたデメトリオス、『ユダヤの王たちについて』を書いたエウポレモス、そして『系図に従ったユダヤの王たちについて』を書いたティベリアのユストスを例に挙げている。これらのタイトルについて考えると、当時のヘブライ文学においては、まだタイトルをつける方法が定まっていなかったが、この歴史家たちの作品タイトルは、明らかにギリシアの歴史文学の作法に則ったものである。また、彼らは自分たちの作品を、自分たちの時代にまで繋げているが、これもギリシアの歴史文学の作法といっていい。それは、自分自身を歴史の中の登場人物と考えているからである。

2015年10月18日日曜日

ヘカタイオスとストラボン(およびポセイドニオス) Gager, "Moses the Wise Lawgiver of the Jews"

  • John G. Gager, Moses in Greco-Roman Paganism (SBLMS 16; Nashville: Abingdon Press, 1972), pp. 25-43.
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異教のギリシア文学におけるモーセへの最初の言及は、アブデラのヘカタイオス(前300年頃)『エジプト史』においてである。『エジプト史』はシケリアのディオドロス(前1世紀)『歴史叢書』の中に引用され、さらにそれがフォティオス『図書総覧』の中に引用されて残っている。

冒頭では、すべての外国人がエジプトから追放された出来事に触れている。これはギリシア的な視点から書かれているが、卓越したエジプト人たちに対する、ギリシア人とユダヤ人という描き方になっている。といっても、モーセに対しては特別の敬意が払われており、他のエジプトの法制定者に対するのと同じ敬称が付されている。

引用者であるディオドロスは別の箇所において、非エジプト人の法制定者たちのリストを挙げ、最後に神「Iao」に使えるモーセを挙げている。ユダヤ人の神をIaoと呼ぶのは、ウァッロー(前27年死去)などにも見られるが、前6-5世紀のエレファンティネのパピルスにも同様の表現が見られるので、ディオドロスのみならず、ヘカタイオスもこの神の名を知っていた可能性もある。

ヘカタイオスはモーセの立法上の活動を説明している。その律法は宗教的なものと社会的なものに分かれるが、いずれもギリシア的なモデルに従って説明されている。たとえば、モーセの偶像禁止は、ギリシア哲学における伝統的な神人同型説の否定および同一化に由来するものとなる。

ヘカタイオスの説明の中には、五書からの引用と思しき一節があるが、ヘカタイオスの時代に完全なギリシア語訳聖書は存在しなかったので、おそらくアレクサンドリアにおけるユダヤ人から口頭で伝わってきたものを、彼がパラフレーズしたと考えられる。

ヘカタイオスはモーセが12部族を分けたと述べている。これはむろん聖書の記述とは矛盾するが、フィロンも同様の説明をしている。プラトンは、『法律』において、法制定者が人々に12の部分を割り当てるべきであるという説明をしているため、ヘカタイオスもフィロンも、哲学的なギリシアの法制定者のイメージをモーセに付しているといえる。

ヘカタイオスの説明においては、土地の割り当ては平等になされるべきだが、祭司たちは特別に他の人々よりも多くの割り当てをもらうことになっている。これも聖書の記述とは矛盾するが、ヘカタイオスはギリシア人の考え方に従って、リーダーは些事にわずらわされるべきでないということと、市民は法に守られるということをここで示しているのである。また、そうして得た土地は勝手に売ってはいけないことが述べられているが、これは貧者の救済と人口レベルの維持を目的としたものだった。特に人口のコントロールはギリシア哲学の課題であった。

ヘカタイオスの説明は概してユダヤ人に対して肯定的なものだが、二か所だけ否定的にも取れる箇所がある。それは、ユダヤの儀礼と文明が「異なっている(exellagmenos)」という説明と、彼らの文化は「外国人に対して非社会的で敵対的である(apanthropos tis kai misoxenos)」という説明である。しかし論文著者によれば、ディオドロスの他の箇所での「異なっている」という言葉の使い方から、この語は必ずしも否定的とはいえないし、また当時の民俗誌学的な作家の常として、thaumasiaとnomina barbarikaに関するセクションを入れるものだったのだという。

いうなれば、ヘカタイオスによるユダヤ人の描写は、ヘレニズム民俗誌学の典型とえるものである。さらにいえば、ヘロドロス以前のイオニア民俗誌学から受け継いだ伝統的な要素と、ヘレニズム期特有の要素との融合である。前者は特に、①神理解と犠牲の実践を含む「宗教的な法(religious laws)」、②結婚の慣習などを含む「普通でない慣習(unusual customs)」、そして③埋葬方法などに強い関心を持つ。一方で、後者はアリストテレスや逍遥学派の影響下で、政治制度への関心を強め、さらにさまざまな人々の歴史的な起源や、外国人の特異性に関心を持つ。

ストラボンの『地理誌』16巻におけるユダヤ人の描写は、ポセイドニオスに帰されることが多い。この中で、ユダヤ人はエジプト人の子孫であるとの説明があるが、これはよく言われていた説であり、ストラボンはあえてそれを選択しているように思われる。リュシマコスやアピオーンは、ユダヤ人の出エジプトを、疫病に罹患したエジプト人が追い出された物語であると説明しているので、ストラボンの説明は、ある意味ではこうした反ユダヤ的説明の一解釈であるともいえる。

こうした経緯から、モーセもまたエジプト人の祭司であったということになる。これはマネトンやアピオーンらによっても述べられていた見解である。つまり、モーセはヘリオポリスの地元の祭司として知られたエジプト人であるという説は、ストラボン以前の少なくとも前1世紀にはあったのである。

ストラボンはユダヤ教の神を説明するに際して、2つの要素を挙げている:第一に、神は天や地を含む我々すべてを含む一者である。第二に、神は我々が言うところの点や地や自然(フュシス)である。第一の説明はヘカタイオスにも見られるものだったが、第二の説明は明らかにストア派的な言説である。またヘカタイオスは、モーセによる偶像禁止の理由を、神は人間と同じ形をしているわけではないことから説明したが、ストラボンは、エジプト人の神獣同型説とギリシア人の神人同型説との両方の否定だと説明している。これはギリシアの伝統的な批判の方法でもあった。

ストラボンはモーセを神学者としてのみならず、影響力のある教師としても描いている。そこでモーセは軍事ではなく、神殿や祭儀に関する法を定める者となる。神殿祭儀の法においては、神はただ贅沢な犠牲では喜ばないというピタゴラス派のアイデアが入っている。モーセの軍事行動にも注目したヘカタイオスと異なり、ストラボンのモーセは自身の制度や外交手腕によって物事をさばいている人物という印象である。さらにいえば、ストラボンはヘカタイオスよりも、モーセの宗教指導者としての側面に注目しているのである。そしてそれを自身のストア派哲学のイメージの中で説明するという手法を取っている。

2015年10月16日金曜日

アブデラのヘカタイオス『エジプト史』

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シケリアのディオドロス『歴史叢書』40.3中に引用される、アブデラのヘカタイオス『エジプト史』におけるユダヤ民族の描写のまとめ。

出エジプトの逸話の翻案。エジプトに疫病が流行ったため、エジプト人はそれを自国中に住む異邦人の宗教や犠牲のせいにした。そこでエジプト人たちは外国人を追い出した。リーダーの中には、ダナウスやカドモスといった有名人もいたが、中でも最も人数の多いグループのリーダーがモーセだった。

ギリシア的な植民化。モーセは知恵と勇気に秀でた人物で、エルサレムの町の基礎を築き、神殿を建設した。神殿は祭司を持ち、礼拝と儀式を司り、律法を定め、政治を取り仕切った。モーセは民を12の部族に分けた。神の偶像を持たないのは、神が人間の形をしておらず、地を囲む天であるから。ユダヤ民族は他の民族と異なる犠牲を奉げており、非社会的で不寛容な生活を送っていた。

祭司政治。モーセは民の中から祭司たちを任命した。この祭司たちは裁判官としても働いた。祭司政治ゆえに、ユダヤ人は王を持ったことがなかった(サムエル記・列王記との矛盾)。祭司たちのうち最も優れた者は大祭司となり、神の戒律を伝える者として働いた。律法制定者は近隣の諸民族との闘いに軍隊を率いる。勝ち取った土地は、個々の市民には平等に分け、より広い土地は祭司たちに渡される(申18との矛盾)。

個々人は自身の地所を売ることを禁じられている。土地に住む者たちは子供をしつける義務がある。結婚や埋葬に関しても、非常に異なった慣習を持っているが、ペルシアやマケドニアの支配下に置かれているうちに、そうした慣習はなくなっていった。

ストラボン『地理誌』16.2.35-37

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ストラボン『地理誌』16.2.35-37におけるユダヤ民族の描写のまとめと考察。中期ストア派のポセイドニオスに帰される部分。

モーセはエジプトの祭司の一人。下エジプトを治めていたが、当地の状態に不満足のために、神的存在を崇拝する民と共にユダヤへと移った。エルサレムへの移住においては、軍隊による征服は行われなかった。うらやむような土地ではなく、岩場にすぎなかったから。周りは不毛の土地。ギリシアの植民地化の方法に則っている。ユダヤ教の脱民族主義化

ユダヤ人は、動物を神とするエジプト人、人間の形をした神を敬うギリシア人とは違う神を信じている。神は人間や自然のすべてを「取り囲む=浸透する」唯一の存在である。それゆえに像なき神を崇拝しなければならない。神を哲学的に概念化している。

夢見のいい者は聖域の中で寝る。上サム3:3などに見られるincubationの考え方。神殿で寝て神の摂理や啓示を得る。儀式上の清浄を倫理的な清浄と同一視する。礼拝や儀式の描写はシンプル。ユダヤ法の儀式的な要素を排除

モーセは普通ではありえないほどの正しい政府を組織した。モーセの後継者たちは、正しくふるまい、神への敬虔さを持っていた(人間の正しい政治と神への敬虔さの二大徳)。

後代になると、迷信にとらわれた者たちが祭司となり、また暴君が祭司となった。迷信にとらわれた者たちは、肉食を断ち(豚とは限らない)、割礼および切断(女性器も?)を行い、他のこと(安息日?)も遵守した。一方で、暴君たちは盗賊となり、自分の国や近隣諸国を襲ったり、他の君主たちと結託してシリアやフェニキアを征服した。迷信者たちと暴君たちは二大徳の裏面。

ギリシア的な枠組みを用いて、それに抵触するハラハ―的な要素を拒否している。

2015年10月14日水曜日

ギリシア人から見たユダヤ人 Bickerman, "The Greeks Discover the Jews"

  • Elias J. Bickerman, "The Greeks Discover the Jews," in idem, Jews in the Greek Age (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1988), 13-19.
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著者は本章の中で、ギリシアの知識人たちがどのようにユダヤ人に言及してきたかを確認している。アレクサンドロスの遠征の前に、エルサレムやユダヤ地方のユダヤ人にギリシア人が関心を持つことはなかった。当然、ペルシア時代におけるディアスポラのユダヤ人と、商業上の取引はあったにせよ、国際語としてのアラム語を話すユダヤ人は、ギリシア人にとってはバビロニア人の一種にすぎなかったのである:
The uniformity of Aramaic, the common language of the Persian Empire, concealed national distinctions; to a Greek visitor both the Jew and the Turkoman in Mesopotamia were equally Babylonian. (p.14)
ちなみにユダヤ人に限らず、ギリシア人によるローマへの言及もかなりあとになってからのテオポンポスの出現を待たなければならなかった。ギリシアのギリシア人がローマに興味を持つようになったのは、エピルスの王ピュルスとローマとの戦い(280-272 BCE)になってからのことだった。アリストテレスの弟子であるテオフラストスも、ローマ法にもユダヤ人の律法にも触れていない(が、ユダヤ人の宗教には言及している)。

その後、フィリッポスやアレクサンドロスらに脅かされたことで、ギリシアで静的な生活こそ至上であるという考え方が広まると、オリエントの祭司的な知恵に代表される静的な生活と、常に変転するギリシアの理論とを比較する気運が生まれていた。そうした中で、タレントゥムのアリストクセノスはソクラテスとインドの賢者との対話を、ソリのクレアルコスはアリストテレスとユダヤ人の賢者との対話を残している。

テオフラストスは、『敬虔さについて』の中で、ユダヤ人を「哲学的」な民であると描写しているが、こうした哲学者としてのユダヤ人という見方は、クレアルコスやメガステネスらにも見られる。前者はシリアにおいて哲学者はユダヤ人と呼ばれていると述べ、後者はギリシアの賢者たちの理論はインド人やシリアのユダヤ人にすでに見られるものだったと述べている。つまり、ギリシア人は形而上学と神学とを区別せず、エジプトの祭司、ペルシアのマギ、ケルトのドルイドなどを自分たちの賢者と比較しているのである。

ギリシア人が本当の意味でユダヤ人のことを知るようになったのは、ディアスポラが大きくなってからのことで、それはアブデラのヘカタイオスの記述に集約されている。彼の記述は三世紀後のディオドロスや、ユダヤ人自身にさえ権威あるものとして引用されている。彼はエジプトで会ったユダヤ人の情報提供者から話を聞いて著述しているが、しばしば情報を勘違いしたり、説明を自身の哲学的な観点に合わせたりもしている。彼はユダヤ人が「非社会的かつ、他民族に敵対的である」と述べているが、これはギリシア人がスパルタのことを説明するときと似ている。

ヘカタイオスのあと、前300年くらいになると、ふたたびギリシア人はユダヤ人に対する興味を失う。カルディアのヒエロニュモスもエラトステネスもユダヤ人に言及していない。ところでカルディアのヒエロニュモスって、『ヒストリエ』のエウメネスのお兄ちゃんのことかしらん。

エピクロス派とストア派 Long, "Epicureans and Stoics"

  • A.A. Long, "Epicureans and Stoics," in Classical Mediterranean Spirituality, ed. A.H. Armstrong (London: SCM Press, 1986), pp. 135-53.
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本論文の中で著者はエピクロス派とストア派とを対比的に説明している。ストア派にとっての神は最高神のゼウスであるが、自然の全体に内在し、人間の倫理的な幸福に関心を持っている。一方で、エピクロス派の神は人間のかたちをしているが、この世界の者ではなく、人間界の出来事といかなる因果関係も持っていない。両者共に、ギリシアの伝統的な神理解を用いて自身の哲学を説明しようとしている。

前341年にアテーナイで生まれたエピクロスは、永続する幸福を獲得することを目標とした。彼の教えは哲学と宗教の両方にまたがり、すべての原理を空間の中にあるアトムに帰した。彼のシステムの全体は、ものごとの正しい理解を通して、いかにして精神的な健康と幸福とを獲得するかということであった。彼の作った共同体では、当時としては異例なことに、女性もまた男性と同等に扱われていた。

さまざまな人間界の欲望に対し、エピクロスは人間が必要な基本的な幸福は実はシンプルなものだと説明した。彼によれば、人間の欲望には、「自然な」ものと「無駄な」ものとがあり、「自然な」ものの中には「必要な」ものと「ただ自然な」ものとがあるという。さらに、「必要な」もののうちには、「幸福のために必要な」もの、「肉体の自由のために必要な」もの、そして「人生そのもののために必要な」ものとがあるという。

エピクロス派の神学としては、否定的なものと肯定的なものとがある。否定的な神学において説かれているのは、世界は神々によって作られたものではなく、人間のふるまいを含めたすべての出来事は神々を喜ばせたり悲しませたりはしないということである。世界は神々によって作られたにしてはあまりに不完全だというのが彼の考え方であった。一方で肯定的な神学において説かれているのは、神の存在は疑いなく、その像を正しく受け取れば人間にとってよいことになるということである。ただし、神の像は原子的なイメージによって作られているので、それを人間が誤って受け取ってしまうと、ときに人間を傷つけるということもあり得る。エピクロスは神々が人間の姿をしていると考えたが、それは人々の間で共通のイメージを用いて自身の神学を説明するためであった。エピクロスの神々は客観的な存在として生きているのではなく、人間の生の理想化されたものであるともいえる。

エピクロスは、神々が世界と人間の運命をコントロールとしていることを否定することによって、宗教信仰の中心にあると考えられていたことを取り除いたのである。

ストア派は、キティウムのゼノン、クレアンテス、クリュシッポスらから始まり、キケロー、セネカ、プルタルコス、エピクテトス、そしてマルクス・アウレリウスらの思想にも大きく影響を及ぼしている。ストア派は、多くの点に関して、プラトン、アリストテレス、キリスト教と歩調を合わせ、エピクロス派を否定することを述べている。たとえば、第一に、神的な事柄は世界の存在や我々自身の基礎であり、第二に、世界は秩序とシステムを示すことで、神的な原理の存在を証ししており、第三に、人間は神の似姿をしている、といったストア派的な言説のうち、第一と第二はエピクロス派と真っ向から対立する。一方で、プラトンやアリストテレスと大きく異なる点として、人間の魂や最高神ゼウスを肉体的(corporeal)なものとして捉えていることと、世界が創造され、のちに破壊されることとを説いている。またストア派は理性の概念を広げ、欲望やよい感情(エウパテイアイ)などをも含めつつ、情念や精神的な動揺などといった魂の無秩序な状態に対比させている。

ストア派は伝統的な宗教的アイデアや言説を基にして自分たちの神概念を形成した。ゼウスをはじめとする神々をそのまま受け継ぎつつ、それらに世界の特定の特徴を付与したのである。ストア派はこのようにして一貫したシステムを築き上げ、第一に、神はすべてのものの設計者であり作成者であること、第二に、人間は神々の枝分かれでありパートナーであること、そして第三に、人間の機能は神々と調和して生きることを強調した。

第一と第二の点に関して、ゼウスはすべての存在を創造し、自然法(natural law)を活動させる者として、その力の代理者である雷を持っている。この自然法によって出来事の不可避的な秩序が保たれ、さらには倫理的な秩序も保たれる。この世で起きるすべての出来事は正しいという理解から、出来事の秩序と倫理的な秩序とは同一視されている。ストア派によれば、人間の精神活動のすべては、神の一部でありパートナーなのだと理解される。

第三の点に関して、神は自然のすべてを構築したが、人間の理性(ロゴス)のみは神の属性でもあり、それによって人間は神と特別に関係していると考えられる。正しい理性には、内面的な側面と外面的な側面とがある。内面的な側面は、いわゆるストア派的な倫理の原理を作っている。外面的な側面は実際の出来事の中で自らを明らかにする。しかもそれはもはや神の領域でもあるので、人間の倫理的な価値観では測れない。ストア派的な神学とは、倫理的な掟と、世界は神々が我々に提供した最良のものであるという主張とを和解させる試みであるといえる。

2015年10月10日土曜日

ヨセフスと聖書正典 Leiman, "Josephus and the Canon of the Bible"

  • Sid Z. Leiman, "Josephus and the Canon of the Bible," in Josephus, the Bible, and History, ed. Louis H. Feldman and Gohei Hata (Detroit: Wayne State University Press, 1989), pp.50-58.
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ヨセフスはヘブライ語聖書の正典化の歴史においても重要な人物である。というのも、彼はヘブライ語聖書の完成した正典の最初の証人だからである。その証言は、『アピオーンへの反論』1.37-43にある。それによると、互いに矛盾するたくさんの歴史書を持っているギリシアとは違い、ユダヤ人は神による霊感を通して正しく書かれた22の書物を持っているという。そのうち5冊はモーセによるもので、人間の創造から律法制定者モーセの死までが書かれている。次の13冊は、モーセより後の預言者たちによって、モーセの死からアルタクセルクセスの時代までが書かれている。そして残りの4冊には、神への賛歌と生活の箴言が書かれている。

論文著者は、このヨセフスの証言を、①『アピオーンへの反論』のコンテクスト、②他のヨセフス著作で書かれている聖書および非聖書文書への姿勢、そして、③ヘブライ語聖書の成立に関する現代の研究者の見解の、3つのパースペクティブから再確認している。

第一に、『反論』は、ユダヤ人の古代誌を批判する者たちに対するヨセフスの反論という文脈にあるので、ヨセフスは聖書正典を、「聖なる書物」として語るのではなく、むしろ「信頼できる歴史書」として語っている。第二に、ヨセフスは確かに五書を中心とした聖書文書を中心には置いているが、第一マカベア書をはじめとして、非正典文書もまた引用しているので、彼が引用している文書が正典性の証拠になるわけではない。そして第三に、ヨセフスは聖書テクストは一字一句変わることなく保たれていると述べているが、本文批評の観点から見て、彼がテクストの多様性に気付いていなかったとは考えられず、むしろこうしたコメントは当時の古典的な歴史記述におけるレトリックと見るべきであるという。これは、護教論的な文書としての『反論』の性格を見ても容易に理解することができる(同様の手法は、中世になってマイモニデスなども用いているという)。

ヨセフスは22冊の内容を詳らかにしていないが、論文著者はおそらく次の文書がその内容であると考えている:5冊(五書)、13冊(ヨシュア記、士師記とルツ記、サムエル記、列王記、イザヤ書、エレミヤ書と哀歌、エゼキエル書、十二小預言書、ヨブ記、ダニエル記、エズラ記とネヘミヤ記、歴代誌、エステル記)、4冊(詩篇、箴言、コヘレト書、雅歌)。つまり、現在の数え方である24冊のうち2冊をコンビにしているので22冊という数え方になるのであって、内容自体は変わらないといえるわけだが、過去には、H. GraetzやS. Zeitlinらが、雅歌とコヘレト書、あるいはエステル記とコヘレト書はヨセフスの正典には入っていなかったのではないかという議論をしている。いずれにせよ、ヨセフスは聖書時代を、ペルシア時代の終わり、すなわちヘレニズムの始まりに置いている。

ヨセフスによるヘブライ語聖書の三部構成は、ベン・シラの序文やタルムードなどでも見られるものだが、ヨセフスは13冊の預言書と4冊のその他の書物を(たとえば霊感の有無などを基にすることで)区別していないといえる。そこで、論文著者はR. Beckwithによる次の議論を参考にしている。すなわち、ヨセフスによる本質的な区別は「歴史的か歴史的でないか」であり、さらに、その「歴史的」な書物には「モーセによるものかそうではないか」という下位区分がある。ということは、ヨセフスによる聖書の三部構成とは、「モーセによる歴史書」(=五書)、「モーセによらない歴史書」(=13冊)、そして「非歴史書」(4冊)であるということになる。

ヨセフスは、預言に関して、第一神殿時代のみに制限せず、第二神殿時代を通じて預言があったと考えているが、同時に、アルタクセルクセスより前と後とで、預言の質的変化があったとも考えている。これは、預言が途切れるとユダヤ民族の歴史が正当性をなくしてしまうため、歴史の正統性を裏書きするものとしての預言が、質はどうあれずっと続いていたと考えなければならなかったためと思われる。

2015年10月5日月曜日

ヨベル書について Crawford, "The Book of Jubilees"

  • Sidnie White Crawford, "Ch. 4: The Book of Jubilees," in idem, Rewriting Scripture in Second Temple Times (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2008), 60-83.
Rewriting Scripture in Second Temple Times (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)Rewriting Scripture in Second Temple Times (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)
Sidnie White Crawford

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アビュシニアン教会(エチオピア教会)でのみ正典とされる『ヨベル書』の諸特徴を述べた一章を読んだ。著者は同書のジャンルを次のように述べる:
Rewritten Scripture, located at the point on our spectrum where the act of scribal intervention into a base text(s) becomes so extensive that a new, distinctive composition is created. (p.62)
このように、ベース・テクスト(創1-出14)とは別の新たな作品として書かれた書物ではあるが、トーラーに取って代わるものとして書かれたわけではない。第一の律法たるトーラーの横に並ぶものとして書かれたといえる。ベース・テクストからの引用は、引用元が分かる程度にされているが、短いフレーズに限られ、引用というより暗示というべきである。聖書文書以外にも、4QReworked Pentateuchやアラム語レビ文書、そして『エノク書』といった第二神殿時代の文学をもソースに用いている。書かれた時期としては前170-150年、場所はパレスチナであると考えられる。

著者は『ヨベル書』の特徴を4つに分けて説明している:
  1. 時間感覚(chronology)
  2. 律法と倫理(law and ethics)
  3. 義人の例としてのイスラエルの父祖たち(elevation of Israel's ancestors as righteous examples)
  4. 祭司制(priestly line)
  5. 終末論(eschatology)
1.時間感覚。364日の太陽暦を用いている。のみならず、月に依拠する太陰暦を拒絶している。数字7に基づいた時間システムを持っている。レビ記25:8-12では、ヨベルの年について、50年目の年のことだと説明しているが、『ヨベル書』では、49年の期間のことを指している。そしてすべての重要な出来事がこの49年のサイクルから算出されることにより、すべての人間の歴史は神のプランによって予め定められているという考え方をする。こうした考え方は、『第一エノク書』、『レビの遺訓』、ダニエル書、死海文書のいくつかなどにも見出されるものであるが、『ヨベル書』において最も発達したといえる。

2.律法と倫理。シナイ山においてモーセに与えられた律法は、実はそのとき初めて明らかにされたのではなく、すでに父祖たちの時代から実践されていたと考える。安息日は特に強調されており、出35:2同様、これを破った者は死罪であるとされている。安息日の戦闘行為や性行為も禁止されている。ラビ文学では性行為は禁止されていないので、これは特徴的である。『ヨベル書』は律法遵守の範囲を広く取り、さらに強調している。

3.イスラエルの父祖たちを称えること。さまざまな祭りはモーセに端を発するのではなく、父祖たちの時代から続いているものである。たとえば、週の祭り(ノア)、スッコート(アブラハム)、ヨム・キプール(ヤコブ)といった具合である。また、創世記に書かれている父祖たちの「ふさわしくない行為」は『ヨベル書』では削られ、彼らがあたかも完全な義人であったかのように描かれている。

4.祭司制。ノアを祭司制のはじめとして、特にレビに名誉を付している。創世記においてレビは重要な登場人物とはいえないが、『ヨベル書』は工夫してレビの重要度を上げている。レビが出てくるエピソードは、34章、31章、32章などがあるが、いずれもレビがいかに重要な人物であるかを説明するために、ベース・テクストに解釈を加えている。また祭司は、書かれた律法の守護者としての役割を果たしており、彼らによって律法の学習や遵守、そして伝統の保持が守られている。

5.終末論。臨在の天使などを登場させることにより、黙示的な改変を加えている。こうした改変は、巣として第二神殿時代の諸文学との影響関係が濃厚で、多くは創世記や出エジプト記には出てこない話である。

以上のように、『ヨベル書』は聖書解釈を著述活動として見なす伝統(Enoch, pre-Samaritan texts, Reworked Pentateuch)に属しており、新しい文書を著すというこのグループの自由の伝統を十全に活用している。これはラビ的伝統とは一線を画しているといえる。しかし、この著述活動は、聖書を乗り越えることを意図してはいない。第一に、『ヨベル書』はトーラーをFirst Lawと考えており、その権威を認めている。第二に、『ヨベル書』はトーラーを横に置いて読むように書かれている。ただし、クムランのエッセネ派などにおいては、『ヨベル書』は神的な権威を持つ文書と見なされており、これは初期キリスト教徒たちにも見られる現象である。しかしキリスト教においては、エチオピア教会以外では正典とはされなかった。