- Baruch M. Bokser, "Ch. 5: A Jewish Symposium? The Passover Rite and Earlier Prototypes of Meal Celebrations," in id., The Origins of the Seder: The Passover Rite and Early Rabbinic Judaism (Berkeley, CA: University of California Press, 1984), pp. 50-62.
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ギリシア文学における饗宴の記述としては、プラトン、クセノフォン、プルタルコス、アテナイオスらが挙げられる。論文著者は、こうしたソースから得られる饗宴の特徴とミシュナーおよびトセフタから得られる過越し祭の特徴と比較し、9つの類似点を指摘している。
- 食事を運ぶ給仕の使用。
- 食事するときに横になること。
- 食べ物をソースなどにディップすること。
- 前菜(オードブル)があること。
- 食前・食中・食後におけるワインの飲用。
- 浮かれること。
- 知的な議論を教育に用いること。
- 神のために歌い、賛美すること。
- 子供たちが起きていられるようにゲームをすること。
こうした類似点から、Siegfried Steinなどの研究者は過越し祭に対するギリシア・ローマ的影響を強調する議論を展開したが、著者は、ミシュナーが持つ前提である、過去との継続性と犠牲祭儀の喪失とがある限り、過越し祭の食事をギリシア・ローマの文脈だけで語ることには無理があると述べる。ヘレニズム時代およびローマ時代のユダヤ人たちにとって、共同の食事は重要な意味を持っていたが、それが必ずしもヘレニズム的かつローマ的なやり方を踏襲しているわけではないのである。それを見るために、著者はパリサイ派の食事、クムラン教団の食事、そしてフィロンによって記述されたテラペウタイの食事を検討している。
それによると、三者は共に、皆で集まり、共同で食事をし、聖書を学び解釈し、神を称え歌っている。といっても、それぞれの相違点はあり、ミシュナーのラビたちが失われた犠牲祭儀の代わりとして過越しの食事を解釈しているのに対し、パリサイ派は神の存在と神殿に関する自分たちの見解を表現する方法としてそれを見なしており、またフィロンは祭儀的な概念をテラペウタイの食事に転嫁している。クムランは祭儀的というよりも終末論的な観点から食事を捉えている。
こうした三者三様の考え方がありつつも、著者はそれらを「転移(transference)」という概念で包括的に説明できると考えている。ある共同体は自らの考え方や信仰を通じて現実を認識し、新しいことが起きてもそれを基にして自らを順応させる。しかし、彼らがある破綻を経験し、自分たちの考え方に意味を与えていた制度を失ったとき、彼らは何らかの代替物を用いてそれを解決しようとする(the need to find a substitute for sometiong unavailable, p. 59)。そしてその代替物に、先の制度と関係のある概念を「転移」させるのである。これらのユダヤ人たちも、エルサレムの神殿の喪失および接近不可能性によって、この考え方を用いたのだと説明できる。
上で挙げたような共同体は、食事こそが神殿祭儀を転移するに相応しい文脈であると考えた。そしてその転移は、ギリシア・ローマの饗宴からではなく、それぞれの共同体が応答を迫られていた宗教的な状況から来るものだったのである。そうした意味で、ミシュナーが過越し祭の食事に対して持っていた観点は、70年の神殿崩壊前に神殿から離れた場所に住んでいたユダヤ人たちが共同の食事に対して持っていた観点と極めて似ているということができる。