- Joseph Heinemann, "The Nature of the Aggadah," in Midrash and Literature, ed. Geoffrey H. Hartman and Sanford Budick (New Haven/London: Yale University Press, 1986), 41-55.
Midrash and Literature Geoffrey H. Hartman Sanford Budick Yale Univ Pr 1986-04 by G-Tools |
アガダー(ユダヤ教説話文学)に関する概説的な論文を読みました。この論文は、ヨセフ・ハイネマンの代表的な著作である『アガダーとその発展』(ヘブライ語)の第1章を英訳したものです。
- Joseph Heinemann, Agadot ve-toldotehen: ʻiyunim be-hishtalshelutan shel mesorot (Jerusalem: Keter, 1984).
Aggadah and Its Development - HEBREW J. Heinemann Keter 1974by G-Tools |
アガダーというタームは密接に「話すこと」と関係しているわけですが、それは第一に、パレスチナの文書で使われるハガダーという語(ハイネマンによるとアガダーの同義語[筆者注:要確認!])の動詞形「述べる」(להגיד)が、「(物語を)語る」(לספר)という動詞と同じ意味であること、第二に、ハガダー(=アガダー)という言葉がミドラッシュ文学における定型句「聖書曰く」(מגיד הכתוב)という言い回しに由来するものであること、から分かるそうです。そしてアガダーとは何か、という定義については、伝承方法の観点から言えば、「公けの説教において口頭で伝わってきた伝承」、そして内容的な観点から言えば、「ミツバー(ユダヤ教の法)以外の部分」という言い方ができます。後者のような否定的な定義の仕方は、中世から伝わる伝統的なものです。
ユダヤ賢者たちは創造的な聖書解釈することによって、激変する現実にトーラーを対応させようとしたわけですが、ハイネマンはアガダーを次の3つのカテゴリーに分けています。1)聖書物語に関するアガダー、2)聖書以後の人物・出来事を記す「歴史的」アガダー、3)宗教・倫理の指針となる「倫理・教化的」アガダー。とはいえ、聖書アガダーも歴史的要素を含んでいますし、逆もまたしかりなので、言うまでもなくこれらは完全な区分ができるものではありません。賢者たちは、アガダーの物語性・娯楽性を打ち出すというよりも、聖書に従属しつつそこに新たな意味を見つけ、倫理的な教えを引き出すという目的を持っていたため、あまり独立した形式には拘りませんでした。
... the bulk of talmudic-midrashic Aggadah does not stand by itself but rather serves the Bible, explicating and elaborating it, and also adapting it ... to present needs. For this reason rabbinic aggadot generally did not take the form of epic stories or extensive independent works. Since these rabbinic aggadot were most often told during the public homily which was linked to the reading of the scriptual lesson in the synagogue, they were automatically related to the relevant biblical stories.(p. 47)賢者たちは、単に聖書テクストの内容のみならず、一件無関係な単語レベルからの解釈まで進むこともあり、その際にはしばしば聖書のコンテクストが無視されることすらありました。またそうして聖書の隠れた意味を探すだけでなく、シナゴーグの聴衆たちの宗教的な問題を解決し、導きとなり、そして彼らの信仰を強めるような解釈をしようとしましたので、アガダーは抽象的な議論というよりは、具体的な物語のかたちを取ることが多くなりました。
... most aggadot have two levels of meaning, one overt and the other covert. The first deals openly with the explication of the biblical text and the clarification of the biblical narrative, while the second deals much more subtly with contemporary problems that engaged the attention of the homilists and their audience.(p. 49)アガダーの特徴はハラハー(法)との比較によっても浮かび上がってきます。実際のところタルムードなどでは、両者の区別は判然としない場合があり、最初ハラハー的な議論から始まった箇所も、最終的にアガダー的な解決がなされることすらあるようですが、ハイネマン(およびアブラハム・ヨシュア・ヘシェル)はハラハーとアガダーとを、パンとワインに比すことで、両者の違いを説明しています。
Talmud, that is, Halakhah, is characterized as man's chief nourishment without which existence is impossible; but, like wine, Aggadah "wears a smile." ... Man does not live by bread alone; wine has something that bread lacks—there is no joy without wine and one does not sing songs except over wine.(pp. 51-2)むろんこうした比喩はアガダーを肯定的に扱っているわけですが、バビロニアのアモライームたちの中には、アガダーの自由度の高さを批判する者たちもいました。彼らによれば、ハラハーに関しては、自分の師から聞いたものをそのまま次の世代に教えていけばよいわけですが、アガダーに関しては、自分の師からの教えのみならず、付加や逸脱が容易になされてしまうことが問題なのです。しかしハイネマンによると、こうしたアガダーへの否定的評価というのは、ラビ・ユダヤ教の伝統を脅かすセクトによるアガダー創作(外典・偽典などに結実する)の急増が理由の一つと考えられるそうです。