- 高橋英海「翻訳と文化間関係:シリア語とその周辺から」、納富信留・岩波敦子編『精神史における言語の創造力と多様性』、慶應義塾大学言語文化研究所、2008年、83-110頁。
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シリア語を中心とした翻訳文化の歴史を概観した論文を読みました。世界の文化史の中で重要な役割を演じてきた言語は、同時に強大な国家の言語(ギリシア語、ラテン語、中国語など)として用いられていたものがほとんどですが、その点シリア語はそうした言語とは異なり、ローマ帝国東縁以東の地域において、キリスト教布教のための言語となったことから、広範な地域で用いられました。
シリア語への翻訳として最も早いのはヘブライ語旧約聖書の翻訳でしたが、それ以降はほとんどヘブライ語からの翻訳はなく、むしろシリア語はギリシア語との強い関係を持つことになりました。ギリシア語→シリア語翻訳として重要なのも聖書であり、新約聖書は当然のこと、旧約聖書に関しても、ヘブライ語よりもギリシア語七十人訳が規範とされていたようです。翻訳の精度に関して言えば、特に6世紀以降は、1)聖典を正確に訳そうとする願望、2)教義の内容を正確に伝える必要から、逐語訳が増えてきました。シリア語→ギリシア語翻訳としては、エフレムの教父文学などが挙げられます。
もうひとつシリア語が重要な関係を持っていた言語がアラビア語でした。アラビア語→シリア語翻訳はほとんどありませんでしたが、シリア語→アラビア語翻訳はたくさんありました。その内訳は2種類で、キリスト教文献の翻訳と、ギリシア語の学問書のシリア語訳からの翻訳です。後者に関しては、ギリシア語から直接訳すよりも、同じセム語であるシリア語から訳す方が容易だったからとされています。
この後、この論文はシリア語とアルメニア語、グルジア語、そしてエチオピア語(ゲエズ語)との関係を説明したあと、ついにはマラヤーラム語およびサンスクリット語(インド)を経由して、中国語との関係にまで至ります(ところでラテン語との関係ってなかったんでしょうか)。グルジア語のあたりから、私にとっては雲行きが怪しかったのですが、インド、中国ときてもはや説明をなぞることしかできませんでしたので、要約は諦めます。ただ興味深いことに、中国にキリスト教を伝えた阿羅本という僧の作である『序聴迷詩所経』において、マリアは「末艶」、ピラトは「毘羅都思」など、シリア語からの音訳がされているようで、こういうのを集めていったらさぞかし面白いだろうなと思いました。
結論としては、起点言語と目標言語との間でどちらが社会的、文化的に優位であるかによって翻訳の精度が変わること、インドや中国のような異なった宗教伝統を持つ社会ではシリア語の持つイメージが変わることの2点が挙げられています。前者の結論については、次のように述べられています。非常に重要な指摘なので引用しておきます。
全体的な傾向としては、社会的、文化的により優位とされる言語からの翻訳には逐語訳が多く、逆の場合にはより自由な翻訳が多いことが認められる。シリア語はアルメニア語やエチオピア語、ソグド語に対してはキリスト教受容の「先輩」として優位な立場にあった。逆にギリシア語圏やイスラーム圏、中国文化圏においては弱者の言語であった。この立場の違いが翻訳のあり方にも反映されている。ここで、それそれの世界において支配的なギリシア語や中国語が起点言語の内容を自らの文化に合わせて自由に変えてしまう様子には政治的、経済的に優位な立場にある者の弱者の言語に対する驕りのようなものを感じ取ることもできる(これは現在の世界で支配的な言語についてもある程度当てはまることかもしれない)。(101-2頁)
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