- John Wright, "Origen in the Scholar's Den: A Rationale for the Hexapla," in Origen of Alexandria: His World and his Legacy, ed. Charles Kannengiesser and William L. Petersen (Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1988), 48-62.
オリゲネスが『ヘクサプラ』を作成したのはなぜか。この問いに対し、多くの研究者がさまざまな答えを提案してきた。H. Orlinskyは『ヘクサプラ』をヘブライ語への手引きとするため、P. Nautin(およびH. SweteやS. Jellicoeら)は七十人訳テクスト(マソラー伝統へと改訂された「純粋な」七十人訳)を回復するため、S.P. Brockは護教的理由のため、D. Barthelemyはデータの十全な収集のためと説明した。これらに対し論文著者は、聖書解釈的な著作のために容易に比較可能なテクストのコンピレーションを作るためと主張する。そしてこのことを、『ヘクサプラ』の構造と形式、オリゲネス自身の証言、そして『エレミヤ書説教』におけるベーステクストから明らかにしている。
構造と形式については、P. NautinとI. Soisalon-Soininenの研究が大きな貢献をなしている。Nautinによれば、『ヘクサプラ』にヘブライ語欄はなく、全体としては7欄構成(ヘブライ語テクストのギリシア文字転写、アクィラ訳、シュンマコス訳、校訂記号つき七十人訳、テオドティオン訳、クインタ、セクスタ)だったという。各欄は「コロン」(ヘブライ語単語に対応した意味の小さなユニット)で配置されていた。Soisalon-Soininenは校訂記号について特に注目し、Fieldが批判的に再構成した『ヘクサプラ』上の七十人訳欄は、これらの記号を極めて機械的に用いていることを見出した。つまり、ヘブライ語テクストと七十人訳を一対一対応で比較しようとしていたのである。
こうした分析から以下のことが分かる。第一に、コロンによる文章の分け方は『ヘクサプラ』を大部にしたので、スクロールではなくコーデックス形式を必要とした。そしてそれゆえに、『ヘクサプラ』は公の場での論争において手軽に参照されたのではなく、書斎でじっくりと説教や注解に取り組むときに用いられたはずである。第二に、『ヘクサプラ』の論拠は七十人訳の欄を純粋なマソラー本文に合わせて回復させることではない。なぜなら、この目的のためには諸訳を参照する必要はなかったはずである。また七十人訳の言い回しがヘブライ語テクストと異なるところでもオリゲネスは七十人訳を修正していない。むしろ、『ヘクサプラ』の構造と形式から分かるその論拠は、細部を容易に比較できるようなテクストのコンピレーションを作ることだったといえる。
オリゲネス自身の証言は、『マタイ福音書注解』と『アフリカヌスへの手紙』から引き出すことができる。前者では、校訂記号に編集上の重要性を付与し、七十人訳よりもヘブライ語テクストの権威を強調している。とはいえ、ヘブライ語テクストに対応しない七十人訳テクストも削除するのではなく、オベロス記号をつけて維持している。また『マタイ福音書注解』における説明は、特定の箇所の注解という文脈の中で解釈されるべきなので、安易に一般化すべきではない。
一方で『アフリカヌスへの手紙』からは対ユダヤ人の護教的意図が引き出される。ここでオリゲネスは『ヘクサプラ』の論拠を語ろうとしているのではなく、七十人訳をユダヤ人の攻撃から守ろうとしている。しかし、テクストの比較を目的とした護教の道具としての『ヘクサプラ』は、七十人訳を批判者から守るというオリゲネスの目的にも適っていた。こうした護教的意図をそのまま『ヘクサプラ』の論拠に転用するべきではない。論拠はもっと広いものだったはずである。
『アフリカヌスへの手紙』から引き出されるオリゲネスの『ヘクサプラ』作成論拠は、テクスト間の差異を発見するための比較を行うためであった。そうした比較から分かったことは、護教的意図も含めて幅広い目的に用いることができる。つまり、『ヘクサプラ』の基本的な目的は、旧約聖書のすべての入手可能な版の全般的な理解だったといえる。
オリゲネス『エレミヤ書説教』におけるエレミヤ書の扱いもまた、彼の『ヘクサプラ』作成の論拠を間接的に教えてくれる。P. Nautinによれば、エレ20:2-6についての説教において、オリゲネスの聖書は七十人訳ではなく、『ヘクサプラ』作成の際に他の諸訳のもとで改訂したテクストだったという。ただし、論文著者によればこの結果は常に一定ではない。むしろ、基本的にカイサリアの教会で流布していた七十人訳に従いつつも、マソラー本文への同化のしるしを示し、なおかつときに孤立した特異性をも含んでいるといえる。
オリゲネスは七十人訳とマソラー本文の相違を意識していた。そしてそうした違いを2つの異なった方法で扱った。第一に、異読を評価して、よりよい読みを確立しようとした。第二に、異読を両方保存し、それぞれに対する釈義を残した。とりわけ第二の方法からは、オリゲネスが七十人訳を純化させようとしていたわけではないことが分かる。むしろ釈義の利祖ソースの幅広い範囲のためのデータを残そうとしていたのである。
結論としては、オリゲネスの『ヘクサプラ』作成の論拠は、さまざまな版の理解を深め、幅広い釈義上のリソースを提供してくれる、比較分析のための聖書テクストのコンピレーションを得ることだった。ここから、オリゲネスは聖書テクストの歴史において過渡期の人物だったといえる。ヒエロニュムスのヘブライ的真理への完全な関心をオリゲネスに読み込むことはアナクロニズムである。というのも、一方で、オリゲネスはテクストに複数の可能性があるのであれば両方を保存しようとする古代の写字生の伝統の中にあったので、ヒエロニュムスのような厳格な標準化は目指さなかった。他方で、校訂記号を導入することで聖書テクストの完全な標準化への重要な第一歩を踏み出した。つまり、オリゲネスはヒエロニュムスの先行者として、ヘブライ語からラテン語への旧約聖書翻訳プロジェクトのための道を整えたのである。
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