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2020年12月13日日曜日

書斎の中のオリゲネス Wright, "Origen in the Scholar's Den"

  • John Wright, "Origen in the Scholar's Den: A Rationale for the Hexapla," in Origen of Alexandria: His World and his Legacy, ed. Charles Kannengiesser and William L. Petersen (Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1988), 48-62.

オリゲネスが『ヘクサプラ』を作成したのはなぜか。この問いに対し、多くの研究者がさまざまな答えを提案してきた。H. Orlinskyは『ヘクサプラ』をヘブライ語への手引きとするため、P. Nautin(およびH. SweteやS. Jellicoeら)は七十人訳テクスト(マソラー伝統へと改訂された「純粋な」七十人訳)を回復するため、S.P. Brockは護教的理由のため、D. Barthelemyはデータの十全な収集のためと説明した。これらに対し論文著者は、聖書解釈的な著作のために容易に比較可能なテクストのコンピレーションを作るためと主張する。そしてこのことを、『ヘクサプラ』の構造と形式、オリゲネス自身の証言、そして『エレミヤ書説教』におけるベーステクストから明らかにしている。

構造と形式については、P. NautinとI. Soisalon-Soininenの研究が大きな貢献をなしている。Nautinによれば、『ヘクサプラ』にヘブライ語欄はなく、全体としては7欄構成(ヘブライ語テクストのギリシア文字転写、アクィラ訳、シュンマコス訳、校訂記号つき七十人訳、テオドティオン訳、クインタ、セクスタ)だったという。各欄は「コロン」(ヘブライ語単語に対応した意味の小さなユニット)で配置されていた。Soisalon-Soininenは校訂記号について特に注目し、Fieldが批判的に再構成した『ヘクサプラ』上の七十人訳欄は、これらの記号を極めて機械的に用いていることを見出した。つまり、ヘブライ語テクストと七十人訳を一対一対応で比較しようとしていたのである。

こうした分析から以下のことが分かる。第一に、コロンによる文章の分け方は『ヘクサプラ』を大部にしたので、スクロールではなくコーデックス形式を必要とした。そしてそれゆえに、『ヘクサプラ』は公の場での論争において手軽に参照されたのではなく、書斎でじっくりと説教や注解に取り組むときに用いられたはずである。第二に、『ヘクサプラ』の論拠は七十人訳の欄を純粋なマソラー本文に合わせて回復させることではない。なぜなら、この目的のためには諸訳を参照する必要はなかったはずである。また七十人訳の言い回しがヘブライ語テクストと異なるところでもオリゲネスは七十人訳を修正していない。むしろ、『ヘクサプラ』の構造と形式から分かるその論拠は、細部を容易に比較できるようなテクストのコンピレーションを作ることだったといえる。

オリゲネス自身の証言は、『マタイ福音書注解』と『アフリカヌスへの手紙』から引き出すことができる。前者では、校訂記号に編集上の重要性を付与し、七十人訳よりもヘブライ語テクストの権威を強調している。とはいえ、ヘブライ語テクストに対応しない七十人訳テクストも削除するのではなく、オベロス記号をつけて維持している。また『マタイ福音書注解』における説明は、特定の箇所の注解という文脈の中で解釈されるべきなので、安易に一般化すべきではない。

一方で『アフリカヌスへの手紙』からは対ユダヤ人の護教的意図が引き出される。ここでオリゲネスは『ヘクサプラ』の論拠を語ろうとしているのではなく、七十人訳をユダヤ人の攻撃から守ろうとしている。しかし、テクストの比較を目的とした護教の道具としての『ヘクサプラ』は、七十人訳を批判者から守るというオリゲネスの目的にも適っていた。こうした護教的意図をそのまま『ヘクサプラ』の論拠に転用するべきではない。論拠はもっと広いものだったはずである。

『アフリカヌスへの手紙』から引き出されるオリゲネスの『ヘクサプラ』作成論拠は、テクスト間の差異を発見するための比較を行うためであった。そうした比較から分かったことは、護教的意図も含めて幅広い目的に用いることができる。つまり、『ヘクサプラ』の基本的な目的は、旧約聖書のすべての入手可能な版の全般的な理解だったといえる。

オリゲネス『エレミヤ書説教』におけるエレミヤ書の扱いもまた、彼の『ヘクサプラ』作成の論拠を間接的に教えてくれる。P. Nautinによれば、エレ20:2-6についての説教において、オリゲネスの聖書は七十人訳ではなく、『ヘクサプラ』作成の際に他の諸訳のもとで改訂したテクストだったという。ただし、論文著者によればこの結果は常に一定ではない。むしろ、基本的にカイサリアの教会で流布していた七十人訳に従いつつも、マソラー本文への同化のしるしを示し、なおかつときに孤立した特異性をも含んでいるといえる。

オリゲネスは七十人訳とマソラー本文の相違を意識していた。そしてそうした違いを2つの異なった方法で扱った。第一に、異読を評価して、よりよい読みを確立しようとした。第二に、異読を両方保存し、それぞれに対する釈義を残した。とりわけ第二の方法からは、オリゲネスが七十人訳を純化させようとしていたわけではないことが分かる。むしろ釈義の利祖ソースの幅広い範囲のためのデータを残そうとしていたのである。

結論としては、オリゲネスの『ヘクサプラ』作成の論拠は、さまざまな版の理解を深め、幅広い釈義上のリソースを提供してくれる、比較分析のための聖書テクストのコンピレーションを得ることだった。ここから、オリゲネスは聖書テクストの歴史において過渡期の人物だったといえる。ヒエロニュムスのヘブライ的真理への完全な関心をオリゲネスに読み込むことはアナクロニズムである。というのも、一方で、オリゲネスはテクストに複数の可能性があるのであれば両方を保存しようとする古代の写字生の伝統の中にあったので、ヒエロニュムスのような厳格な標準化は目指さなかった。他方で、校訂記号を導入することで聖書テクストの完全な標準化への重要な第一歩を踏み出した。つまり、オリゲネスはヒエロニュムスの先行者として、ヘブライ語からラテン語への旧約聖書翻訳プロジェクトのための道を整えたのである。

2020年12月5日土曜日

オリゲネスのヘクサプラ Grafton and Williams, "Origen's Hexapla"

  •  Anthony Grafton and Megan Williams, "Origen's Hexapla: Scholarship, Culture, and Power," in Christianity and the Transformation of the Book: Origen, Eusebius, and the Library of Caesarea (Cambridge, Mass.: The Belknap Press of Harvard University Press, 2006), 86-132.

オリゲネスの『ヘクサプラ』について我々には3種の証言がある。第一はオリゲネス自身だが、彼は『ヘクサプラ』に直接言及しているわけではなく、2つのテクストで聖書の本文批評的な研究に触れており、そこからヒントを得ることができる。第二は4世紀のキリスト教作家たちの証言、そして第三は『ヘクサプラ』写本の2つの断片である。

第二のキリスト教作家たちとしては、エウセビオス、ヒエロニュムス、エピファニオス、ルフィヌスがいる。エウセビオスによると、彼はカイサリアの図書館で『ヘクサプラ』の実物を手にしたという。また彼はギリシア文字によるヘブライ語転写の欄の存在に言及しない。ヒエロニュムスはカイサリアで実物を見たばかりか、自分で『ヘクサプラ』の写しを持っていた。彼はヘブライ語の欄について言及している。エピファニオスとルフィヌスはヘブライ文字とギリシア文字で書かれた2つのヘブライ語欄を報告する。さらにエピファニオスは諸ギリシア語訳の並び順が成立順ではないことを断ってもいる。エウセビオスやヒエロニュムスは『ヘクサプラ』にサマリア人のテクストが入っていた可能性も指摘する。

第三の現存する2断片は共に詩篇に関するものだが、オリゲネスの時代からはかなり下る。またヘブライ文字によるヘブライ語テクストを欠いている。第一の断片は、1900年にCharles Taylorによって出版された、カイロ・ゲニザで発見された詩篇32の大文字パリンプセスト断片である。第二の断片は、1896年にGiovanni Mercatiによってその存在が発表され、1958年に出版された、ミラノのアンブロシウス図書館で発見された小文字写本である。これは諸ギリシア語訳の並べ方がカイロ・ゲニザ版とは異なっている。また小文字で書かれていることから、ゲニザよりもオリジナルとの距離が遠いと言える。一方で2つの断片にはオリゲネスのオリジナルに遡ると考えられる共通点もある。たとえば1行に1語のヘブライ語とそれに相当するギリシア語が配され、1ページにつき40行書かれている。

『ヘクサプラ』は同時代の書物から、形式においても大きく異なっている。3世紀においてはいまだスクロール形式の書物が優勢だった。一説では、スクロール形式とコーデックス形式は、それぞれ82%と18%の割合だったという。スクロール形式はパピルスに書かれていたのに対し、コーデックス形式は羊皮紙に書かれた。コーデックスのページに複数の欄が設けられることはあったが、見開きページに6欄も設けなければならない『ヘクサプラ』は例外的だった。キリスト教徒はコーデックス形式を比較的早くから受容していたが、『ヘクサプラ』はその傾向を加速させ、またその可能性を押し広げた。『ヘクサプラ』の全体はおそらく400葉(800ページ)のコーデックス40巻分に相当したと考えられる。

資金面はオリゲネスのパトロンだったアンブロシオスなどによって賄われた。『ヘクサプラ』作成のためには、書記の費用だけで75,000デナリ、羊皮紙などを含めると150,000デナリかかったとされる。ヘブライ文字の筆写のためには余計に費用がかかったであろう。オリゲネスの教師としての年収は7,000デナリほどだったようなので、彼自身にはとてもではないが無理だったが、年に6,000,000デナリは稼いでいたローマ司教コルネリウスなどにとっては出せる値段だっただろう。

オベロス記号やアステリスコス記号のような校訂記号については、『ヘクサプラ』の七十人訳の欄に書かれていたと考える者たちと、まったく別のプロジェクトだと考える者たちがいる。論文著者は、確かではないと断りながらも、後者に与している。

R. Clementsの研究によると、『ヘクサプラ』には2つの問題がある。第一に、ヘブライ語とギリシア語を両方読める者しかヘブライ語とギリシア語の欄を比較できないはずということである。この第一の問題について、Clementsは3つの可能性があり得るとする。第一に、オリゲネスはヘブライ語といくつかのギリシア語訳が載っている既存の梗概(シノプシス)を持っていたという可能性である。しかし、Clementsはこの説はありそうにないとする。なぜならば、ギリシア語を話すユダヤ人はギリシア語で礼拝することを何ら問題としていなかったし、またこの議論はヘブライ語のギリシア語転写の必要性を説明できないからである。さらに言えば、こうした梗概はアレクサンドリアよりもカイサリアにこそ当てはまる。

第二の可能性は、オリゲネスはヘブライ語と諸ギリシア語訳を比較できるほどヘブライ語に習熟した助手を雇っていたというものである。Nicholas de LangeやRuth Clementsらが取る立場である。オリゲネス自身がユダヤ人の情報提供者の存在について数多く言及していることから、この見解は支持される。

第三の可能性は、オリゲネス自身がヘブライ語とギリシア語を校合できるほどにヘブライ語に習熟していたというものである。オリゲネスは多少ともなりヘブライ語を知っていたことは確実であるが、助手を必要としていたこともまた確かである。ユダヤ人の助手に大きく依拠していたことと、多少はヘブライ語を読めたことは矛盾することではなく、これらの2つの可能性が補い合っていたのである。Clementsは、もともとアレクサンドリアでオリゲネス自身が作成した『テトラプラ』に、カイサリアで雇ったユダヤ人助手がヘブライ語の欄を付け加え、『ヘクサプラ』になったと考えている(エウセビオスは『ヘクサプラ』の簡略版としてのちに『テトラプラ』が作成されたと報告している)。

Clementsが『ヘクサプラ』に見出す第二の問題は、七十人訳の底本のヘブライ語テクストと、オリゲネスの時代のヘブライ語テクストとは異なっていたはずという問題である。死海文書中の発見によって、七十人訳者が依拠したヘブライ語テクストは、後1世紀までにユダヤ人の間で基本となったプロト・マソラー本文と、さまざまな点で異なっていることが判明している(エレミヤ書に見られる時系列の差異など)。

『ヘクサプラ』の第5欄については、校訂記号が付されていたのかどうかという問題もある。多くの研究者は『ヘクサプラ』に校訂記号が付されていたと考えてきたが、実際には『ヘクサプラ』とは別の改訂七十人訳に付されていたものではなかったのか。実際ヒエロニュムスは校訂記号を『ヘクサプラ』ではなく独立した七十人訳テクストで見ていたようである。論文著者はPaul KahleやJennifer Dinesらと共に、『ヘクサプラ』に校訂記号を付すのは余分であり困惑するものだと判断する。余分というのは、七十人訳にはあるがヘブライ語や諸訳にはない部分が『ヘクサプラ』に出てくる場合、七十人訳の欄だけに文章があることは一目瞭然なので、記号をつけるまでもないからである。困惑するというのは、七十人訳にはない部分を『ヘクサプラ』上でわざわざ別の欄から埋めて、それにアステリスコス記号をつけることは、差異を曖昧にするだけだからである。

オリゲネスが『ヘクサプラ』を作成した目的については多くの議論がある。Henry Sweteによれば、オリゲネスは、よりヘブライ語テクストに近くなるように七十人訳を修正しようとしたと考えた。一方でPierre Nautinは、原典ヘブライ語テクストを再構成しようとしたのだと主張した。Sebastian Brockは、オリゲネスのテクスト研究は聖書解釈についてユダヤ人と論争するキリスト教徒のためになされたと述べた。Adam Kamesarは、聖書解釈の可能性を最大限に高めるために可能な限りの異読を集めたのだと論じた。Ruth Clementsは、キリスト教内の異端やユダヤ人に対する武器にするために、キリスト教信仰の領域内でヘブライ伝統を包摂しようとしたのだと見た。

論文著者はClementsに同意しつつ、『ヘクサプラ』に関する第一の証言であるオリゲネス自身の議論を分析する。すなわち『アフリカヌスへの手紙』と『マタイ福音書注解』である。アフリカヌスはダニエル書の付加部分にはギリシア語の言葉遊びがあることから、ヘブライ語テクストに元来存在したものではなく、ゆえに権威が劣るのではないかと、オリゲネスに手紙で尋ねた。これに対しオリゲネスは、そうした言葉遊びは失われたヘブライ語原典にも存在したのであり、それをギリシア語で再現しているにすぎないと反論した。七十人訳とユダヤ人の版の版との違いは、ユダヤ人による聖書の改変ゆえのことである。そこでオリゲネスは状況を現実的に判断した結果『ヘクサプラ』を作り、ユダヤ人との論争に備えたわけである。これは学識深いユダヤ人に対し生まれたばかりのキリスト教徒の主張を助けるためのツールだった。

『マタイ福音書注解』では、自分が七十人訳を「癒す」ことを試みたことを報告している。すなわち、七十人訳の諸写本(アンティグラファ)を比較し、また七十人訳を含めた諸訳(エクドセイス)を比較したのである。基準である諸訳やヘブライ語テクストに基づき、協会で受け入れられた霊感を受けたテクストである七十人訳の統一性を保存することを目指した。これこそが『アフリカヌスへの手紙』で述べられていた対ユダヤ人論争のためのツールという第一の目的に対し、第二のより中心的な目的であった。John Wrightは、オリゲネスがさまざまな諸訳を『ヘクサプラ』に集めたのは、テクストの意味をアンプリファイし、よりよい読みを決めようとしたのだと述べている。Adam Kamesarは同様の観点から、オリゲネスの試みを「釈義的マキシマリズム」と呼んでいる。

死海文書の発見によって、当時の聖書写本の状況がいかに複雑であるかが分かってくると、その複雑さを『ヘクサプラ』の特定の翻訳だけに絞り、意図しないまま権威付けてしまったオリゲネスの行いは早計だったとも言える。こうした際限のないテクスト的・翻訳的多様性の文脈においてこそ、『ヘクサプラ』の本質と機能は十全に理解できる。

『ヘクサプラ』はオリゲネスの時代の文献学における技術の状況を如実に伝える。これはローマ時代の学術の最も偉大な記念碑の一つであり、ギリシア文献学と文献批評をキリスト教文化に適用した最初の重要なプロジェクトだった。また当時の製本技術の限界を押し広げる役割も担った。いわばギリシア文化とヘレニズム・ユダヤ教文化のフュージョンの中で、生まれたばかりのキリスト教的学術を例証してみせたわけである。