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2019年4月29日月曜日

教父のヘブライ語とアラム語理解 Gallagher, "The Language of Hebrew Scripture and Patristic Biblical Theory"

  • Edmon L. Gallagher, Hebrew Scripture in Patristic Biblical Theory: Canon, Language, Text (VCS 114; Leiden: Brill, 2012), 105-42.

Hebrew Scripture in Patristic Biblical Theory: Canon, Language, Text (Supplements to Vigiliae Christianae)
Edmon L. Gallagher
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本書の第4章は、第二神殿時代とラビ・ユダヤ教期の教父たちがヘブライ語やアラム語をどのように理解していたかという論点を扱っている。彼らはヘブライ語とアラム語を区別できたのか、これらの言語についてどのような見解を持っていたのか、そして彼らが世界の諸言語の中でヘブライ語の地位について持っていた見解はどのように彼らの聖書理論に影響していたのか。

初期ユダヤ教の言語。パレスチナはヘブライ語、アラム語、ギリシア語など多言語環境だった。とりわけギリシア語は、Saul LiebermanやMartin Hengelが論じているように、重要な役割を演じていた。またこの時代にヘブライ語とアラム語では、アラム語が主要な言語ではあるがヘブライ語も第二言語として重要だったと考えられている。かつてはヘブライ語はすでに死語であって、ラビたちが人工的に用いていたとされていたが(Abraham Geiger)、現在では第二次ユダヤ戦争後もヘブライ語は話されていたという(M.H. Segal, P.S. Alexander, J.T. Milik)。ただし、そのヘブライ語の重要性も、特定の言語的イデオロギーに基づいた二次的なものに留まるので、あまり過大評価はできない。パレスチナの外では、ヘブライ語の役割の小ささの傾向はさらに強まる。エジプトのユダヤ人は完全にギリシア語を話していた。フィロンはヘブライ語を知らなかった。ローマでも同様に、ユダヤ人はギリシア語か、より少ないがラテン語を話していた。

このように、ヘブライ語はパレスチナ以外ではほとんど、パレスチナではごくわずかにしか使われていなかったが、ユダヤ教においては「聖なる言語(ラション・ハコデシュ)」として神学的な重要性を持っていた。ヘブライ語聖書はヘブライ語に関するイデオロギーをほとんど示さないが、第二神殿時代のユダヤの硬貨やいくつかの文学(Ⅰマカ、シラ書など)はヘブライ語を重視している。中でもクムランの断片4Q464は「ラション・ハコデシュ」の初出である。『ヨベル書』はヘブライ語が人類の最初の言語だと記している。そもそもクムランで発見された八割がヘブライ語写本であることからも、その重要性が知られる。ナハル・ヘヴェルの写本にも、アラム語とギリシア語と共に、ヘブライ語のものがある。

ヘブライ語は、トーラーおよびその神的な著者との関係により重視された。ミシュナーなどのラビ文学でヘブライ語が用いられていることは、ラビたちの言語的なイデオロギーに結びついている。ディアスポラのユダヤ人たちですら、ヘブライ語を読んだり書いたりはできなくとも、この言語にユダヤ人としてのアイデンティティーを託していた。フィロンもそうである。ギリシア語訳聖書の写本でも神の名だけは古ヘブライ文字で書かれているのは、ヘブライ語の方がギリシア語よりも神聖だと考えられていたからである。古ヘブライ文字とアラム文字では前者の方がより重視されることもあったが、聖性に関する議論で両者が比較されることはなかった。議論はあくまで言語間の比較であった。

では教父思想におけるヘブライ語とアラム語はどのような位置にあったか。研究者たちはしばしば、ギリシア語およびラテン語ソースで「ヘブライ語」と書かれているとき、それは実はアラム語を指していると考えてきた。これは、新約聖書、フィロン、ヨセフスなどにそうした用法があるからだが、最近では使徒言行録に出てくる「ヘブライ語」はまさにヘブライ語を意味したと論じる研究者たちもいる(John C. Poirier, Ken Penner)。

しかしながら、より後代の作家には「ヘブライ語」をアラム語の意味で用いる者たちがいた。ギリシア語やラテン語では、アラム語は「シリア語」と呼ばれていた。こうした混乱した用法の例外は、ヒエロニュムスとエピファニオスである。ヘブライ語もアラム語も実際に学んだことのある両者は、当時のユダヤ人の言語状況についてある程度正確な知識を持っていた。しかしながら、彼らでさえアラム語のことを「ヘブライ語」と呼ぶことがある。それは第一に、単なる思い違いによるものであり、第二に、両言語が極めて近しい関係にあるためである。

ヒエロニュムスやエピファニオスはアラム語をヘブライ語のいちカテゴリーであると見なすることがあったが、それは次のような理由による。第一に、実際にはアラム語を話していようとも、「ヘブライ人」の言語は「ヘブライ語」と呼ばれるに相応しいと、彼らが考えたから。第二に、キリスト者の中には両言語の言語的な実際の関係性を感じていた(すなわち、アラム語を含むすべての言語は、原始の言語であるヘブライ語の子孫だと感じていた)から。そして第三に、文字が一緒だから(ただし、ヘブライ語がアラム文字を借用しているのではなく、エズラが新たに文字を発明したと考える。)、である。

教父文学におけるヘブライ語論。教父たちは、ヘブライ語について、人類の最初の言語でありユダヤ人の言語であることゆえに特別視はしていたが、それはラビたちが言うような「聖なる言語」という考え方とは異なっていた。オリゲネスは、神はすべての民の神として、すべての言語での祈りを受け入れると述べている。「ヘブライ的真理」という言葉を用いたヒエロニュムスはヘブライ語を神聖視しているように見えるが、実際には「カルデア的真理」や「ギリシア的真理」という言葉も用いていることから、ことさらヘブライ語を神聖視しているわけではないことが分かる。教父たちがヘブライ語を神聖視しないまでも特別視するのは、第一に、それが人類の最初の言語だから、そして第二に、それが古い契約の民であるユダヤ人の言語だからである。

教父文学におけるアラム語論。教父たちは、アラム語をヘブライ語のいちカテゴリーと考える。これは、ヘブライ語に比べてアラム語を軽視するラビたちとは対照的である。しかし、教父たちにとってアラム語はヘブライ語と同じような聖書言語ではない。そもそも教父たちの中には聖書の一部がアラム語で書かれているという事実すら知らない。例外的に詳しい知識を持つヒエロニュムスは、トビト記やユディト記を訳す際に、ユダヤ人教師にアラム語からヘブライ語に訳してもらい、それを自分でラテン語に訳した。つまり原典に基づく翻訳を重視していたにもかかわらず、これらの書物は重訳したわけだが、それは問題視していない。またエズラ記とダニエル書に関しては、アラム語だけでなくヘブライ語部分もあることから、他の書物と同じようにヘブライ語の書物と見なしている。