- 大澤耕史『金の子牛像事件の解釈史:古代末期のユダヤ教とシリア・キリスト教の聖書解釈』教文館、2018年。
金の子牛像事件の解釈史: 古代末期のユダヤ教とシリア・キリスト教の聖書解釈 大澤 耕史 教文館 2018-03-09 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、出エジプト記の金の子牛像事件について、ギリシア・ラテン教父の解釈を参考にしつつ、古代末期のユダヤ教とシリア教父の解釈の比較を試みた一作である。日本ではほとんど知られていないユダヤ伝承やシリア教父の解釈が豊富に引用されている。ユダヤ教側の資料は、5世紀から編纂が始まった『バビロニア・タルムード』まで、キリスト教側は4世紀までの解釈を対象としている。これは、第1章で研究史を概観した結果、時代や地域、歴史的な状況を一定の条件化に制限する必要があると著者が結論付けたからである。
第2章では、子牛像事件の「罪」について扱われる。ユダヤ教にとって、それは「異教祭儀」、中でも姦淫が問題だった。ギリシア・ラテン教父にとっては、具体的な図像への「偶像崇拝」が問題である。これはエジプトと関係した罪でもある。シリア教父は、これら両方の問題を取り込んでいる。すなわち、エジプトとの関係、異教祭儀、偶像崇拝、そして姦淫が取り沙汰される。ここから、シリア教父はキリスト教の立場に身を置きながらも、ユダヤ伝承を活用していたといえる。
第3章では、「アロン」の解釈が分析される。アロンは子牛像事件では「主犯」とも言える人物だが、どの解釈でも比較的擁護されている。それは、彼がユダヤ教にとってもキリスト教にとっても重要な「祭司」だったからである。やはりここでも、シリア教父はユダヤ教とギリシア・ラテン教父との類似性を持っている。
第4章では、「モーセ」の解釈が分析される。いずれの解釈でもモーセは非難されていない。ただし、ギリシア・ラテン教父はモーセを称揚するに際して、民をこき下ろしている。これは、モーセをユダヤ教から引き出してキリスト教側に引っ張り込むためである。シリア教父は、やはりユダヤ教ともギリシア・ラテン教父とも、共に類似した解釈を見せている。
第5章は、「イスラエルの民」に関する解釈が扱われる。ユダヤ教では、非難されるべき者とそうでない者を区別するなど、正当化を図るが、ギリシア・ラテン教父は概して単純に民を非難している。シリア教父は、その両方の解釈を有している。
第6章は、「サタン」の役割が解き明かされる。ユダヤ教では、子牛像事件の背後にはサタンがいたと考えるが(出エジプト記には出てこないにもかかわらず)、サタンのイメージは現代と異なっている。ヘブライ語聖書のサタンは、神の使いとして神の許容範囲内で行動するのに対し、時代が下り、新約聖書に至ると、神の敵や悪魔のイメージを得ている。一方で、ユダヤ教では依然として神の使いとしてのイメージを保持している。シリア・キリスト教はその両方のイメージを持っていた。
以上からも分かるように、シリア教父の解釈には、ユダヤ教とギリシア・ラテン教父のそれぞれに独自の特徴が両方見出される。ユダヤ教との親和性が高い理由としては、シリアではユダヤ教とキリスト教が共に少数派であったこと、相互の共同体の交流が保たれていたこと、そして言語的に似通っていることなどが考えられる。ただし、多くの場合、シリア教父がユダヤの聖書解釈を学んで自らに組み入れたのであって、その逆ではない。そのようにして、ギリシア・ラテン教父の間では失われてしまった、もしくは意図的に捨てたユダヤ的な聖書理解が、シリアにおいては保持された。
著者によると、子牛像事件が重要とされてきたのは、ユダヤ教とキリスト教の両者にとって、この事件が自分たちのアイデンティティーを示すために便利な素材であったからという。これが本書の最終的な結論である。
補遺では、ユダヤ教、ギリシア・ラテン教父、シリア教父による、子牛像事件における神の理解が描写される。ユダヤ教が神の言葉まで自由に改変する一方で、ギリシア・ラテン教父はそうしたことはしない(著者は、ギリシア・ラテン教父の予型論や比喩的解釈は、神を不動のものとして据えた上で、それでもなお多様な解釈を導くための技術だと説明する)。シリア教父は、そのちょうど真ん中ほどの厳格さを示している。やはりここでも、同じ構図が導き出される。
以下は疑問点。第一に、キリスト教でアロンが擁護されるのは、彼が祭司であるがゆえにイエスとの繋がりがあるからと著者は説明するが(91頁)、著者自身が触れているように、イエスの祭司性は伝統的にメルキゼデクに由来するとされてきた(ヘブライ書)。キリスト教において、イエスを祭司アロンとつなげるような解釈はあるのだろうか。
第二に、ギリシア・ラテン教父の間では失われた/捨てられたユダヤ伝承がシリア教父では保持されたと著者は説明するが(178頁)、そもそもギリシア・ラテン教父は失う/捨てるほどユダヤ伝承を知っていたのだろうか。オリゲネスとヒエロニュムスの他に、本当の意味でユダヤ伝承に通じていた教父などいるだろうか(ちなみに本書にはオリゲネスもヒエロニュムスも出てこない)。
第三に、比較のグループ分けが大きすぎないだろうか。少なくとも、ギリシア教父とラテン教父は別物とすべきではないか。本書では、どの章でも、シリア教父がユダヤ教とギリシア・ラテン教父の両方の特徴を持っているという構図が引き出されるが、ユダヤ教やギリシア・ラテン教父には多様な解釈が並存しているので、シリア教父がどんな解釈をしていても、それと似たようなものが見つかるのは当然ではないか。著者性の低いユダヤ教はともかく、ギリシア・ラテン教父では特定の人物を選ぶべきではなかったか。
第2章では、子牛像事件の「罪」について扱われる。ユダヤ教にとって、それは「異教祭儀」、中でも姦淫が問題だった。ギリシア・ラテン教父にとっては、具体的な図像への「偶像崇拝」が問題である。これはエジプトと関係した罪でもある。シリア教父は、これら両方の問題を取り込んでいる。すなわち、エジプトとの関係、異教祭儀、偶像崇拝、そして姦淫が取り沙汰される。ここから、シリア教父はキリスト教の立場に身を置きながらも、ユダヤ伝承を活用していたといえる。
第3章では、「アロン」の解釈が分析される。アロンは子牛像事件では「主犯」とも言える人物だが、どの解釈でも比較的擁護されている。それは、彼がユダヤ教にとってもキリスト教にとっても重要な「祭司」だったからである。やはりここでも、シリア教父はユダヤ教とギリシア・ラテン教父との類似性を持っている。
第4章では、「モーセ」の解釈が分析される。いずれの解釈でもモーセは非難されていない。ただし、ギリシア・ラテン教父はモーセを称揚するに際して、民をこき下ろしている。これは、モーセをユダヤ教から引き出してキリスト教側に引っ張り込むためである。シリア教父は、やはりユダヤ教ともギリシア・ラテン教父とも、共に類似した解釈を見せている。
第5章は、「イスラエルの民」に関する解釈が扱われる。ユダヤ教では、非難されるべき者とそうでない者を区別するなど、正当化を図るが、ギリシア・ラテン教父は概して単純に民を非難している。シリア教父は、その両方の解釈を有している。
第6章は、「サタン」の役割が解き明かされる。ユダヤ教では、子牛像事件の背後にはサタンがいたと考えるが(出エジプト記には出てこないにもかかわらず)、サタンのイメージは現代と異なっている。ヘブライ語聖書のサタンは、神の使いとして神の許容範囲内で行動するのに対し、時代が下り、新約聖書に至ると、神の敵や悪魔のイメージを得ている。一方で、ユダヤ教では依然として神の使いとしてのイメージを保持している。シリア・キリスト教はその両方のイメージを持っていた。
以上からも分かるように、シリア教父の解釈には、ユダヤ教とギリシア・ラテン教父のそれぞれに独自の特徴が両方見出される。ユダヤ教との親和性が高い理由としては、シリアではユダヤ教とキリスト教が共に少数派であったこと、相互の共同体の交流が保たれていたこと、そして言語的に似通っていることなどが考えられる。ただし、多くの場合、シリア教父がユダヤの聖書解釈を学んで自らに組み入れたのであって、その逆ではない。そのようにして、ギリシア・ラテン教父の間では失われてしまった、もしくは意図的に捨てたユダヤ的な聖書理解が、シリアにおいては保持された。
著者によると、子牛像事件が重要とされてきたのは、ユダヤ教とキリスト教の両者にとって、この事件が自分たちのアイデンティティーを示すために便利な素材であったからという。これが本書の最終的な結論である。
補遺では、ユダヤ教、ギリシア・ラテン教父、シリア教父による、子牛像事件における神の理解が描写される。ユダヤ教が神の言葉まで自由に改変する一方で、ギリシア・ラテン教父はそうしたことはしない(著者は、ギリシア・ラテン教父の予型論や比喩的解釈は、神を不動のものとして据えた上で、それでもなお多様な解釈を導くための技術だと説明する)。シリア教父は、そのちょうど真ん中ほどの厳格さを示している。やはりここでも、同じ構図が導き出される。
以下は疑問点。第一に、キリスト教でアロンが擁護されるのは、彼が祭司であるがゆえにイエスとの繋がりがあるからと著者は説明するが(91頁)、著者自身が触れているように、イエスの祭司性は伝統的にメルキゼデクに由来するとされてきた(ヘブライ書)。キリスト教において、イエスを祭司アロンとつなげるような解釈はあるのだろうか。
第二に、ギリシア・ラテン教父の間では失われた/捨てられたユダヤ伝承がシリア教父では保持されたと著者は説明するが(178頁)、そもそもギリシア・ラテン教父は失う/捨てるほどユダヤ伝承を知っていたのだろうか。オリゲネスとヒエロニュムスの他に、本当の意味でユダヤ伝承に通じていた教父などいるだろうか(ちなみに本書にはオリゲネスもヒエロニュムスも出てこない)。
第三に、比較のグループ分けが大きすぎないだろうか。少なくとも、ギリシア教父とラテン教父は別物とすべきではないか。本書では、どの章でも、シリア教父がユダヤ教とギリシア・ラテン教父の両方の特徴を持っているという構図が引き出されるが、ユダヤ教やギリシア・ラテン教父には多様な解釈が並存しているので、シリア教父がどんな解釈をしていても、それと似たようなものが見つかるのは当然ではないか。著者性の低いユダヤ教はともかく、ギリシア・ラテン教父では特定の人物を選ぶべきではなかったか。