- Hanne van Weisenberg, "4QMMT: Towards an Understanding of the Epilogue," Revue de Qumran 21 (2003): 29-45.
本論文は、『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)の三区分のうちのセクションCを中心に検証することで、申命記からの影響を指摘したものである。著者によれば、法規を扱っているセクションBに比べて、エピローグに当たるセクションCの研究は手薄であるという。そこで著者はエピローグに注目することで、『律法』の構成における同セクションの役割を明らかにしようとしているのである。
著者はまず、全部で6つ見つかっている『律法』の写本から、校訂者が作成した合成テクストの再検証から始めている。それによると、エピローグを含むのは、4Q397、4Q398、4Q399であり、それぞれほとんど重複する箇所がないのだという。ほとんどヴァリアントがない法規部分に比して、エピローグにはしばしば異読が見られる。
『律法』の編集過程に関する研究としては、Charlotte HempelとMiguel Perez Fernandezの研究がある。前者は『律法』の法規部分と『ダマスコ文書』との共通点を明らかにしたものであり、後者はシンタックスや内容から、法規部分とエピローグの切れ目を従来のものと異なった箇所に施す試みである。こうした先行研究から、著者は法規部分で語られている、祭司性、浄不浄の問題、犠牲、聖域、聖性などといった事柄はエピローグでは一切使われていないと述べる。
こうした法規部分とエピローグとで使われるタームの違いは、それぞれが別のスタイルと特徴を持っているからと考えられる。著者によれば、法規部分が主に依拠しているのはレビ記と民数記であるのに対し、エピローグは申命記に依拠しているという。ただしこれは、法規部分とエピローグが別の文書だったということではなく、それぞれが異なった内容とジャンルであるからである。また、法規部分はそれだけでも独立した文書たり得るが、エピローグは法規部分に依存しているという。
法規部分の法規自体はレビ記と民数記に依拠しているが、スタイルの上で同部分は申命記からの影響も受けている。たとえば、『律法』は一人称複数で語られているが、これは申命記1-3章でのモーセの語りを髣髴とさせる。
著者はまず、全部で6つ見つかっている『律法』の写本から、校訂者が作成した合成テクストの再検証から始めている。それによると、エピローグを含むのは、4Q397、4Q398、4Q399であり、それぞれほとんど重複する箇所がないのだという。ほとんどヴァリアントがない法規部分に比して、エピローグにはしばしば異読が見られる。
『律法』の編集過程に関する研究としては、Charlotte HempelとMiguel Perez Fernandezの研究がある。前者は『律法』の法規部分と『ダマスコ文書』との共通点を明らかにしたものであり、後者はシンタックスや内容から、法規部分とエピローグの切れ目を従来のものと異なった箇所に施す試みである。こうした先行研究から、著者は法規部分で語られている、祭司性、浄不浄の問題、犠牲、聖域、聖性などといった事柄はエピローグでは一切使われていないと述べる。
こうした法規部分とエピローグとで使われるタームの違いは、それぞれが別のスタイルと特徴を持っているからと考えられる。著者によれば、法規部分が主に依拠しているのはレビ記と民数記であるのに対し、エピローグは申命記に依拠しているという。ただしこれは、法規部分とエピローグが別の文書だったということではなく、それぞれが異なった内容とジャンルであるからである。また、法規部分はそれだけでも独立した文書たり得るが、エピローグは法規部分に依存しているという。
法規部分の法規自体はレビ記と民数記に依拠しているが、スタイルの上で同部分は申命記からの影響も受けている。たとえば、『律法』は一人称複数で語られているが、これは申命記1-3章でのモーセの語りを髣髴とさせる。