ページ

2011年12月21日水曜日

『宗教研究』第370号(2011年)

『宗教研究』が届きました。今号は論文4本、書評16本、展望1本と、かなり書評が多くなっています。あと今号は紙の質が変わってページが白くなったような気がします。以下に論文の目次をのせておきます。

『宗教研究』第370号(2011年12月)

諸岡了介「世俗化論における宗教概念批判の契機」・・・・・・1-21

阿部善彦「エックハルトの「ドイツ語説教86」における「マリア」像:タウラー、ゾイゼにつづくドイツ神秘思想の基底にあるものの解明に向けて」・・・・・・23-45

村上寛「マルグリット・ポレートに対する異端審問における異端理由とその解釈」・・・・・・47-69

藤本拓也「エミール・シオランの神:神の喪失と神への情動」・・・・・・71-94

『基督教研究』第73巻2号(2011年)

同志社大学基督教研究会の紀要である『基督教研究』の新しい号が出たので、目次をのせておきます。

『基督教研究』第73巻2号 (2011年12月)

シンポジウム
李徳周「初期同志社大学神学部の韓国人留学生に関する研究(1908-1945年)」・・・・・・1-32

講演
小原克博「科学・政治・宗教をめぐる暴力の系譜:21世紀的身体(こころ)を展望する」・・・・・・33-50

論文
崔弘徳「シュライアマハーに対する波多野精一の宗教哲学的解釈」・・・・・・51-69

稲山聖修「カール・バルトによる聖書理解をめぐる一考察:橋本鑑と関連して」・・・・・・71-90

菊川美代子「矢内原忠雄の「日本的基督教」:土着化論再考」・・・・・・91-104

2011年12月13日火曜日

公開シンポジウム「レヴィナス哲学とユダヤ思想」

12月18日(日)10時より、京都大学にてレヴィナス哲学とユダヤ思想についてのシンポジウムが催されます。先日のベンスーサン講演会につづき、京都ユダヤ思想学会主催の、『全体性と無限』刊行50周年シンポジウムの第2弾です。レヴィナスをユダヤ思想という観点から考えるシンポジウムであるため、登壇者もいわゆる哲学畑の人だけではないことが注目されます。公開・参加無料です。
http://www1.ocn.ne.jp/~hebraica/html/index.html


12月シンポジウム「レヴィナス哲学とユダヤ思想」のお知らせ 
エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』刊行50周年記念シンポジウム
「レヴィナス哲学とユダヤ思想」
2011年12月18日(日)於京都大学文学部・新館6講義室
主催:京都ユダヤ思想学会
後援:科学研究費補助金・若手研究(B)「「現実‐潜在」関係に関する思想史的研究
―ホリスティックな知の再検討」(課題番号22730616)

10:00~10:10 開会の挨拶&シンポジウムの趣旨説明:小野文生(京都大学)

10:10~12:00 Session1「宗教学と解釈学」
司会+コメント:小田淑子(関西大学) 
発表者:市川 裕(東京大学)
「ラビの聖書解釈の特徴――レヴィナスの関心から知られること」
発表者:合田正人(明治大学)
「レヴィナスと解釈学論争」

12:00~13:00 昼食

13:00~14:50 Session2「哲学と倫理」
司会+コメント:田中智志(東京大学)
発表者:中 真生(神戸大学)
「レヴィナスにおける『女性的なもの』について」
発表者:後藤正英(佐賀大学)
「倫理をめぐるレヴィナスとカントの交差点」

15:00~16:50 Session3「ディアスポラとヘブライズム」
司会+コメント:臼杵 陽(日本女子大学) 
発表者:手島勲矢(元同志社大学)
「ヘブライ語圏のレヴィナス解釈――ユダヤ思想の展開の一断面」
発表者:堀川敏寛(京都大学)
「へブライズムにおける顔理解――レヴィナスとブーバーのヤコブ解釈より」

17:00~18:50 Session4「聖書と伝統」
司会+コメント:西平 直(京都大学) 
発表者:竹内 裕(熊本大学)
「レヴィナスと聖書――〈顔〉〈ことば〉〈隣人〉などをめぐって」
発表者:伊藤玄吾(同志社大学)
「詩篇、韻律、ハルモニア――詩としての聖典の解釈をめぐって」

18:50~19:00 閉会の挨拶:芦名定道(京都大学)

19:00~21:00 意見交換会

2011年12月10日土曜日

シリア語をめぐる翻訳と文化間関係

  • 高橋英海「翻訳と文化間関係:シリア語とその周辺から」、納富信留・岩波敦子編『精神史における言語の創造力と多様性』、慶應義塾大学言語文化研究所、2008年、83-110頁。
精神史における言語の創造力と多様性精神史における言語の創造力と多様性
納富 信留 岩波 敦子

慶應義塾大学言語文化研究所 2008-04
売り上げランキング : 208985

Amazonで詳しく見る by G-Tools

シリア語を中心とした翻訳文化の歴史を概観した論文を読みました。世界の文化史の中で重要な役割を演じてきた言語は、同時に強大な国家の言語(ギリシア語、ラテン語、中国語など)として用いられていたものがほとんどですが、その点シリア語はそうした言語とは異なり、ローマ帝国東縁以東の地域において、キリスト教布教のための言語となったことから、広範な地域で用いられました。

シリア語への翻訳として最も早いのはヘブライ語旧約聖書の翻訳でしたが、それ以降はほとんどヘブライ語からの翻訳はなく、むしろシリア語はギリシア語との強い関係を持つことになりました。ギリシア語→シリア語翻訳として重要なのも聖書であり、新約聖書は当然のこと、旧約聖書に関しても、ヘブライ語よりもギリシア語七十人訳が規範とされていたようです。翻訳の精度に関して言えば、特に6世紀以降は、1)聖典を正確に訳そうとする願望、2)教義の内容を正確に伝える必要から、逐語訳が増えてきました。シリア語→ギリシア語翻訳としては、エフレムの教父文学などが挙げられます。

もうひとつシリア語が重要な関係を持っていた言語がアラビア語でした。アラビア語→シリア語翻訳はほとんどありませんでしたが、シリア語→アラビア語翻訳はたくさんありました。その内訳は2種類で、キリスト教文献の翻訳と、ギリシア語の学問書のシリア語訳からの翻訳です。後者に関しては、ギリシア語から直接訳すよりも、同じセム語であるシリア語から訳す方が容易だったからとされています。

この後、この論文はシリア語とアルメニア語、グルジア語、そしてエチオピア語(ゲエズ語)との関係を説明したあと、ついにはマラヤーラム語およびサンスクリット語(インド)を経由して、中国語との関係にまで至ります(ところでラテン語との関係ってなかったんでしょうか)。グルジア語のあたりから、私にとっては雲行きが怪しかったのですが、インド、中国ときてもはや説明をなぞることしかできませんでしたので、要約は諦めます。ただ興味深いことに、中国にキリスト教を伝えた阿羅本という僧の作である『序聴迷詩所経』において、マリアは「末艶」、ピラトは「毘羅都思」など、シリア語からの音訳がされているようで、こういうのを集めていったらさぞかし面白いだろうなと思いました。

結論としては、起点言語と目標言語との間でどちらが社会的、文化的に優位であるかによって翻訳の精度が変わること、インドや中国のような異なった宗教伝統を持つ社会ではシリア語の持つイメージが変わることの2点が挙げられています。前者の結論については、次のように述べられています。非常に重要な指摘なので引用しておきます。
全体的な傾向としては、社会的、文化的により優位とされる言語からの翻訳には逐語訳が多く、逆の場合にはより自由な翻訳が多いことが認められる。シリア語はアルメニア語やエチオピア語、ソグド語に対してはキリスト教受容の「先輩」として優位な立場にあった。逆にギリシア語圏やイスラーム圏、中国文化圏においては弱者の言語であった。この立場の違いが翻訳のあり方にも反映されている。ここで、それそれの世界において支配的なギリシア語や中国語が起点言語の内容を自らの文化に合わせて自由に変えてしまう様子には政治的、経済的に優位な立場にある者の弱者の言語に対する驕りのようなものを感じ取ることもできる(これは現在の世界で支配的な言語についてもある程度当てはまることかもしれない)。(101-2頁)

2011年12月1日木曜日

『ユダヤ・イスラエル研究』第25号(2011年)

日本ユダヤ学会の学会誌『ユダヤ・イスラエル研究』の第25号が届きました。今号から年刊化するそうです。以下に目次を示す論文に加え、5本の書評、6本の新刊紹介が収録されています。
日本ユダヤ学会HP(http://www.waseda.jp/assoc-jsjs/


『ユダヤ・イスラエル研究』第25号(2011年12月)

上村静「ユダヤ人がユダヤ人である理由:古代ユダヤ人の〈民意識〉」……1-13

山本伸一「『日々の歓びの書』に現れる「レハー・ドディー」の変更とガザのナタンの影響」……14-27

井出匠「19世紀末・20世紀初頭のスロヴァキア・ナショナリズム運動における反ユダヤ主義」……28-40

堀邦雄「キッチュとユダヤ系知識人」……41-51

4世紀のラテン語再生運動について


  • A. Cameron, "The Latin Revival of the Fourth Century," in Renaissances before the Renaissance: Cultural Revival of Late Antiquity and the Middle Ages, ed. W. Treadgold (Stanford: Stanford University Press, 1984), 42-58, 182-84.

0804711984Renaissances Before the Renaissance: Cultural Revivals of Late Antiquity and the Middle Ages
Warren Treadgold
Univ Microfilms Intl 1985-01
by G-Tools

4世紀におけるラテン語およびラテン文学の再生運動に関する論文を読みました。Alan Cameronはコロンビア大学の古典学教授です。かなり専門的なラテン文学の研究史に即した論文だったので、私には少々難しかったですが、分かる範囲で以下まとめてみます。

黄金時代→白銀時代と衰退していたラテン語が、4世紀に再生したことの理由としては、これまで1)ローマ帝国の経済・軍事の衰退に伴う文化的衰退への抵抗、2)キリスト教徒や野蛮人の脅威に対する異教の貴族たちの抵抗、といった理由が挙げられてきました。特に2)の見解はH. BlochやP. Levineによって主張されているものだそうです。これに対し、Cameronは新しい見解を示します。アンミアヌス(Ammianus Marcellinus)やクラウディアヌス(Claudianus)といったギリシア生まれの歴史家、詩人たちが、ギリシア語でなくラテン語で著作をものしたのは、競争の激しいギリシア文学と違って、ラテン語で書けば容易に名を残す作品を書くことができたからであり、文化的衰退やキリスト教文学への抵抗といった通説はまるで関係ないようです。ここで注目すべきは、彼らラテン語ネイティブでない者たちがラテン語で著作を残したのは、ラテン語の方が文化における支配的な言語だったからではなく、あくまで競争相手が少なかったからだったということです。これは当時のギリシア語とラテン語との関係を考えるうえで重要な指摘だと思います。

また2)の理由を支持する意見として、異教の貴族がラテン語写本の作成において果たした役割を重視するものがあります。つまり、彼らの働きがなければラテン文学の多くが失われてしまったはずだという意見ですが、Cameronは4つの理由からこれに反対します。①残っている写本の多くは学校の教本や一般書の類いであって、希少なものではなかった。②写本の製作者は異教徒ではなく、実際はキリスト教徒だった。③写本作者たちは宗教的実践の一環として写本製作をしていた。④異教の貴族たちも確かに写本製作を行っていたが、それは個人の図書館に本を保存するためであって、ラテン文学の再生を引き起こすような大々的な運動には成り得なかった。という4つの理由です。

さらに、4世紀終わりのスュンマクス(Q. Aurelius Symmachus)なる人物が異教の祭壇を再建するように皇帝に嘆願書を出していたことを根拠として、通説ではラテン語再生の理由が2)キリスト教に対する異教の抵抗であったことが示されますが、これに対しCameronは、ガリアとローマの具体例を挙げて、スュンマクスよりずっと以前からラテン語の再生運動が行われていたことを示します。まずガリアでは、3世紀の戦火の復興のためにローマより優秀なラテン語学者が集まっており、そこで学んだアウソニウス(Ausonius)なる人物の証言によると、すでに4世紀序盤には、キケローや小プリーニウスらをモデルとした学校があり、当地がラテン語再生の只中にあったことが分かります。しかもアウソニウスはキリスト者でもありました。一方ローマでは、ヒエロニュムスの証言によると、4世紀中盤には彼の師匠であったラテン文法学者ドナトゥス(Donatus)とウィクトリヌス(Marius Victorinus)の学校が繁盛していたようです。以上より、ラテン語の再生運動がキリスト教に対する異教の抵抗運動であったことを示すはずのスュンマクスの証言よりはるか以前から、キリスト教徒を含む者たちによって各地で同様の運動が起きていたことが分かります。それゆえに、この通説は根拠を失ってしまうわけです。

Cameronの主張も興味深いものでしたが、個人的にはヒエロニュムスの師匠ドナトゥスと、その後継に当たるセルウィウスとの著作上の類似の問題が面白かったです。セルウィウスによるウェルギリウス注解書は、ドナトゥスのパッチワークのようなものだと考えられているそうですが、Cameronによると、ドナトゥスの注解書にはない白銀時代の詩人の引用がセルウィウスの注解にはたくさんあるそうです。ドナトゥスが知っていた白銀時代の詩人はルカヌスしかおらず、それゆえに弟子のヒエロニュムスが知っていたのもルカヌスやペルシウスなどに限られていましたが、セルウィウスはユウェナリスなども引用しています。確かに言われてみると、これまでヒエロニュムスの著作の中でユウェナリスが引用されているのを見たことはないように思います。ちなみにヒエロニュムスの古典文学の知識に関しては、Cameronも引用しているように、やはりHagendahlの研究が詳しいようで、私もこの本は持っていますが未読なので、いずれ腰をすえて読まなければなりません。

  • H. Hagendahl, Latin Fathers and the Classics: A Study on the Apologists, Jerome and Other Christian Writers (Studia Graeca et Latina Gothoburgensia VI; Göteborg: Elanders Boktryckeri Aktiebolag, 1958).

B001NX2ZU6LATIN FATHERS AND THE CLASSICS - A STUDY OF THE APOLOGISTS, JEROME AND OTHER CHRISTIAN WRITERS
Harald Hagendahl
Goteborgs Universitets 1958
by G-Tools

2011年11月29日火曜日

七十人訳の成立縁起に関する議論


  • W. Schwarz, "Discussions on the Origin of the Septuagint," in Id., Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and Their Background (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), 17-44.

Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their BackgroundPrinciples and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their Background
W. Schwarz

Cambridge University Press 2009-01-08
売り上げランキング : 1099367

Amazonで詳しく見る by G-Tools

先日読んだ第1章に引き続いて、七十人訳の成立縁起に関して書かれている第2章を読みました。この部分は再読でしたが、やはりいい論文は何度読んでも新しい発見があります。

Schwarzは、ここでは『アリステアスの手紙』、フィロン、ヒエロニュムス、アウグスティヌスの四者の思想を取り上げて、実に手際よく料理しています。この論文を読むにあたっては、まず大枠として、第1章で示された、翻訳における「文献学的原理」(philological principle)と「霊感的原理」(inspirational principle)という二項対立に注意が払われなければならないでしょう。この二項対立の中で、アリステアスとヒエロニュムスは前者に、フィロンとアウグスティヌスは後者に配置されています。まず『アリステアスの手紙』では、翻訳作業があくまで人間の手によって行われたことが強調されていますが、一方ユダヤ教と新プラトン主義の影響下にあるフィロンの著作では、七十人訳の翻訳には神の介入があったことが強調されました。つまり七十人訳者たちは単なる人間の翻訳者としてではなく、いわば預言者として翻訳をしたということになるのです。そしてそうであるならば、当然その訳業の産物である七十人訳もまた新たな啓示というにふさわしく、まさに神の言葉そのものといえるのです。しかしここで注意せねばならないのは、フィロンのいう預言者とは単に神の言葉を人々に伝える道具としての役割だけでなく、それを解釈=翻訳する能動的な役割をも持った存在でもあったことです。つまり預言と翻訳とは別のはたらきを持っているといえます。フィロンの七十人訳に対する神聖視はその後アウグスティヌスに引き継がれていきますが、一方で彼の預言者理解はヒエロニュムスに引き継がれていくことになります。フィロンは「霊感的原理」側ではありますが、「文献学的原理」側のヒエロニュムスにも影響を与えているわけです。

さて、こうして「文献学的原理」と「霊的原理」はすでにキリスト教成立以前から用意されていたわけですが、この二つが本当の意味で衝突するのは4世紀になってからのことでした。フィロンの「霊感的原理」に対し、ヒエロニュムスは最初はほのめかし程度に、やがてはっきりと七十人訳の霊感を否定していきます。というのも、彼はヘブライ語テキストと七十人訳とが相違していることを問題にしたわけです。なぜ七十人訳は原典であるヘブライ語テキストから異なるのか。1)写字生のミス、2)七十人訳者自身の付加。このうち七十人訳者自身の付加はさらに二種類に分けられます。a)文体上の必要性による付加、b)聖霊の権威による付加。本当に七十人訳が霊感を得て訳されてものであるならば、後者は問題ないでしょうが、少なくとも前者は言語のシンタックスに強いられて言葉を付加しているわけですから、このことは七十人訳が人間の手によるものであることを示しています。翻訳に必要なのは原典の理解と言語能力であって、預言ではないのです(「翻訳と預言とは異なる」)。

また逆に、新約聖書における旧約引用が七十人訳ではなくヘブライ語テキストと一致していることは、ヘブライ語テキストの優位を証明するものとなります。とはいえヒエロニュムスは七十人訳者が訳したのは五書だけであって、他の文書には七十人訳の霊感が及んでいないことを知っていました。すると逃げ道として、五書はともかく他の文書が七十人訳の権威を主張することはできず、翻って考えれば五書だけには権威があるというロジックも成り立ちます。このような七十人訳擁護ともとれることを交えないとならないのは、当時七十人訳派の敵対者たちからヒエロニュムスがしばしば非難を浴びせられていたからでした。しかし最終的には、プトレマイオス王をあざむくために七十人訳者たちが訳文を変えていたという『アリステアスの手紙』の記述から、ヒエロニュムスは七十人訳全体の霊感を否定します。

また新約聖書における旧約引用の問題は非常に重要で、なぜなら七十人訳と同じように霊感を得ている使徒たちが七十人訳と異なるとなれば、聖霊が矛盾していることになってしまいます。しかしそんなことはありえないので、七十人訳よりあとの使徒の方が正しいのは当然のことになります(神学的理由)。一方『アリステアスの手紙』やヨセフスの記述には、フィロン以降の七十人訳霊感説の源となった、「七十人訳者が小部屋に分かれて訳したにもかかわらず訳文が一致した」というくだりが出てきません(歴史的理由)。このように、ヒエロニュムスによれば、神学的理由からも歴史的理由からも、七十人訳が霊感を受けていたなどということは言えないということになります。

ちなみにこのあたり、Schwarzはヒエロニュムスに関する記述に熱が入っており、次のように(わりと感動的に)述べています。
It is the philologist's method to compare the different texts and to rely on the ability of human understanding to find out the truth. In this research there can be no halt. When after a long period of uncertainty he at last found what he believed to be the truth, he drew the logical conclusion, even when this meant a fight against a long tradition and against strong opposition to all new ideas and thoughts. (p.32)
さてヒエロニュムスのこの「文献学的原理」に対し、アウグスティヌスは「霊感的原理」で応えます。彼はヒエロニュムスのヘブライ語からの翻訳を歓迎しませんでした。アウグスティヌスは七十人訳にヘブライ語と異なる訳文があることは知っていましたが、教会が七十人訳(あるいは古ラテン語訳)を統一的に読んでいる限り、そうした違いは問題にならないと考えていたからです(ちなみに彼はヘブライ語はできません)。そこにヒエロニュムスの新しい翻訳が現れるとなると、最悪の場合教会の分裂をも引き起こしかねないと危惧したのです(教会の事情)。同時に神学的にも、アウグスティヌスはフィロンの説を受け入れ、七十人訳の霊感性を主張しました。七十人訳が霊感を得て訳されたものだとすると、それは原典を更新したものであるということになります。アウグスティヌスによれば、ヒエロニュムスの訳を受け入れることができないのは、彼が更新される前のテキスト、すなわちヘブライ語テキストを底本にしているからであり、本来であれば最新版である七十人訳を底本として訳さなければならないのです。このあたり、当時の最高の知性同士のぶつかりあいなわけですから、古代の議論として簡単に済ますのではなく、双方の言説に隠れているロジックを読み解いていかなければなりません。その点で、Schwarzの説明は実に明晰なものでした。

2011年11月28日月曜日

ヒエロニュムスの絵いろいろ

先日大学で本をコピーしていたら、強烈なヒエロニュムスの絵が出てきたので、思わずスキャンしてしまいました。


2011年11月25日金曜日

聖書と翻訳者


  • W. Schwarz, "The Bible and The Translator," in Id., Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation controversies and their Background (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), 1-16.

Principles and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their BackgroundPrinciples and Problems of Biblical Translation: Some Reformation Controversies and their Background
W. Schwarz

Cambridge University Press 2009-01-08
売り上げランキング : 1096594

Amazonで詳しく見る by G-Tools

聖書翻訳に関する歴史的研究の古典的名著のイントロを読みました。この人の本はこれしか読んだことないのですが、著者はおそらく宗教改革史の専門ではないかと思われます。本書も基本的にはロイヒリン、エラスムス、ルターの論争を中心的に扱っているのですが、彼らの論争の基底にはヒエロニュムスとアウグスティヌスの論争があるという観点から古代にも一章割いています。目次は以下の通り。

I.   The Bible and The Translator
II.  Discussions on the Origin of the Septuagint
III. The Traditional View
IV. The Philological View: Reuchlin
V.  The Philological View: Erasmus of Rotterdam
VI. The Inspirational View: Luther

今日はこの一章目を読んだわけですが、具体的な歴史上の問題よりも概論的な内容でした。翻訳とはそもそも、原典の持っている思想、イメージ、リズム、韻律(詩の場合)、調子、雰囲気などを別の言語に移すものですから、その性質からして短命なものです。なぜなら翻訳=解釈にはその時代の考え方が反映せざるを得ないからです。しかし翻って聖書について考えてみると、このことは自明ではないかもしれません。なぜなら七十人訳やウルガータ、欽定訳などはずいぶん長生きしているように思われます。

なぜ聖書においてはこのようなことが起こるのかというと、宗教共同体がそこに、伝統だとか、文言や祈りの言い回しの永続性などを求めるからです。その言い回しが仮に近代語から見ると意味不明になってしまっていても、共同体内の伝統への固執(Schwartzはこれをsentimental feelingsと言いますが、p.4)は、それをむしろ有難がり、価値が高いものであると見なしさえしてきました。ですから、英語訳だけを見ても、これまで多くの翻訳がありましたが、そこには新しい訳を作ろうとする意志はあまりなく、以前の訳の改訂に留まろうとする傾向があります。

これは、翻訳者たちが自らの判断で訳したがゆえに非難されるということがないように、教会の権威に照らして翻訳を作ってきたからでした。むろんこの権威に対する姿勢には二面あり、ひとつはそれを喜んで受け入れるという姿勢で、非難を簡単に回避することができます。しかし一方では権威を受け入れたくないという姿勢もあり、彼にとってそれは重荷にしかなりません。これは別の(カトリックでない)宗教共同体に属する者にとっては当然のことで、同じ聖書箇所であっても違う宗教共同体の者たちでは異なった解釈が生まれてくることになります。

しかし同一の宗教共同体の中でも多様な解釈が許される場合があり、1)ある種の有益さがあるとき、2)聖書の学習のためのとき、3)教会を守るときには、伝統的な解釈に従わずとも特別に許されました。これ以外の信仰や道徳に関する解釈は、権威=教会に従わねばなりません。ウルガータが聖典として認められたのは16世紀とずいぶん後代のことですが、これはそれまで上のような規範、すなわちヘブライ語あるいはギリシア語原典ではなく教会こそが権威であるという規範が徹底していたために、あえて公認する必要がなかったからだったと考えられます。

また、翻訳は神の導きなしにはなしえないものだとも考えられていました。神の導きである霊感があったとき、翻訳は原典と同等の価値を有することになるわけですが、ある翻訳に霊感があったかどうかを決定するのはもちろん教会の役割でした。そのような意味で、古代では七十人訳がそれに当たるものと考えられ、また下ってはウルガータがそれに当たるものと見なされてきました。しかし翻訳には、こうした霊感的な原理(inspirational principle)とは別の原理も働いているはずです。すなわち、翻訳とはとりもなおさず人間の手によってなされているものだという意識であり、そういった立場に立てば、常に原典こそが権威となるために、それを超えるいかなる権威も存在することはできません。Schwartzはこちらの原理を文献学的原理(philological principle)と呼び、古代から中世の聖書翻訳にはこの二律背反がしばしば問題となってきたと考えます。そしてこの二つの原理の最初の衝突こそが5世紀のヒエロニュムスとアウグスティヌスの論争であり、二回目の衝突が16世紀に起こったと述べています。

本書は基本的にはこの二回目の衝突に焦点を当てているわけですが、これを十全に理解するためには最初の衝突の検証が必要不可欠です。その成果が2章の"Discussions on the Origin of the Septuagint"になります。イントロなので話があっちこっちに飛んでまとめにくいですが、とにかくSchwartzが単なる一般論からでなく、説得力をもって聖書翻訳の転換点を5世紀と16世紀に置いていることが読み取れます。

2011年11月23日水曜日

公開シンポジウム「いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える」

12月3日(土)13:00~17:00に、日本学術会議の主催で、古典に学ぶ意義を考えるシンポジウムが開かれます。場所は乃木坂の日本学術会議講堂です。発題者は、手島勲矢氏(ユダヤ思想)、三中信宏氏(進化生物学)、岡田 真美子氏(環境宗教学・地域ネットワーク論)、そして服部英二氏(哲学・比較文明学)という興味深い組み合わせです。入場無料ですので奮ってご参加ください。


公開シンポジウム
いま、ともに、古典(伝統知)に学ぶ意義を、考える―現代文明の危機をのりこえるために―

1. 主催:日本学術会議哲学委員会・日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合

2. 日時:平成23123日(土)13001700

3. 場所:日本学術会議講堂
   ※営団地下鉄千代田線「乃木坂」駅5番出口を出て左、徒歩1分。


司会 
丸井 浩 (日本学術会議会員、東京大学教授/インド哲学)
小島 毅 (日本学術会議連携会員、東京大学教授/中国思想)

13:0013:10 開会挨拶
野家 啓一(日本学術会議哲学委員会委員長、東北大学理事/哲学)

13:1014:40 報 告(各パネリスト20分)
手島 勲矢(日本学術会議連携会員、関西大学非常勤講師/ユダヤ思想)
対話する科学のための二つの名前:中世ユダヤの伝統知から

三中 信宏農業環境技術研究所上席研究員/東京大学教授/進化生物学
科学的思考と民俗知識体系の共存:進化するサイエンスの源を振り返る」 

岡田 真美子(日本学術会議連携会員、兵庫県立大学教授/環境宗教学・地域ネットワーク論)
「地域ネットワークに生きる伝承知の重み」

服部 英二(地球システム・倫理学会会長/哲学・比較文明学)
「現代文明の危機と伝統知」

14:4015:20  討議者(ディスカッサント)のコメント:全体討論に向けて
中島 隆博(日本学術会議連携会員東京大学准教授/中国思想)
村澤真保呂(龍谷大学准教授/社会思想史)

15:2015:40  休 憩

15:4016:55  全体討議

16:5517:00 閉会挨拶
西村 清和(日本学術会議哲学委員会副委員長、東京大学教授/美学)

2011年11月22日火曜日

4世紀ローマとミラノにおける礼拝のラテン語化




4世紀における西方教会のラテン語化に関する論文を読みました。著者のMaura K. Laffertyはテネシー大学で教鞭をとる中世ラテン語の研究者です。


古代東方教会でギリシア語だけでなくコプト語、シリア語が使われていたように、西方教会でもラテン語だけでなくさまざまな言語(特にギリシア語)が用いられていました。しかし4世紀の後半になると、教会での使用言語が急速にラテン語に統一されていき、とりわけそれは祈りの言葉において顕著に表われました。このことを検証するために、本論文ではローマとミラノという2つの主要都市を具体例として挙げています。

本題に入る前に、Laffertyはまず古代末期におけるギリシア語とラテン語との関係について説明しています。それによると、ギリシア語が文学、学術、芸術の言語であったのに対し、ラテン語は征服、統治といったローマの帝国主義的な属性を強く有していました。さらにラテン語には、(主にギリシア語からの)翻訳の言語であるという特徴もあり、この翻訳という行為にも、対象を手なずけてこちらのものにするということから征服の意味合いが含まれています。

しかしローマの教会における言語は古来よりギリシア語であり(ローマ書しかり)、アフリカの諸教会が早くからラテン語を取り入れたあとも、ローマでは聖餐の祈りはギリシア語が使われていました。祈りの言葉の意味が分からないということは、聖餐の秘儀に呪文めいた効果を与え、またそれによって洗礼志願者のキリスト教への入信をさらに促し、一方すでに洗礼を受けた者の結束をさらに固めることを可能にしました。しかしその祈りの言葉も4世紀には急速にラテン語化し、すぐに定着化してしまいました。それはなぜか。

まずローマにおいては、教皇ダマススによって、異教的なローマ観がキリスト教的に転換されたことが大きな理由として挙げられます。非キリスト教徒のローマ市民は古来から続く伝統的なローマの文化や宗教こそがRomanitasを体現するものと考え、キリスト教信仰を持つことは非文化的であることの証明だと考えていました。ところがダマススは自らがローマの貴族社会とのつながりを深めることで、キリスト教を文化的宗教として位置付けることに成功しました。敵対者たちによって描かれる、貴族社会に取り入ろうとするダマススの描写は実に興味深いもので、貴族の女性を口説いたり、暴力団に賄賂を渡したりと、なかなかやりたい放題です。しかし中には真実味を帯びる報告もあり、たとえば貴族女性の誘惑については、370年にヴァレンティニアヌス帝によって、聖職者が寡婦の財産を横取りすることを禁ずる法令が布告されていることから、実際そのようなことがあったことを示唆しています(ダマススがしたかどうかはともかく)。しかしダマススの活動はこうしたことだけではなく、彼はパウロとペテロを記念する石碑を建て、そこにロムルスとレムスに代わって、ローマで殉教したパウロとペテロこそが、新たにローマのローマたる所以となったのだという内容のヘクサメーター詩を残しています。そうすることで彼は、真のRomanitasとはローマの伝統的な宗教や文化ではなく、Christianitasこそがその本質であるという転換を図ったのです。

ミラノのアンブロシウスの方はごく短くまとめますが、彼はアリウス派との論争の中で、アリウス派をゴート族すなわち蛮族とみなすことで、自らのアリウス派との戦いを、皇帝の対ゴート戦争になぞらえました。その一環で祈りの言葉もラテン語にしたわけですが、すると当然教会ラテン語は蛮族の言葉であるゴート語に対し、ローマの文化や教会の正統性を裏付けてくれることになります。こうしてみると、礼拝のラテン語化という同じ結果を得ながらも、ダマススとアンブロシウスの目的は異なっていたことが分かります。ダマススにとって、教会のラテン語化とは、ローマ教会を伝統的なローマ(異教)文化と同一化し、その威光をローマ教会に持ってくることを意味しましたが、アンブロシウスにとっては、正統教会から蛮族(あるいは異端)を排除し、キリスト教とローマ文明およびラテン語文化との同一性を強調することを意味しました。

ローマ編、ミラノ編共に興味深く読みましたが、Laffertyの説明は、どちらかというとローマのダマススについての方が手際がよかったように思います。何といってもダマススの女性を誑し込んで財産をかすめる悪党ぶりと、一方でヘクサメーターを巧みに操る詩人ぶりが鮮やかに描かれているのが印象的です。ちょっとダマススの詩でも読んでみようかしら。

Damasi Epigrammata: Accedunt Pseudodamasiana Aliaque Ad Damasiana Inlustranda IdoneaDamasi Epigrammata: Accedunt Pseudodamasiana Aliaque Ad Damasiana Inlustranda Idonea
Pope Damasus Maximilian Ihm

Nabu Press 2010-03
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

2011年11月16日水曜日

4言語の男?ヒエロニュムスとシリア語


  • D. King, "Vir Quadrilinguis? Syriac in Jerome and Jerome in Syriac," in Jerome of Stridon: His Life, Writings and Legacy, ed. A. Cain and J. Lössl (Farnham: Ashgate, 2009), 209-23.

Jerome of Stridon: His Life, Writings and LegacyJerome of Stridon: His Life, Writings and Legacy
Andrew Cain

Ashgate Pub Co 2009-06-29
売り上げランキング : 975457

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ヒエロニュムスとシリア語との関係について論じた論文を読みました。著者のDaniel Kingはウエールズのカーディフ大学でシリア学とセム語学を教えている人のようです。この論文は、副題にあるように、ヒエロニュムスのシリア語能力はどのようなものだったのか(Syriac in Jerome)、そしてシリア語の伝承文学においてヒエロニュムスがどのように受容されてきたか(Jerome in Syriac)を検証しています。


この論文でいうところの「シリア語」とは、ヒエロニュムス当時ベツレヘム周辺で話されていた「パレスチナ・アラム語」のことを指します。ヒエロニュムスがこの言語を学んでいたことは、シリアの砂漠やベツレヘムに住んでいたときの証言、またダニエル書やエズラ記などアラム語で書かれた聖書の翻訳のための必要性などから明らかです。しかしKingによると、ヒエロニュムスのシリア語学習のモチベーションは、何といっても語学力の誇示であったようです。ヒエロニュムスはヘブライ語、ギリシア語、ラテン語ができることから、自らを「3言語の男」(Vir trilinguis)と称して誇っていましたが、それに加えてシリア語もできるということは、単にマイナー言語を習得したということだけでなく、残忍なサラセン人や砂漠の野獣が住む過酷なシリア砂漠を生き抜いたタフネスをも証明してくれるので、なおさら習得すること(あるいは習得したと喧伝すること)の見返りが大きかったと言えます。

ヒエロニュムスは著作の中で、sed syrum estとかsyrum est, non hebraeumとか前置きを置いて、しばしばシリア語を引いて語源的な説明しています。ここで問題となるのが、別のところで彼がよく使うChaldaeusという言葉との関係です。カルデア語はアラム語と同一視され、アラム語はシリア語と同一視されるわけですが、ではカルデア語はシリア語と同じなのでしょうか。用語として、「カルデア語」「アラム語」「シリア語」が混乱しています。Kingによると、どうやらヒエロニュムスはこれらを区別して、「カルデア語」がバビロニアの宮廷言語を指すのに対し、「アラム語=シリア語」は外国語からの借用語を含む乱雑な言語を指すと考えていたようです。なおかつ後者を表すのに彼自身は「アラム語」という言葉を使わず、常に「シリア語」という用語を用いました。Kingの説が本当に正しいのか確証はありませんが、ヒエロニュムスの著作を読むときには一つのポイントになるでしょう。

さて、私自身の関心はここまでのSyriac in Jeromeの方にありますが、この論文自体の本領は、むしろ後半のJerome in Syriacの方で発揮されているのかもしれません(おそらくKingの専門はこちら)。6世紀から7世紀の聖人伝アンソロジーの写本には著者紹介のような欄がついているようですが、そういったところにヒエロニュムスは登場してきます。これはアラビア語圏でも同様で、アラビア語に訳された聖人伝などでも、その著者としてヒエロニュムスが挙げられています。こうした聖人伝のうちでも、Historia Monachorumなどについては、7世紀の東方シリア教会のヘナニーショがヒエロニュムスの著者性を疑問視していますが、基本的にシリア世界でのヒエロニュムス評価は、何にもまして聖人伝の作家だったようです。

2011年11月14日月曜日

ヒエロニュムスのヘブライ語能力について


  • E. Burstein, "La compétence de Jérôme en hébreu: Explication de certaine erreurs," Revue des études augustiniennes 21 (1975): 3-12.

ヒエロニュムスのヘブライ語能力を論じた論文を読みました。ちなみにこちらから全文を閲覧することができるので、ご興味ある方はご覧ください。著者のEitan Bursteinについて少し調べてみたのですが、ポワティエ大学でPh.D.を取得したこと以外、詳しいことはよく分かりませんでした。論文の最後の所属には「テル・アビブ大学」とあるので、博士号取得後にテル・アビブで教えていたのでしょうか。タイトルから見て、この論文は博論のダイジェスト版のようです。

  • E. Burstein, "La compétence en Hébreu de saint Jérôme," (PhD. diss., Université de Poitiers, 1971).


この論文は、ヒエロニュムスのヘブライ語能力を検証することを目的として、注解書と書簡から採られた6つの例(創28:19, 創17:16, エゼ38:13, 詩132:6, イザ38:9, エレ31:2)を取り上げ、それぞれの箇所についてのヒエロニュムスの注解を精査しています。これらの箇所の検証からは、いずれも興味深い結果が出てきていますが、要するに、ヒエロニュムスはしばしばヘブライ語をろくに確認することなくヘクサプラを利用して注解を書いており、ひどいときにはそのヘクサプラすらろくに見ないで(大部なヘクサプラからお目当ての箇所を探すのは大変だったので)、記憶している文章に勝手にヘブライ語を当てはめて注解を書いているのだそうです。なぜ記憶に頼っているかが分かるかというと、ヘブライ語原文にない単語が注解の中で使われていることがあるからです。さらにはそうして類推によって再現したヘブライ語が間違っているのですから始末に負えません。

たとえば、ヒエロニュムスは詩132:6をEcce audivimus illum in Ephrata, invenimus eum in campis silvaeと訳した上で、illumとeumに当たるZothというヘブライ語は男性名詞を受ける代名詞だと説明していますが、ヘブライ語原文にはזאתという単語は出てきていない上に、LXXで正しくもαὐτὴνと訳されているように、これは女性名詞を受ける代名詞です。

הנה שמענוה באפרתה מצאנוה בשדה יער
ἰδοὺ ἠκούσαμεν αὐτὴν ἐν Εφραθα, εὕρομεν αὐτὴν ἐν τοῖς πεδίοις τοῦ δρυμοῦ·

すると、ヒエロニュムスはこの箇所に関して、ヘブライ語原文に出てきていない単語を出した上に、文法的にも誤った説明を加えているわけですから、原文のチェックを怠っていることは明白です。しかし、注意しなければならないのは、だからといって多くの教父学者が言うように、単純にヒエロニュムスにヘブライ語能力がないということにはならないのです。というのも、ヒエロニュムスのヘブライ語能力の有無を論じる際になされる説明としては、彼がヘブライ語から訳したというのは偽りで、実際にはLXXを参照していたのだというものがありますが、上の例からも分かるように、ヒエロニュムスは別にLXXを参照していたわけでもないのですね。ヒエロニュムスのヘブライ語には確かにいい加減な側面があるのかもしれませんが、少なくともヘブライ語ができないことを偽ってギリシア語から聖書を読んでいたというわけではないようです。

こうしたことから、Bursteinは、ヒエロニュムスにはパッシブなヘブライ語能力、すなわちある程度の読解能力はあったようだが、作文や発話などのアクティブな能力はかなりあやしいと言わざるを得ないと結論付けています。ここらへんは現在のヒエロニュムス研究でもホットな話題ですので、引き続き他の人の見解も見ていく必要がありそうです。

2011年11月13日日曜日

『旧約学研究』第8号(創立77周年記念号、2011年)

日本旧約学会の学会誌『旧約学研究』第8号が出版されました(1-7号の目次はこちらから)。今回は学会創立77周年記念号だそうで、論文4本、シンポジウム講演録3本に加え、「日本旧約学会77年史資料(1989年以降)」という付録がついています。資料が「1989年以降」なのは、すでに『日本旧約学会55年史』という書物が1989年に出版されているからで、今回の資料はその続きに当たるようです。

この資料と相互に補うようにして、日本旧約学会および日本の旧約学の歴史について書かれた関根清三氏の会長講演録を興味深く読みました。この講演によると、日本旧約学会は1933年に設立され、日本のキリスト教関係の学会としては最も歴史が古いものだそうです。歴代会長は、渡辺善太、都留仙次、手塚儀一郎、浅野順一、左近義滋、関根正雄、中沢樹、左近淑、木田献一、西村俊昭、並木浩一、月本昭男、関根清三とあり、確かに錚々たる顔ぶれです。

『旧約学研究』第8号(創立77周年記念号、2011年11月1日発行)

論文
大澤耕史「ヘブライ語聖書における「魔術」の相関図:タルムードの議論を参考にして」……1-19

加藤哲平「新約聖書における旧約引用の問題:ヒエロニュムス『最善の翻訳法』を中心に」……21-40

小友聡「コヘレト書の反黙示思想:二つの詩文をめぐって」……41-57

山我哲雄「歴代誌でアハズ王はなぜ個人的に罰せられないのか?歴代誌における応報神学への一考察」……59-91

シンポジウム「日本の旧約学」をめぐって
会長講演
関根清三「日本の旧約学:学の回顧と学会の展望」……93-114

発題講演
西村俊昭「過去を顧みて」……115-28

野本真也「雑感」……129-37

日本旧約学会77年史 
資料(1989年以降)……139-74

日本旧約学会規約……176-77
執筆者紹介……178


*付記
誤記を見つけたので挙げておきます。
(1)執筆者紹介で、大澤耕史氏の所属が「同志社大学大学院」となっていますが、正しくは「京都大学大学院」、(2)英文目次で、加藤哲平氏の論文タイトル中に「generare」とありますが、正しくは「genere」です。

2011年11月11日金曜日

「ユダヤ化した」終末論


  • W. Kinzig, "Jewish and 'Judaizing' Eschatologies in Jerome," in Jewish Culture and Society under the Christian Roman Empire, ed. R. Kalmin and S. Schwartz (Leuven: Peeters, 2003), 409-29.

Jewish Culture and Society Under the Christian Roman Empire (Interdisciplinary Studies in Ancient Culture and Religion)Jewish Culture and Society Under the Christian Roman Empire (Interdisciplinary Studies in Ancient Culture and Religion)
R. Kalmin

Peeters Bvba 2003-10
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

論文の著者であるWolfram Kinzigはボン大学の教会史の教授です。

ヒエロニュムスは著作の中でしばしば、「我らのユダヤ化した者ら、半ユダヤ人」という者たちに言及し、その者たちが考える終末論を批判しています。しかし名前を挙げることはなく、しかも断片的な言及に留まっていて、その思想の全体像は不明でした。そこでKinzigはこの者を仮に「X」と名付けて、ヒエロニュムスの言及のすべてを精査することで、この者が誰なのか、そしてその終末論にどのような特徴があるかを突き止めました。その成果の全体はモノグラフとしてまとめる予定であり、本論文は部分的なアウトプットのようですが、Kinzigのビブリオグラフィを見てもどれがそれに当たるのかよく分かりません。

Kinzigによると、Xの終末論は預言書とヨハネ黙示録、そして異教的な思想の影響を受けており、特徴としては、1)LXXのみならずヘブライ語聖書に通じている、2)4世紀後半から378年以前の人物である、3)パレスティナ・シリア地方の土地勘がある、4)預言者の言葉を文字通り、現在的なものとしてとる、5)そうした預言に照らしてヨハネ黙示録を読んでいる、ということが分かったそうです。そして以上の特徴から浮かび上がってくる人物こそが、ラオディケアのアポリナリオスでした。実際アポリナリオスはヘブライ語に堪能で、ユダヤ・キリスト者の一派であるナザレ派との交流もありました。同時に父親はギリシア語の文法学者だったこともあり世俗の古典文学にも通じていました。さらに興味深いことに、ヒエロニュムスが「ユダヤ化した者ら」の主張として言及している文言と非常に似た文章がアポリナリオスの著作にも含まれているようです。

こうした調査の結果、全体的に分かったこととしては、a)キリスト教ローマの支配下におけるユダヤ教の影響の大きさ、b)アポリナリオスの聖地に対する興味は同時代のキリスト教徒と異なっていることなどが挙げられます。それはともかく少し気になるのは、Kinzigがアポリナリオスのユダヤ趣味・ヘブライ語趣味を「Philosemitism」と名付けていることで、Kinzig自身が注で述べているように、このタームの使い方はS. J. D. CohenとP. Schäferによって批判されています。どのような文脈で批判を受けているか、いずれ二人の論文をチェックしたいと思います。

以上のような内容的な部分ももちろん面白かったですが、この論文がいいのは注が充実していることで、特にイントロダクションでの研究史の注の中には、恥ずかしながらいくつか知らないものもありました。これもチェックが必要です。

日本ユダヤ学会2011年度関西例会

日本ユダヤ学会の関西例会が11月26日に同志社女子大学にて催されます。お二人の会員が発表されます。非会員の方も自由に参加できるようです。
http://www.waseda.jp/assoc-jsjs/

-----------------
関西例会のお知らせ

会員の方たちには別途ハガキでお知らせしますが、下記により関西例会を開催します。
会員以外の方もご関心がありましたら、どうぞご出席ください。

日時:11月26日(土)14時~17時30分
会場:同志社女子大学ジェームズ館J207教室(地下鉄烏丸線今出川駅から徒歩5分)

報告者と論題:

山本尚志会員
「日本のユダヤ人政策とユダヤ避難民-1938年秋から冬にかけて-」

アダ・ダガー・コヘン会員
「聖書ヘブライ語と現代ヘブライ語-アイデンティティーを求めて-」

2011年11月10日木曜日

キケローとヒエロニュムスの翻訳論


  • G. Cuendet, “Cicéron et Saint Jérôme Traducteurs,” Revue des études latines 11 (1933): 380-400.
翻訳者としてのキケローとヒエロニュムスを比較した論文を読みました。個人的な感想を先に示しておくと、この論文はキケローの翻訳技法を知るにはとても役に立ちますが、ヒエロニュムスに関しては得るところは少なかったです。


冒頭で、まずラテン文学と翻訳の関係について説明されます。Cuendetによると、ラテン文学はそもそもギリシア文学の翻訳からはじまったそうで、リーウィウス・アンドロニクスによる『オデュッセイア』の翻訳、エンニウスによるエウリーピデース悲劇の翻訳、プラウトゥスやテレンティウスによるピレモンやメナンドロスの喜劇の翻案、カトゥッルスによるサッフォーの翻訳などが挙げられています。しかしこれらは断片的に伝わるのみで平行箇所を比べるべくもありません。

そこで、ある程度の量の訳業が残っているラテン文学者としては、キケローが最初のひとりとなります。彼はアラートスの『パイノメナ』やプラトンの『ティマイオス』などを訳しました。キケローの翻訳論として特筆すべきは、彼が翻訳をギリシア文学を知る手段として考えていたのみならず、弁論術のよき練習方法としても考えていたということです。翻訳に対するこうした考え方は、クインティリアーヌスや小プリーニウスにも見られます。つまりキケローは「〔狭義の〕翻訳者としてではなく弁論家として訳した」ので、直訳ではなく意訳を旨とするようになったのです。

一方である時期までのキリスト教の翻訳者たちは、聖書にとりあえずアクセスできればいいという姿勢で翻訳していたにすぎませんでしたが、ヒエロニュムスはキケローに準じて直訳と意訳を区別し、基本的には意訳すべきという考え方を持つに至りました。しかし彼は聖書に限っては逐語的な正確さが必要だとも考えていました。さらに先行してあった古ラテン語訳に対する配慮も必要だったため、新約聖書の改訂に際しては控えめな校訂者に徹したのでした。

ここまではまあいいと思うのですが、Cuendetは、ヒエロニュムスの翻訳の具体例を吟味していく際に、新約聖書の訳文しか当たっていません。これはいただけません。なぜならヒエロニュムスは福音書については古ラテン語訳の校訂をしただけですし、他の文書については無名の別人によるものと考えられています。ですから、新約聖書原典のギリシア語とそのラテン語訳とを比べることでヒエロニュムスの翻訳論を語ることはできないのです。それにもかかわらずCuendetはキケローとヒエロニュムスの訳業の具体例をさらった挙句、前者は文学的な香気やラテン語への敬意を持っており、原典から独立したラテン文学足り得る翻訳をしたのに対し、後者は原典の正確な意味を追求しようとせず、機械的に翻訳したと結論付けています。こうしたことを言うためには、少なくともウルガータの旧約部分に当たるか、あるいはそもそも比較の対象として、聖書翻訳ではなく、ヒエロニュムスがラテン語訳したオリゲネスやエウセビオスの注解書などを取り上げる必要があるはずなのですが。

こうした根本的な問題はともかく、キケローの翻訳の具体例は読んでいて興味深いものが多くありました。例えば彼はヘクサメーターのギリシア詩を訳すときはラテン語でもヘクサメーターにし、またエレゲイアはエレゲイアで、イアンボスはイアンボスで再現してみせているんですね。これには驚きました(かなり難しい作業だと思います)。さらにキケローは、ギリシア語にあってもラテン語にはない文法的な制約(冠詞や分詞の用法)を、苦労してラテン語としても通じる表現に直したり、またあるギリシア語の単語にいつも同じ訳を当てるのではなく、多いものでは4つの訳語に訳しかえたりしています。

この論文は、こうした具体例を実際読んだり、ラテン文学における翻訳論の歴史を知るには非常に役に立つ一作かと思います。

2011年10月30日日曜日

伊波普猷の墓など

今日は午前中がフリーだったので、浦添城跡と首里城に行ってきました。浦添城は琉球王国が統一されて首里城が王府となる前まで、中山王たちの居城だった城です。下は浦添ようどれの英祖王陵です。

2011年10月28日金曜日

沖縄出張

出張で明後日まで沖縄にいます。朝に京都を出たときは肌寒かったので上着が必要でしたが、那覇では気温が27度ほどもあり、早くも上着を持ってきたことを後悔しています。やはり沖縄は暖かいですね。また空港のアナウンスによると、今日だけでも修学旅行生が5000人以上沖縄に来ているそうで、確かにこんなに暖かければ観光するにはいいでしょうね。

2011年10月26日水曜日

ラテン語訳聖書

  • H. F. D. Sparks, "The Latin Bible," in The Bible in Its Ancient and English Versions, ed. H. W. Robinson (Oxford: Clarendon, 1940), 100-27.

Bible in Its Ancient and English VersionBible in Its Ancient and English Version
H. W. Robinson

Greenwood Pub Group 1970-08
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

このSparksという人は、どうやら旧約聖書外典の英訳のエディターとして知られている聖書学者のようで(The Apocryphal Old Testament, Oxford 1984)、ドイツ聖書協会版のウルガータ(Biblia Sacra iuxta Vulgatam Versionem)の編集協力者にも名前を連ねています。

この論文では、ラテン語訳聖書の歴史を、(1)ヒエロニュムス以前、(2)ヒエロニュムスのラテン語訳、(3)ヒエロニュムス以後に分けて概観し、(4)最後に本文批評の分野などでラテン語訳聖書をいかに活用するかについて書かれています。正直なところ、(2)にはさほど目新しいことは書いてなかったのですが、(1)と(3)をおもしろく読みました。(1)では古ラテン語訳が扱われており、2世紀のキリスト教徒による訳業であること、原テクストの複数説と単数説があることなどが説明されます。そしてこの翻訳がなされた場所として、シリア、アフリカ、ローマを挙げたうえで、Sparksはアフリカ説を取っています。また古ラテン語訳はあくまで「翻訳」なので権威がなく、改訂も躊躇なくされていたというのは大事な指摘だと思います。

(3)では古代末期から中世にかけてウルガータがどのように受容されていったか、そしてそのとき古ラテン語訳はどのように扱われていたかといったことが説明されます。中でも少し調べなければならないのは、ウルガータを最初に校訂したカッシオドルスの役割です。カトリックの聖書の現在の姿を作ったのはこの人といっても過言ではないほどの人物のようですが、いかんせん私に知識がありませんので、いずれ調べてみたいと思います。カッシオドルスは、北イタリア版および南イタリア版の二つの写本群が一致した読みのみをテクストに採用するなど、かなりの文献学的な客観性を持った人物であったようです。

(4)では、Sparksは、ウルガータが底本としたヘブライ語テクストは、結局七十人訳よりも新しいものなので、原テクスト復元のツールとしては七十人訳の方が上であること、それゆえにウルガータの役割は、シリア語訳やタルグムなどと同様に、マソラーと七十人訳とが一致しないところのチェック用にしかならないことなどを述べています。とはいえ彼は、古ラテン語訳が七十人訳および新約聖書の本文批評に役立つことを高く評価しており、いくつか具体例を挙げて説明しています。こうしてみると、やはりウルガータは本文批評に適さないというのが大方の見解であるようです。先日読んだKedar-Kopfsteinなどは、こうした通説に対して反論しようとしていたのだと思われます。

ちなみにSparksの論文で他に読んだことがあるものとしては、次の一作があります。少し古いですが、必要な情報がバランスよく含まれた論文だと思います。

  • H. F. D. Sparks, "Jerome as Biblical Scholar," in The Cambridge History of the Bible: From the Beginnings to Jerome, vol. 1, ed. P. R. Ackroyd and C. F. Evans (Cambridge: Cambridge University Press, 1970), 510-41.

The Cambridge History of the Bible: Volume 1, From the Beginnings to JeromeThe Cambridge History of the Bible: Volume 1, From the Beginnings to Jerome
P. R. Ackroyd

Cambridge University Press 1975-10-31
Sales Rank : 746672

See details at Amazon by G-Tools

2011年10月24日月曜日

西洋翻訳論:ヘロドトスからニーチェまで


  • D. Robinson, Western Translation Theory: From Herodotus to Nietzsche (Manchester: St. Jerome Publishing, 2002).

1900650371Western Translation Theory: From Herodotus to Nietzsche
Douglas Robinson
St Jerome Pub 2001-04
by G-Tools

西洋の翻訳論について、90人の著者の124編の文章を編んだアンソロジーです。出版社はその名も「St. Jerome Publishing」。この出版社はどうやら翻訳学関係の出版を主にしているようで、「The Translator」という学術誌も発行しているようです。いい会社名ですね。

本書は、見たところ類書に比べて古代・中世の翻訳論が充実しており、英訳だけですがなかなか読みごたえがありそうです。古代の著者としては、ヘロドトス、キケロー、フィロン、ホラーティウス、パウロ、セネカ、小プリーニウス、クインティリアヌス、ゲッリウス、サラミスのエピファニオス、ヒエロニュムス、アウグスティヌス、ボエティウスなど、中世以降の著者としては、トマス・アクィナス、ロジャー・ベイコン、ダンテ、ウィリアム・キャクストン、エラスムス、ルター、トマス・モア、ティンダル、エチエンヌ・ドレ、エチエンヌ・パスキエ、モンテーニュなどが収録されています(もちろん他にもドライデンや、ゲーテ、シュライエルマッハーなど近世の翻訳論も多数ありますが、多すぎるのでここでは割愛)。

翻訳学関係の入門書を読むと、だいたいキケローとヒエロニュムスが翻訳学の祖であるとされているようで、それは確かにそのとおりだと思うのですが、本書では彼らの周辺の翻訳論にまで目が向けられているので、注意深く読めばキケローやヒエロニュムスがどのような点で独自のものを持っていたか、またどのような点で時代のコンテクストに沿っていたのかを知ることができるでしょう。キケローとヒエロニュムスの翻訳論における先進性については、他の本ですが、たとえば次のように書かれています。

  • ミカエル・ウスティノフ(服部雄一郎訳)『翻訳:その歴史・理論・展望』、白水社文庫クセジュ、2008年。

翻訳—その歴史・理論・展望 (文庫クセジュ)翻訳—その歴史・理論・展望 (文庫クセジュ)
ミカエル・ウスティノフ 服部 雄一郎

白水社 2008-11-13
売り上げランキング : 188412

Amazonで詳しく見る by G-Tools
西洋の伝統では、一般的に翻訳の諸問題には二つの起源が見出され、そのどちらもがラテン語というただひとつの言語を通して具現化している。一方は宗教書、とりわけ聖書の翻訳であり、聖ヒエロニムスをその守護神とする。もう一方は古代ローマの文学テクストの翻訳であり、『最高の種類の弁論家について』(紀元前46年)におけるキケロの厳命が想起される。(30-31頁) 


  • ジェレミー・マンデイ(鳥飼玖美子監訳)『翻訳学入門』、みすず書房、2009年。

翻訳学入門翻訳学入門
ジェレミー・マンデイ 鳥飼玖美子

みすず書房 2009-05-23
売り上げランキング : 256785

Amazonで詳しく見る by G-Tools
20世紀後半まで、西洋の翻訳理論はGeorge Steinerが言うところの「直訳(literal)」、「自由訳(free)」、「忠実な訳(faithful)」という「三つ巴」の関係をめぐる「不毛な」議論で行き詰っていたようだ。「逐語訳」(つまり「直訳」)と「意味対応訳」(つまり「自由訳」)の区別はキケロと聖ヒエロニムスに遡り、現代に至る何世紀にもわたって翻訳に関する重要な文献の基礎を成している。(28-29頁)

いろいろ調べてみると、翻訳学の視点から、ラテン世界の翻訳論についてある程度扱ったものとしては、次の本が詳しいようです(入手済みだが未読)。

  • L. Kelly, The True Interpreter: A History of Translation Theory and Practice in the West (New York: St. Martin's Press, 1979).

0312820577The True Interpreter: A History of Translation Theory and Practice in the West
Louis G. Kelly
Palgrave Macmillan 1979-11
by G-Tools

またRobinsonのアンソロジーの範囲よりあとの、20世紀の翻訳論を中心的に扱ったアンソロジーとしては、自身も理論家として有名なVenutiが編んだ次のようなものがあります。

  • L. Venuti (ed.), The Translation Studies Reader (2nd ed.; New York: Routledge, 2004).

The Translation Studies ReaderThe Translation Studies Reader
Lawrence Venuti

Routledge 2004-04-15
売り上げランキング : 12037

Amazonで詳しく見る by G-Tools

2011年10月23日日曜日

翻訳としての七十人訳


  • E. J. Bickerman, "The Septuagint as a Translation," Proceedings of the American Academy for Jewish Research 28 (1959): 1-39.

上の論文を読みました。内容としては、いわば七十人訳の概説で、七十人訳について少し詳しく知りたいときに読むのに適しているように思います。この中でBickermanが何よりも主張したかったのは、「七十人訳の翻訳者たちが、同時代の翻訳作法に従って翻訳を行った」ということで、それを説明するために古代オリエント文学やギリシア・ラテン文学との類似点を豊富に挙げています。以下では、私が興味深く読んだところを備忘録として書いておきます。

成立縁起について(pp. 7-11)。『アリステアスの手紙』によれば、七十人訳はプトレマイオス王が命じて作成させたことになっているが、研究者たちは、そうではなく、ヘブライ語に疎いアレクサンドリアのユダヤ人が自分たちの宗教上の必要性から作成したと考えている。しかしBikermanは次の4点を挙げて、研究者たちの通説に反論。第一に、当時聖書を継続的に朗読するという習慣はなかったこと、第二に、ペルシアやローマでは国家的な翻訳事業が行われていたこと、第三に、プトレマイオス王は書物収集癖があったこと(ゾロアスター教文献など)、第四に、バビロニアやエジプトではギリシア語による史書編纂事業があったこと、の4点。確かこのあたりについて、A. Kamesarの論文にも書いてあったような気がするので、あとで探します。

造語、音訳について(pp.13-23)。そもそも翻訳の技法というのはローマの産物だったので、翻訳で必要となってくる造語なども七十人訳にはほとんど見られない。オリゲネスやヒエロニュムスは、七十人訳には造語がたくさんあると考えていたようだが、それは古ラテン語訳の印象を七十人訳にまで敷衍させていたからであって、アナクロニスティックな意見。また音訳も避ける傾向にあり、音訳している語も、七十人訳より以前にギリシア語化された語であることが多い。

ヘブライズムについて(pp.24-28)。Bickermanは七十人訳の文章をヘブライズムから説明することに批判的。七十人訳はギリシア語文法上の破格はごくわずかであり、同時代のエジプトの農民が書いた文書ですらギリシア語として正確なものがあるのだから、七十人訳者たちもごく普通のギリシア語を書けたはず。それでも散見されるヘブライズムは、状況をドラマタイズするための意図的なバーバリズム。また逐語訳については、同時代の法令文書の翻訳で通常見られたもの(ゆえに、七十人訳の法令部分、および詩的部分には逐語訳が多い)。

ヘブライ語テクストとの違い(pp.29-37)。フィロンは七十人訳はヘブライ語テクストとまったく同じ文言と考えていたが、もちろんそんなことはない。翻訳上の単純なミスもあるが、プトレマイオス王に配慮した意図的な内容の改変もある(ラビ文学、ヒエロニュムス、アウグスティヌスが伝える伝説)。またエジプトのユダヤ人が読んで分かるように、地理、人名などのアップトゥーデイトな改変、神人同型論的な改変、プトレマイオス朝の慣習に合わせた法的部分の改変など。むろん、翻訳のときに被った改変だけでなく、底本としたヘブライ語テクストが現在のマソラーと異なっていることも考えられる。


ちなみにBickerman自身については、ちょうどネット上でも次の文章が読めるのでご参照ください。

  • S. J. D. Cohen, "Elias J. Bickerman: An Appreciation," Journal of the Ancient Near Eastern Society 16-17 (1984-85): 1-3.

http://www.jtsa.edu/Documents/pagedocs/JANES/1984-1985%2016-17/CohenAppreciation16-17.pdf

あるいは日本語でも、次の論文の中で少し触れられています。


ユダヤ人と国民国家―「政教分離」を再考するユダヤ人と国民国家―「政教分離」を再考する
市川 裕

岩波書店 2008-09-25
売り上げランキング : 754422

Amazonで詳しく見る by G-Tools

2011年10月20日木曜日

「音訳」が持つ解釈的な要素

今日もB. Kedar-Kopfsteinの論文をひとつ読みました。Kedar-Kopfsteinについては、昨日の記事をご覧ください。

  • B. Kedar-Kopfstein, "The Interpretative Element in Transliteration," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 8 (1973): 55-77.


この論文では、聖書における「音訳」(transliteration、あるいは「字訳」でもいいですがここでは「音訳」で統一します)に現れる翻訳者の解釈が論じられています。そもそも、「翻訳」(translation)は避けがたく解釈を含みこむものですが、最も単純な翻訳的行為である「音訳」ですら、それを逃れることはできません。しかし翻訳の本来の目的である、意味を伝える、という点に至ることのない音訳をあえてするのはなぜなのか。Kedar-Kopfsteinはその理由を3つ挙げています。(1)原文の雰囲気を残すため、(2)目標言語に同じ意味を持つ語がないため、(3)固有名詞であるため、の3つです。この論文では、3つめの固有名詞の音訳が議論の対象となっています。

つづいて、固有名詞の特徴について述べられています。Kedar-Kopfsteinによれば、固有名詞は意味の幅が最も狭いゆえに、最も有意味な品詞であることになります。であるならば、他言語において同じ意味領域をまったくカバーすることなど不可能なので、これを翻訳する必要はないし、またすることはできません。しかし固有名詞、あるいは名前にはさまざまな情報(性別、時代、場所など)が含まれていることもまた確かですので、音訳するだけでは目標言語の読者はそうした情報を得ることはできません。むしろ音訳はそうした情報を消し去ってしまうとさえいえます。

そこで、古代から現代に至る聖書の翻訳者たちはさまざまな試行錯誤をしているわけですが、Kedar-Kopfsteinは固有名詞の1)形態論的側面、2)意味論的側面、3)機能の両義性の3つを取り上げ、具体的な例を示しながら論じていきます。特に興味深かったのは3つ目の両義的側面についてで、これはつまり、普通名詞とも固有名詞ともなる語のことですが、Kedar-Kopfsteinはここで「アダム」を例に引いています。ヘブライ語において「アダム」は、「アダムとエバ」のような固有名詞としての意味と、「人間」という普通名詞としての意味を両方持っています。たとえば創5:3のアダムはすべての翻訳聖書で音訳されており、創6:5ではすべて翻訳されています。これは、翻訳者たちが前者を固有名詞、後者を普通名詞ととらえたからです。ここでは、ヘブライ語の定冠詞である「ハ」の有無が重要なカギを握っているのですが、このあたりについては、次の手島勲矢氏の論文(普通名詞と固有名詞だけでなく、〈個〉有名詞という新たなコンセプトが提示されています)が参考になると思われます。

  • 手島勲矢「ユダヤ思想と二種類の名前:イブン・エズラの『名詞論』から」『宗教哲学研究』28号(2011年)、1-15頁。

宗教哲学研究 No.28(2011)宗教哲学研究 No.28(2011)

宗教哲学会 2011-03
売り上げランキング : 1131668

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Kedar-Kopfsteinはこの他にも、「サタン」、「バアル」、「ベリアル」、「ベヘモット」などの例を挙げ、それぞれの語を翻訳者たちが固有名詞としてとらえたとき、また普通名詞としてとらえたときの問題を検討しています。

結論としては、翻訳が避けがたく解釈を含んでしまうのと同様に、音訳もまたある解釈を採用していることに他ならないと述べられています。それにしても、この人の論文は、序盤から中盤にかけての具体例の処理は見事なのですが、結論が何とも簡単なことが多いですね。しかし、ウルガータを翻訳学(Translation Studies)の観点からとらえているのは慧眼だと思います。このあたりは、言語学で博士号を取ったKedar-Kopfsteinの腕の見せ所で、他のヒエロニュムス研究者と一味違うところではないでしょうか。

2011年10月19日水曜日

公開講演会「レヴィナスの作品におけるナアセー・ヴェニシュマー〔われわれは行い、聴く〕」

レヴィナス『全体性と無限』刊行50周年を記念して、11月15日(火)12:30より、京都大学でジェラール・ベンスーサン氏(ストラスブール大学)の公開講演会が催されます。

ベンスーサン氏は、ハイデッガーやシェリングなど、ドイツ哲学の専門家でもありますが、同時にモーゼス・ヘス、マルクス、ローゼンツヴァイク、レヴィナスなどユダヤ思想の研究者でもあるそうです。詳しくはこちらから


レヴィナス『全体性と無限』刊行50周年記念
ジェラール・ベンスーサン(Gérard Bensussan)教授公開講演会

ストラスブール大学ジェラール・ベンスーサン教授の講演会についてご案内申し上げます。
フランス語による講演〔通訳付〕です。ご来聴を歓迎します。

■主 催:京都大学GCOE「心が活きる教育のための国際的拠点」京都ユダヤ思想学会
■日 時:2011年11月15日(火)午後12時30分~16時00分 
■場 所:京都大学大学院文学研究科 新館第3講義室 
    http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/about/access/ 

■講演者:Prof. Gérard Bensussan(ストラスブール大学哲学部教授) 
■講演題目:» Naasé venichmah dans l’œuvre de Levinas « 
     「レヴィナスの作品におけるナアセー・ヴェニシュマー〔われわれは行い、聴く〕」

■通 訳:西山達也(東京大学UTCP) 
■コメンテーター:合田正人(明治大学)・杉村靖彦(京都大学) 
■司 会:小野文生(京都大学) 

■連絡先:小野文生 ono[アットマーク]educ.kyoto-u.ac.jp 
 

ヒエロニュムスのイザヤ書におけるヘブライ語の読みの逸脱

今日はウルガータによるヘブライ語聖書の本文批評に関する論文を2本読みました。


  • B. Kedar-Kopfstein, "A Note on Isaiah XIV, 31," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 2 (1962): 143-45.
  • Idem, "Divergent Hebrew Readings in Jerome's Isaiah," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 4 (1964): 176-210.

Benjamin Kedar-Kopfsteinは、1968年にエルサレム・ヘブライ大学の言語学科でPhDを取得しています。ヘブライ大学図書館のカタログによると、指導教授はなんとH. J. PolotskyとC. Rabinの二人だったようです。C. Rabinは来日した際に聖書学研究所で講演をしたのですが、確かにそのときに自分が指導している学生としてKedar-Kopfsteinについて少し触れています。

  • ハイム・ラビン(関根正雄訳)「翻訳としての七十人訳:日本聖書学研究所における講義(’67.3.7)」『聖書学論集』第5号(1967年)、7-21頁。

ヘブライ語からラテン語への翻訳技術の発達経過はJeromeの訳業を見れば跡づけられる。この問題については私の所にいる学生、Benjamin Kedarが学位論文にしており、近いうちに出版されるはずである。(17頁)

その博士論文は残念ながら実際には出版されませんでしたが、ウルガータ研究では今でもしばしば引用されているものです(未見)。

  • B. Kedar-Kopfstein, "The Vulgate as a Translation : Some Semantic and Syntactical Aspects of Jerome’s Version of the Hebrew Bible," (PhD. diss., Hebrew University of Jerusalem, 1968), xv+307pp. 


今日読んだ論文の2本目、"Divergent Hebrew Readings in Jerome's Isaiah"の方は、かなり勉強になるものだったので、少しまとめておきます。まずKedar-Kopfsteinは、多くの学者がウルガータをヘブライ語聖書の本文批評(ここではUrtextの復元の意)に使うことに否定的である旨を紹介しています。ウルガータがヘブライ語の本文批評に使えない理由は主に2点で、第1に、ヒエロニュムスはヘブライ語ではなくてギリシア語写本(七十人訳)を底本にしていたに違いないから、第2に、ウルガータは後代の成立なので、底本となったかもしれないヘブライ語写本もマソラー本文に近いものだった(ゆえに七十人訳の方がUrtextに近い)と考えられるから、というものです。この2つの見解は当然ながら両立しないのですが、とにかくこれまでのウルガータ研究史の中ではこう考えられてきました。

しかしKedar-Kopfsteinは、第1の見解に対しては、ギリシア語に引きずられた訳が見られることはあっても、ヘブライ語写本がベースであると考えるべき証拠がなくなるわけではないこと、ヒエロニュムスが先行教父(オリゲネス、エウセビオス等)やユダヤ人教師から情報を得たり、諸々のギリシア語訳を見ていたのは、現在でいえばコンコーダンスや辞書を使うようなもので、あくまでヘブライ語を原典と考えていたこと、そして第2の見解に対しては、確かにウルガータのテクストは七十人訳よりは確定的だが、マソラー本文よりは流動的な性格を持っていたこと、などから反論していきます。

そしてこの論文では、ウルガータのイザヤ書と、『イザヤ書注解』にあるラテン語訳とが読みにおいて異なる箇所を取り上げ、当時のさまざまな読みの伝承を検証していきます。検証に際しては、マソラー本文、七十人訳、タルグム、ペシッタ、クムラン出土のイザヤ書(ヘブライ語)を比較しています。その結果マソラーに対してウルガータは次のような違いを持っていることが分かりました。分類すると、(1)母音の読み替え、(2)単語の分かち書きの分け方の違い、(3)子音テキストの読み替え、(4)単数複数の違い、(5)人称の違い、(6)文法構造の違い、(7)人称接尾辞の省略、(8)前置詞の変化、(9)単語の置き換え、(10)単語の省略、(11)ウルガータ写本内の異読、となります。こうした具体例はどれも興味深いものばかりで、論旨と関係なく読んでいるだけでかなり面白いものでした。とはいえ、ウルガータや『イザヤ書注解』の読みは、マソラー本文と同じものもあれば、クムラン・イザヤ書の読みと同じものもあるので、結論としては、当時のヘブライ語写本にはかなり多様性があった、ということ以上の結論は言っていないように思われます。まあこの論文は、ウルガータの訳の面白さを具体例に即して紹介することに意義があるのでしょう。

このTextusという雑誌にKedar-Kopfsteinはあと3本論文を載せているので、これも続けて読みたいと思います。

  • B. Kedar-Kopfstein, "Textual Gleanings from the Vulgate to Jeremiah," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 7 (1969): 36-58.
  • Idem, "The Interpretative Element in Transliteration," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 8 (1973): 55-77.
  • Idem, "The Hebrew Text of Joel as Reflected in the Vulgate," Textus: Annual of the Hebrew University Bible Project 9 (1981): 16-35.


ちなみに、Kedar-Kopfsteinの書籍所収論文としては次のようなものがあります。特に1つ目の論文はよくまとまっており、私も繰り返し読んだことを覚えています。


  • B. Kedar, "The Latin Translations," in Mikra: Text, Translation, Reading, and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. M. J. Mulder and H. Sysling (Philadelphia: Fortress, 1988), 299-338.

0801047234Mikra: Text, Translation, Reading, & Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism & Early Christianity
Martin Jan Mulder
Baker Academic 2004-03

by G-Tools

  • B. Kedar-Kopfstein, "Jewish Traditions in the Writings of Jerome," in The Aramaic Bible: Targums in their Historical Context, ed. D. R. G. Beattie and M. J. McNamara (Sheffield: Sheffield Academic Press, 1994), 420-30.

1850754543Aramaic Bible: Targums in Their Historical Context (Journal for the Study of the Old Testament. Supplement Series, 166)
Royal Irish Academy
Sheffield Academic Pr 1994-04
by G-Tools

2011年10月13日木曜日

日本旧約学会(2011年度秋期大会)

11月3日(木)に、青山学院大学で日本旧約学会の秋期大会が開催されます。午後は公開シンポジウムとなるので、どなたでもご参加できるようです。以下にプログラムを書いておきます。

日本旧約学会(2011年度秋期大会)
日時:11月3日(木)10:00~16:30
場所:青山学院大学(青山キャンパス)総研ビル3階、第10会議室

2011年10月12日水曜日

辻圭秋「イスラームから見たキリスト教」

友人の辻圭秋さん(同志社大学大学院)がアウトリーチ活動の一環で講演会をすることになったので、お知らせします。

日程:10月16日(日) 午後2時より
場所:日本基督教団 姫路五軒邸教会(〒670-0854 姫路市五軒邸3-34)
タイトル:「イスラームから見たキリスト教」(仮)


「アジアンサンデー集会」という企画で、定期的に日曜にアジア関係の講演会が催されているとのことです。
なお、辻さんの業績としては、次の論文があります。

「S. D. Goiteinのイスラーイーリーヤート理解:一神教研究の観点から」『一神教世界』第1号、同志社大学一神教学際研究センター、2009年、15-26頁。
http://www.cismor.jp/jp/publication/monotheistic/documents/WMR1jp_Tsuji.pdf

合わせてご覧ください。

2011年10月9日日曜日

古代・東方キリスト教研究会HP開設

古代・東方キリスト教研究会のホームページが開設されました。

古代・東方キリスト教研究会

この研究会は、高橋英海(東京大学)、筒井賢治(東京大学)、戸田聡(一橋大学)、武藤慎一(大東文化大学)の四氏が主宰している会で、2010年10月23日(土)の第一回会合からはじまって、現時点で6回の研究発表が開かれています。

2011年10月8日土曜日

オーラ・リモール、ピーター・シェーファー講演会(2011年10月29, 30日)

同志社大学神学部・一神教学際研究センター(CISMOR)主催で、10月29日(土)にオーラ・リモール氏(オープン大学)、そして30日(日)にピーター・シェーファー氏(プリンストン大学)の公開講演会が開催されます。

http://shingakubu.exblog.jp/16392039/


2011年9月27日火曜日

死海文書オンライン公開

イスラエル博物館とグーグルが昨日(2011年9月26日)オンラインで死海文書を公開しました。
http://japanese.engadget.com/2011/09/26/google/
現在は、Great Isaiah Scroll, Community Rule Scroll, Commentary on Habbakuk, Temple Scroll, War Scrollの5書が公開されているようです。

Digital Dead Sea Scrolls

2011年9月25日日曜日

近刊:Michael Graves, Jerome’s Commentary on Jeremiah

2012年の3月にヒエロニュムスの『エレミヤ書注解』の英訳が出るようです。訳者はウィートン・カレッジのMichael Gravesです。


  • M. Graves (trans.), Jerome's Commentary on Jeremiah (Westmont, Illinois: InterVarsity Press, forthcoming).

Commentary on Jeremiah (Ancient Christian Texts)Commentary on Jeremiah (Ancient Christian Texts)
Jerome Jerome Christopher A. Hall

IVP Academic 2012-03
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

2011年9月15日木曜日

日本ユダヤ学会 第8回学術大会

10月22日(土)13時より、早稲田大学で日本ユダヤ学会の第8回学術大会が行われます。非会員の参加も歓迎されているようです。今回は関西からの発表者がとても多いのが印象的ですね。

----------------------
第8回学術大会のお知らせ

日時:10月22日(土) 13:00~18:10
場所:早稲田大学戸山キャンパス33-2号館(プレハブ棟)2階第一会議室

2011年9月7日水曜日

ヴェルメシ『解き明かされた死海文書』

新刊のゲザ・ヴェルメシ(守屋彰夫訳)『解き明かされた死海文書』(青土社、2011年)を読んでいます。

解き明かされた死海文書解き明かされた死海文書
ゲザ・ヴェルメシ 守屋彰夫

青土社 2011-07-23
売り上げランキング : 72094

Amazonで詳しく見る
by G-Tools