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2017年1月15日日曜日

ミシュナーにおける口伝性 Alexander, Transmitting Mishnah

  • Elizabeth Shanks Alexander, Transmitting Mishnah: The Shaping Influence of Oral Tradition (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), pp. 1-34.
Transmitting Mishnah: The Shaping Influence of Oral TraditionTransmitting Mishnah: The Shaping Influence of Oral Tradition
Elizabeth Shanks Alexander

Cambridge University Press 2006-07-31
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『ミシュナー』は、法典(law code)として理解されることもあれば(Zacharias Frankel, J.N. Epstein, Alexander Guttman, Menahem Elon)、教育的なハンドブック(pedagogical handbook)として理解されることもある(Abraham Goldberg, Robert Goldenberg)。『バビロニア・タルムード』「ババ・メツィア」86aの記述をもとに、ラビ・ユダ・ハナシーの編纂とされることもあるが、G. Stembergerを始めとしてこの起源を疑問視する者は多い。

本書はこの『ミシュナー』の口伝性(orality)について解明しようとしている。しばしば研究者たちは、成文律法と区別される口伝律法は、実際には口伝ではなく、底本となるテクストを成句で記憶し(rote memorization)、文字通り再現したもの(verbatim reproduction of a fixed text)なのではないか、と考えてきた。しかし本書は、底本が必ずしもあったわけではないし、口伝とは文字通りの再現を目指したものではないという前提のもとに議論を進めている。テクストの口伝的観点(oral view of textuality)をもとに、テクスト様式の多様性や流動性を認めようとするのである。

こうした口伝概念のレンズ(oral conceptual lens)をもとに、著者は『ミシュナー』の権威が従来考えられていたほどすぐに確立したわけではないこと、そして『ミシュナー』にはそれを口伝で伝えてきた者たちによる積極的な関わりがあったことを指摘している。これまでは、『ミシュナー』といえば成句の記憶によって伝えられてきたものとばかり考えられてきたので、そこに伝達者たちの分析的な関わりがあることが見落とされてきたのであった。そうした積極的な関与はむしろアガダーのような自由度の高い解釈にのみ適用されるものと考えられてきた。

口伝概念のレンズ。著者が『ミシュナー』分析に用いた、口伝概念のレンズとは、Milman Parryのホメロス研究とAlbert Lordの説話研究に基づくものである。Parryは、繰り返しのフレーズ(formula)や主題(traditional thematic units)に着目することで、古代の詩人の価値とは、詩人自身の独自の考えを述べたことではなく、それまでの伝統をどのようにうまく利用したかにかかっていたことを示した。Parryの弟子であるLordは、師の理論を現代に生きている伝統に当てはめるために、ユーゴスラビアの詩人たちを対象にした。

ParryとLordの研究は、文字を読めない人たちが多くいる社会における口承の価値について、文字を読める人の社会からは見えづらいことを指摘した。第一に、あるテクストを完全に伝達するなどという発想は文字を読める社会の発想であり、詩人たちはあるテクストの文字通りの再現などもとから求めていなかった。第二に、詩人は独創的であることよりも、既存の伝統の枠内で、それに積極的に関わっていることを評価された。すなわち、テクストの伝達とは決して受動的なプロセスではなかったのである。

口伝の成立理論。ParryとLordの研究は、テクストはもとより多様なものであり、他の版よりも独自で正統な版など存在し得ないことを示している。ただし、彼らの研究は、口伝と文書との中間にあるような「過渡的なテクスト(transitional text)」を認めず、両者を明確に区別している。この口伝と文書との決定的な区別(Great Divide between orality and literary)を批判し、相互の連続的な関係性を強調した研究者がRuth Finneganである。さらにBrian Stockもまた、口伝と文書との間にあるグレイエリアに注目し、両者の相互性と同時性とを指摘した。口伝性はテクストが書かれるときでも維持され得たし、情報が口承で伝えられるときでもテクストは書かれ得たのである。

『ミシュナー』における文書性と口伝性。『ミシュナー』研究における通説では、同書の口伝性が文書性に先んじていたのであり、口伝の方がより権威を持っていたとされている。Saul Liebermanは、古代の書物の複製を基にした『ミシュナー』成立観を提示した。彼にとって『ミシュナー』とは、口伝的モデルにせよ文書的モデルにせよ、朗唱者が何らかの「底本」を基礎にして復唱したものであった。つまり、タナイームにとって重要なことは口伝律法の理解ではなく、正しい復唱だったということになる。Jacob Neusnerもまた、口伝であれ文書であれ、何らかの底本の正しい記憶に基づく復唱こそが、『ミシュナー』の口伝性だと考えていた。いわば両者の主張は、口伝を問題としながらも、究極的には『ミシュナー』の文書性にプライオリティを与えていることになる。

これに対し、Steven Fraadeは、『ミシュナー』の文書的な性格が形成されるより前に、パフォーマティヴな口伝性が存在したのだと主張した。すなわち、『ミシュナー』のテクストは成句的な記憶のための底本ではなく、口伝的なパフォーマティヴな出来事のための仮の脚本のようなものだった、という理解である。Martin Jaffeeは、『ミシュナー』テクストの多様性を強調した。我々の前にあるテクストはいくつもあった可能性のうちの一つにすぎず、それぞれの可能性のどれもが特別に権威があったわけではないのである。初期の賢者たちにとっては等しく重要だったテクストが、世代を経るにつれて、一つの権威あるテクストに集約していったのだとJaffeeは考えた。

テクスト破損の理論。子供の伝言ゲームのように、成句の複製は完全になり遂げられることはあり得ない。研究者たちは、こうした複製の不完全性を否定的に捉えるが、それはある底本があるというモデルに基づいた考え方をするからであって、J.N. Epsteinのようにテクストの流動性に注目すれば、むしろ当たり前のことである。つまり、『ミシュナー』の別の読みや、別の解釈や、空白を埋める別のテクストなどを想定するべきなのである。ただし、Epsteinは真正なテクストが次第に破損していったと考えている点では、「底本」の存在から抜け出せてはいない。つまり、初期から後期へという時間軸の変化だけを破損の原因と考えるのではなく、伝承者たちによる積極的な解釈の繰り返しこそが『ミシュナー』を「破損」させてきたと考えるべきである。後代の解釈者たちは、受動的な受け手だったのではなく、積極的な解釈者だったといえる。

2017年1月10日火曜日

アレクサンドリア学術の最高潮 Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height"

  • Rudolf Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height: Aristophanes of Byzantium," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 171-209.
History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)
Rudolph Pfeiffer

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ビザンティウムのアリストファネスは、ゼノドトス、カリマコス、エラトステネスら、前3世紀の学者たちの伝統を一身に受け継いでいると同時に、自分の弟子であるアリスタルコスを通じて、アテーナイのアポロドロスやディオニュシオス・トラクスら、後代の学者に大きな影響をも及ぼした。アリストファネスの時代のエジプト(プトレマイオス4世-5世)は、政治的には後退の兆しを見せていたが、学術においては最高潮を迎えていた。学者詩人の時代から、純粋な学者の時代になったのである。

校訂記号。アリストファネスの仕事は、テクスト、言語、文学批評、そして古代性と結びついていた。ゼノドトスが比較的自由に仮説的な「真正」テクストを作り出したのに対し、アリストファネスはより保守的に、むしろ古い写本をそのまま保存しようとした。そして、問題が認められた際には、テクストを変更することなく、そうした問題を校訂記号で明らかにした。『オデュッセイア』の終わりが23巻の296行目であるという伝統的な議論も、そのようにして行なわれた。オベロス記号はゼノドトスによる創案であったが、アリストファネスはアステリスコス記号、シグマ記号、アンティシグマ記号を加えることで、テクスト校訂の選択を読者に委ねたのである。

句読点とアクセント。句読点に関しては、イソクラテスやアリストテレスの時代から認められるが、アクセントに関しては、アリストファネスはホメロスや他のテクストに初めてアクセントを加えた文法学者であるという。

叙情詩。アリストファネスは、特に叙情詩の校訂版の出版を多く行なった。前4世紀にはすでに、詩は本来共にあったはずの音楽から乖離してしまっていた。ソフィストや哲学者は詩を文学としてのみ扱った。ゼノドトスはピンダロスとアナクレオンを校訂し、カリマコスは『ピナケス』にて抒情詩を分類し、エラトステネスやロードスのアポロニオスはアルキロコスを研究した。アリストファネスは、これら先達者たちの恩恵を受けて叙情詩の校訂を行なったのである。

現代では、叙情詩とは非叙事詩および非劇詩を指すが、古代では、哀歌的(elegiac)と歌唱的(melic)との区別があった。前者は短長格か長短短格の脚韻で、朗読風の芝居がかったものであるのに対し、後者は必ず楽器演奏がつけられ、ときに踊りを伴った。初期ギリシア文学において、叙情詩は歌唱に分類されたのである。実際、リラ演奏があるため、melicusとlyricusとは同じ意味となった。

著者は、このmelicusからlyricusへの用語の変化には、アリストファネスの影響があるという。というのも、叙情詩の分類とは、詩の理論や芸術的な実践によってではなく、校訂者がそれを必要と思うことから始まるからである。アリストファネスはピンダロスの詩を適切な順に並べ、アナクレオンやアルカイオスらの詩を校訂したようである。その際に、彼は詩を散文のように続けて書かず、韻律に則り、初めてコーラに分けて(κωλίζειν)配置したのだった。また彼は、詩の繰り返しの部分にパラグラフォス記号を付すことで、詩の連(ストロフェー)を視覚化した。そして一篇の詩の最後の部分(停止=エポドス)には、伝統的にはコローニス記号が付されたが、アリストファネスはアステリスコス記号を付した。

喜劇の校訂。アリストファネスが校訂した劇詩は、韻律に従って行分けされ、破損した固有名詞が修復され、またそれが誰の台詞であるかが分かるように工夫されていた。このような配慮に関しては、彼の師であるエウフロニオスとエラトステネスからの大きな影響を受けていた。アリストファネスは劇の「注解(ὑπομνήματα)」を書いてはいないが、「入門書/要約(ὑποθέσις)」は残している。この「要約」は、アリストテレス以降の逍遥学派が行なってきた伝統だった。彼は、メナンドロス作品を出版したことで知られているが、そうした版に付された劇の要約はアリストファネスによるものではないと考えられている。

悲劇の校訂。3世紀の学者たちは、悲劇よりも喜劇を好む傾向があった。しかしながら、アリストファネスは、カリマコスの『ピナケス』を参考にしつつ、アルファベット順に、個々の悲劇の単純で正確な「要約(ὑποθέσις)」を作成した。このような要約は、διήγησιςとも呼ばれ、「その始まりは以下のようである」という言い回しで最初の一行が引用された。

辞書の編纂。詩人や学者たちは、詩における難しい語や曖昧な表現などに関する議論を蓄積してきた。それは、アリストファネスの「辞書(λέξεις)」に結晶化することになった。それまでのそうした辞書は、語彙集でしかなかったが、アリストファネスのそれは、より広範囲で、組織的で、解釈方法の確立したものだった。彼は信頼できるテクストに基づいて、第1章で方法論を論じ、第2章で語源に基づいて語彙を挙げた。ただし、研究者たちは第3章から第6章にかけては別人の手によるものであると考えている。いずれにせよ、アリストファネスのおかげで、方言の違いのみならず当時の話し言葉の特徴をも知ることができるようになった。

彼はこの中で、ギリシア語の活用(κλίσις)についても論じている(ἀναλογία)。当時は、ソロイのクリュシッポスらによって、文法から逸脱した表現(ἀνωμαλία)が議論されもしたが、それらは総じて哲学的なものだった。これに対し、アリストファネスは常に文法の枠内で議論した。この姿勢は、アリスタルコスの弟子であるディオニュシオス・トラクスらに受け継がれることになる。

「古典」とは。古くから、傑作をものした詩人たちは、他から抜きん出た扱いをされてきた。こうした傑出した詩人たちを選び、リスト化することをἐγκρίνεινと言い、選ばれた詩人たちはἐγκριθέντεςと呼ばれた。彼らはローマでは、最上のordoやclassesにある者たちとされた。彼らは「扱われた/注解された(πραττόμενοι)」として特別の扱いを受け、繰り返しコピーされて学校で学ばれることになった。

アリストファネスはさまざまな分野で初めてのことを成し遂げ、長い歴史的発展の中で中心的な存在となった。