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2014年11月22日土曜日

セルウィウスによる『アエネーイス』注解 Stansbury, Servius' Commentary

  • Mark Stansbury, "Introduction," in Christopher M. McDonough, Richard E. Prior and Mark Stansbury, Servius' Commentary on Book Four of Virgil's Aeneid (Wauconda, IL: Bolchazy-Carducci Publishers, 2004), pp. xi-xxiii.
Servius' Commentary on Book Four of Virgil's AeneidServius' Commentary on Book Four of Virgil's Aeneid
Christopher Michael McDonough Richard E. Prior Mark Stansbury SERVIUS

Bolchazy Carducci Pub 2002-09
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ウェルギリウス『アエネーイス』の注解を残したセルウィウスは、ある文学作品を注解するためには、以下の要素を吟味する必要があると述べている。1)詩人の生涯、2)作品の題名、3)詩の特徴、4)著者の意図、5)書物の冊数、6)書物の順番、7)注解。このイントロも、セルウィウス自身によるこの主張に沿って書かれている。

生涯。マウルス・セルウィウス・ホノラトゥスはシチリア出身で、四世紀後半から五世紀前半にかけてローマで教えた文献学者(grammaticus)であった。彼は四世紀のローマの文献学者アエリウス・ドナトゥスを引用しており、一方で五―六世紀のコンスタンティノポリスの文献学者プリスキアヌスによって引用されている。当時の教育では、まず文法学者(litterator)のもとで読み書きを習い、文献学者(grammaticus)のもとで言語の正しいシンタックスと作品の解釈(ennaratio)を学び、そして修辞学者(rhetor)のもとで弁論の仕方を学んだ。セルウィウスの作品として知られているのは、ウェルギリウス作品の『注解』、アエリウス・ドナトゥス『技法(Artes)』の注解、『語末について(De finalibus)』、『百の韻律について(De centum metris)』、『ホラーティウスの韻律について(De metris Horatii)』がある。

題名。ウェルギリウス注解のタイトルとしては、commentum, commentarius, commentariumとされる場合と、expositio, explanatioとされる場合とがある。

作品の特徴。ウェルギリウス注解は『アエネーイス』、『農耕詩』、『牧歌』をカバーしている。セルウィウスは、現存しないアエリウス・ドナトゥスの注解をかなり参照しているとされる。セルウィウス注解は、二つのバージョン、すなわち九世紀以降の写本が残る「S(Servius)」と、1600年に人文学者ピエール・ダニエルが校訂した「DS(Servius Danielis)」が残っている。前者が相反するさまざまな解釈を列挙しているのに対し、後者はそのS版にさまざまなスコリアを混ぜて一貫性を持たせたものである。ただし、セルウィウス当時の注解の特徴は、注解者自身の意見を述べるのではなく、さまざまな注解者の解釈を挙げて可能性を示唆するのみに留めることで、読者に決定を委ねるというものだった(ヒエロニュムス『ルフィヌス駁論』1)。こうした文献学者の美徳は、「控えめさ(verecundia)」と「入念さ(diligentia)」という二つの言葉で表現されていた。

作者の意図。セルウィウスは、現代の注解者のように、細部から全体図まで見取り図を広げていくといったことはせず、ひたすら細部に拘った。これは、当時の注解のスタイルがそうだったからというよりは、セルウィウス自身のスタイルだった。同時代の注解者であるティベリウス・クラウディウス・ドナトゥスの『ウェルギリウス作品の解釈(Interpretationes Vergilianae)』と比較すると、セルウィルスの特徴がよく見えてくる。ドナトゥスは、『アエネーイス』を修辞学における称賛詩(genus laudatiuum)として位置づけることで、その解釈もまた文献学者ではなく弁論家によってなされるべきと考えた。そのため、ドナトゥスの注解は、原文で描かれている出来事を要約し、人物の動機を描写し、それから原文を引用するというスタイルを取った。一方でセルウィウスは語や短いフレーズに対する簡潔な説明を繋げていった。

書物の冊数と順番。セルウィウスの『アエネーイス』注解は、『アエネーイス』12巻に沿って12冊ある。彼はその中で、ウェルギリウス自身の詩のほかに、ホラーティウス、ユウェナーリス、ルーカーヌス、テレンティウスの詩を5回以上引用している。ただし、セルウィウスが何らかの比較をする場合、これらの作家たちとウェルギリウスとを比較することよりも、むしろ『アエネーイス』における別の節との比較、あるいはウェルギリウスの他の作品群との比較の方を重要視した。

さらなる参考文献。
Guardians of Language: The Grammarian and Society in Late Antiquitity (Transformation of the Classical Heritage)Guardians of Language: The Grammarian and Society in Late Antiquitity (Transformation of the Classical Heritage)
Robert A. Kaster

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オバマ弾劾演説

先日(2014年11月20日)に、共和党上院議員のテッド・クルーズが、オバマ大統領の移民政策を批判するために、キケローの『カティリーナ弾劾』第一演説の冒頭をほぼそのまま引用して演説しました。政治的な問題はともかく、現代にキケローの弁論が甦ったようで興味深いですね。キケローのもともとの演説とクルーズの演説を色分けして比較した記事があったので、そちらもリンクを貼っておきます。クルーズ版では、ところどころ現代アメリカにおけるポリティカリー・コレクトな言い回しに直してあるのも面白いところです。


http://www.washingtonpost.com/blogs/the-fix/wp/2014/11/20/ted-cruz-goes-peak-senate-in-opposition-to-emperor-obama/
(2014年11月21日閲覧)

2014年11月13日木曜日

第四マカバイ記の諸問題 Van Henten, "4 Maccabees"

  • Jan Willem van Henten, The Maccabean Martyrs as Saviours of the Jewish People: A Study of 2 and 4 Maccabees (Supplements to the Journal for the Study of Judaism 57; Leiden: Brill, 1997), pp. 58-82.
The Maccabean Martyrs As Saviours of the Jewish People: A Study of 2 and 4 Maccabees (Supplements to the Journal for the Study of Judaism, V. 57)The Maccabean Martyrs As Saviours of the Jewish People: A Study of 2 and 4 Maccabees (Supplements to the Journal for the Study of Judaism, V. 57)
J. W. Van Henten

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第四マカバイ記は七十人訳聖書中の一書だが、他の文書とは語彙に関して大きく異なった特徴を持っている。こうした四マカの文学的スタイルは、アジアニズムと呼ばれる前3世紀以来のスタイルに似ている。同じ言い回しや似たイメージの繰り返しや、同根の言葉での言い換えなどがその特徴だが、アジアニズムという評価は、対となるアッティシズムの側からの否定的評価である場合も少なくなかったので、はっきりとした定義があるわけではない。

四マカの文学的形式については、さまざまに議論されてきた。FreudenthalやThyenらは、四マカはアレクサンドリアのシナゴーグにおける説教、特にハヌカー祭のときに語られた説教だったと考えたが、これは今ではあまり支持されていない。Nordenは、四マカはむしろ、前半部分1:1-3:18が哲学論文であるディアトリベー、後半部分3:19-18:24が個人に対する賛辞であるエンコーミオンだと考えた。実際古代の注解者フィロストルギオスは、四マカがヒストリアよりはエンコーミオンだと述べている。一方でLebramは、Nordenの説を引き継ぎつつ、後半はエンコーミオンではなくエピタフィオスだと主張した。ここで言うエンコーミオン(顕徳演説)、エピタフィオス(葬礼演説)、パネギュリコス(祭典演説)などは、アリストテレスによる弁論術の分類、すなわちディカニコン(法廷弁論)、シュンブーレウティコン(議会弁論)、エピデイクティコン(演示弁論)のうち、三つ目である演示弁論に分類されるものである。ディカニコンが過去のことを法廷で、またシュンブーレウティコンが未来のことを議会で議論する際に用いられるのに対し、エピデイクティコンは現在のことを祭りや葬儀などで議論し、徳を賞賛したり悪徳を非難したりする際に用いられた。以上の関係を図示すると次のようになる:
  • ディカニコン(法廷弁論)
  • シュンブーレウティコン(議会弁論)
  • エピデイクティコン(演示弁論):エンコーミオン(顕徳演説)、エピタフィオス(葬礼演説)、パネギュリコス(祭典演説)
エンコーミオンもエピタフィオスも共に死者を賞賛する際に用いられたが、前者は個々人を対象とし、かつ必ずしも名誉の死を前提としないのに対し、後者はもともとアテーナイにおいてポリスの名誉のために死んだ市民全体を顕彰する愛国的なものだった。Lebramはさらに、葬礼演説がしばしば墓の前で行なわれたことと、四マカ17:8に架空の墓碑銘が出てきていることから、四マカ後半は葬礼演説であるという主張を続けている。ただし、Van Hantenは、四マカ後半が葬礼演説として解釈できることと、四マカが実際に墓の前で読まれたこととは別の問題であると指摘している。また、四マカ後半には、葬礼演説には似つかわしくない苛烈な拷問の描写があることにも注意すべきであるという。

こうした前半と後半とのスタイルの違いから、Lebramは、現在の四マカはそれぞれ別のソースを一つに編集したものだという仮説を立てたが、両者の修辞イメージの一貫性、相互参照、似た語彙、言語的・主題的な関連性などから、まったく別物と考えることはできないとVan Hantenは述べている。むしろこうした構造は、アリストテレスによる弁論が備えるべき二つの特徴を現している:第一に、主題と問いがあること(プロブレーマあるいはプロテシス。四マカではヒュポテシス)。第二に、その証明があること(アポデイクシス)。

四マカは、殉教物語の素材に関しては、二マカに大きく依拠している。二マカ自体はキレネ人ヤソンの現存しない文書に依拠していると述べられているが(二マカ2:19)、四マカは二マカとヤソン文書の両方を知っていたとされている。二マカと四マカとの比較によって得られた結果を、Van Hentenは四点ほど指摘している。第一に、四マカ著者は、二マカにおける殉教者の台詞を、自らの言葉で語りなおしている。第二に、四マカ著者は殉教者の台詞を敷衍し、拷問の様子を拡大している。第三に、しばしば四マカには、二マカの文章をそのまま取ってきたような箇所が見られる。第四に、いくつかの箇所で、四マカは二マカに記された情報とは違う情報を提供している。Van Henten によれば、これらの違いは、四マカ著者が二マカの素材を、自分の論文の論旨と、四マカの読者の社会文化的な文脈とに適用させるための「脚色(adaptation)」によるものだという。

四マカが成立した時代について、Grimmをはじめ多くの学者は一世紀としている。これに対しBickermanは、四マカ中でキリキアがローマ属州として説明されていることを受けて、同地がローマ属州であった18-54年を四マカ成立の年代としている(Hadasはさらに37-41年にまで範囲を狭めた)。しかし、文書中である事柄が説明されているからといって、必ずしもそれが文書の年代を特定できるわけではないし、そもそもキリキアは72年まで実質的にローマ属州であったことがのちに判明したために、Bickermanの年代特定は不確実であるといえる。Breitensteinは、四マカが神殿に無関心であることから、神殿崩壊後の70年以降を成立年代とした。さらに、Dupont-SommerやCampbellは、ヘレニズム哲学の再興隆の時期と重ね合わせて、2世紀に書かれたと主張した。Van Henten自身は、神殿への無関心、ユダヤ人やユダヤ地方の抽象化、使徒教父文書との類似、新約聖書との非類似などから、二世紀初頭からそれ以降の成立と結論付けた。書かれた場所としては、アレクサンドリアやアンティオキアといった大都市を想定する者と、小アジアの小さな町を想定する者とに別れる。Van Hentenは、殉教の舞台自体はアンティオキアだったとしつつも、文書が書かれたのは小アジアだったと主張する。というのも、四マカにおける歴史記述が小アジアを想定している箇所があり、さらには作中の墓碑銘で使われている語彙が小アジアで出土した碑文と酷似しているからである。

2014年11月12日水曜日

アブラハムの魂を持った母親 Young, "Women with the Soul of Abraham"

  • Robin Darling Young, "The ‘Woman with the Soul of Abraham:’ Traditions about the Mother of the Maccabean Martyrs," in "Women Like This:" New Perspectives on Jewish Women in the Greco-Roman World, ed. Amy-Jill Levine (Early Judaism and Its Literature 1; Atlanta: Scholars Press, 1991), pp. 67-81.
"Women Like This": New Perspectives on Jewish Women in the Greco-Roman World (Early Judaism and Its Literature)
Amy-Jill Levine

Society of Biblical Literature 1991-01
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第二マカバイ記および第四マカバイ記に、七人の兄弟と母親の殉教物語が出てくるが、これらの文書では母親の名前は記されていない。ラビ文学においては、ハンナ、ミリアム・バット・タンフム、ギリシア語およびシリア語のキリスト教文学においては、ソロモーネ、マルト・シモウニなどと呼ばれている。この論文では、マカベア殉教者物語とその中での母親の役割、母親の描写で用いられている用語、そしてユダヤ教におけるこの母親の内的生と公的役割が論じられている。

二マカは、内容的にはセレウコス朝支配下のパレスチナを舞台に前180-161年頃のことを記している文書で、前1世紀に成立した。殉教物語は6:7-7:42に残されている。殉教物語を書いた目的は、第一に、マカバイ記の一連の出来事がユダヤ民族を全滅させるためではなく、教訓をもたらすためであることを思い出させるため(6:12; 17)、そして第二に、若者たちに高貴な模範を残し、彼らが律法のために高貴な死に方ができるようにするため(6:28)であった。

二マカには、ストア派的な影響、あるいはストア哲学のユダヤ教的受容が見られる。エレアザルが勇気(アンドレイア)の模範として描かれているところや(6:31)、母親の第一のスピーチの中で、男性的勇気によって女性的心情を奮い立たせているところ(7:21-23)などがそうである。一方で、極めてユダヤ教的な部分も見られる。たとえば、殉教者たちがユダヤ教の律法を遵守し、預言を成就する模範として描かれていることや、母親が息子たちに「父祖の言葉」で語りかけているところ、また復活あるいは不死を語るところなどがそうである。

つまり、二マカにおける殉教物語は、ストア的用語と宗教的アイデアとを用いて、新しいイスラエルの英雄像を描いているのだといえる。二マカは、彼らの英雄譚はマカバイ戦争とは別のところで語っているが、彼らの犠牲こそがユダヤ人の勝利につながったと考えているのである。

対する四マカは、二マカを解釈し、拡張している。前者で重視されていたマカバイ戦争はあまり重要視せず、より透徹したストア哲学を用いている。歴史的データをほとんど描いていない一方で、母親の行為やその解釈については、かなり複雑になっている。文学的には、修辞的なディアトリベーとパラエネシス(奨励)といったジャンルに分類することができる。思想的には、ストア哲学と中期プラトン主義の折衷といえるが、実際のところ、著者は、犠牲の概念、霊的な家族関係、律法の遵守、そして永遠の生への復活といったさまざまな事柄を、哲学的にというよりも神学的に解釈している。

四マカの目的は、敬虔な理性が情念を支配することができると証明することであり(1:1, 1:13; 76)、それを、徳のために死んだ人々、すなわちエレアザル、七人の兄弟とその母親の勇敢な行為(1:8)を通して証明しようとしているのである。四マカは基本的な構造を二マカに負っているが、ディアトリベーと賛辞を加え、さらに理性的に最も弱い者、すなわち母性につながれた母親における理性の勝利というパラドックスに紙幅を費やしている。四マカは、アンティオコス王に属する一時的な王制と、神の永遠の王制(あるいは、王の言葉に従うことによる一時的な安全[ソーテーリア]と、神に従った永遠の生をもたらす敬虔さ[エウセベイア])とを比較しているが、同時に、母親の、親としての愛情(ストロゲー)と、律法に従って訓練された母親の理性(ロギスモス)も比較している。

四マカは二マカよりも母親の人物像の倫理的側面に光を当てている。これは、二マカにもある母親の二つのスピーチと、四マカの二つのスピーチ(16:15-23, 18:6-23)とを比べると明らかである。四マカの第一のスピーチの中では、二マカで語られていた創造論などの神学的なことは語っていない。むしろ、アブラハム、イサク、ダニエルといった聖書の登場人物たちのように、律法を遵守して死を選ぶように諭している。第二のスピーチは、本の最後のところで補足のように伏されている(ゆえに、四マカの本当の結論はこのスピーチの前の17:7-18:5である)。この中では、興味深いことに、二マカには一切出てこない兄弟たちの父親のことが語られている。

母親の描写および説明は、14:11を皮切りに作品の終わりまで続いていくが、その中で一貫しているのはアブラハムのイメージである(14:20等)。彼女が兄弟たちを一時的な救いではなく、永遠の救いへと導いたことにより、神を畏れるアブラハムの勇敢さを思い出し(15:28)、ついには「民族の母」という、アブラハムと同等の地位にあると見なされている(15:29)。16:14では、「信仰のために戦った年老いた神の兵士」と、男性的な称号を授けられているが、これもアブラハムを暗示しているといっていい。極めつけは、17:2-6における母親へのアポストロフェーで、この中で母親は「アブラハムによって子供をもうけた」とまで言われている。この箇所で著者の念頭にあるのは、創22章のアブラハムによるイサクの奉献である。これは第一に、アブラハムのように、彼女の子供たちが星の中で数えられていること(17:5)、そして第二に、アブラハムのように、彼女は自ら進んで自分の子供を犠牲に捧げたことから、そのように言える。

2014年11月10日月曜日

祭司エレアザル、七人の兄弟とその母親の殉教 Van Henten and Avemarie, "Martyrdom and Noble Death"

  • Jan Willem van Henten and Friedrich Avemarie, Martyrdom and Noble Death: Selected Texts from Graeco-Roman, Jewish and Christian Antiquity (London: Routledge, 2002), 42-77, 132-51.
Martyrdom and Noble Death: Selected Texts from Graeco-Roman, Jewish and Christian Antiquity (The Context of Early Christianity)Martyrdom and Noble Death: Selected Texts from Graeco-Roman, Jewish and Christian Antiquity (The Context of Early Christianity)
Friedrich Avemarie Jan Willem van Henten

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本書の第二章Noble Death in Early Jewish Sourcesと第四章Martyrdom and Noble Death in the Rabbinic Traditionの、第四マカバイ記の殉教物語と関係する箇所を読みました。前者ではダニエル書3章および6章、第二マカバイ記、第四マカバイ記、フィロン、ヨセフスなどが扱われ、後者ではタルムードや各種ミドラッシュなどのラビ文学が扱われている。

二マカは、アンティオコス4世、アンティオコス5世、デメトリオス1世の治世(前175-前150年)の歴史を網羅しているが、実際に書かれたのは前124年頃と考えられている。内容としては、ハヌカーのもとになったキスレヴ月の新しい祭りへの参加を招く二つの手紙(1:1-2:18)と、ユダヤ解放の歴史(3-15章)とから構成されているが、後者の中にはエレアザル(6:18-31)、母親と七人の兄弟(7章)、そしてラジスの自殺(14:37-46)と、アンティオコス4世のもとで起きた3つの殉教物語が含まれている。前者二つの殉教物語においては、逮捕や尋問の過程ではなく、殉教者と王との対立に焦点が絞られている。加えて、二マカにおいてはエルサレムの神殿がきわめて重要なものとして描かれる。興味深い点を以下列挙:
  • 二マカ6:30におけるエレアザルの台詞「聖なる知識を持っておられる主は、すべてのことを見通しておられる。私は死を逃れることもできたが、鞭打たれ、耐え難い苦痛を肉体で味わっている。しかし、心では、主を畏れ、むしろそれを喜んで耐えているのだ」は、箴1:7, 9:10などの知恵文学の影響を受けていると考えられる。
  • 二マカ7:8「父祖の言葉」はアラム語かヘブライ語か不明だが、この表現は、兄弟たちの殉教が宗教的な観点からなされたものである一方で、ユダヤ民族の一員として死ぬというユダヤ的なアイデンティティからなされたものであることを示す。
  • 二マカ7:21「彼女は、息子たち一人一人に父祖たちの言葉で慰めを与え、女の心情を男の勇気で奮い立たせながら、彼らに言った」は、通常こういった文学で男性に帰せられる勇気や徳あ女性に帰せられるようになった例。のちに初期キリスト教文学に引き継がれる。四マカではこの点がより強調される。
  • 二マカ7:41「最後に、子供たちの母親も死んだ」と、母親の死が極めてシンプルに描かれているが、四マカでは彼女の神への賛美を長く付け加えている(四マカ14:11-16:25)。
四マカは、敬虔な理性の自律に関する哲学的な論文と、二マカで描かれたマカバイの殉教者たちの称賛とから構成される。こちらでは、二マカよりも母親に対する比重が重くなっている。かつては別々の資料を編者が再構成した書物と考えられていたが、語彙やスタイルの共通性から、ひとつながりの文書と考えられている。ただし、二マカをソースとして用いているのは明らかである。四マカは、アレクサンドリアかアンティオキアで、1世紀後半から2世紀初頭に書かれたディアスポラの書物で、ユダヤやエルサレム神殿に対するこだわりは見られない。また、哲学的な議論とそれを証明する具体例(アポデイクシス)こそが主題であるので、二マカで出てきたユダ・マカバイの軍事的な戦争は出てこない。哲学的には、当時のさまざまな哲学を参照しているが、最終的には、エウセベイアを基礎とした情念支配論といった、哲学としてのユダヤ教を押し出している。

ラビ文学においては、殉教物語はあまり多く残されていない。これはラビ文学において殉教が重要なポイントでなかったからではなく、ラビ文学は殉教というしゅだいに関して、個人のケースや歴史的な事柄よりも、その神学的な意味や倫理に照準を合わせていたからと考えられる。二マカおよび四マカに残されている母親と七人の兄弟の殉教物語に相当するエピソードは、『哀歌ラバー』1.16(およびその変形として、『バビロニア・タルムード』「ギッティン57b」、『プスィクタ・ラバティ』43)にある。二マカと哀歌ラバーとは、物語の語りにおいて、エレアザルに対する王の配慮、殉教者自身の罪意識、母親から末子への助言、母親による子供へのいたわりの描写、拷問器具としてのフライパンの使用などといった点が共通している。四マカと哀歌ラバーとは、殉教者をアブラハムおよびイサクと比較する点、末子と母親の描写を重視するが共通している(哀歌ラバーによると、末子の年齢は、6歳と半年と2時間だという)。一方で哀歌ラバーだけに見られる特徴としては、一神教意識が色濃いこと、そして未来における報い(迫害者に対する否定的な報いと殉教者に対する肯定的な報いの両方)の意識が薄いことが挙げられる。

2014年11月9日日曜日

第四マカバイ記における殉教者 O'Hagan, "The Martyr in the Fourth Book of Maccabees"

  • Angelo P. O'Hagan, "The Martyr in the Fourth Book of Maccabees," Studii Biblici Franciscani Liber Annuus 24 (1974): 94-120.
本論文の中で、著者は第四マカバイ記において殉教者たちがどのように解釈・理解されているかを、二つの立場、すなわち他の人間たちに対する殉教者の立場、そして神の前における殉教者の立場の双方から検証している。前者の立場においては、証人(witness)、競技者(champion)、そして徳の模範(paradigm of consummate virtue)としての殉教者としての殉教者の役割が、そして後者の立場においては、仲裁者(interceding)、贖罪者(atoning)、そして犠牲にされた者(being sacrificed)としての殉教者の役割が語られている。

証人としての殉教者。四マカにおいては使われていないものの、マルテュスという語は法廷における意味(forensic)と倫理的・宗教的な文脈における比喩的な意味(tropological)とを持っている。四マカに出てくるこれと関連した語としては、ディアマルテュリアがあるが(16.16)、この箇所にも両方の意味が重なっている(四マカにおける殉教者たちは、実際王の前で裁判にかけられている)。一方では神に成り代わって法廷に立ち、他方では民の代表者でもある四マカの殉教者は、キリスト教における殉教理解のさきがけになったともいえる。

競技者としての殉教者は、さらに三つのイメージとも重なっている。第一に、戦争における戦士のイメージ。オリンピックなどでもそうであるように、競技者とは、代理戦争としてのスポーツを通してある集団の卓越性を示す戦士の役割をも担っていた。しかも四マカにおける殉教者たちは、ただユダヤ民族の代表であるばかりか、神のために戦う者たちでもあった。第二に、神の定めた歴史を遂行する者のイメージ。彼らの理解によれば、歴史は神がすでに定めたものであり、人は定められたとおりに進んでいくのみである。その宇宙的な秩序を遂行するのが殉教者なのである。第三に、死によって勝利する勝利者のイメージ。殉教者たちは、忍耐(ヒュポモネー)によって、迫害者の野蛮さに勝利する。四マカはそれを表現する際に、復活などの黙示的用語は避け、代わりに知恵文学などに見られる個人における終末論的用語を用いている。そこでは、肉体の復活ではなく、天上における終わりなき生が語られる。

徳の模範としての殉教者。旧約聖書においてもギリシア文学においても、模範となるべき徳を備えた登場人物の描写を通して教育するという例はあったが、四マカなどヘレニズム・ユダヤ文学において両者が融合した。ただし、四マカは殉教者たちを殉教の模範として描いているわけではなく、あくまでも理性が情念を支配できることを体現する徳の模範として描いている。しかしその際には、ストア派の最高の徳であるアパテイアの高みではなく、むしろ宗教的な理性(エウセース・ロギスモス)を通して苦痛を耐えるヒュポモネーを中心に据えている。これは、ヘレニズム化された聴衆に、反ヘレニズム的なヘブライ的徳としてのエウセベイアを教えるためであった。このエウセベイアは、律法の遵守によって可能になる。死に至るまでに律法を信じることの例は、『モーセの昇天』、『第四エズラ記』、ヨセフス、ミシュナーなどにも見られるものであった。

以上が、人間に対する殉教者の役割で、以下は神に対する殉教者の役割である。

仲裁者としての殉教者。当時のユダヤ教では、ある者が他の者に代わって神との仲裁の役割を担うことができると信じられていた。そうした仲裁者は、法廷における弁護士のように、ある種の特権的な代表者としての地位が与えられた。この仲裁者としての役割は、以下の贖罪者および犠牲者としての役割にも密接に結びついている。

贖罪者としての殉教者。殉教者の祈りは、罪人に対する神の恵みを願う和解の祈りである。四マカ当時のユダヤ文学では、人々の罪の意識が顕著であり、それはぜひとも贖われなければならなかった。しかし次第に、それは罪人自身ではなく、犠牲による身代わりでも果たされるものだという考え方(theology of vicarious satisfaction)が生まれていった(ただしこれはパリサイ派など、のちにユダヤ教の中心的な思想を形成する派閥にはない考え方だった)。四マカにおける「身代わりの贖罪」という考え方の直接的な背景は、第二マカバイ記における並行記事である。二マカにおいて、殉教者たちは、自らの死によって、民全体にもたらされた神の怒りを静めようとしていた。二マカと四マカとの違いは、殉教者の民との距離である。二マカにおいては、殉教者は罪のある民と自らとを同一視しているように描かれている。一方で四マカにおいては、殉教者本人はまったく潔白であるにもかかわらず、罪ある民のためにそれを肩代わりしてあげたように描かれている。

犠牲にされた者としての殉教者。四マカにおいて殉教者たちの死は、神と人とを仲裁し、人々の罪を贖うための自発的な犠牲として解釈される。一方で、二マカにおいて殉教者たちの死は、神殿とそこでの犠牲という文脈において解釈される。両者の違いを検証するために、論文著者はさまざまな犠牲にまつわる語の使用を調べた。なかでも興味深いことに、二マカが犠牲(テュシア)とその類語を頻繁に使うのに対し、四マカには一切出てこず、また二マカが血(ハイマ)を犠牲とも殉教とも関係ない文脈でしか使っていないのに対し、四マカは犠牲としての殉教者の血という意味合いでこの語をしばしば使っている。つまり、二マカが神殿と神殿祭儀に大いに関心を持っているのに対し、四マカはそうではなく、むしろ犠牲用語を殉教者と結びつけることに腐心している。さらに清めにまつわる語の使用を見ると、二マカが聖なる(ヒエロス)という語を神殿に言及する際に用いているのに対し、四マカは殉教および殉教者を形容する際に用いている。以上のような比較の結果として、著者は四つのポイントを指摘している。
  1. 二マカも四マカも共に犠牲に関心を持っているが、それぞれの使用の文脈は異なる。
  2. 二マカが伝統的な神殿の清めや犠牲を描いているのに対し、四マカは神殿犠牲にまったく頓着していない。
  3. 二マカが殉教者の死を犠牲祭儀としては見ていないのに対し、四マカはそのように見ている。
  4. 二マカが殉教者の受難や死を犠牲祭儀の用語と関連付けないのに対し、四マカは殉教者を犠牲祭儀の用語で描写している。
すなわち、四マカは意図的に、二マカで描かれている殉教を神学的に解釈し、犠牲祭儀の用語を殉教者の描写に用いることで、殉教者の死を贖罪の犠牲のアナロジーと見なしているのだった。旧約聖書における動物犠牲やイサクの奉献と同様に、四マカにおいて殉教者たちの命は神に捧げられ、それによって民の罪が贖われたのである。さらには、殉教者たちの犠牲は自己の弱さや悪に打ち勝って、自発的に行なわれた気高い犠牲であった分、神殿祭儀よりもさらに尊いものであったということができる。

2014年11月6日木曜日

第四マカバイ記におけるノモス Redditt, "The Concept of Nomos in Fourth Maccabees"

  • Paul L. Redditt, "The Concept of Nomos in Fourth Maccabees," The Catholic Biblical Quarterly 45 (1983): 249-70.
第四マカバイ記の主題は、敬虔な理性が情念を支配できるかを議論することである。しかし、Urs Breitensteinによれば、実際中心的に語られているのは、理性が敬虔さに基づいていること、そしてその本質は律法遵守にあることであるという。言い換えれば、四マカにおいては、律法、すなわちノモスの概念こそが中心的な議題なのである。ノモスという語は四マカにおいて40回出てくるが、そのうち5箇所は明らかに五書に出典があるものであり、その他も五書を指していると考えられる。

このノモスの機能として、Redditは5つの特徴を挙げている。
  1. 教育すること(teaching):古代ギリシアにおいて、ノモスという語は子供のしつけや一般的な訓練のことを意味していた。ここから、ユダヤ文化の継承をノモスという語が示すようにもなった。
  2. 理性的な生を可能にすること(enabling rational living):人間が創造されたときに、ヌースにノモスが与えられたことで、理性的な行動が可能になった。
  3. 奨励すること(encouraging):ノモスは人間に敬虔な振る舞いをするように奨励する。
  4. 非難すること/しないこと(condemning/not condemning):ノモスは、脅迫に屈して律法遵守を破った者を非難することもあれば、そうした脅迫に対抗できるように励ますこともある。
  5. 当為命令と禁止命令(commanding/prohibiting):ノモスは人間にさまざまな命令を下す。人間はそれは従うべきだが、生命の危険など、さまざまな理由で例外的に従わなくてもよい場合もある。
以上より、Redditは、ノモスは単に律法というだけではなく、理性的な生を教えるものでもあると結論付ける。

Breitensteinは、四マカに表れる哲学について次のように述べている。第一に、哲学が殉教物語にきちんと統合されていない。第二に、一貫したギリシア哲学の原理を欠いており、直接の引用もない。第三に、ノモスを中心とした宗教的粉飾が施されている。これを受けてRedditは、自然、理性、知性、知恵、哲学、そして真理といったギリシア哲学の用語が四マカにおいてどのように使われているかを検証した。
  1. 自然(ピュシス):ストア派以前はピュシスとノモスとはまったく別物であったが、ストア派は自然に従って生きることが恣意性を克服する人間的なノモスだと考えた。さらにユダヤ教はそのノモスを人ではなく神に帰した。いうなれば、四マカにとってピュシスとは、神によって創造された世界秩序としてのノモスと理解することができるため、ストア派の言う「人間はピュシスに即した生を送るべき」という考え方は、人間はノモスに従って生きるべきと言い換えることができる。こうしてノモス=トーラー=ピュシス=神という等式が完成する。
  2. 理性(ロギスモス):ロギスモスが十全に機能するためには宗教への帰依が必要とされる。つまり、ロギスモスは独立したものではなく、宗教(エウセベイア)との関係の中で働く。ユダヤ教においてはノモスもエウセベイアも共にロギスモスとの関係の中にあるので、ノモスとエウセベイアとは同一視される。これに対して、ギリシア哲学では、ノモスとは人間の慣習でしかないので、決して宗教とは結びつかない。
  3. 知性(ヌース):ほぼロギスモスと同じ意味で使われている。創造のときに人間のヌースにはノモスが与えられたと説明されている。
  4. 知恵(ソフィア):ソフィアの範疇として、ストア派の枢要徳が挙げられている。一方で、旧約的な知恵文学の影響から、ソフィアとノモスとは同一視される(箴1:7「神への畏れは知恵の始まり」)。
  5. 哲学(フィロソフィア):ソフィアと同様に、フィロソフィアもノモスと同一視される。四マカで王はユダヤ教をばかげたフィロソフィアと述べるが、エレアザルは、自分たちのフィロソフィアをピュシスに即した極めて合理的なものと反論している。
  6. 真理(アレテイア):ヘレニズム的なアレテイアを持ち出す王に対し、エレアザルはユダヤ的なエメットは神を喜ばせる生の秩序であると述べている。
以上から、四マカにおいてノモスは人間の慣習とはまったく違うものと考えられていることが分かる。また、ノモスは自然的であると共に理性的なものである。ゆえに、ノモスに従って生きることは単なる慣習ではなく、知恵や哲学のしるしに他ならない。四マカはノモスの説明のために、ギリシア哲学的な用語を用いてはいるが、その中身はすぐれてユダヤ的である。

四マカにおける殉教物語に出てくる殉教者への賞賛は、ギリシア文学のジャンルであるエピタフ(墓碑銘、追悼詩文)と共通する特徴を持っている。エピタフの4つの特徴としては、第一に、ペルシアの王が暴君のプロトタイプとして出てくること、第二に、暴君に屈するよりも自分自身の法に従う者が出てくること、第三に、殉教者の戦いが宗教的な敬虔さの戦いとして描かれること、そして第四に、生の一時性と死後の永遠の報いを強調することがある。まさにこれを踏襲している四マカは、修辞法であるディアトリベーとエピタフとの混合物であるといえる。また殉教物語は著者の主張の証拠として機能している。

四マカはユダヤ人の共同体がギリシア世界の中でどのように生きるべきかを語っている。特に食餌規定の遵守は何度も言及しているが、割礼、安息日、神殿あるいはシナゴーグでの礼拝などについては欠落している。著者はこうした特徴を、四マカが書かれたと考えられるアンティオキアのユダヤ人共同体の特徴と重ねて説明している。