ページ

2012年3月29日木曜日

アウグスティヌスはヒエロニュムスの翻訳聖書を用いたか?

  • Anne-Marie La Bonnardière, "Did Augustine use Jerome's Vulgate?" in Augustine and the Bible, ed. Id. (The Bible through the Ages, vol. 2; trans. Pamela Bright; Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1999), 42-51.
Augustine and the Bible (Bible Through the Ages)Augustine and the Bible (Bible Through the Ages)
Pamela Bright

Univ of Notre Dame Pr 1999-08
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

聖書を中心としてアウグスティヌスとヒエロニュムスがどのような立場を取ったかについて書かれた論文を読みました。この本はフランス語からの英訳です。
  • Anne-Marie La Bonnardière, "Augustin a-t-il utilisé la 'Vulgate' de Jérôme?" in Saint Augustin et la Bible, ed. Id. (Bible de tous les temps, vol. 3; Paris: Beauchesne, 1986), 303-12.
B0000EA8MKSaint Augustin et la Bible (Bible de tous les temps)
Anne-Marie la Bonnardière
Beauchesne 1986
by G-Tools

アウグスティヌスはヒエロニュムスのウルガータ聖書を用いたか?という問いの答えは、もちろん「そのとおり」に決まっているわけですが、Bonnardièreはまず、「ウルガータ」という言葉はこの論文でヒエロニュムスの訳した聖書のことを指すと但し書きをしています。なぜかというと、ウルガータとは本来「普及版」の意ですから、我々にとっての「ウルガータ」はヒエロニュムスのラテン語訳ですが、ヒエロニュムスにとっての「ウルガータ」は七十人訳を基にした古ラテン語訳のことを指すからです。ではこの「ウルガータ」に対してアウグスティヌスがどのような姿勢を取ったかを検証するに当たって、紙幅の都合からBonnardièreはアウグスティヌスとヒエロニュムスの往復書簡を外し、『七書注解』、『神の国』、『キリスト教の教義について』、『補遺426』を対象にするとしています(実際論文の中では最初の2つだけが取り上げられています)。

『七書注解』のいくつかの箇所において、アウグスティヌスはヒエロニュムスによるヘブライ語からの訳と七十人訳とを比較しています。このとき、どんなにヘブライ語の方が明瞭であっても、アウグスティヌスは七十人訳を参照し続けました。また彼はヒエロニュムスの『創世記におけるヘブライ語研究』をも読んでいた節があります。J. Divjakが新たに発見したアウグスティヌスの書簡27によると、ヒエロニュムスは『ヘブライ語研究』をカルタゴのアウレリウスに送っており、おそらくアウグスティヌスはそこからこの書物を手に入れたものと思われます。

『神の国』の執筆に際しても、ヒエロニュムスの著作はアウグスティヌスにとって最も重要な情報源でした。とはいっても、彼はヒエロニュムスのヘブライ語からの訳だけに重きを置いたわけではなく、七十人訳の翻訳者たちは預言者のように「聖霊」に満たされて翻訳をしたのだから、七十人訳には神の霊感が宿っているという理解も決して手放しませんでした。たとえば『神の国』18.44で、ニネベの都が滅びる日数に関して(ヨナ3:4)、ヘブライ語には「40日」、七十人訳には「3日」と書かれていますが、ヒエロニュムスが問答無用で40日を正しいとするのに対し、アウグスティヌスは両方を正しいとします。なぜなら、40日の方は預言者ヨナの権威によるものですし、3日の方は七十人訳者に宿った預言の霊の権威によるものだからです。つまりアウグスティヌスはこの二つの解釈を、いずれも一つの霊のもとに下された預言を違うやり方で表している、と考えたわけです。同様の例としては、『神の国』20.3のゼカ12:10–11に関する解釈があります。この聖書箇所はヘブライ語では「突き刺した者」、七十人訳では「嘲弄した者」と書かれています。ヒエロニュムスはヘブライ語を正しいと考えますが、アウグスティヌスは両方の読みが正しいと述べています。こうしたアウグスティヌスとヒエロニュムスの姿勢の違いについては、P. Benoitがオリゲネスを加えて次のように書いているようです。
Origen wanted as canonical only the Greek text, leaving the Hebrew for the Jews. Jerome wanted only the Hebrew, reducing the Greek to a less accurate tradition. Augustine retained the two as different, complementary, and desired versions of the same Spirit. It is a vision of singular depth and truth. (p. 47)
  • P. Benoit, "L'inspiration des Septante d'après les Pères," in L'homme devant Dieu, ed. H. de Lubac (Paris: Aubier, 1963), 169-187. 
アウグスティヌスはヒエロニュムスのヘブライ語からの翻訳と七十人訳とを共に引用し、後者を犠牲にすることなく両方を採用しました。なぜなら、七十人訳には権威があり、ヒエロニュムスの翻訳にはヘブライ語に対する正確さがあったから、というのがどうやらこの論文の結論のようです。まあそれはそうですが、アウグスティヌスがヒエロニュムスの翻訳を入手した経路など、もう少し突っ込んだ論証をしてほしかったですね。

2012年3月27日火曜日

理論の要求

  • ジョージ・スタイナー(亀山健吉訳)「理論の要求」、『バベルの後に:言葉と翻訳の諸相』(下)、法政大学出版局、2009年、421-529頁。
バベルの後に〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)バベルの後に〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)
ジョージ スタイナー George Steiner

法政大学出版局 2009-06
売り上げランキング : 764628

Amazonで詳しく見る by G-Tools
『バベルの後に』の下巻を読み始めました。上巻は翻訳についてというよりも、翻訳について考えるための言語学的・哲学的な議論が展開されていましたが、下巻に入って、だんだんと翻訳の本質的なところに議論が及んできました。

スタイナーは翻訳の歴史を四期に分けています。第一期はキケローからヘルダーリンまでの非常に長い期間となっており、直接的で経験に基づくものに焦点が当てられていました。第二期はタイトラーとシュライエルマッハーからヴァレリー・ラルボーまでで、翻訳の理論の追究と解釈学的視点の確立を特徴としています。そして第三期は現代の潮流の中のことであり、機械による翻訳や言語理論、および楮言語学などの時代であるといえます。そしてスタイナーによれば、我々はいまこの第三段階にいるということができるそうです。スタイナーは「四期」と書いているのですが、現在が三期であるとして、第四期がどのようなものなのかについては、(私の読みが正しければ)ここでは書いていません。もしかしたらそのうち出てくるのかもしれませんが、どうなんでしょうか。

スタイナーによれば、翻訳は可能か?という問いに対し否定する側も肯定する側も、宗教的な議論から非宗教的な議論へと移っていく特徴があると述べています。たとえば翻訳など不可能とする側の代表選手として最初に挙げられるのはパウロであり、彼は、啓示の含まれた言葉を翻訳したり解釈したりしてしまうと、価値の低下は避けられないと考えました。パウロのこうした考え方は、時代が下るとハイネ、リルケ、ナボコフなどに見出すことができます。宗教の翻訳不可能性は、詩(や哲学)においても同様であるということでしょう。一方、肯定側もまた、宗教的・神秘的な議論から始まります。バベルの塔について考えてみると、この話には世界の言語が再び統一されることが見込まれているわけですから、翻訳という営みはそれを達成するために是非とも必要なものであるということになります。こうした姿勢はカバラーなどに見られますが、スタイナーによればこのユダヤ的な考え方はヴァルター・ベンヤミンに脈々と受け継がれているそうです。あるいはキリスト教の伝道においても、翻訳は福音書を多くの民に伝えたいという欲求から生まれてきたといえますが、中世からルネサンス期になると学問の伝達のために、修道院において異教の書物も本格的に翻訳されるようになります。かように、翻訳の否定側も肯定側も長い歴史の中でさまざまな意見を戦わせてきたわけですが、実際問題として翻訳が存在する以上、それについて考えてみることが必要なはずです。

翻訳の歴史の中で、翻訳の段階はよく3つの段階に分けられてきました。その例として、スタイナーはドライデン(逐語訳、模倣、意訳)、ゲーテ(自分の感覚で異国の文化に親しむ、翻訳者を代理人として異国の文化を我が物にする、原典と翻訳が完全な同一性を獲得する)、ヤコブソン(言い換え、本来の翻訳、変成)の理論を紹介しています。ここではそれぞれの紹介は省きますが、スタイナーはこうした近代の諸理論も、要するに古くからある議論の発展形にすぎないのだと述べます。
さて、翻訳についてのすべての理論—形式的、実践的、年代的な—は、たったひとつの避けられない問題の変形にすぎない。このひとつの問題とは、原典に対する忠実度はどのようにして達成され得るのか、また達成されるべきなのか、というものである。別の言い方をすれば、もとの言語におけるAというテクストと、移し入れられる受け手の言語のBというテクストの間の最善の相互関係は何か、というものである。この問題は、実は、二千年以上にわたって論じ尽くされてきたものである。しかし、聖ジェロームの述べている彼の直面した二者択一に加えて付言すべき実質的なものが、果していまあるだろうか。その二者択一とは次の如きものである。聖典の神秘の語の如く、語から語へ(verbum e verbo)訳すべきなのか、それとも、意味から意味へと訳す(sed sensum exprimere de sensu)のがよいのか、との選択の問題である。(470-71頁)
 しかしスタイナーは、こうした原典に対する忠実性を取り上げる議論というのは、〈語〉と〈意味〉という意味論上の二極性を要請しておいて、それから、この〈二極の間にある空間〉を巧妙に利用しているだけだと批判します。しかもこれまでは、こうした問題があたかも解決済みであり、解決策は翻訳活動を続けていれば自ずと明らかになってくるかのように、すなわち、翻訳の場合、理論が実践に先立つ資格がないかのように考えられていたと述べています。

そこでスタイナーは自分自身の翻訳理論の骨格を整理して提示しています。それによると、翻訳の理論には、次の2つのモデル、すなわち「意味の伝達すべての関わり、意味の交通の総体を示す実効あるモデル」と、「言語相互間の交換、すなわち、異言語間における有意の情報の発信と受容とに特に留意して関連させたモデル」があるわけですが、これらは共に「言語の理論」に関連しています。さらに翻訳の理論と言語の理論とにも二様の関係性があり、ひとつは、「翻訳の理論は、事実上、言語の理論である」というものであり、もうひとつは、「言語理論は全体であり、翻訳の理論はその一部でしかない」というものです。しかしスタイナーによれば、ここで翻訳の理論を保証する言語の理論というもの自体を我々はそもそも手にしてはいない状態にあるとのことです。すると当然ながら、存在しない言語の理論をもとに翻訳の理論を確立することなど不可能ということになります。
いままで論じてきたところを要約するとこうなる:基本的な神経科学を説明する実効あるモデルもなければ、人間の言語の起源を歴史的に解明するモデルもない。また、人間の言語が何千もの言葉に分化している理由や分化の年代的過程を、人類学の立場から証明することもできない。我々の学習の過程や記憶の機構を説明する考え方には、素晴らしいものがあるのは確かであるが、しかし、未だに基本的な段階にあり、推測にすぎないものが多い。さらに、ある同一の人物の心の中に、第一言語のほかにいくつかの他の言語が習得され蓄積されて共存しているとき、その仕組がどうなっているのか、我々は全く知らないのも同然である。そんな状態にありながら、厳しい意味における〈翻訳の理論〉など、そもそも何処にあり得るのだろうか。(527頁)
そこでスタイナーとしては、翻訳という問題に取り組む場合、「科学」を目指すのではなく、「厳密な営み・芸術」(an exact art)を目指すべきとしてこの章を締めくくっています。

2012年3月26日月曜日

ヒエロニュムスとアウグスティヌス

  • Alfons Fürst, "Hieronymus und Augustinus," in Von Origenes und Hieronymus zu Augustinus: Studien zur antiken Theologiegeschichte (Berlin/Boston: Walter de Gruyter, 2011), 337-58.
Von Origenes und Hieronymus zu Augustinus: Studien Zur Antiken Theologiegeschichte (Arbeiten Zur Kirchengeschichte)Von Origenes und Hieronymus zu Augustinus: Studien Zur Antiken Theologiegeschichte (Arbeiten Zur Kirchengeschichte)
Alfons Furst

Walter De Gruyter Inc 2011-06-15
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ヒエロニュムスとアウグスティヌスの関係についてまとめた論文を読みました。この論文は、次の辞典項目の再録です。

    3796508545Augustinus-Lexikon (German Edition)
    Schwabe 1986by G-Tools

    辞典項目だけあってさほど目新しいことは書いてませんが、よくまとまっています。最初にヒエロニュムスのバイオグラフィをなぞったあと、ヒエロニュムスの人となりが説明されます。それによると、彼にはダイアローグの才能が乏しく、アウグスティヌスに限らず批判者とのやり取りがへたくそだったといいます。またアウグスティヌスとヒエロニュムスそれぞれの神学的な人物像については、以下のように上手にまとめられています。
    Während der spekulative Denker Augustinus sich im Kontext der zeitgenössischen Religionsphilosophie und eng verknüpft mit der Erfahrungen seiner geistigen und religiösen Biographie kreativ mit den philosophischen und theologishen Urfragen nach Glück, Leid und Gewissheit auseinandersetze, hat der an Fragen der christlichen Lebenspraxis interessierte Asket und weniger philosophisch als philologisch geschulte Wissenschaftler Hieronymus sich auf die Übersetzung und Kommentierung der Bibel konzentriert... (p. 342)
    要するに、アウグスティヌスが「思弁的な思想家」であるのに対し、ヒエロニュムスは「禁欲主義者」であり、かつ「哲学者というよりも文献学者」であるという対比がなされているわけです。Fürstによると、二人はペラギウス派の教えを拒否するということについては意見の一致を見ていましたが、アウグスティヌスから見ると、ヒエロニュムスの見解は半ペラギウス派的に思えたらしく、そうした箇所をヒエロニュムスの著作から引いて反駁を加えています。

    Fürstはこの二人の手紙のやりとりを二つの段階に分けて考えており、394/395–405年を第1段階、415–419年を第2段階としています。この第1段階の時期にあって、ヒエロニュムスに対するアウグスティヌスからの批判は、1)ヨブ記の翻訳、2)ガラテヤ書2:11-14の解釈の2点に絞ることができます。まず第1点目に関していうと、七十人訳のヨブ記はヘブライ語のヨブ記の6分の1に当たる部分が欠けており、少し短くなっているわけですが、オリゲネスのヘクサプラにおいては、その欠損部分をテオドティオン訳から補っていました。この付加部分がそうと分かるようにオリゲネスはアステリスコス記号を付し、ヒエロニュムスもヘクサプラを底本とした訳のときにはその記号を残していました。こういった経緯をアウグスティヌスは知らず、しるしはヒエロニュムスが勝手に付けたものと勘違いして、外すように述べています。またヒエロニュムスはその後ヘブライ語を底本とした翻訳も作成しますが、アウグスティヌスはこの新訳の意義が理解できないとして、ヘクサプラからの翻訳を続けるようにと諭します。アウグスティヌスはヒエロニュムス同様、古ラテン語訳の不備には不満を覚えており、新しいラテン語訳聖書の出版という目標は共有していましたが、七十人訳の権威と、七十人訳以外の底本を使用した場合に会衆から反乱を起こされるかもしれないという心配から、七十人訳を底本とすることに強く拘りました。また彼は、そもそもそうした重要な事柄をヒエロニュムス個人の判断でするのではなく、教会の権威に従う(教会の決めたLXXを使う)べきだと考えていましたし、さらにはヒエロニュムスが相談していたユダヤ人たちは信用ならないと思っていました(ep. 71)。第2点目のガラテヤ書の解釈とは、パウロとペテロの衝突のことで、おもにep. 75(J→A)において詳しく論じられています。

    第1段階の時期には、両者の手紙がきちんと届かなかったということも大きな問題でした。例えば、ep. 67(A→J)においてアウグスティヌスはep. 40の返事を催促していますが、すでにそのときヒエロニュムスはep. 68(J→A)を発送済みでした。その返事が着かないままに、アウグスティヌスは2通(失われた手紙とep. 71)をヒエロニュムスに送っています。ヒエロニュムスは前者の手紙に腹を立て、ep. 72(J→A)を送ります。この発送後にep. 71がヒエロニュムスに届いたので、彼はep. 75(J→A)という長い手紙を書いて送りました。ちょうどそのころアウグスティヌスの方ではヒエロニュムスからのep. 68がようやく手元に届き、このときアウグスティヌスは初めてヒエロニュムスがep. 40の件(ヒエロニュムスの手元に届く前に配達人が公開してしまった)で怒っていることを知り、慌てて謝罪の手紙であるep. 73(A→J)を送ります。するとep. 72とep. 75がヒエロニュムスから届きましたが、当然これはアウグスティヌスの謝罪を知らないときの手紙ということになります。さらにヒエロニュムスからep. 81(J→A)も届きますが、内容的に和解の姿勢が明白でなく、まだ彼はep. 73を読んでいなかった可能性が高いようです。その後アウグスティヌスはep. 82(A→J)という最も長い手紙を送っています。かように、手紙の到着にタイムラグがあるために、しょっちゅうすれちがいをしていました。

    415–419年の第2段階では、アウグスティヌスは魂と原罪の問題についてと、ペラギウス派の教説におけるヤコブ2:10の解釈についてヒエロニュムスの意見を求めています。ヒエロニュムスは積極的に議論しようとはしませんでしたが、アウグスティヌスの対ペラギウス派の活動には理解を示していたようです。このやりとりは、ヒエロニュムスの死まで6通のやりとりとして残っています。

    最後に、Fürstは二人が相互にどの程度影響を受けあっていたかについて説明をしています。結論から言うと、ヒエロニュムスはさほどアウグスティヌスの著作や言説に興味を持っていませんでしたが、アウグスティヌスはヒエロニュムスの著作をかなり読み込み、大いに関心を持っていたようです。アウグスティヌスが利用したヒエロニュムスの著作としては、以下のようなものがあります。『著名者列伝』、『ガラテヤ書注解』、『マタイ書注解』、『ヨナ書注解』、『ダニエル書注解』、『イザヤ書注解』、『エゼキエル書注解』、『ヨウィニアヌス駁論』、『ルフィヌス駁論』、『ペラギウス派駁論』、書簡集などです。

    2012年3月19日月曜日

    『京都ユダヤ思想』第2号(2012年)

    京都ユダヤ思想学会の学会誌『京都ユダヤ思想』の第2号が届きました。査読論文3本、講演論文2本、コメント3本の充実した内容になっています。お問い合わせは学会事務局まで。

    『京都ユダヤ思想』第2号(2012年3月10日発行)

    小田淑子「宗教の思想研究と実証的研究」・・・・・・1-5

    論文
    津田謙治「アレクサンドリアのフィロンにおける「二つの力」の問題:ヘレニズム思想との関連性を中心として」・・・・・・6-25

    加藤哲平「カウンター・ヒストリーとしての教父研究:ヒエロニュムスと19世紀のユダヤ教科学」・・・・・・26-55

    平尾昌宏「ドイツのスピノザ主義受容とザロモン・マイモン:メンデルスゾーンとの対比において」・・・・・・56-76


    第三回学術大会シンポジウム
    「ドイツのユダヤ系思想家における「同化」と「ナショナリズム」の問題」・・・・・・77

    講演1 徳永 恂「コーヘン・ジンメル・ショーレム:その三角関係をめぐって」・・・・・・78-84

    講演2 上山安敏「エグザイル(Exile)の知識社会学」・・・・・・85-112


    コメント1 村岡晋一「ヘルマン・コーヘンと二人の弟子」・・・・・・113-17

    コメント2 小野文生「共生の断層を観るために:双極性、比喩、翻訳」・・・・・・118-26

    コメント3 早尾貴紀「「ユダヤ人」と「アラブ人」のあいだで」・・・・・・127-31

    その他・・・・・・132-43
    京都ユダヤ思想学会活動の記録(2010年度)
    学術誌『京都ユダヤ思想』「査読者指名」制度
    京都ユダヤ思想学会規約(平成23年3月31日現在)
    『京都ユダヤ思想』論文執筆要項(平成23年3月31日現在)

    2012年3月15日木曜日

    逐語訳か意訳か

    Pursuing the Text: Studies in Honor of Ben Zion Wacholder on the Occasion of His Seventieth Birthday (The Library of Hebrew Bible/Old Testament Studies: Journal for the Study of the Old Testament Supplement)Pursuing the Text: Studies in Honor of Ben Zion Wacholder on the Occasion of His Seventieth Birthday (The Library of Hebrew Bible/Old Testament Studies: Journal for the Study of the Old Testament Supplement)
    John C. Reeves

    Sheffield Academic Pr 2009-11
    売り上げランキング :

    Amazonで詳しく見る by G-Tools

    4世紀におけるラテン語翻訳論のキリスト教化について書かれた論文を読みました。翻訳の方法としては逐語訳と意訳とに大別されますが、これまでヒエロニュムスは意訳支持派と考えられてきました。これは彼自身があちこちでキケローの翻訳論(やはり意訳支持)を引きながらそのように述べていたことに由来するものでした。しかしAdlerはさまざまな理由から、ヒエロニュムスが本当の自分の立場と考えていたのは逐語訳の方だという議論をしています。

    そもそもキケローとヒエロニュムスとでは時代がかなり異なりますから、当然置かれていた環境も異なります。翻訳論に関して言えば、キケローの時代の翻訳は修辞学の練習・実践の一つとして考えられ、原典から大きく逸脱した意訳も許される、原典と同等の文学と見なされていました。つまり意訳することによって原典のスタイルがラテン語でも似たようなかたちで表現されると考えられていたのです。しかし古代末期になるとそうした華々しさは敬遠され、翻訳が果たしていたラテン語を豊かにするという役割もなくなり、翻訳は原典に従属するものと見なされるようになりました。翻訳が原典に従属すると考える場合、翻訳であっても、原典を透かし見ることのできるような逐語訳が好まれるのは言うまでもありません。まずこうした状況証拠から、古代末期に生きたヒエロニュムスは逐語訳寄りだったはずと考えられます。

    ではヒエロニュムスが意訳寄りと見なされるに至った最大の根拠である書簡57はどう考えられるでしょうか。あるときヒエロニュムスが、友人の個人的な頼みでギリシア教父の著作のラフな翻訳を作ってやったところ、それが公けに出回ってしまい、かつ誤訳であると糾弾されてしまいました。これに反論するために書かれたのが書簡57で、彼の論法としては、七十人訳者や福音書記者(のような権威ある者)たちだって必ずしも原典を忠実に反映していない場合があるんだから、自分の誤訳も大目に見るべきというものでした。もし本当に意訳の方が逐語訳よりも効果的だと言うためなら、七十人訳の意訳された部分が、アクィラ訳のような逐語訳よりも正確に内容を伝えている例を挙げればいいはずですが、彼がここで意訳支持を表明しているのは、自分だけが誤訳したわけではないと弁解したいがためでした。つまり、キケローは、翻訳者が自分の修辞学の腕前を発揮できるから意訳の方がいいと考えていましたが、ヒエロニュムスは、意訳を支持しておけば、仮に原典を忠実に反映していなくても言い訳が効くに違いないと逃げの一手を打っていたわけです。すると、彼の意訳支持とは結局のところ批判を避けるためのレトリックであって、彼の翻訳論の本質とはまったく別問題だということになります。

    一見同じ意訳支持に見えても、キケローとヒエロニュムスは他にも違うところがあります。ヒエロニュムスは自分の訳は、技巧的でないシンプルで質素な文体だと述べていますが、こうした質素さは、キケローの時代にあっては逐語訳の特徴でした。つまり逐語訳するとラテン語としての美しさが削がれて(質素になって)しまうので、意訳しなければならないと彼らは考えていたのです。しかしヒエロニュムスの時代になると、文章のエレガンスは美徳ではなくなり、むしろキリスト教的な倫理から価値観が逆転し、質素さこそが美徳と考えられるようになりました。するとこの時代の論理では、華美な言葉づかいや流麗な言い回しではなく、文章の内容、すなわち意味こそが大事なのだから、言葉に拘泥せずに意味を訳さなければならないということになります。つまり、同じ意訳支持でありながら、キケローとはまったく正反対の翻訳スタイルを導いてしまうわけです。こうしてヒエロニュムスは、訳が正確でない(逐語的でない)という批判を受けたら、キケローに依拠しながら「意味が大事なのだ」とやり返し、一方で訳文に華がないという批判を受けたら、キリスト教的倫理に則って「意味が大事なのだ」と反論できるようになりました。いずれにせよ、ヒエロニュムスは意訳支持の立場を取っているように見せかけて、実際には批判を避けるためのポーズに使っていただけなのです。

    さて、ここまでヒエロニュムスの意訳支持に積極的な理由がないことをAdlerは述べているわけですが、ではどのようなときに必然的に逐語訳をしなければならなくなったかというと、それはオリゲネスの著作を訳すときのことでした。ルフィヌスは、オリゲネスの異端嫌疑を晴らすために、『諸原理について』をラテン語訳しましたが、その際に異端的に見える部分は削除し、また削除しないまでもかなり意訳してしまいました。オリゲネス論争で、反オリゲネス派にまわったヒエロニュムスは、かつての友であるルフィヌスのその訳を批判し、『諸原理について』の新たな訳を作ります。これを逐語的に訳すことによって、ルフィヌスが削除・改変したところを洗い出し、かつオリゲネスの異端性をあますところなく伝えようとしたのです。このように逐語訳を前提とすることによって、訳文の中に仮に異端的な思想があっても、それは翻訳者の思想ではなく著者自身に帰すべきものだと示すことができます。こうした責任の所在を明らかにするための逐語訳という考え方は、のちにボエティウスをはじめとする中世の翻訳者たちに広く受け入れられたものですが、どうやらこれはヒエロニュムスに端を発するものだったようです。

    私の知りたい点としては、以下の2点。ヒエロニュムスは翻訳の仕方について、聖書とその他の文学とを分けて考えていましたが、いずれの場合も逐語訳支持とするならば、ウルガータにおける意訳をどう説明するのかということ、また逐語訳にするか意訳にするかを決定する要因として、読者が原典を読めるか読めないかというのはAdlerもp. 337で簡単に触れているように大事な点だが、これについてもう少し説明がほしいこと。

    2012年3月13日火曜日

    対象に逆らう語

    • ジョージ・スタイナー(亀山健吉訳)「対象に逆らう語」、『バベルの後に:言葉と翻訳の諸相』(上)、法政大学出版局、1999年、206-420頁。
    バベルの後に〈上〉言葉と翻訳の諸相 (叢書・ウニベルシタス)バベルの後に〈上〉言葉と翻訳の諸相 (叢書・ウニベルシタス)
    ジョージ スタイナー George Steiner

    法政大学出版局 1999-03
    売り上げランキング : 594919

    Amazonで詳しく見る by G-Tools

    スタイナーの『バベルの後に』の第3章を読みました。これで邦訳の上巻を読み終えたことになります。この章では、言語について、ずっと弁証法的な対立軸が語られています。

    第1節では、「肉体的・物理的なものとしての言語」と「精神的なものとしての言語」とが語られます。スタイナーによれば、言語学は人文学の中では例外的に科学的と見なされており、事実この分野で使われる術語は数学や数理論理学が模範とされ、対象も形式的な言語モデル=メタ言語が持ち出されます。言語は科学的に扱える、というこの前提をもとに、さらには、「人間の言語の性質が有機体としての人間に強い関わりを持ちつつ、比較解剖学や神経生理学の展開の主題のひとつになっている」(p. 228)ことさえあります。こうした〈肉体的・物理的なものとしての言語〉というのは、確かにひとつの側面ではあります。しかし、言語活動をそれだけで扱うことはできません。すなわち、〈精神的なものとしての言語〉という観点が必ず必要となります。このことを説明するために、スタイナーは自分自身の経験をもとに語り始めるのですが、これは本書で最も面白い記述のひとつですから、せっかくなのでどうぞ実際にお読みください(pp. 213-22)。

    第2節では、言語の精神性のさらなる説明のために、言語と「時間」という観点が登場します(p. 235)。スタイナーによれば、我々の時間のイメージは、我々が用いる言語の文法によって形成されたもの(逆もまた然り)と考えられます。そこで、言語が「過去」と「未来」とにどのように作用するかをそれぞれ考えていくわけですが、スタイナーの真骨頂はこのうち「未来」の部分の記述にあるように思われます。たとえばヘブライ語には明確な時制がありませんが、このことが預言者たちの語る未来を「逆転可能」なものにしたのに対し、ギリシアの神託の厳格な決定性はギリシア語の未来形と深く関わっています。また時間が直線的に進み、しかも無限に開けていると考えたニュートンやカントの未来は、熱力学におけるエントロピーの原理を知ったサディ・カルノーやクラウジウスの未来とは大きく異なるはずです。しかしスタイナーは言語間のこのような違いはともかくとして、少なくとも言語を通して未来を望むことができるということこそが、人間だけが持った特別な能力だと述べます。
    私は、人間だけが未来性という文法を発展させたことを、特に強く主張したいと思う。…人間の構文の仕方の進展は、人間の〔時間間隔に基づく〕歴史的自己把握と不可分な形で結びついているものである。前に向かって推理を働かせたり、期待を寄せたりする、前に述べたあの〈原則の役割を果たす虚構〉は、人間の意識が獲得した特殊の利益などに尽きるものでは決してない。こういう虚構こそ、人間が生きのびてゆくときの最重要な要因である、と私は信じている。未来をありありと思い浮かべることのできる観念や言語行動を持ち合わせていることは、我々のこの特殊な人間性を保持し発展させるのには不可欠なのである。ちょうど、夢が人間の頭脳の合理的な活動にとって不可欠であるのと同様である。未来と切り離されてしまえば、理性は萎えてしまうのである。(p. 282)
    第3節では、ヴィトゲンシュタインの議論に沿って、「個人の言語(私的言語)」と「公共の言語」という観点が持ち出されます。スタイナーは、基本的に言語とは公共のものであり、「この地上で言語なるものが生じてくれば、それは文法の持っている可能性という、普遍的な筋道に沿って展開してくるものである」(p. 299)としつつも、すぐさま、「私的ということが直接重要な意味を担っている場合もあり得る」(p. 300)と述べます。その私的なことの重要性を体現するのが、「暗号」であり、「連想」であり、「タブー」なのです。また「言語の公共性への憤り」も示されます。
    圧倒的に自分自身のものであると感じているさまざまな欲求、愛情、憎悪、内面への省察など、また、我々の個々人の個体としての自覚、我々の世界の自覚を促すこのような心の細やかな動きが、通常使われている当たり前の言語で言われなくてはならないこと—しかも我々が我々自身に語りかける場合でさえも、そうせざるを得ないこと—は、ほとんど耐えられないと言ってよい。いわば、我々の喉の渇きは我々に最も身近なものであり類を絶したものと言ってよいが、渇きを癒すためのコップは、長年、多くの他人の唇に触れてきたものでしかないのに似ている。(p. 309)
    第4節では、言語における「真」と「偽」という対立が語られます。スタイナーは、これまで「真理の本来の性質とは何か」という命題については、言語哲学や論理学における長い議論があるけれども、「反-事実」の言語表現および「条件文」に注目した議論は少なかったと述べます(エルンスト・ブロッホなどを除いて)。しかも上記の「未来形」と同じく、この「反-事実」の言語表現こそが人間にとって重要なのです。
    私の信ずるところでは、我々が〈偽〉を主として否定的なものとみなしている限り、また、我々が反-事実、矛盾、ならびに、条件法の多様な表現の仕方を、論理的に見れば正統でない特殊な様式と捉えている限り、言語の進展とか、言語と人間の行動との関係とかを理解しようと思っても、一歩も先に進むことはできまい。言語というものは、あるがままの世界を人間が受け容れることを拒むための主要な道具立てなのである。(p. 388)
    ここで言われている「あるがままの世界」とは、この世界のことで、言い換えれば容赦のない「敵」であり、究極的には「死」のことを指しています。我々が使っている言語は、こうした者に対する「防禦」のための道具であり、決して〈真実〉を述べたり、〈事実についての正しい知識〉を伝達しようと思っているのではないといえます。つまりスタイナーに言わせれば、言語の精髄とは、まさに「隠蔽」と「虚構」にあるのです。読者はこのことを認識して初めて、「バベルの問題」に迫っていく端緒を得ることができます。

    言語とは、第1節で見たように「精神的なもの」であり、かつ第3節で見たように「個人的なもの」でもあります。そして第2節と第4節で見たように、「未来」や「反-事実」を語ることこそをその本質としています。こうしたことを踏まえて、2章で出された、「いったい、人間は何故、何千もの異なった、相互に了解し得ない言葉を語っているのであろうか」(p. 101)という問いに戻ると、次のような答えが得られます。すなわち、外面的伝達手段としての言語というのは実は二次的な機能であって、言語とはそもそも家族などの少人数の集団の中枢に入っていくための「合言葉」のようなものであり、かつそうした別の言語を使う各集団がそれぞれ、他者を排除し自分たちだけが分かる世界、すなわち、〈事実に反する世界〉を作り出すのに懸命になっていたことゆえに、言語は多様なままであったのだ、といえます(p. 412-13)。つまり上で見てきたような言語の虚構の精神と、人間の言語の多様性との間には、決定的な連関性があるのです。
    人間の魂は特殊性を求め、自らを〈囲い込み〉、しかも、新しいものを創り出そうとする欲求を持っているが、それが非常に強いので、人間の歴史の全部を通じ、世界の言語がひとつになれば、人間相互の了解が容易になって目覚ましい利益が得られることは明白であるにも拘らず、そういう利点よりも、特殊性の方がごく最近まで立ち優っていたのである。この意味では、バベルの神話は、また、象徴的逆転の一例と言ってよい:人類は多くの言語の中に散りさすらうことによって滅ぼされたのではなく、却って、活力と独創性を得たのである。こうなると、翻訳活動とはどんなものでも—特にそれが成功した場合は—裏切りの感を禁じ得ない。〔ある言語を語る民族の中で〕貯えられた夢の数々、生きてゆく上でのさまざまな知恵などが、国境を超えて持ってゆかれてしまうからである。(p. 415)
    さて、ここまで来て初めて「バベルの問題」=「翻訳の問題」を考える下地が揃ったので、おそらく次の章から翻訳論の中身に入っていくことになるのでしょう。

    2012年3月12日月曜日

    『近代精神と古典解釈』(2012年)


    2008年から2010年にかけて国際高等研究所で開催されていた、手島勲矢氏を中心とする研究プロジェクト「近代精神と古典解釈:伝統の崩壊と再創造」の報告書をいただきました。以下のもくじからも分かるように、国内外の聖書学者と西洋古典学者たちの文章が一堂に会した充実の内容です。

    プロローグ
    "How Do You Know It‘s True?" On the Role of Humanities in Modern Crisis  手島勲矢
     第1部 序論—古典へのまなざし
    1-1 西欧における「古典」  伊藤玄吾
    1-2 未来を拓くために,古典の過去を振り返る  西村賀子
     第2部 過去と現在—方法論の対話
    2-1 Homer and His Tradition  Robert L. FOWLER
    2-2 Could We Still Learn Something from Pre-modern Jewish Hebraists and Bible Scholars?  村岡崇光
    2-3 Bible as Literature: Robert Alter‘s Case  竹内 裕
    2-4 ホメロス問題をめぐる論争とミルマン・パリーの遺産  西村賀子
    2-5 ホメロス研究における新分析論:伝統に対する詩人の創造をめぐって  佐野好則
    2-6 近代言語学とヘブライ語研究:人称活用形の時制体系を例として  池田 潤
    第3部 歴史の探求
    3-1 The Documentary Hypothesis, Empirical Models and Holistic Interpretation  Jeffrey TIGAY
    3-2 メソポタミアの歴史文書と旧約聖書の歴史書  山田重郎
    3-3 英雄時代と鉄の時代:ヘーシオドスのギリシア社会史  安西 眞
    3-4 オデュッセウスの自伝的物語:『オデュッセイア』における虚と実の間  安村典子
    第4部 解釈者たち—古代から近代へ
    4-1 アリストテレスの『ホメロス問題』  渡辺浩司
    4-2 古代のホメロス批評とヘラクレイトス『ホメロスのアレゴリー』  内田次信
    4-3 フィリップ・メランヒトンによるヘシオドス『仕事と日』注解:宗教改革時代の古典解釈の一断面  伊藤玄吾
    4-4 Charles James Fox, Homer and Heracles  Malcolm DAVIES 
    4-5 Cassuto and Higher Criticism  Alexander ROFÉ
    第5部 古典に読む未来
    5-1 楽譜としてのテクスト,演奏としての解釈:「イサク奉献」(創世記22章1–19節)の解釈の実際  石川 立 
    5-2 ニシビスのエフライムの『創世記注解』における発見法的読み:近代的解釈学の枠組みを超えて  武藤慎一
    エピローグ
    草枕:人と聖書と自然  池田 裕
    参考資料
    研究会実施概要報告

    2012年3月10日土曜日

    アウグスティヌス=ヒエロニュムス往復書簡の問題


    少々古いですが、アウグスティヌスとヒエロニュムスの往復書簡について書かれた論文を読みました。ネット上ではdeepdyveという有料サービスに登録するとダウンロードできるようです。前回のO'Connell論文で気になっていたようなことが説明されていて、とてもわかりやすい論文でした。特に、双方のやりとりを時系列に並べた表があるのが助かります。

    De Bruyneによると、この往復書簡には次の3つの問題点があり、それらに注意して見ていかなければなりません。すなわち、1)アウグスティヌス側(Goldbacher)とヒエロニュムス側(Hilberg)の2つの校訂版があること、2)それら近代の校訂版と、古代における編集が加味された写本とを常に比べてみなければならないこと、3)アウグスティヌスはともかく、当時のヒエロニュムス側の事情がよく分かってないこと、の3点です。まずDe Bruyneは、校訂版で20通ある書簡を時系列に沿って、第1グループ(12通)、第2グループ(5通)、第3グループ(3通)に分けています。そしてそれぞれの書簡を精査しながら、上の3つの問題点に関わることどもを検討していきます。

    のっけから驚いたことに、最初の書簡28(アウグスティヌス→ヒエロニュムス、以下A→J)のあとには失われた書簡Aと書簡Bがあること、またGoldbacher校訂版では書簡28の次に来る書簡39(J→A)は、実際にはHilberg校訂版での順番(書簡68のあと)が正しいこと、が示されます。前者の書簡A, Bは、さほど重要でなかったのか、双方の写本伝承上でも落とされています。書簡39に関しては、文中で言及されている「手紙」が書簡Bである説(ゆえに書簡39の成立は397年)、または書簡68である説(ゆえに403年)があり、De Bruyneは前者ではないかと考えているようですが、双方の写本上で書簡68のあとに置かれているために、最終的には写本に従った順番に並べています。つまりDe Bruyneはロジカルに考えてGoldbacherの判断を是としたわけですが、エビデンスとして存在する写本はやはり尊重されねばならないのでしょう。このあたり判断が難しいところです。

    書簡40(A→J)でアウグスティヌスが末尾にサインをしなかったために、その返事である書簡68(J→A)でヒエロニュムスは、書簡40が本当にアウグスティヌス本人の手になるものなのかを疑い、腹を立てているようですが、De Bruyneはこのヒエロニュムスの怒りは実は「怒っているフリ」なのだと述べます。というのも、そもそもアウグスティヌスがサインをしなかったわけではなく、彼自身が書いた書簡40はヒエロニュムスのもとに届かず、その写しが届いたために末尾のサインが消えていたと考えられるからです(他にもいろいろ理由はありますが)。ではなぜわざわざ「フリ」をせねばならなかったのかというと、ガラテヤ書のパウロとペテロの衝突(2:11-14)について、かつてはオリゲネスに従った解釈をしていたが、オリゲネス異端論争を受けて自分が変節したことを知られないようにするためと、オリゲネスと同じ解釈をしているアウグスティヌスを糾弾するためであったといいます。ヒエロニュムスというと怒りっぽいイメージがありますが、De Bruyneは、もうちょっと冷静だったはずだと考えているみたいですね。ちなみに書簡68のあとにも失われた書簡Cがあったようです。

    書簡75(J→A)は、文体的に教養あふれる傑作書簡のようで、内容的には、ヒエロニュムスがこれまでの議論をまとめつつ、やんわりと議論を終えようとしているものになっています。これは公開を前提として書かれました。なぜそれが分かるかというと、そもそもこの往復書簡には、アウグスティヌス自身の編集が入った写本伝承と、ヒエロニュムス自身による編集が入った写本伝承とがあるわけですが、そのうちヒエロニュムス側の写本では、書簡75がやり取りの最後になっているからです。つまり彼は公開を前提として気合を入れて書いた書簡75を最後に持ってくることで、この議論で勝利したのは自分であるというイメージを残そうとしたのでした。悪いですね~ヒエロニュムス。実際はこのあと書簡81(J→A)、書簡82(A→J)が続き、第1グループの12通になるわけですが、ヒエロニュムス側の写本では10通しかありません。いやはや悪いですね~ヒエロニュムス。

    第2グループにはさしたる問題はありませんが、第3グループでは書簡123(J→A)をどこに設定するかが問題になります。Goldbacher校訂版ではこの書簡は孤立してしまっており、Hilberg校訂版では書簡195のあとに配置されています。この書簡の成立は、文中でアラリックによるローマの占領についてほのめかしていることから410年説(Les Mauristes, Goldbacher, Lietzmann)と、内容的に考えて418年説(Vallarsi, Grützmacher, Cavallera)とがありますが、De Bruyneはこの書簡が実際には書簡195の追伸であったと考え、後者の説を取っています。また書簡123では、ローマの占領はペラギウス派からの誘惑に乗ってしまったからだと比喩的に語っているわけですが、カルタゴ公会議で教皇ゾシムスによってペラギウス派が異端とされたのが418年であることから、書簡123も同年以降に書かれたと考えられるわけです。この書簡の後に失われた書簡D, Eが続き、書簡202(J→A)を最後にヒエロニュムスが亡くなります。

    最後にDe Bruyneによる往復書簡の評価を引用しておきます。これを読むに、やはりヒエロニュムスの方が学識や文体の美しさに関しては定評があるようです。
    Au point de vue religieux, psychologique, scientifique et littéraire, ces lettres sont parmi les plus intéressantes de la littérature latine. On y voit les deux plus grands génies de cette époque dépeints sur le vif et par eux-mêmes. L'un joint à une érudition et une habileté incomparables un style étincelant, plein de brusqueries et de douceurs. L'autre a un style plus terne, plus calme, un peu fatigant, mais il a un cœur plus aimant, une âme plus sincère, une intelligence plus pénétrante. Et ces deux hommes entrent en conflit, ils déploient toutes les ressources de leurs talents! (p. 247)

    2012年3月6日火曜日

    アウグスティヌスとヒエロニュムスの往復書簡

    • Robert J. O'Connell, "When Saintly Fathers feuded: The Correspondence between Augustine and Jerome," Thought 54 (1979): 344-64.
    アウグスティヌスとヒエロニュムスは、394年からヒエロニュムスの死の420年に渡って、20回ほども書簡をやりとりしているのですが、そのことについて書かれた論文を読みました。しかし、どうも妙な衒学趣味が鼻につく論文で、しばしば情報もいい加減(p. 346、ヒエロニュムスがイタリア生まれだと!?)なので、これはサッと目を通すにとどめた方がよさそうです。とはいえ、冒頭の次の2つの文章は、とてもいいことを書いていると思います。
    In the sometimes dry-as-dust business of patristic study, this exchange of letters is like a sudden oasis, or a streamside bower made for quiet musing. (p.344)

    ... like some meticulously wrought miniature, the dossier of their letters presents one of the most revealing, dramatic, and exhilarating portraits I know of Augustine and Jerome: a portrait of two genuine, thoroughly outsize human beings, and a record of their friendship—always difficult, sometimes stormy; on the face of it improbable, but at bottom quite inevitable. (pp. 344-45)
    アウグスティヌスは394年に、ガラテヤ書の解釈についてヒエロニュムスに質問するために手紙を出したのですが(Ep. 28、以下書簡の番号はアウグスティヌス側の校訂版に従う)、配達人はその手紙を届けることができませんでした。あまつさえ、(当時はよくあることだったようですが)この配達人は手紙を公開し、写しをとらせてさえいます。ここからアウグスティヌスとヒエロニュムスのすれちがいが始まります。ヒエロニュムスは49歳、アウグスティヌスは40歳のことでした。

    その後アウグスティヌスは2回手紙を送りますが(Ep. 40; 67)、ヒエロニュムスは自分の知らないところでアウグスティヌスに批判されていると思い、1度目は無視し、2度目にはかなり怒りに満ちた返事を書いています(Ep. 68)。しかしそうした怒りの中でも、アウグスティヌスと自分とをそれぞれ、『アエネーイス』5.369ff.に出てくるダレスとエンテルスに喩えて描写するあたりがさすが教養人です。ダレスは血気盛んな若者で、エンテルスは強く思慮深い壮年の男ですが、『アエネーイス』ではこの2人がボクシングで戦い、ダレスの若さに押されつつも最終的にエンテルスが勝利するのでした。

    アウグスティヌスはこのヒエロニュムスからの返事を読まないままに、今度はヒエロニュムスによるヨブ記およびヨナ書の翻訳に文句をつけます(Ep. 71)。ここで重要なことに、アウグスティヌスは、ヒエロニュムスはヘブライ語からでなく七十人訳からのラテン語訳をするべきだと述べます。このあたりは、両者の正典観の違いが如実に表れていると共に、翻訳というのものについての考え方の違いをも読み取ることができます。

    これに対するヒエロニュムスの返事は、まことに卑屈なもので、当時すでにヒッポの司教であったアウグスティヌスのことを、「年齢では息子、教会の位では父親」などと、(もちろん皮肉で)呼んでいます(Ep. 72)。ヒエロニュムスは結局一介の司祭で一生を終えるわけですが、やっぱりけっこう気にしていたんですね。これに対しアウグスティヌスは、ヒエロニュムスからの非難を受け入れて謝罪しつつ、大人の対応をしています(Ep. 73)。なおかつ、ヒエロニュムスが昔の友人であったルフィヌスと絶交していることに触れつつ、自分とそのようなことにならないようにと宥めています(でも怒ってる人に対してこういうのは逆効果じゃないか?)。

    ヒエロニュムスはこの謝罪の手紙を読まないまま(なかなか届かなったようで)、怒りにまかせて返事を書いています(Ep. 75)。むろん、怒りにまかせているとはいえ、相手の痛いところを的確に突いていくあたりがヒエロニュムスの議論巧者なところです。ヒエロニュムスは、アウグスティヌスの言っていることが異端者オリゲネスに依拠したものであること、アウグスティヌスが人から聞いたことにしているヒエロニュムス批判が実はでっち上げに違いないこと、聖書の文献学的な知識が足りてないことなど、ズバズバ切り込んでいます。ただ、ヒエロニュムスのかわいらしいところなのですが、この手紙を書いた後に先のアウグスティヌスからの謝罪の手紙が届いたらしく、すぐに遠回しな弁明の手紙を出しています(Ep. 81)。

    アウグスティヌスはこれを読み、感情的な言い合いではない冷静な議論をすることができると思ったようで、ガラテヤ書の問題について長い検討をしています(Ep. 82)。そして最後には、「教会では司教の方が司祭よりも位が高いですが、アウグスティヌスはすべてにおいてヒエロニュムスに劣っていますよ」と書いています。このあたり、両者の人間性が滲み出てくるようですね。教会内の位を気にしつつも学問的な自信に満ちたヒエロニュムスと、そうしたコンプレックスからは無縁の優等生的なアウグスティヌスといった感じでしょうか。

    その後ヒエロニュムスからアウグスティヌスに親密な雰囲気の手紙が届き(Ep. 123)、すれちがいによる不毛な議論はこれ以降なくなるようです。すでにアウグスティヌスは61歳、ヒエロニュムスは70歳になっていました。とはいえ、O'Connellはこの時期の和解は、ペラギウス派という共通の敵がいたことも作用していると述べています。その後二人は数回やりとりして、最終的にガラテヤ書の問題に関して、ヒエロニュムスはアウグスティヌスと意見の一致を見たようです。

    O'Connellの注で興味深かったのは、この二人の往復書簡について、アウグスティヌスの伝記を書いたPeter Brownはヒエロニュムス寄りの書き方になり、ヒエロニュムスの伝記を書いたJ. N. D. Kellyはアウグスティヌス寄りの書き方になっているという指摘です(p. 358, n. 7)。やはり自分の目下の対象に入れ込みすぎないように、それぞれ無意識にブレーキがかかったのでしょうね。

    Augustine of Hippo: A BiographyAugustine of Hippo: A Biography
    Peter Robert Lamont Brown

    Univ of California Pr 2000-08-07
    売り上げランキング : 187655

    Amazonで詳しく見る by G-Tools

    Jerome: His Life, Writings and ControversiesJerome: His Life, Writings and Controversies
    J.N.D. Kelly

    Gerald Duckworth & Co Ltd 1998-01-01
    売り上げランキング :

    Amazonで詳しく見る by G-Tools

    2012年3月2日金曜日

    ギリシア・ラテン世界から見たアガダー

    ユダヤ教のアガダーを、ギリシア・ラテン世界の文脈の中で見たときにどのような評価になるのかについて書かれた論文を読みました。以前のKamesar論文と内容的に繋がっている部分もありますが、当然独立した論考としても読めます。

    I. Heinemann(ちなみにこのIsaac Heinemannは、先日読んだJoseph Heinemannとは別人です)は、ヘレニズムの文学解釈とラビ・ユダヤ教の聖書解釈(アガダー)とには本質的な違いがあるが、後者の独自性を見るためには、フィロンなど(アレゴリー的解釈)との比較よりも中世の字義的解釈の聖書解釈者たちとの比較が有用であると述べています。しかしKamesarはアガダー作者との比較は、むしろ時代的にも場所的にも近いギリシア・ラテン教父とするべきだという方針でこの論文を書いています。教父たちの解釈というと、どうしてもアレゴリー的な解釈や予型論的な解釈が思い浮かんでしまうために、Heinemannとすれば、中世の字義的なアリストテレス解釈などを待たねばならないと考えざるを得なかったのだと考えられますが、近年では教父たちの字義的な解釈の伝統にも注目が集まっており、Kamesarはごく自然に、中世まで待たずとも教父と比較すればいいと考えたわけです。

    ギリシア・ラテン世界においてアガダーがどう評価されていたかについての先行研究としては、E. E. Hallewyと、E. J. Bickerman(およびM. D. Herr)とがありますが、前者はアガダーを、いわゆる「問題と解決」(ζητήματα καὶ λύσεις)形式の文学と比しています。一方後者は、アガダーはギリシア神話のような「神話・作り話」(μύθος)や、ギリシア劇のような文学的なフィクションだと考えられていたと述べます。つまり前者も後者も、アガダーをギリシア・ラテン文学の文脈の中に位置づけることが可能だと述べるわけですが、これは上で書いたHeinemannの主張(アガダーには、「科学的」な部分と詩的な部分の明確な区別がないため、ギリシアの文学解釈と本質的に異なる)とはぶつかる意見です。

    教父たちのアガダー評価は、アレクサンドリア・パレスチナ派とアンティオキア派とで異なっています。前者はアガダーが聖書テクストと緊密に結びついているときには歴史的資料として扱う場合と、そうでないときには作り話として拒絶する場合とがあり、後者は憶測に基づく聖書解釈はするべきでないという前提のもとに、アガダーはそうした憶測・作り話の最たるものであるとして拒絶します。このうち特にアンティオキア派のアガダー評価は、Bickermanらの立場を支持するもののように見えます。すなわち、アガダーはギリシアの神話・作り話の系統に位置づけられるというものです。

    しかし、ヨセフスによるアガダーの用いられ方はこれとはまったく異なっていました。というのも彼は聖書本文やアガダーを、あくまで歴史資料として扱ったのです。ヨセフスはしばしば、ヘブライ語のパイデイアやフィロソフィアといったような言い回しを用いていますが、そのときに意味しているのは、単にヘブライ語やアラム語の知識や聖書の知識だけではなく、アガダーなどの口伝律法まで含んだ範囲の知識であったようです。このヨセフスのアガダー評価は、エウセビオスを通じてアレクサンドリア・パレスチナ派の教父たちに伝わっています。それゆえに彼らは、条件付きではあれ、アガダーを「歴史資料」として扱うことができると考えるに至ったのです。こちらは、言うなれば、歴史と作り話との区別がはっきりとなされていないという点で、Heinemannの立場を支持するものとなります。

    こうして見ていくと、ギリシア・ラテン世界のアガダー評価としては、第一に、アレクサンドリア・パレスチナ派のように、アガダーを歴史資料である場合と作り話である場合とに分けて考える、というような洗練された見方がある一方で、第二に、ヨセフスやアンティオキア派のように、歴史資料としてであるにせよ、作り話としてであるにせよ、片方の側面しか見ない一面的な見方とがあることが分かります。

    読後の感想としては、正直なところHeinemannの説というのが正確にどのようなものなのかが分かりづらかったので、Kamesarの勘所を押さえるのにかなり苦労しました。この点については、HeinemannのDarkhei ha-aggadaを読まなければなりませんが(入手済み)、ヘブライ語なので少し時間がかかりそうです。参考のために関連文献を下に挙げておきます。

    Isaac Heinemann
    • Darkhei ha-aggada (Jerusalem, 1953-4).
    • Altjüdische Allegoristik (Breslau, 1936).
    • "Die wissenschaftliche Allegoristik des jüdischen Mittelalters," Hebrew Union College Annual 23.1 (1950-1):  ?  
     E. E. Hallewy
    • Shaarei ha-aggada (Tel Aviv, 1963).
    • Olamah shel ha-aggada (Tel Aviv, 1972).
    • Erkhei ha-aggada ve-ha-halacha (Tel Aviv, 1979).
    • "Baalei ha-aggada ve-ha-grammatikanim ha-yevaniyyim," Tarbiz 29 (1959-60): ?
    • "Midrash ha-aggada u-midrash Homeros," Tarbiz 31 (1961-2): 157-69, 264-80.
     E. J. Bickerman
    • The Jews in the Greek Age (Cambridge, Mass., 1988).