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2014年5月18日日曜日

中世ユダヤ教棄教者のイメージ 志田「棄教者への書簡」

  • 志田雅宏「棄教者への書簡:ヤコブ・ベン・エリヤフとプロファイト・ドゥラン」『ユダヤ文献原典研究』第1号(2014年)51-72頁。
著者の志田さんより抜き刷りをいただきました。ありがとうございました。掲載誌の目次はこちらを参照のこと。

アウグスティヌスの時代には、キリスト教徒にとってユダヤ人とはキリスト教的真理の証人であるという救済史的な役割が与えられていた。ところが12世紀以降になるとユダヤ人はキリスト教の「異端者」にすぎないという認識に変わり、さらには1391年のイベリア半島のユダヤ人迫害に際しては、キリスト教への強制的改宗すら強いられるようになった。志田は、こうした13世紀から14世紀にかけてのヨーロッパにおける、ユダヤ教徒から棄教者に向けて書かれた2つの書簡を扱っている。一つがヤコブ・ベン・エリヤフ『ヴェネツィアからのラビ・ヤコブの書簡』、もう一つがプロファイト・ドゥラン『アル・テヒ・カ-アヴォテハ』である。

前者では、タルムードの中に非知性的な箇所があることを批判する名宛人(パウルス・クリスティアーニ)に対し、ラビ・ヤコブはキリスト教の聖人伝における奇跡譚を引き合いに出している。しかし注目すべきは、彼が奇跡譚を批判しているのではなく、それをあくまで価値中立的に記述するに留まっているという点である。ラビ・ヤコブは、あくまで記述的アプローチを貫くことで、そもそもユダヤ教の非知性的物語が批判の対象となるのはそれを批判する者がいるからであり、しかもそのときその批判は当の批判者(キリスト教側)にも跳ね返るのだと警告しているのである。これは、ユダヤ教共同体への直接的な脅威となる活動をしていた棄教者たちを食い止め、あわよくばユダヤ教に再び戻らせようとする試みだった。

一方後者では、三位一体のような、知性では理解し得ない教義を持つキリスト教と、さまざまな学知と調和する教義を持つユダヤ教との対比の中で、ドゥランはあえてキリスト教の神秘性・非論理性を賞賛することで、実はアイロニカルにそれを批判している(これは書簡のタイトルにも現れている)。特にキリスト教の実体変化の教義に対しては、当時の諸学に照らしつつ、批判的態度を取っている。さらには新約聖書の記述をも引き合いに出し、実体変化の教義がイエス自身の思想とかけ離れていることを証明しようとした。加えて、使徒行伝でパウロによって律法の実践を求められていないのは異邦人だけであり、「アブラハムの子孫」は引き続き律法の実践が求められていることから、名宛人(ボンジョルン)もまた律法を守らねばならないと述べる。すなわち、ドゥランはボンジョルンを「ユダヤ人のキリスト教徒」という二重イメージで見ており、棄教者のユダヤ教的部分を批判の対象にしているといえる。ここでドゥランがボンジョルンに対して感じているのは、ラビ・ヤコブがパウルスに感じていた(ユダヤ教共同体に仇なすような)危険性ではなく、ユダヤの知的伝統に属していたはずの友人が、その知性を捨ててしまったことへの軽蔑である。

以上より、志田は、これらの書簡の著者の特色として、彼らが直接的にキリスト教を批判するのではなく、その役割を名宛人たる棄教者自身に担わせていると結論付ける。ラビ・ヤコブは、ユダヤ教の非知性的物語を批判する者たちに対し、キリスト教の同様の物語をつきつけることで、彼らの言葉が自動的に跳ね返るように操作し、一方ドゥランは、キリスト教の神秘性・非論理性を称揚しつつも、その実ユダヤ教の論理性を押し出すことで、棄教者にまだ残っているユダヤ教的部分に訴えかけている。前者は記述的な態度を、後者はアイロニーを用いることで、キリスト教批判の役割を棄教者に担わせているのである。

読後の質問としては、以下4点。第一に、なぜ「プロファイト・ドゥラン」という表記にしたのか。一般的には「プロフィアト」がよく知られており、ジュダイカの項目もそうなっていたと思うが、注9で著者自身が二様の表記法があることを認識しつつも、なお「プロファイト」を採用した理由が書かれていない。第二に、『ラビ・ヤコブの書簡』の名宛人パウルスは、「もとはシャウルという名を持つユダヤ教徒」だったというが、これはパウルス・クリスティアーニのみならず、新約聖書のパウロ(もとの名はサウロ)を暗示してはいないか(すると同時にこの書簡は個人ではなくキリスト教全体を批判しているのではないか)。第三に、ドゥランが実体変化の批判の際に後ろ盾とした「自然学・形而上学・視覚についての学」というのは、当時のヨーロッパで確立していた自由七学芸のうちの四科のことか、それともユダヤ教内部に別の教育システムがあったのか(前者のように見えるが、すると「視覚についての学」とはいったい何なのか)。第四に、特に古代においては往復書簡は個人的な私信ではなく、公開討論に近い意味を持っていたが、これらもそうなのか。そうであるならば、ヘブライ語で書かれていることから、読者として想定されているのは、生粋のキリスト教徒たちではなく、元ユダヤ教徒であった棄教者およびユダヤ共同体なのか(前者には批判、後者には警告の意味で)。

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以下は、私の4点の質問に対する著者の志田さんからの回答です。合わせてお読みいただくと、よりいっそうこの論文の内容理解が深まると思います。志田さん、ご回答ありがとうございました。
  1. Profayt Duranという表記は僕が留学中にお世話になったRam Ben-Shalom先生に倣ったものです。英語表記としてはProfiatが多く、ジュダイカでもそうなっていますが、ベン・シャローム先生によれば、こちらの方が元の表記に忠実なのだそうです。先行研究ではRichard Emeryも同じ表記を使っています。Jacob ben Eliyahuも英語ではJacob ben Elijahと書くことも多いですね。
  2. パウルス・クリスティアーニからパウロへの暗示ですが、ヤコブ・ベン・エリヤフについて、そのように言えるかどうかはわかりません。
    キリスト教そのものを批判する態度は、彼よりもドゥランの方がはるかに鮮明です。とくに、ドゥランのKelimat ha-Goyimはイエスの教えとパウロ以降のキリスト教制度の乖離を指摘したもので、ドゥランの当時のキリスト教世界の問題(大分裂など)と改革運動が彼のキリスト教批判に大きく影響していることは間違いないと思います。
    これは可能性の話ですが、もしパウルスとパウロの暗示的な関係が成り立つとしたら、そこにヤコブ・ベン・エリヤフのキリスト教批判の巧妙さを見ることができるかもしれませんね。書簡では少なくとも表向きにはキリスト教の教義そのものを批判しているわけではありません。ユダヤ人を迫害する活動や、ユダヤ人の家族との絆を断ち切ることが問題なのであって、批判の矛先はキリスト教というよりも、キリスト教への改宗者です。ただ、指摘してもらったような暗示的関係があるとしたら、パウルスの活動を批判するなかで、実はパウロをも攻撃する意図を持っていた、ということが言えるかもしれませんね。
  3. ドゥランによる諸学問の基礎からの批判は、やはりヨーロッパの知を前提にしていると考えられます。
    「視覚についての学問」というのは、医学(または自然学?)の一部だと予想します。
    リベラル・アーツには入っていませんが、当時のヨーロッパの学問体系のなかで、すでに確立された学問的基礎の一部なのかなと思いました。
  4. 想定される読者の問題ですが、ご指摘のとおり、基本的にはユダヤ人(ユダヤ教徒や棄教者)だろうと思います。
    そのうえで、想定の問題について、この手の議論で思うのは、その「想定」を必ずしも著者自身の意図に還元する必要はないのでは、ということです。
    著者サイドからすれば、今回取り上げた書簡は本当に私信かもしれないし、逆に広く読まれることを意図していたのかもしれない。
    ただ、そのどちらであっても、歴史的には、その書簡は書き写されていきます。
    そして、「書き写す」という行為によって、当の著者が意図しなかったことが実現する可能性があります。
    それを考えると、読者に棄教者が含まれるかどうかという問題は、書簡を書き写す者が棄教者と関係を持つような環境にいたのかどうか、という点にかかってくると思います。そうなると、手がかりになりそうなのは、写本の冒頭や最後に写し手が付した文言や、後代の他の著作での引用のされ方ですね。
    著者自身が送り手以外の棄教者を想定していたかという問題で見ると、ヤコブ・ベン・エリヤフは同時代の棄教者(とくにドニン)をひとつのイメージとして印象づける傾向があるように思いました。なので、他の棄教者への警告というのは意図されていたかもしれません。一方、ドゥランの場合はよりプライベートな印象を受けました。パウロ・デ・ブルゴスの活動をもっと描写するようなことがあれば、同時代の棄教者のイメージを同時代の読み手に印象づけつ戦略を読みとれたかもしれませんが、そのような傾向はあまりないと思いますね。ドゥランの場合は、Kelimat ha-Goyimというかなり直接的なキリスト教批判の著作も書いています。この著作では、当然ボンジョルン以外の読者(ユダヤ教徒も棄教者も)も想定されています。なので、書簡はプライベートなものなのかもしれません。ただし、繰り返しになりますが、そうだとしてもそれは著者の意図であって、書き写され、拡散していけば、その意図を超えた役割や意義がその書簡に与えられていくことになるのです。

2014年5月15日木曜日

エンキュクリオス・パイデイアとは何か De Rijk, "Enkyklios Paideia: A Study of its Original Meaning"

  • L. M. de Rijk, "Ἐγκύκλιος παιδεία: A Study of its Original Meaning," Vivarium 3 (1965): 24-93.
リベラル・アーツの起源に当たるギリシアのエンキュクリオス・パイデイアという言葉の正確な意味については、さまざまに研究が重ねられてきた。この言葉は、もともとは「(百科事典のように)博学な」という意味ではなかった。研究者たちによれば、アリストテレスの時代には、エンキュクリオス・パイデイアは専門教育前の準備教育のことを指していると考えられており、エンキュクリオスという形容詞の意味は、ordinary, every-dayと取られていた。しかしR. Kuehnertは、ギリシア・ローマ世界でこの語がordinary, every-dayの意味で用いられたことはなく、むしろキュクロス(円形の)という語根の空間的な意味から発して、occuring in a cycleという時間的な意味になり、最終的にregularという一般的な意味に落ち着いたのだと主張した。De Rijkは、エンキュクリオスという言葉の主要な3つの意味を並べた上で、パイデイアと一緒になったときにどれが最も適切かを議論している。

(1)円形の(in a circle, circular, round)
  a. コロスとして
  b. 天体現象として
(2)普通の、毎日の(ordinary, every-day, regular)
(3)ありふれた(banal, vulgar)

このうち、(3)の「ありふれた」は、一例しかないので除外され、また(2)の「普通の、毎日の」も、当時のギリシア人が皆高等教育を受けていたわけではなく、ともするとソフィストの教師が高額な授業料を要求していたことなどから、除外される。すなわち、エンキュクリオス・パイデイアという言葉におけるエンキュクリオスの主要や意味は(1)の「円形の」になるわけだが、De Rijkはこのうち「コロスとして」の方、すなわち音楽的な意味こそがふさわしいと説明している。エンキュクリオス・パイデイアのもともとの意味は、旋律(ἐμμελής)、韻律(ἔμμετρος)、律動(ἔνρυθμος)のある「(コロスのような)音楽的な教育(choric education)」というものだったのだ。これはだいたい前5世紀の頃の話である。

教育における音楽を重視したのは、ピタゴラス派の哲学者たちだった。彼らはホメロスやヘシオドスの詩歌を味読することで、精神の調和に至ろうとしたという。ピタゴラスはさらに、こうした知恵を愛する者たちのことをフィロソフォスと呼び、また知恵を愛することをフィロソフィアという言葉で初めて表した。これを受けて、プラトンは、知者(ソフォス)と知恵を愛する者(フィロソフォス)とを区別した。前者は、特に『パイドロス』においては、神のみを指す言葉としている。プラトンはさらに、『パイドン』の中で、ピタゴラス派の言説として、「哲学(フィロソフィア)とは最高の音楽(ムーシケー)である」と述べている。

プラトンと哲学(フィロソフィア)との関係は、以下のようにまとめられる。まず、プラトンは、基礎となる意味としての「学びを愛する」という意味を知っていたが、それにとどまらず、学問を「文学(literary culture)」と「科学(scientific pursuit)」に分けたときに、彼は哲学を「科学」=数学の意味で用いた。なおかつ、真の哲学とは、ものごとを論理的に考えていく弁証法(dialectic)であるとも述べている。すなわち、プラトンは哲学を「文学」の意味では用いなかった。ここでいう哲学は、のちに四科(幾何学、算術、天文学、音楽)へと分化する。

一方で、プラトンは、科学に対する「文学」のことを音楽(ムーシケー)と呼んだ。すなわち、のちに三科(文法学、論理学、修辞学)と呼ばれるものである。「文学」としてのムーシケーは、初期ピタゴラス派の言うところの音楽理論のことを指す。しかし一方で、プラトンは、心の修養のための学問全般を指して、つまり「科学」と「文学」とを両方含むものとして、ムーシケーという言葉を用いることもあるが、これはプラトン当時には稀な用法だった。

ではプラトン以前はどうだったのか。もともとすべての教育とは、上でも述べたように、音楽によって心の教育をすることを基礎としていた。中でも、リズム、ハルモニア、ロゴスによって感情を表現することのできるダンスに重点が置かれていた。なぜなら、こうした規則性および不規則性を感じることができるのは人間だけだからである。それゆえに、音楽的素養のなさは、教養のなさと見なされるようにすらなった。こうした音楽的教育は、前5世紀頃になると、声あるいは精神に関わる部分はムーシケーと呼ばれ、一方で体に関わる部分はギュムナスティケーと呼ばれて分離した。特にムーシケーは、さらに律動論、詩歌論、文体論、文法などいくつかのテクネーに分かれた。ただし、この段階でのムーシケーは、プラトンがそう考えていたように、「文学」としての役割しか持っておらず、「科学」は入っていなかった。

「科学」がムーシケーに併合されたのは、プラトンが死んだあと、偽プラトンによる『エピノミス』における記述からのことだった。これによると、算術に固有の調和や釣合いといった本質は、すべての芸術や科学の紐帯となるものであるという。なぜならば、数字の科学は、文学と共通するような、調和と基準を持っているからである。ただし、プラトンの『ピレボス』によると、数学的な学問が学習者の刺激として有効なのは、真の存在(true being)について学ぶときのことであって、そうでなければ、哲学者にとって数学的な学問は無用であるという。

前1世紀になると、フィロンの教育論が現れる。フィロンは、ムーシケーを単なる音楽の意味でも用いたが、学問全体としてのエンキュクリオス・パイデイアの意味で用いることもあった。しかしその名称はさまざまで、エンキュクリオス・パイデイアの他にも、メレテー、エピステーメー、マセーマタ、セオーリア、パイデウマタなどがある。そしてフィロンは、このエンキュクリオス・パイデイアを、哲学を学ぶための予備教育として明確に位置づけたのだった(『予備教育』79-80)。ここで言う、「哲学に対する準備」という概念を表すために、彼は、「プロパイデウマタ」あるいは「メセ・パイデイア」という言葉を用いた。そしてその説明の中では、〔哲学に対する〕侍女(セラパイニス)という言葉を用い、サラに対するハガルを比喩として用いることが多かった(女主人と侍女の比喩は、ホメロスにおける、ペネロペの求婚者の比喩からヒントを得たものと思われる)。フィロンが音楽的な用語を用いるときは、新ピタゴラス派からの影響が伺われる。こうした新ピタゴラス派の用語を用いることで、フィロンは、エンキュクリオス・パイデイアを、専門科目の準備としての全般的な教育と考えた。その専門科目とは、特に弁論家になるためのものであった。これはクインティリアヌスらにも共有されている考え方である。

2014年5月6日火曜日

フィロンの倫理観 Levy, "Philo's Ethics"

  • Carlos Levy, "Philo's Ethics," in Cambridge Companion to Philo, ed. Adam Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), pp. 146-71.
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フィロン当時の哲学は、論理学、物理学、そして倫理学の三項目に分かれていたが、フィロン自身の関心は哲学そのものではなく、あくまで聖書解釈であった。著者はこうした観点から、フィロンの倫理観を、1)倫理の哲学的原理、2)徳、3)感情、4)倫理的発展、5)政治観という小区分から説明している。

フィロンの倫理観を支える哲学的原理としてまず挙げられるのは、ストア派の倫理観の基礎となっているオイケイオーシス(親近性)の否定である。ストア派によれば、あらゆる生きとし生けるものは、生まれると自分の身近なものを愛そうとする。この身近なものの範囲を、ある小さな集まりから都市、国家へと拡大していき、最終的にすべてのものを愛するコスモポリスを目指すべきだというのである。すなわち、オイケイオーシスは社会というものの起源といえる。しかし、倫理観に関して、人間と他の生物とが根本的に同じ本能的衝動を共有しているというこのストア派的な考え方は、プラトニストかつユダヤ人たるフィロンには受け入れがたいことであった。フィロンは創世記を基礎として、人間は動物よりも優れたものとして創造されたと考えていた。そして、仮に人間以外の自然物が何らかの規範的な価値を持つとするなら、それはそこに神意が反映しているときのみとも考えていた。

ただし、フィロンがオイケイオーシスという言葉を肯定的に使うこともあり、それはほとんどホモイオーシス(類似性)、言い換えれば、人間が神に似ることについての文脈の中でである。これはプラトンの『テアイテトス』から取られた言葉であるが、フィロンはこれによって、人間が世界を支配すること、人間が知性と知識を得ること、そして人間がロゴスに参与することの正当性を確信していたのである。さらには、人間同士の暴力や殺戮は、人間の神との類似を考えたとき、神に対する大いなる侵犯となるがゆえに、決して許されるものではなくなる。一方で、神を真に愛するためには、人間が相互に愛し合わなければならないということになる。ストア派は、すべての生物が相互にオイケイオーシスを持っていることから倫理観をかたちづくったが、フィロンは、対象を人間と神だけに絞り、前者が後者に対するホモイオーシスを持っていることから倫理観をかたちづくったのである。しかし、人間が神に対して持っているホモイオーシスにも、創造の過程ですでに持っていた類似性と、理性を追求する人間が意識的に獲得しようとする類似性との二段階がある。そしてこの第二のホモイオーシスを達成した人のことこそを、徳のある人というのである。

ではフィロンはどのようにを理解しているかというと、1)特にストア派などの哲学の伝統的解釈における徳、2)聖書における徳、そして、3)聖書の登場人物が体現している徳、という三種の混合といえる。

1)基本的に、フィロンの徳論は当時の哲学的解釈からほとんど外れていない。彼は、プラトン・ストア派的徳論である、枢要徳(フロネーシス:分別、ソーフロシュネー:節制、アンドレイア:勇気、ディカイオシュネー:正義)を踏襲しつつ、ソーフロシュネーの変形であるエンクラテイア(自制心)を重視した。といっても、フィロンは既成の哲学的カテゴリーに満足していたわけではなく、あくまで彼の関心事はそれをいかに用いれば聖書解釈が可能になるかということだった。

2)フィロンの聖書における徳論としては、カルデアの占星術を信奉していたアブラハムが、改悛(メタノイア)して移住したことで、気高さ(エウゲネイア)のモデルと解釈されるようになったことが挙げられる。ここでのメタノイアは、ストア派的な、不幸にして扇情的な感情という意味合いではなく、むしろ肯定的なユダヤ教のテシュバーの概念を受け継いでいる。すなわち、ユダヤ教に共感する異教徒や、異教に走ってしまったユダヤ人たちの改悛であり、共同体はこれを喜んで迎え入れるのである。完全なる神に対し、不完全な存在である人間は過ちを犯すことがあるが、改悛という徳によってそれを償い、気高さを手に入れることができるのだ。

3)聖書の登場人物が徳を体現することについては、サラとハガル、またレアとラケルとの対照が挙げられる。サラは徳を体現しているが、最初は不妊であり、諸教育を体現するハガルとアブラハムとの交わりのあとで、喜びの象徴であるイサクを得ることができた。また魂の理性的部分をレアが、非理性的部分をラケルが象徴しているという。レアは徳へと至る理性を司り、ラケルはエンクラテイア(自制心)を生み出すのに必要な道具なのである。

フィロンによる感情理解は、1)魂の構造、2)感情の分類、3)感情の癒しの問題、4)感情を越える狂気、という四区分によって説明されている。

1)当時の哲学の魂の構造理解は、プラトンによる3分類とストア派による8分類とがあった。前者は理性(reasoning)、不屈の精神(high spirit)、欲求(desire)であり、後者は理性(ヘーゲモニコン)と非理性的部分であるその他7つである。フィロンはこれらに加えてさらに、魂にはいかなる本質もないのではないかという懐疑派の議論も取り入れている。フィロンは実際のところこれらのどれにも拘ってはおらず、解釈したい聖書箇所に合うものをその都度取り入れているにすぎない。ただし、彼はエピクロス派による魂の概念のみは取り入れていない。

2)感情の分類について、フィロンは基本的にストア派の議論を下敷きにしているが、それにフィロン流のアレンジを加えている。ストア派は、4つの悪い感情(エピテュミア:欲望、フォボス:恐怖、リュペー:悲しみ、快楽:ヘドネー)と3つの善い感情(喜び:カラ、用心:エウラベイア、願望:ブーレーシス)とがあるとしている。このときストア派は、善い感情としてのカラの悪い感情における対応物はヘドネーであると考えるが、フィロンはリュペーがそれに当たるとしている。フィロンは、従来言われているように、無条件にストア派の説を受け入れていたわけではないのである。同時に、彼はプラトニストによる感情の四区分をストア派の四区分と対応させてもいる。いずれにせよ、フィロンによると、人間の魂は、徳によって倫理的に律されていないときには、こうしたいくつもの感情に支配されてしまうという。たとえば、魂の理性的部分ですら善悪の区別がついていない子供時代は、フィロンに言わせれば、感情の時代といえる(ストア派は子供時代を無垢の時代としている)。

3)では感情をどのように処理したらよいのか。フィロンは、感情的になることも感情を殺すこともない中庸を旨としている。ストア派は、善い感情も悪い感情も共に悪と見なし、感情を根絶すること(radical extirpation of the passions)を求める。これに対しフィロンは、感情を完全に根絶することなど、倫理的に完璧な人間、たとえばモーセのような人以外には無理であるとしたうえで、不完全ながら前進している者たち(プロコプトン)はロゴスによって感情を飼いならすことを目指すべきと述べている。また、仮に完全に感情を根絶した平穏(アパテイア)があるとして、善いアパテイアと悪いアパテイアがあり、善いものは人間の努力ではなく神の恩寵によるものだとフィロンは考える。たとえば、アブラハムがイサクを奉献したときのアパテイアは、自然の秩序を受け入れることによるストア派的なものではなく、むしろそれを否定し、自然を超越する神の存在を信仰することからくる善いアパテイアだったことになる。一方、アブラハムはその後サラの死に悲しみという感情を表しているが、もしここでも感情を殺していたら、それは悪いアパテイア、無関心(indifference)となってしまう。それゆえに、悲しんだアブラハムをフィロンは咎めない。こうした感情の中庸(moderation of emotion)は、メトリオパテイアと呼ばれている。

4)フィロンは有益な狂気(salutary madness)も存在すると述べている。フィロンによれば狂気(マニア)には二種類あり、ひとつは感情の爆発、もうひとつは理性に端を発して神へと至らせるエクスタシーであるという。このうち前者に関しては、フィロンも基本的に否定しているが(深い喜びに満ちた賢者の酩酊のみは、寓意的な解釈によって肯定されている)、後者に関しては、すべての狂気を否定するストア派とは対照的に、彼はこれを賢者の持ち得る狂気として肯定している。ストア派にせよフィロンにせよ、すべての狂気は理性からの離脱を意味すると考えているわけだが、それが魂を非理性へと堕落させるだけとするストア派に対し、フィロンは、神へと至るエクスタシーとしての狂気もあり得ると考えている。

倫理的な発展については、フィロンはさまざまに語っている。代表的なのは、アブラハム、イサク、ヤコブを用いた類比である。フィロンによれば、人間とは、避けがたく感情やその他の悪と関わってしまう生き物だが、神は人間の魂に救済と自由とを与えてくれている。それがアブラハムに象徴される知ろうとする努力、イサクに象徴される自然、そしてヤコブに象徴される実践的な努力である。フィロンはプラトンの『テアイテトス』を下敷きにしつつ、人間はこうした努力をしながらできる限り神に近づかなければならないと述べている。

政治観については、フィロンの主張は単純である。政治のような実務的生活は(bios praktikos)は、観想的生活(bios theoretikos)に入る前にしておけと述べている。またフィロンは人間同士の好意によって社会が維持されていると考えているが、それはストア派のオイケイオーシスのような、親が子に対するときの好意ではなく、聖書に出てくるような子が親に対するときの好意のことを指しているという。さらに、フィロンはモーセのことを、知恵と政治力とが一体となった人物像と捉えており、それゆえにモーセは単に立法者であるだけでなく、律法が具現した人間(nomos empsychos)とすらいえるのである。

2014年5月2日金曜日

フィロンの神学と創造の理論 Radice, "Philo's Theology and Theory of Creation"

  • Roberto Radice, "Philo's Theology and Theory of Creation," in The Cambridge Companion to Philo, ed. Adam Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), pp. 124-45.
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古代の哲学においては、神と世界の本質をめぐる議論がしばしば取り上げられてきた。世界の創造について哲学的に考察することから神を論じたのがアリストテレスであるとすれば、逆に神を出発点として世界を論じたのがプラトンであり、そしてそれらの中間の方法を取ったのがストア派であるといえる。しかしフィロンはといえば、これらのどれでもなかった。すなわち、彼の議論は突き詰めていえば哲学的ではなく、むしろいつも必ず聖書から出発する寓意的(allegorical)・釈義的(exegetical)なものであった。それゆえに、彼にとってはそもそも神の存在も、神による世界の創造も自明のことだったのである。むしろ彼の目的は、世界がいかに律法と調和しており、また律法がいかに世界と調和しているかを説明することであった。そのために、フィロンは一方ではさまざまな聖書の一節(different biblical passages)に依拠し、他方ではさまざまな哲学的な影響(philosophical influences)から議論をかたちづくった。いうなれば、フィロンの根本的なアイデアは、いつもこの二者の間をさまよっている(vacillation)のである。

フィロンの神学は大きく5つに特徴付けることができる。第一は、神の可知性(knowability)である。不可知論者のように、もし神を知ることは不可能だと考えるなら、そもそも神について考えたり、神に関する創造をめぐらせることすら不可能であるはずである。しかしフィロンは、哲学的思考(abstract philosophical thought)および啓示(revelation)によって、神の人間に対する応答を知ることができると考えた。

第二は、神の人格的側面と非人格的側面(personal and impersonal character)である。フィロンは、神の人格的側面へとたどり着くのが信仰であり、非人格的側面へとたどり着くのが哲学的な思考であると考えた。彼はあるときは神の人格的側面と人間とを対比的に語ることがあるが、また別のときには神を擬人的に語るのは神を本当に理解していないからだと批判することもある。

第三は、神の〔この世からの〕超越性(transcendence)と〔この世への〕内在性(immanence)である。この違いは、フィロンが聖書的なモデルに依拠しているのか、あるいは哲学的なモデルに依拠しているかによって出てくるものである。まず神の超越性を語るときは、フィロンは聖書に依拠している。聖書の中では神の名前が知られていないことを根拠に、彼は神の絶対的な他者性を説く。一方で、フィロンはきわめて物質的かつ具体的な用語を用いつつ、神がこの世界に内在するという理解も示している。これは明らかにストア派の哲学から触発された考え方である。

第四は、神の唯一性(oneness)と首位性(primacy)である。はたして神は唯一なのか(唯一神教)、それともさまざまな位格の頂点にあるものなのか(単一神教)、という問いはしばしば立てられてきたが、フィロンはこれに一貫した答え方をしていない。あるときには、信仰の教義や伝統から神が唯一であると述べているが、またあるときにはプラトンやアリストテレス的な考え方から、星もまた神々であるとも述べている。フィロンは、星の他にも、ロゴスや知恵もまた神の位格のひとつであると考えている。

第五は、神の無限性(infinitude)と有限性(finitude)である。フィロンは、神の本質の無限性についてはなんら疑いを持っていないが、神の力の無限性については複雑な見解を持っている。もし神が無限の力を持っているのなら、なぜ悪が存在するのかという神議論が引き起こされるからである。この点について、フィロンの神の無限性の理解は、ギリシア思想における無限概念を変えたと言われている。フィロンによる無限とは、非空間的(not spatial)・非論理的(nor logical)であって、むしろ力(power, force)や行為(action)と関係している。すなわち、ストア派などに見られる「何でもできる(able to do everything)」という通常の無限理解に加えて、フィロンは「〔創造などの〕行為をやめようとしない(never ceasing to act)」という否定的な無限理解を提示してみせたのである。これはプロティノスらの新プラトン主義による神の無限性理解に大きく影響している。ちなみに無限の力を持つ神は、善と悪とを両方行うことができるが、フィロンによれば、完全な善である神は悪を行うことがないとしている。

では彼の創造論はどのようなものかというと、創世記の創造論をプラトン的に解釈したものといえる。彼の創造論のポイントは、時間の中での創造の否定(negation of creation in time)である。すなわち、最初の創造行為は、時間の中にある物質的世界(material cosmos)ではなく、時間から離れた精神的世界(noetic cosmos)での出来事だというのである。これは、この世界を超えたところにあるイデアの世界を想定したプラトンの思想に由来している。しかし、両者には大きな違いがある。プラトンによると、デミウルゴスはイデアの世界を手本(exemplar)にしてこの世界を創ったが、その際イデアはデミウルゴスに起源を持っているわけではない。一方で、フィロンによると、神はまずイデアのような、知性によってのみ理解可能な世界(intelligible world)を創り、そのあとで神自身がさらにそれを物質化(material realization)していったのだという。つまり、フィロンはこの世界の創造のみならず、イデアの創造すらも神に帰しているのであり、いうなれば、神による二重の創造という原理(the doctrine of the double creation)を作り出したのである。これはフィロンのトレードマークといわれる。

フィロンは創世記の記述からこの創造論を構築している。彼によると、創世記において、第一日目(first day)ではなく一の日(day one)と書かれているのは、この日に神がイデア世界を創造したからだという。しかも創世記の記述は時系列に従って直線的に書かれているのではなく、順番が要約されて、論理的・哲学的に再構成されているのである。それゆえに、創造は、(1)イデアの創造、(2)一般的な物質の創造、(3)と区的な物質の創造の順で行われたとフィロンは考えたのだった。

神と物質(matter)との関係を考える上で最も重要なのが、(dynameis)である。これはもともとアリストテレスからストア派にかけての用語であり、彼らは神自身と神意とを共に物質的な力だと考えていた。しかしフィロンは神の本質(the essence of God)と神の力(the power of God)とを区別した。こうした考え方は、前2世紀のアレクサンドリアのユダヤ人思想家であったアリストブロスの著作にも見ることができる。彼は聖書中の擬人的な表現(anthropomorphism)を神の力と見なし、それらと神の本質とを区別したのである。こうして、力に関する哲学的な原理は、釈義的な原理と相まって、神の名前の複数性にもかかわらずその唯一性を担保し、また神が世界の至るところで行為しているにもかかわらずその超越性を担保したのである。

そうした力のひとつであるロゴス(logos)は、超越的な神と感覚世界との架け橋のようなものであり、物質に触れることのできない神が創造において用いる道具としての役割を持っている。創世記において神が言葉=ロゴスを語るとさまざまなものが創造されたことから、ロゴスは聖書と深くかかわっているが(the creative word in the Bible)、一方で、ロゴスとはストア派による創造論の中で主要な理性的原理を示す用語でもある(the creative logos of the Stoics)。フィロンはこれにプラトン的なデミウルゴスによる創造論を加えることで、彼独自の三種類のロゴス理解が生じることになった。すなわち、(1)神におけるロゴス、(2)神の道具としてのロゴス、(3)世界におけるロゴスである。

力について哲学的な観点から語ったものがロゴスだとすれば、聖書的な観点から語ったものは知恵(sophia)である。フィロンにとってロゴスと知恵とはほとんど同じものといっていい。両者は、世界の創造における役割や、倫理上の徳の源泉であることなど、さまざまな共通点を持っている。フィロンによれば、ロゴスと知恵との相似は、聖書が哲学的な知と関係していることを証明するものであるといえる。

天使(angels)は、ロゴスに比べて自立性の少ないような力の顕現であるが、ロゴスと同一視されることもある。一方でフィロンは、天使を異教のダイモン、肉体のない魂、英雄たちなどと同じものと見なす場合もある。彼らは神の使いであり、直接コンタクトすることのできない神に代わって、人間に接触するのだった。

以上の力以外の主要な5つの力は、その機能によって名前がつけられている:創造的な力(creative power)、王の力(royal power)、慈悲の力(gracious power)、法的な力(legislative power)、そして罰の力(punitive power)である。といっても、これらに決定的な違いがあるわけではなく、一枚の布のようなものである。

プネウマ(pneuma)について、フィロンはロゴスのときと同様に、ストア派の哲学的な説明と創世記の物語的な説明とを両方用いて述べている。プネウマはストア派ではロゴスから流出したものであり、すべての物事の源である。プネウマは無生物の世界では結合力として、生物の世界では生の原理として、そして人間の中では魂と精神の原理として働いている。

フィロンのイデア(the Ideas)理解も注目に値する。プラトンのイデア理解とフィロンのそれとの違いは、すでに見たように、プラトンはイデアを永続的で存在論的に自律したものであると考えるのに対し、フィロンはイデアもまた設計家としての神によって創造されたものと考えるところである。

Radiceによる結論:
フィロンはただ自由に哲学的な議論を追及しているのではなく、常に聖書のテクストを考慮に入れながら、それと哲学とがなるべく調和するように、いわば釈義的抑制(exegetical constraint)のもとで議論している。神が超越的で常に創造的なのに、なぜその創造物である世界は不完全で有限なのかというと、それは世界に神の仕事を損なうような否定的な質量原理が存在するからである。また、このことが神の完全性を損なうことにならないのかというと、神は直接この世界に接触するのではなく、さまざまな力を通じて触れるので、神の完全性は損なわれない。