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2014年4月28日月曜日

教育に関するフィロンの思想 Colson, "Philo on Education"

  • F. H. Colson, "Philo on Education," Journal of Theological Studies 18 (1917): 151-62.

古来より、教育についてさまざまな思想家たちが語ってきた。ディオゲネス・ラエルティオスをはじめとする歴史家たちによると、アリスティッポス、テオフラストス、ゼノン、クレアンテス、クリュシッポス、カトー、そしてウァッローなどが教育について語っていたとされているが、その原著はほとんど現存しておらず、その内容も知られていない。我々がその内容を知ることのできる教育論としては、プラトン『国家』、アリストテレス『政治学』、クインティリアヌス『弁論家の教育』、そしてプルタルコス『モラリア』などが挙げられる。それらによると、教養諸学であるEnkyklios paideiaは以下から構成される。
  1. 文法学
  2. 修辞学
  3. 幾何学
  4. 音楽
これらに加えて、しばしばある種の哲学と論理学とが加えられた。アリストテレスはさらに絵を描くこと(グラフィケー)をも加えたが、これはのちにカリキュラムからは外された。とはいえ、そもそもこの組み合わせも必然があってのものというよりは、親が子供に受けさせたい教育を自然と並べたものであったが、これに対し、クインティリアヌスと偽プルタルコスは、明確な意図のあるカリキュラムを作った。まずクインティリアヌスは、そもそも教育とはよき弁論家を育てるためという、極めて実務的な考えを持っていたので、哲学偏重だった当時の風潮に反し、特に修辞学を重視した。一方で、偽プルタルコスは、すべての教育は哲学を学ぶことを最終目的としたものと考え、そこに至るに必要な倫理を学ぶためには、何よりも詩を学ぶことが適しているとした。偽プルタルコスに見られるような哲学偏重は、のちにセネカに引き継がれ、諸学(liberales artes)は哲学の準備だと定式化された。

アレクサンドリアのフィロンの教育論は、『予備教育との交わり』から多くを知ることができる。この中でフィロンは、創世記に出てくるアブラハムの妻と愛人であるサラとハガルとを、それぞれ知恵(哲学)と諸学とに比することで、寓意的な解釈を施している。それによると、魂を象徴しているアブラハムは、本来であれば知恵としてのサラと結婚してを哲学=徳を得るべきだが、まだ成熟していないため、そのままではサラは不妊になってしまう。そこで、サラとの結婚の前に、予備的な教育としてのハガルと契ることでイシュマエルを得た。しかしアブラハムの成熟と共に、サラが子供を生めるようになったので、ハガルとイシュマエルとは必要なくなり、追い出されたのだった。ここでエジプト人であるハガルは、居留者(paroikes)、すなわち、いずれはいなくなる者たちとして描かれているが、この解釈自体はフィロンの独創ではなく、偽プルタルコスにも見られるものである。また、諸学と哲学の間に区別をもうけ、前者が後者のための準備であるという考え方も、従来のものを踏襲しているといえる。

フィロンは諸学の中に、最初は天文学を含めているが、その後は言及していない。これはおそらく天文学は幾何学の中に含まれるからと考えられる。フィロンにとって天文学は、ある種の偽科学としての役割を持っており、天文学というよりは、むしろ占星術として見なしていたといえる。彼は、アブラハムがカルデアからハランへと移ったことを、占星術のような迷信から次のステージに移ったことを表していると考えている。

イサクの誕生のあとでハガルとイシュマエルが放逐されたこと(創21章)について、フィロンは『ケルビムについて』の中で説明している。それによると、当初は特定の事柄についてのみの知恵であったサラが全体的な知恵となり、なおかつ幸福(eudaimonia)の象徴たるイサクが生まれたので、ハガルとイシュマエルは放逐された。しかし、それはアブラハムにとってとても惜しいことであった、あたかも諸学を修め、哲学に移行したあとでもなお、諸学が魅力的であるのと同様に。

ところで、フィロンに限らず、偽プルタルコス以来の教育論では、哲学の前に諸学を修めるべきだと考えられていたが、実際にきちんと順序を守ることができた者は少なかったと思われる。フィロンが『巨人について』の中で述べているところによると、そうした諸学を修めることなく哲学に向かってしまった者たちは、基礎が欠落していると感じ、のちに諸学に戻ってくることがあるが、これは極めて間違った姿勢であるという。こうした者たちは結局のところ哲学には戻ってこなくなってしまうからである。また特に音楽と幾何学は、大人になってからでは習得することが困難なので、先に学んでおかなければならない。

では何歳から諸学を学ぶべきか。ヒエロニュムスを含む、多くの教育論の論者たちの見解では、それは7歳からとされている。クインティリアヌスは7歳より前から、アリストテレスは5~7歳から、またヨアンネス・クリュソストモスは5歳からとしている。一方で、フィロンのみは、明確に何歳からとは述べていないものの、より大きくなってから始めるべきと考えた。これを説明するのに、フィロンはアブラハムがエジプトからカナンの地に移ったことと比較している。すなわち、エジプトは幼少期を象徴しているのだが、この頃には人はまだ善と悪との区別がついていない。そして、カナンは少年期、すなわち7歳になってからの少年の時期を象徴しており、ここにおいて初めて人は善と悪とを区別できるようになり、ある程度論理的(logikos)になる。しかし、フィロンによれば、この時期の者は善と悪とを区別できても、結局のところ悪を選んでしまうほどに未熟である。そこで、アブラハムもカナンに来て10年経ってからようやくハガルを側女としたように、諸学を学び始めるのもその頃から(17歳くらい?)にすべきだというのである。

フィロンによる、諸学と哲学とを区別する考え方は、ある程度は彼以前の教育論の踏襲といえるが、一方で、彼独自の部分もある。申21:18に関して、両親と放蕩息子との関係から、フィロンは自らの教育論を説明している。すなわち、哲学たる父親と、諸学たる母親とに対し、1)母親だけを尊敬する息子、2)父親だけを尊敬する息子、3)両者を尊敬する息子がいるとして、フィロンは三つ目の場合を最善と考えていた。いうなれば、哲学を通じて神を探求する知恵と、人間の習慣と法とを尊重する心根とを、共に大事にすることが重要ということである。ここから、フィロンが諸学を単なる哲学の準備としてだけではなく、それを鍛えて人生に生かすべきと考えていたことがわかる。

フィロンの教育論の特徴としてさらに挙げられる点としては、諸学を教える教師嫌いを挙げることができる。フィロンはしばしば、教育を自らの学識の成果として誇っている教師の愚かしさを批判している。また別のところでは、よい生徒を持ったことを自分の手柄と考え、授業料を値上げするような教師について罵っている。ここから、徳を得るのは、教師の指導によってではなく、生徒自身の能力によってなされることだとフィロンが考えていたことが見て取れる。

Colsonは最後に、フィロンの教育論が興味深いことの理由を二つ挙げている。第一に、ソフィストと哲学者との間で交わされていたような古代の教育論が、旧約聖書的な解釈を通じて、よく議論されている点である。第二に、フィロンの教育論がその後の中世キリスト教世界における教育論に深く影響している点である。しかも、フィロンの議論がのちの教会でただまったく同じように踏襲されているわけではなく、フィロンにおける諸学が哲学に対して持っていた関係が、諸学と哲学とが神学に対して持つようになった関係に変化していることも興味深いところである。我々は、フィロンの教育論の変奏を、クレメンス、オリゲネス、アンブロシウス、アウグスティヌス、そしてカッシオドルスなどの教育論の中に見出すことができる。

2014年4月27日日曜日

『京都ユダヤ思想』第4号(2013年)

京都ユダヤ思想学会
https://sites.google.com/site/kyotojewish/

『京都ユダヤ思想』第4号(2013年12月31日発行)

巻頭言
品川哲彦「哲学者であり、かつユダヤ人であることの緊張」・・・1


第五回学術大会シンポジウム「聖書解釈:ユダヤ学と聖書学の立場から」

講演1
アヴィドヴ・リップスケル=アルベック(訳:加藤哲平)「旧約聖書と現代ユダヤ文化:魚(鯨)の腹中における神意と贖い」・・・7

講演2
勝村弘也「聖書学は、「教義」から自由か?」・・・27

コメント1 大澤耕史「翻訳に見られるユダヤの聖書解釈の一例」・・・86
コメント2 武藤慎一「ユダヤ学と聖書学を媒介するものとしてのシリア・キリスト教の解釈学」・・・90
コメント3 北博「近代聖書学が見落とした視点――聖書の共同体的役割」・・・94
コメント4 山本伸一「ゾーハル文学に見るヨブ記解釈の事例」・・・97
コメント5 上村静「聖書解釈の限界とその現代的意義」・・・101

質疑応答・・・105


その他
京都ユダヤ思想学会活動の記録(2012年度)・・・112
学会誌『京都ユダヤ思想』査読者指名制度・・・115
京都ユダヤ思想学会規約・・・118
学会誌『京都ユダヤ思想』論文執筆要項・・・120

2014年4月26日土曜日

古代における普通教育 Morgan, "Enkyklios Paideia"

  • Teresa Morgan, “Enkyklios Paideia,” in idem, Literate Education in the Hellenistic and Roman Worlds (Cambridge: Cambridge University Press, 1998), pp. 33-39.
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古代の教育におけるenkyklios paideiaとは、「公共教育」「普通教育」などを意味する語である。この言葉自体はアリストテレスの著作にも見られるものだが、考察の対象となるのは、前1世紀になってからの言及が主である。なかでもフィロンによる同義語mese paideiaに関する記述は包括的であり、それによると、これは文法学、幾何学、天文学、文学、音楽理論、修辞学、そして論理学からなっている。注目すべきは、哲学はこの中に含まれず、むしろこれらの諸学が哲学への準備となるという理解である。これは偽プルタルコスなどにも共有されている考え方である。

さらなる包括的な議論としては、クインティリアヌスによるものがある。彼はenkyklios paideiaをorbis doctrinaeと直訳した上で、それが読み書き、文法学、文学、幾何学、天文学、そして音楽と論理の原理から構成されるとしている。クインティリアヌスの特徴としては、哲学のみならず、修辞学をもまた諸学から切り離したことが挙げられる。というのも、彼は修辞学こそが諸学を修める目的だと考えていたからである。またもうひとつの特徴として、音楽を楽器演奏のような実務的側面と、理論的側面とに分け、後者のみが諸学に分類されるとしたことがある。

クインティリアヌスによるorbis doctrinaeという訳語はラテン世界ではあまり定着せず、institutio, education, studia, litteraeなどと呼ばれたあと、セネカによってリベラル・アーツと名づけられた。セネカは文法学、文学、幾何学、音楽、天文学などをこの名で呼んだ。中世になると分類が整理され、最終的には読み書き、文法学、文学、幾何学、天文学そして音楽が残った。これに修辞学と論理学とが加わるのが通常である。しかし、哲学や体育などは入らない。

2014年4月8日火曜日

タルグム・オンケロスにおけるアガダー Vermes, Haggadah in the Onkelos Targum

  • G. Vermes, "Haggadah in the Onkelos Targum," in idem, Post-Biblical Jewish Studies (Leiden: Brill, 1975), pp. 127-38.
Post Biblical Jewish Studies (Studies in Judaism in Late Antiquity, V. 8)Post Biblical Jewish Studies (Studies in Judaism in Late Antiquity, V. 8)
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タルグム・オンケロスに関する論文を読みました。パレスチナ・タルグム研究に関しては、Paul Kahleによる、カイロ・ゲニザで見つかったフラグメントの出版(1930)や、Alejandro Diez Machoによる、ネオフィティ写本の発見(1956)など、非常な進展がありましたが、オンケロス研究に関しては、Alexander Sperberによる校訂版の出版(1959)や、Diez Machoによるヴァチカンの写本448に関する研究(1954)など、インフラは整えられているにもかかわらず、あまり進展しませんでした。それは、自由度の高い翻訳であるパレスチナ・タルグムに比べて、逐語訳的と考えられているオンケロスは、ユダヤの聖書解釈の研究に資する所が少ないと考えられていたからでした。オンケロスが多少ともヘブライ語と違うところがあるとすれば、神の擬人化をなくすためのパラフレーズに加えて、1)比喩的な表現の簡潔化、2)古代の地名のアップデート、3)父祖やモーセの理想化、などが挙げられます。

しかし一方で、オンケロスにもある種の自由翻訳された箇所があることも知られていて、A. Berlinerは創世記から17箇所を上げていますが、Vermesは、反擬人化と、ほぼ丸一章がミドラッシュ的に書かれた創世記49章を除いてもなお、60箇所以上も発見できると述べています。彼はそこから12箇所をしぼって、この論文の中で解説しています。Vermesによると、オンケロスに見られるアガダー的翻訳は、次の二種類に分けられます。
  1. テクストの言語上の困難さゆえのアガダー的解釈
  2. 教義上の関連性からもたらされたアガダー的解釈
正直なところ、Vermesが考察している具体例には、前者ともいえるし後者ともいえるようなものも多いので、この分け方はあまり意味がないように思えます。あくまで参考程度に分けているのだと思います。特筆すべきは、ほとんどどの例でも、アガダーそのものというより、アガダーを濃縮して保存しているパレスチナ・タルグムからの影響がみられることです。

これらの12箇所を考察した結果、Vermesは次の3つの結論に至ります。第一に、オンケロスの翻訳は、原文に問題がない限り逐語的に進んでいきますが、何か問題があるとヘブライ語から離れ、論理的・神学的に受け入れ可能なかたち、すなわちアガダー的な解釈を導入する。第二に、オンケロスがパレスチナ・タルグムの伝統に依拠しているのであって、パレスチナ・タルグムがオンケロスに依拠しているわけではない。第三に、第二の結論より、オンケロスは純粋なバビロニアの伝統の産物(A. Geiger, P. Kahle)ではなく、パレスチナ・タルグムの伝統をバビロニアで編纂した結果の産物である。オンケロスというと逐語訳というイメージがありますが、Vermesは、パレスチナ・タルグムの自由翻訳からの大きな影響を認めています。