2017年2月18日土曜日

『スィフラ』の聖書解釈 Yadin-Israel, Scripture and Tradition

  • Azzan Yadin-Israel, Scripture and Tradition: Rabbi Akiva and the Triumph of Midrash (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2015).
本書はタナイーム期のレビ記注解であるミドラッシュ『スィフラ』の聖書解釈方法論を検証したものである。2世紀から3世紀のラビたちは、二種類のテクストを残している。第一に、記憶され朗誦される定言的な律法を持つ「ミシュナー」型。第二に、聖書の句を分解し、それに注解を施す「ミドラッシュ」型である。『メヒルタ』、『スィフラ』、『スィフレ』などは後者の型に属する。

聖書に対するミドラッシュの関係は、しばしば駄洒落や言葉遊びなどと捉えられてきたが、Daniel Boyarinは、ミドラッシュとはトーラーにおける言葉やフレーズの意味を、聖書の残りの部分から説明しようとする試みだと定義している。Boyarinの弟子である著者は、この定義がミドラッシュの法的部分にも適用可能かを明らかにしたいと考えた。

タナイーム期の法的ミドラッシュには二種類の出自がある。第一に、『スィフラ(レビ記)』、『申命記スィフレ』、『メヒルタ・デ・ラビ・シモン(出エジプト記)』、さらには『ミシュナー』と『トセフタ』にも大きく影響しているラビ・アキバの学派。そして第二に、『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』や『民数記スィフレ』をかたちづくったラビ・イシュマエルの学派である。著者の前著であるScripture as Logosにおいて、著者はラビ・イシュマエル学派は聖書を導き手として聖書を解釈しており、それはクムラン共同体の伝統を継承した方法論であると主張した。

著者によれば、ラビ・アキバ学派による『スィフラ』には、「匿名でない発言(named) statements」と「匿名の発言(anonymous statements)」とがあり、後者はレビ記に関するランニング・コメンタリーの形式を取っているという。そして、「匿名の発言」は、『ミシュナー』や『トセフタ』において受け継がれた伝承の権威を強めるために、もはやミドラッシュ的な方法論を逸脱した「空虚な(vacuous)」な解釈であるという。一方で、「匿名でない発言」の方は真正にタナイーム期のものであると考えられ、よりどちらかと言えば「イシュマエル学派的」な傾向を持っている。

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