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2015年2月5日木曜日

成就の解釈学 Charlesworth, "Revelation and Perspicacity in Qumran Hermeneutics?"

  • James H. Charlesworth, "Revelation and Perspicacity in Qumran Hermeneutics?" in The Dead Sea Scrolls and Contemporary Culture, ed. Adolfo D. Roitman, Lawrence H. Schiffman and Shani Tzoref (STDJ 93; Leiden: Brill, 2011), pp. 161-80.
The Dead Sea Scrolls and Contemporary Culture: Proceedings of the International Conference Held at the Israel Museum, Jerusalem (July 6-8, 2008) (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)The Dead Sea Scrolls and Contemporary Culture: Proceedings of the International Conference Held at the Israel Museum, Jerusalem (July 6-8, 2008) (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)
Adolfo D. Roitman

Brill Academic Pub 2011-03-30
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本論文は死海文書における聖書解釈の特徴であるペシャリームがどのようなものかを概観したものである。著者はクムラン聖書解釈の特徴に関する自身の考えを冒頭でまとめているので、それを以下で示しておく。
クムランの人々の自己理解はトーラー学習によって獲得されたものだった。彼らはトーラーが神の神聖なる意図と確実な約束を含んでいると考えていた。彼らは自分たちがユニークであることを知っており、また自分たちが荒れ野で神の道を整えるために神によって選ばれた「光の子」として創造されたことを知っていた。そして、聖書とは、自分たちにのみ向けられたものであり、、その比類なき教師(モレー・ハツェデク)について預言されたものであり、また聖書上の歴史におけるある特別な時に焦点を合わせたものであると考えていた。〔……〕彼らの聖書学習の方法は、成就を強調した解釈であった。このように、ペシャリームは成就の解釈学の最初期の例を明らかにしてくれる。この方法論は、クムランのヤハッド、すなわち「聖性の家」にのみ住まう「聖霊」の存在によって制御されている。〔……〕ペシャリームを通して、クムランの人々は、我々が彼ら内部のユニークな歴史理解や、神が彼らのためにどのようにふるまったかを理解することを助けてくれる。このようにして、たとえ今は悪がこの世を支配しているのだとしても、祝福された未来がそれぞれの「光の子ら」(……義の教師の支持者たち)のために確約されているのである。クムランには正統性というものはないが、一貫した世界観と時間理解とによってペシャリームは他のクムランでの発明品と一つのものになっている。これらすべてのクムランで出来上がったものは、聖書の解釈と成就の解釈学とによってかたちづくられている。全員がイスラエルの神の力と、終末が光の子らにとってよいものとなることとを認識している。
筆者は以上の理解をもとに議論を進めている。聖書時代の預言は、第一に前八世紀までの古典的な預言時代、第二に前六世までの第二の預言の時代、そして第三に、ユダヤ教の主流派の見解では預言がすでに止んでいたとされる第二神殿時代(『エノク書』などが代表例)に分けられる。第二神殿時代のクムランでも、義の教師のみが知恵によって聖書を解釈することができるとされていた。

当時の聖書は、まだ正典化されていない流動的なものである。ヘブライ語聖書は複数の版が同時に存在しており、それが後一世紀までに次第にまとまってマソラー本文が形成されたと考えられる。それゆえに、ペシャリームにおける聖書引用がマソラー本文と異なっているからといって、解釈者たちが意図的に本文を変更したと考えるのは早計である。むしろ異なった本文を持っていたと考えるのが妥当であろう。レンマ(聖句の見出し)を引いた上で注釈を施すのはクムラン共同体独特の方法であった。また、「義の教師」「嘘の人」「ツァドクの子ら」「なめらかなものの探求者」「キッティーム」など、注釈の中で独特の用語を使うことでも知られている。こうしたペシャリームは、義の教師の支持者たちが彼の教えから作り上げた方法と考えられる。死海文書から見つかったペシャリーム写本は、おそらく著者自身の手になるものではなく、その写しであることが分かっている。こうした聖書解釈によって、クムランの人々は自らの存在理由と、なぜ荒れ野に住んでいるかを説明した。これは特にイザヤ書40:3の解釈に基づいている。

ペシャリームの解釈における特徴は、未来を指し示す聖書の預言が、部分的にはすでに自分たちの時代に、しかも自分たちの共同体において成就していることを確認する点である。そうしたことから、「成就の解釈学(Fulfillment Hermeneutics)」と呼ぶことができる。

クムランの人々は、聖書に隠されている秘密は自分たちの共同体にのみ知ることが赦されていると考えていた。そしてそれを解釈できる者こそが義の教師であった(同様の意識は、『エノク書』、フィロン、ヨセフスなどの著作にも見られる)。そうした意味で、義の教師は神からのメッセンジャーであった。そしてそれを支持するクムランの人々は、祭司やレビ人から構成されていた。義の教師が知ることのできる預言の神秘は、エルサレムの大祭司たちには理解できないものであり、それどころか、預言をした預言者自身でさえその本当の意味では分かっていなかったが、義の教師のみはそれを真に理解することができるとされていた。なぜなら、聖霊はすでにエルサレムを離れ、クムランに臨んでいたからである。エルサレムには悪の祭司がおり、クムラン共同体における太陽暦と異なった太陰暦を用い、常に義の教師の命を狙っていた。

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