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2016年10月3日月曜日

ユダヤ人とヘブライ人 De Lange, Origen and the Jews #3

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 29-37.
オリゲネスの時代にユダヤ人を表わす言葉は、「イスラエル」、「ユダヤ人(ユダイオイ)」、そして「ヘブライ人(ヘブライオイ)」などさまざまあった。パレスティナのユダヤ人は、しばしば自分たちのことを「イスラエル」と呼び、「ユダヤ人」とは呼ばなかった。逆に、ディアスポラのユダヤ人が自分たちのことを「イスラエル」と呼ぶことは稀だった。オリゲネスが「イスラエル」という言葉を使うのは、聖書のイスラエルの民のことを指すときだけだった。

では「ユダヤ人」と「ヘブライ人」との違いは何か。論文著者は、ヨセフス、フィロン、新約聖書、テルトゥリアヌス、『第四マカベア書』、『ミシュナー』、そして各種碑文などの証拠から、基本的な使用法を次のようにまとめている:
  1. 「ヘブライ人」が古代イスラエル人を指すのに対し、「ユダヤ人」は同時代のユダヤ人を指す。
  2. 「ヘブライ人」が敬称であるのに対し、「ユダヤ人」は中立か敵対的な意味になる。
  3. 「ヘブライ人」は、特にヘブライ語かアラム語を話すユダヤ人を指し、ギリシア語を話すユダヤ人である「ヘレニスタイ」と対を成している。
こうした用法に対し、オリゲネスは「ヘブライ人」という言葉を文献学的な文脈で用い、「ユダヤ人」という言葉を論争的な文脈で用いているという。オリゲネスは、神学者としてユダヤ人を非難する立場にあったが、学者や聖書解釈者としてはユダヤ人に負っているというジレンマを持っていた。彼の「ヘブライ人」と「ユダヤ人」の用法には、このジレンマが表れているのである。

オリゲネス(やエウセビオス)にとって「ヘブライ人」という言葉が敬称的な意味を持つのは、古代イスラエル人と繋がっているヘブライ人たちが、キリスト教会の霊的な先祖を意味するとも見なされていたからである。言い換えれば、すべての「ヘブライ人」は、キリストより前に生きた者たちも含めて、「キリスト者」として数えられるのである。こうした理解から、「イスラエル」という言葉もまたキリスト者や教会を指すこともある。これに対し、「ユダヤ人」という語には依然として、聖書を逐語的に訳す者たちや割礼をする者たちといった、否定的な意味合いが含まれていた。

オリゲネスが持っている重要な情報としては、ラビ・ユダヤ教の長老制度(patriarchate)がある。ラビ・ユダの肩書である「ナスィー」は、ギリシア語ではエトナルケースあるいはパトリアルケースと訳されている。前者は古いヘレニズム期の用語であり、それがオリゲネスの時代に次第に後者に取って代わり、4世紀以降では完全に後者の訳語が定着した。オリゲネスはサンヘドリンに関しては何ら言及していないが、おそらくラビを指して「賢者(ソフォイ)」という語を用いている。

オリゲネスはユダヤ教のセクトにも言及している。パリサイ派については、逐語的な解釈者と見なしている。ヒエロニュムスが言及しているナザレ派については沈黙しているが、エビオン派、エルケサイ派、サマリヤ人についても言及がある。

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2016年10月2日日曜日

ユダヤ教に関するオリゲネスの情報源 De Lange, Origen and the Jews #2

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 15-28.
本章は、ユダヤ人やユダヤ教に関してオリゲネスが持っていた情報源を扱っている。何よりも彼の情報源として挙げられるべきは、ギリシア語訳聖書である。すなわち、『ヘクサプラ』に収録されている七十人訳、アクィラ訳、テオドティオン訳、そしてシュンマコス訳である。ギリシア語に訳された、あるいはギリシア語で書かれた正典外の文書もまた彼の情報源であった。

フィロンはいくつかの箇所で名指しで引用されている。フィロンのことを「我々の先達」と呼んでいたことから、オリゲネスはフィロンを教会の遺産の一部として見なしていたと考えられる。こうした考え方は、115年のユダヤ反乱以降、多くのユダヤ人がキリスト教に改宗したときに、教会の中に入り込んできたのであろう。フィロンはオリゲネスの神秘主義的な聖書解釈には大きな影響を及ぼしたが、キリスト教外のギリシア思想にはほとんどインパクトを与えなかった。

歴史的な事柄については、オリゲネスはヨセフスに依拠している。ミドラッシュ的な聖書解釈では『聖書古代誌』からの影響も見られる。ユダヤ人やサマリヤ人の理解については、新約聖書も大きな情報源である。異教作家はほとんどユダヤ人に関して言及していない。例外としては、ダマスコスのニコラウス、アパメアのヌメニオス、そしてケルソスらが挙げられる。

先行するキリスト教作家たちは、オリゲネスのユダヤ人理解に大きな影響を与えている。『トリュフォンとの対話』を書いたユスティノス、サルディスのメリトー、グノーシス作家たち、パンタエノス、アレクサンドリアのクレメンス、ユリオス・アフリカノスらの著作は、オリゲネスにとって信頼できる典拠となった。

しかしながら、何といっても、オリゲネスのユダヤ教に関する知識は、当のユダヤ人からもたらされたものであった。彼は何人かのユダヤ人学者へのフリーアクセスを持ち、ユダヤ教の講義や説教に出席した。彼はまた、シナゴーグと教会との間で繰り広げられていた議論に通暁していた。

オリゲネスのヘブライ語能力の有無は、多くの議論を呼んできた。エウセビオスやヒエロニュムスは、オリゲネスが高いヘブライ語能力を持っていたと述べている。論文著者自身は、当時のユダヤ人の多くはギリシア語を話すことができたはずなので、仮にオリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったとしても、ユダヤ教の学習に支障はきたさなかったと考えている。彼はヘブライ文字や少しの語彙は知っていたはずだが、ヘブライ語に基づいた聖書解釈をするときには、多くの場合間違っていた。それゆえに、『ヘクサプラ』の作成はユダヤ人の仲間に大きく依拠していたと思われる。いうなれば、オリゲネスはヘブライ語を解さなかった、とまで言うのは正確ではないが、ユダヤ人の助けなしにヘブライ語を読むことはできなかったのである。

オリゲネスは何人かのユダヤ人教師を持っていた。ヒエロニュムスによれば、オリゲネスの教師の一人は「フイルス(Huillus)という名であったと証言している(『ルフィヌス駁論』1.13)。この教師のことを、オリゲネスは「族長であり、ユダヤ人の間で賢者の称号を持つ人物」と説明した。G.F. Mooreはこの教師はユダ二世を、H. Graetzはヒレルを指していると考えた。論文著者は、18世紀のD. Vallarsiの見解に従って、この教師はおそらくカイサリアの地元の共同体の長ほどの地位にあった人物ではないかと考えている。

このフイルス以外に名前が分かっている者はいないが、オリゲネスはしばしば「ヘブライ的なもの」「ヘブライ人/たち」という言葉で自身の教師を呼んでいる。これは場合によってはヘブライ語のテクストを指すこともあるが、人を指す場合には、ギリシア語とヘブライ語に通じた不詳のユダヤ人であったと考えられる。単数形で冠詞がつく場合には、特定の一人の人物を指しているはずであるが、その正体はいまだ分かっていない。可能性としては、レーシュ・ラキシュ、ラビ・アバフ、バル・カパラ、ホシャヤ、ラブなどが挙げられる。

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オリゲネスとユダヤ人 De Lange, Origen and the Jews #1

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 1-13.
本書はオリゲネスを通じて、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ教とキリスト教との関係性を探った古典的名著である。『ミシュナー』が成文化されて間もないパレスティナに住み、ユダヤ人の習慣と伝統に大きな関心を持つだけでなく、実際にユダヤ人を教師としてそれらを習ったオリゲネスは、当時のユダヤ人の実態を知るためには好個の対象である。彼が住んでいたカイサリアは、宗教的な混淆が進んだ国際的な都市だった(サマリヤ人、異教徒、キリスト者、ユダヤ人)。

このようなオリゲネスとユダヤ人との深い関わりにも関わらず、こうした観点は、オリゲネス研究者からもユダヤ史研究者からも長く無視されてきた。本書は、その懸隔を埋め、両者を結び付けるための端緒となる研究である。

ただし、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ人とキリスト者との関係のソースとしてオリゲネスを用いるためには、次の困難に気を付けなければならない。第一に、多くの著作が失われているオリゲネスが本当に何を述べているかを確立すること。第二に、オリゲネスの著作の年代を確定すること。第三に、オリゲネスの見解をどのように解釈するのかということ。そして第四に、オリゲネスの証言と一致しない他の証言があること、である。

著作。オリゲネスの著作のうち、ギリシア語原典で残っているものはさほど多くない。『ケルソス駁論』、『殉教の勧め』、『祈りについて』、説教、『マタイ福音書注解』と『ヨハネ福音書注解』の一部、『ヘレクレイデスとの対話』、『過越しについて』、『ローマ書注解』などである。またエウセビオスを始めとする後代の著作家の引用、抜粋集の『フィロカリア』にもオリゲネスの著作が残されている。ほかの多くのものは、ルフィヌスとヒエロニュムスによるラテン語訳として残っている。ただし彼らの翻訳の正しさには注意すべきである。特に教義から外れるような記述は、ルフィヌスが修正している可能性がある。オリゲネスの著作のさらなるソースとしては、カテーナと、後代の著者(エウセビオス、ヒエロニュムス、ヒラリウス、アンブロシウスなど)による使用がある。

著作の年代。著作の順序は、エウセビオスによる言及などから再構成される。一般的に言って、アレクサンドリアにおいて書かれたものとパレスティナにおいて書かれたものとに分けることができる。

見解の解釈。オリゲネスの見解を解釈するためには、それが言われたタイミングと対象とに注意しなければならない。というのも、オリゲネスは、ある点でユダヤ人を攻撃していたにもかかわらず、別のときには同じ理由でユダヤ人を擁護したりするからである。こうした非一貫性ゆえに、我々は彼の主要な主張たり得ないものに関しては、脇に置く必要がある。

証言と一致しない外的証言。ソースとしてのオリゲネスの証言は、この時代の他のギリシア語資料がほとんどないことから、極めて高い。ヒエロニュムスを除いて、オリゲネスほどユダヤ人やラビの教えを知っていた教父はいない。彼の時代は、タナイーム文学の終わりからアモライーム文学の始まり頃に当たる。彼の幼少時に『ミシュナー』が成文化し、彼の生きている間に『トセフタ』、『メヒルタ』、『スィフラ』、そして『スィフレ』などが編纂された。また彼のいたカイサリアは、『パレスチナ・タルムード』の成立に極めて重要な場所であった。

こうした環境下にいたオリゲネスは、当時のラビ的なアイデアを知るための有用なソースである。これは、3世紀のパレスティナのユダヤ教の研究において、ソースとしてラビ文学しか参照していなかったことに比すと、大きな違いである。特にラビ文学が提示するユダヤ教像は、ユダヤ人が自治権を持っている時代の理想的な状態を前提としており、当時の現実ではなかった。考古学も3世紀のパレスティナのユダヤ教を知るためには、十分な証拠を見つけることができていない。

ソースとしてのオリゲネスの特別な価値は、彼が生きたユダヤ教との交流を持っていたことである。ただし、気を付けなければならないのは、第一に、誰がオリゲネスの情報提供者なのか、第二に、オリゲネスはどれだけ本当に当時のユダヤ人を知っていたのか、ということである。それを知るために、オリゲネスが知っていたユダヤ教聖書解釈の知識を探ることは、大きなヒントになるだろう。

2016年9月30日金曜日

アンティオキア学派再考 Young, "Traditions of Exegesis"

  • Frances M. Young, "Traditions of Exegesis," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 734-51.
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本論文は、特にアンティオキア学派に注目しながら、キリスト教の聖書解釈の諸特徴を明らかにしたものである。著者は、これまでの聖書解釈史の研究がアレクサンドリア学派やアンティオキア学派といった学派の方法論の違いに注目するあまり、共通する伝統の中にある議論の実際を等閑に付してしまっていると指摘している。

アンティオキア学派と見なされるのは、以下の教父たちである:ヨアンネス・クリュソストモス、タルソスのディオドロス、モプスエスティアのテオドロス、キュロスのテオドレトス、エメサのエウセビオス、そしてアドリアノスらである。

これまでの研究では、アレクサンドリア学派が霊的な寓意的(allegorical)解釈をその特徴とするのに対し、アンティオキア学派は字義的(literal)・歴史的な(historical)解釈をその特徴とすると考えられてきた。しかし、著者はそうした一貫した解釈伝統があると言い切っていいのかどうかを問うている。

アンティオキア学派は、少なくとも寓意的解釈を問題視している。ガラ4:24でパウロは明らかに寓意的解釈をしているが、これについてモプスエスティアのテオドロスは、パウロはここで歴史的解釈を退けているわけではなく、ただ過去と現在の出来事と比較するためのものとして寓意的解釈を用いているにすぎないと主張する。言い換えれば、アンティオキア学派が追及しているのは、ユダヤ教の字義的解釈とヘレニズムの寓意的解釈の中間の、予型論的解釈(typology)だということである(この用語自体は現代の研究者によるもの)。

タルソスのディオドロスによると、そもそもギリシア文学における寓意と聖書のそれとは異なるという。ギリシア文学における寓意とは、ある方法で言われている何かや出来事を別様に理解することである。一方で、聖書は歴史を捨て去ることなしに、「観想(テオーリア)」を展開することで、そうした出来事をより高次なレベルで理解するのだった。ディオドロスは、パウロが寓意と呼んでいるのは、この観想のことであると主張した。また彼は、寓意と「隠喩(トロポロギア)」あるいは「直喩(パラボレー)」との違いについても説明している。

テオドロスによれば、聖書解釈が聖書上に見られる文献学的・歴史的な問題の解決を目指すものであるのに対し、説教は明らかな言葉に関して語る教育的・倫理的なものであるという。しかしながら、一般に説教者として知られるクリュソストモスの著作にも問題解決的なものがあり、一方で聖書解釈者として知られるテオドロスの著作にも教育的なものがある。

アンティオキア学派の聖書解釈は、ただ文献学的・歴史的であるだけでなく、教育的・倫理的でもあるのである。倫理的な解釈をも含んでいる以上、アンティオキア学派の特徴である字義的・歴史的な解釈とは、現代の歴史批評家のそれとは大きく異なると言える。逆に、アレクサンドリア学派の代表格であるオリゲネスの聖書解釈にも、寓意的であると同時に、文献学的な方法論が用いられていることを忘れてはならない。

アンティオキア学派とアレクサンドリア学派との違いは、かつてホメロスやギリシア神話の解釈をめぐってなされた修辞的な学派と哲学的な学派との論争に比することができる。ただし、それぞれの学派の主張は、これまで考えられていたように一枚岩ではない。正確に言えば、寓意的解釈をめぐっては両学派は相対しているが、共に倫理的な解釈を重視している点では一致している。ただし、その倫理的な解釈をするための方法論として、アレクサンドリア学派が寓意的解釈を用いるのに対し、アンティオキア学派は説明的・予型論的な方法論である「観想(テオーリア)」を用いたのである。

アンティオキア学派の「観想(テオーリア)」は、人や出来事の類似性に注目し、人の意図や物語の連続における教義的な真理や倫理的な教えを見出すものである。一方で、アレクサンドリア学派の「寓意」は、テクスト上で言われていることとは別のことに隠れている、聖霊の意図を見つけるためのヒントを探し出すことである。アレクサンドリア学派が聖書テクストに地上的な領域と霊的な領域との二重のレベルを見るのに対し、アンティオキア学派はすべての聖書物語のうちに、神の人間愛の神的な働きを追求するのである。ただし、それぞれの特徴は相互に影響し合っている。

以上より、これまで言われてきたように、独立した異なる伝統というものは存在しないと言えるだろう。アンティオキア学派が寓意を否定したのは、それが救済の歴史を揺るがすかもしれないからだった。彼らはテクストの一つの意図に固執したが、歴史性や字義性はアンティオキア学派の主要な特徴とは言えない。

2016年9月28日水曜日

ラテン語聖書 Bogaert, "The Latin Bible"

  • Pierre-Maurice Bogaert, "The Latin Bible," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 505-26.
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本論文は、後600年までのラテン語聖書の成立史を扱っている。著者は成立史を三段階に分けている:第一に、古ラテン語訳、第二に、ヒエロニュムスの改訂と翻訳、そして第三に、古ラテン語訳とヒエロニュムスの翻訳との合流である。

古ラテン語訳。古ラテン語訳は後2世紀のアフリカで作られた。イタリアやローマでなくアフリカで作られたことについては、3世紀以降の北アフリカで、テルトゥリアヌスやキュプリアヌスなどの、ラテン語で書かれたキリスト教文学が興隆したことから理解できる。ローマ教会では4世紀になるまでギリシア語聖書が使われていた。

古ラテン語訳の情報源としては、以下の六つがある:
  1. 教父文学や中世文学での引用
  2. 古ラテン語訳が使われていた頃の聖書写本の断片(800年頃まで)
  3. カロリング朝の聖書(ウルガータ聖書内に含まれる古ラテン語訳の文書)
  4. ヒエロニュムスの翻訳に欠けている七十人訳由来の付加部分
  5. さまざまな典礼式文に含まれる聖書箇所
  6. カピトゥーラとティトゥリの順序
教父時代に、古ラテン語訳を始めとするラテン語聖書が独立した権威を持つことはなかった。ラテン世界にあっても、七十人訳こそが霊感を受けた聖書だったのである。

古ラテン語訳の巻物は見つかっていない。教父の証言やわずかな写本からは、当時の聖書は10巻以上のコーデックス型の書物の形式で読まれていたことが分かっている。これが4世紀の前半になると、次第に一つの大きなコーデックスにすべての文書が写されるようになった。カッシオドルスはこうした大きな写本を「パンデクト」と呼んだ。こうしたパンデクトにまとめられた諸文書は、カピトゥーラと呼ばれる区分に分けられ、番号とタイトルがふられていた。また一行は、ヘクサメーターの一行に当たる16音節ほどで書かれることが多かった。

福音書の順序は古ラテン語訳の時代では確定していなかった。北部イタリアではマタ・ヨハ・ルカ・マコの順、偽テオフィロスによる5世紀の福音書注解ではマタ・マコ・ヨハ・ルカの順、クラロモンタヌス写本ではマタ・ヨハ・マコ・ルカの順、アンブロシアステル、ヒエロニュムス、アウグスティヌスではマタ・ルカ・マコ・ヨハの順、テルトゥリアヌスやペタウのウィクトリヌスではヨハ・マタ・ルカ・マコの順になっている。

ヒエロニュムス。ヒエロニュムスは序文の中で翻訳理論を語り、また彼の姿勢を批判する者たちを逆批判した。彼の旧約聖書の翻訳は、著作に見られるようなキケロー風の散文と古ラテン語訳の逐語訳との中間を行くようなスタイルだった。

ヒエロニュムスの正典観は、ヘブライ語聖書に伝わっていない文書は含めないというものだった。ただし、例外としてエステル記とダニエル書の付加部分と、トビト記およびユディト記の翻訳をしている。

新約聖書に関して、ヒエロニュムスはすべての文書を翻訳したようなことを述べてはいるが、確実に彼が扱ったと言えるのは福音書のみである。福音書以外の文書に対する序文を書いておらず、また翻訳スタイルも異なっている。パウロ書簡の改訂とその序文を書いた人物として可能性があるのは、シリア人ルフィヌスという人物である。彼はローマにおけるペラギウス派の一員であり、かつてはヒエロニュムスの弟子のひとりであった。

ヒエロニュムスは、自身の翻訳を一冊にまとめたパンデクトを持つことはなかった。彼の翻訳は個別のコーデックス形式で回覧された。

古ラテン語訳とヒエロニュムスの翻訳との合流。極めて明らかな例は、エステル記、サムエル記・列王記、そして箴言である。ヘブライ語から翻訳されたエステル記には、ヒエロニュムス自身によってギリシア語テクストの加筆部分が付加され、オベロス記号がしるされた。5世紀になると、イタリアでサムエル記と列王記の古ラテン語訳がヒエロニュムスの訳に付け加えられた。この版はスペインやガリアで広く読まれた。箴言に関しては、ペレグリヌスという不詳の人物が、『ヘクサプラ』七十人訳に基づくヒエロニュムスの改訂版に、古ラテン語訳を付け加えた。

典礼で用いられることの多い詩篇と雅歌に関しては、ヒエロニュムスのヘブライ語に基づく翻訳ではなく、『ヘクサプラ』七十人訳に基づく改訂版が用いられた。

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2016年9月25日日曜日

中世ユダヤ人とギリシア語訳聖書 De Lange, "Jewish Greek Bible Versions"

  • Nicholas de Lange, "Jewish Greek Bible Versions," in The New Cambridge History of the Bible 2, ed. Richard Marsden and E. Ann Matter (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), pp. 56-68.
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本論文は、ギリシア語訳聖書のユダヤ教における使用の歴史を扱っている。Henry Barclay Sweteのようなギリシア語訳聖書の研究者たちは、次のような歴史観を持っていた:第一に、ユダヤ人は古いギリシア語訳聖書がキリスト者によって用いられるようになると、それを見捨てた。第二に、アクィラ訳は、キリスト教に対抗するという論争的な目的で作成された。そして第三に、アクィラ訳はあまりにもラビ的であり、なおかつ七十人訳に取って代わることを目的としていたために、キリスト者からは嫌われた。

この歴史観は、中世のユダヤ人がギリシア語聖書を継続して用いていた証拠があるにもかかわらず、長い間極めて支配的だった。そうした証拠としては、たとえばヴェネツィアで発見された14世紀の「ヴェネツィアのギリシア語写本(Graecus Venetus)」や、15世紀のギリシア語訳詩篇写本、そして16世紀にコンスタンティノープルでヘブライ文字で印刷されたギリシア語訳の五書などがある。

この情勢に風穴を開けたのが、D.S. Blondheimによる研究であった。彼は、中世から近世にかけてのユダヤ人が、継続的にギリシア語訳聖書――すなわち七十人訳と、それよりさらに強い影響力を持ったアクィラ訳――からの影響を受け続けてきたことを明らかにした。彼の研究はしばらく無視されていたが、Natalio Fernandez Marcosもまたヘレニズム期ユダヤ教と16世紀のコンスタンティノープルの新しいギリシア語訳聖書との間に大きな懸隔はないのだと主張した。

こうした、ユダヤ人によるギリシア語訳聖書の使用について、大きな証拠となるのが、カイロ・ゲニザからの写本群であった。このゲニザから見つかる写本の多くは10世紀から13世紀に作成されたものだが、中には6世紀のアクィラ訳の列王記や詩篇を含むパリンプセスト、ヘブライ語の横にギリシア語訳を付した9世紀の単語帳、アクィラ訳の特徴を持ったギリシア語訳コヘレト書の断片、またヘブライ文字で書かれたギリシア語の注釈付きのヘブライ語聖書なども見つかっている。

こうした証拠から、6世紀から16世紀にかけての長い期間に渡って、ビザンツ帝国のユダヤ人はギリシア語を用い続けてきたことが明らかとなった。その使用法としては、シナゴーグにおいて会衆の前で口頭で朗読されたと思われるアクィラ訳から、個人的な使用のために作成された非公式のよせあつめまで、さまざまなものがあった。特に後者のような写本を作成した者たちは、高度なギリシア語教育を受けたわけではなく、あくまでヘブライ的な学習の助けになるものとして、ギリシア語の単語長などを作成した。ただし、興味深いことに、そのときのギリシア語の使用は、単純に話し言葉のギリシア語だけではなく、アクィラ訳のような初期の高度な人工的なギリシア語の要素を含んでいた。

ビザンツ期のギリシア語訳聖書の写本には、聖書文書の全体を写したものよりも、断片的な引用が多いことから、論文著者は当時のユダヤ人はギリシア語の訳文を暗記しておいて、ヘブライ語原典を朗誦した後にその翻訳をも暗唱していた可能性を指摘している。中には、ギリシア語訳のみが朗誦されたシナゴーグもあったようである。

結論としては、以下のようなことが言える:中世のギリシア語を話すユダヤ人はギリシア語訳聖書を極めて長い期間に渡って用い続けており、それは口頭の場合も書かれたテクストの場合もあった。それは同時代にキリスト者が用いていた、改訂された七十人訳とは異なり、話し言葉やアクィラ訳の要素を含むものだった。

2016年9月14日水曜日

レイノルズ、ウィルソン『古典の継承者たち』 #3

  • L.D. レイノルズ、N.G. ウィルソン「第六章:テクスト批判」、『古典の継承者たち:ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』(西村賀子、吉武純夫訳)国文社、1996年、306-65頁。
古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史
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テクスト批判とは、伝承の道筋を遡り、できうる限り元の形に近づくようにテクストを復元しようとする試みである。この過程は、二つの段階に分けられる。第一に、「校合(recentio)」であり、この過程では、証拠資料たる複数の現存写本を基にして、その背後にある、復元可能な最も古いテクスト形態を再構成する。第二に、それが再構成されたときには、そのテクストが真正でない場合、そのテクストを「校訂(emendatio)」して、毀れを抜き出すのである。

テクスト批判の理論の発展。印刷された通俗本ではなく、写本からテクスト批判をする研究の端緒は、Richard Bentleyによる新約聖書の研究(1721年)だった。Johann August ErnestiとFriedrich August Wolfもまた、この原則を古典テクストに適用した。校合のための「系図理論」は、Karl Lachmannによって提唱され、J.A. Bengelの新約聖書研究、Carl Zumptのキケロー研究、そしてJacob Bernaysのルクレティウス研究などで応用された。

校合の系図理論。Paul Maasもまた、系図理論の主唱者のひとりであった。彼によると、系図理論の主要点は、次の二つである。第一に、系図の構成:写字生が写本を写すときに犯す誤り、例えば「省略」や「置き換え」に注目すること。第二に、系図の応用:原型の読みを再構成するために系図を機械的に応用すること、である。

系図法の限界。系図理論が前提としているのは、第一に、諸写本がそれらの手本とされた一冊の本から「垂直に」伝えられるものだということである。しかし、写本の伝承には、「混成」、すなわち「水平の」伝承があったせいで、数グループの誤りによって特徴づけられる部類や系統に諸写本を振り分けることができないことがあるのである。また、第二の前提としては、現存するすべての写本はただひとつの原型にまで遡ることができ、その原型の年代は古代末期から中世初頭だというものである。しかし、伝承の傍流たる分かれた枝を代表する写本はいくらも見つかっている。そして前提の第三は、古代の作家自身が出版後に自分の現テクストに訂正や変更を施した可能性を考慮に入れないことである。これらの三つの前提は、そのまま系図理論の限界を示してもいる。

個々の写本の時期と価値。最良の写本は、決定のための合理的根拠のある箇所で正しい読みを一番多く与える写本であり、一般に写本が古ければ古いほど価値があるとされている。しかし、古くともパピルス写本などは質が悪いものが多い。また比較的後代の諸写本の中に真実が現れることもある(recentiores, non deteriores)。

間接的伝承。ある作家によってなされた別の作家の引用を指す、間接的伝承が有益な転居になることもある。たとえば、『スーダ』辞典には、そうした伝承が多く収録されている。ただし、引用はたいてい記憶に頼って行なわれたので、大部分の場合、校訂者は一時的伝承に従うのが正しいだろう。

他のいくつかの基本的原則。代表的な原則としては、「より難解な読みの方がすぐれている(difficilior lectio potior)」というのがある。写字生はときには故意に、ときにはうっかりと、もはや簡単には理解できないまれな語形や古風な語形をテクストから取り除いたり、自分には習熟できない複雑な思考過程を単純化したりする傾向があった。こうした改竄や矮小化は真正なテクストでない可能性が高いのである。

テクストの毀れ。テクストの誤りにはいくつか種類がある。第一に、古代や中世の諸隊の特徴が原因となって起こる間違い(分かち書きでないこと、文字の酷似、省略形の読み違え、数字、単語の混同)。第二に、綴りと発音の変化から生じるもの。第三に、省略によるもの。第四に、付加の誤り。第五に、置き換えの誤り。第六に、文脈によって引き起こされる誤り。第七に、キリスト教思想の影響。第八に、写字生の意図的行為に由来する間違い。

伝承の流動的諸形態。実用書の便覧は、その情報が時代遅れになったり、読者の要求にとって不十分なものだったり、あるいは逆に綿密すぎたりすることが読者にとって不便なので、伝承がより流動的になりがちであった。