2016年9月25日日曜日

中世ユダヤ人とギリシア語訳聖書 De Lange, "Jewish Greek Bible Versions"

  • Nicholas de Lange, "Jewish Greek Bible Versions," in The New Cambridge History of the Bible 2, ed. Richard Marsden and E. Ann Matter (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), pp. 56-68.
The New Cambridge History of the Bible: Volume 2, From 600 to 1450The New Cambridge History of the Bible: Volume 2, From 600 to 1450
Richard Marsden E. Ann Matter

Cambridge University Press 2012-04-26
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本論文は、ギリシア語訳聖書のユダヤ教における使用の歴史を扱っている。Henry Barclay Sweteのようなギリシア語訳聖書の研究者たちは、次のような歴史観を持っていた:第一に、ユダヤ人は古いギリシア語訳聖書がキリスト者によって用いられるようになると、それを見捨てた。第二に、アクィラ訳は、キリスト教に対抗するという論争的な目的で作成された。そして第三に、アクィラ訳はあまりにもラビ的であり、なおかつ七十人訳に取って代わることを目的としていたために、キリスト者からは嫌われた。

この歴史観は、中世のユダヤ人がギリシア語聖書を継続して用いていた証拠があるにもかかわらず、長い間極めて支配的だった。そうした証拠としては、たとえばヴェネツィアで発見された14世紀の「ヴェネツィアのギリシア語写本(Graecus Venetus)」や、15世紀のギリシア語訳詩篇写本、そして16世紀にコンスタンティノープルでヘブライ文字で印刷されたギリシア語訳の五書などがある。

この情勢に風穴を開けたのが、D.S. Blondheimによる研究であった。彼は、中世から近世にかけてのユダヤ人が、継続的にギリシア語訳聖書――すなわち七十人訳と、それよりさらに強い影響力を持ったアクィラ訳――からの影響を受け続けてきたことを明らかにした。彼の研究はしばらく無視されていたが、Natalio Fernandez Marcosもまたヘレニズム期ユダヤ教と16世紀のコンスタンティノープルの新しいギリシア語訳聖書との間に大きな懸隔はないのだと主張した。

こうした、ユダヤ人によるギリシア語訳聖書の使用について、大きな証拠となるのが、カイロ・ゲニザからの写本群であった。このゲニザから見つかる写本の多くは10世紀から13世紀に作成されたものだが、中には6世紀のアクィラ訳の列王記や詩篇を含むパリンプセスト、ヘブライ語の横にギリシア語訳を付した9世紀の単語帳、アクィラ訳の特徴を持ったギリシア語訳コヘレト書の断片、またヘブライ文字で書かれたギリシア語の注釈付きのヘブライ語聖書なども見つかっている。

こうした証拠から、6世紀から16世紀にかけての長い期間に渡って、ビザンツ帝国のユダヤ人はギリシア語を用い続けてきたことが明らかとなった。その使用法としては、シナゴーグにおいて会衆の前で口頭で朗読されたと思われるアクィラ訳から、個人的な使用のために作成された非公式のよせあつめまで、さまざまなものがあった。特に後者のような写本を作成した者たちは、高度なギリシア語教育を受けたわけではなく、あくまでヘブライ的な学習の助けになるものとして、ギリシア語の単語長などを作成した。ただし、興味深いことに、そのときのギリシア語の使用は、単純に話し言葉のギリシア語だけではなく、アクィラ訳のような初期の高度な人工的なギリシア語の要素を含んでいた。

ビザンツ期のギリシア語訳聖書の写本には、聖書文書の全体を写したものよりも、断片的な引用が多いことから、論文著者は当時のユダヤ人はギリシア語の訳文を暗記しておいて、ヘブライ語原典を朗誦した後にその翻訳をも暗唱していた可能性を指摘している。中には、ギリシア語訳のみが朗誦されたシナゴーグもあったようである。

結論としては、以下のようなことが言える:中世のギリシア語を話すユダヤ人はギリシア語訳聖書を極めて長い期間に渡って用い続けており、それは口頭の場合も書かれたテクストの場合もあった。それは同時代にキリスト者が用いていた、改訂された七十人訳とは異なり、話し言葉やアクィラ訳の要素を含むものだった。

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