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2015年3月31日火曜日

『律法儀礼遵守論』とヨセフス著作から見るパリサイ派 Schwartz, "MMT, Josephus and Pharisees"

  • Daniel R. Schwartz, "MMT, Josephus and the Pharisees," in Reading 4QMMT: New Perspectives on Qumran Law and History, ed. John Kampen and Moshe J. Bernstein (SBL Symposium Series, No.2; Atlanta, GA: Scholars Press, 1996), pp. 67-80.
本論文は、『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)とヨセフス著作から、パリサイ派の姿をどの程度復元できるか試みたものである。著者によると、パリサイ派研究に対して死海文書が果たした役割は、間接的でありながらも強烈であるが、一方で皮肉な結果になった。というのも、死海文書によって、パリサイ派のイメージは19世紀の研究が示したものへと戻ってしまったからである。

19世紀の研究者は、ヨセフス、新約聖書、そしてラビ文学での記述から、第二神殿時代のパリサイ派が神殿崩壊後のラビ・ユダヤ教と同一であると見なした。さらに、E. Schuererは福音書やミシュナーから、パリサイ派は人間の感情を度外視したケチな詭弁家であると考えた。R. Travers HerfordやGeorge Foot Mooreは、ラビ・ユダヤ教は倫理を重要視した多面的な宗教であるとした。すなわちこの時期の研究者たちは、肯定的であれ否定的であれ、パリサイ派をラビ・ユダヤ教と同一視することと、パリサイ派が第二神殿時代における主流派だったことを主張しているのである。

これに対し、20世紀になると、Morton Smithによって、ヨセフスの記述はプロパガンダであり、パリサイ派は神殿崩壊前は主流派ではなかったという反論が行われた。さらにSmithは、新約聖書における主流派としてのパリサイ派の描写も、神殿崩壊後の状況を反映したアナクロニズムであると主張した。この考え方はJacob Neusnerによって発展され、広く受け入れられるようになっていった。Neusnerによれば、後代のラビ文学を一世紀より前のパリサイ派の研究に用いることは無責任であるという。

この傾向は、ホロコーストとイスラエル国家の成立によって、さらに強められた。ホロコーストの反動としての、反セム主義への忌避から、一方では新約聖書におけるイエスのパリサイ派批判はイエス自身の思想の反映ではなく、他方ではそもそも攻撃されているパリサイ派もユダヤ教の主流派ではなかったという議論が展開された。

こうした第二神殿時代のパリサイ派=反主流派説に対して、さらなるリアクションが死海文書の発見によってなされるようになった。第一に、『神殿巻物』『律法』『ダマスコ文書』などから、クムラン共同体が律法に対し強い関心を持っていたことが分かった。第二神殿時代に極めて霊性を重んじたクムラン共同体でさえ、律法を重視していたのであれば、パリサイ派はいわずもがなである。そしてそうであれば、ラビ・ユダヤ教はパリサイ派からさほど隔たっていないといえる。第二に、死海文書がラビ文学とよく合致することから、第二神殿時代の研究に自信を持ってラビ文学を用いることができるようになった。

パリサイ派が本当に主流派であったのかどうかという問題に関して、著者はバランスを取ろうとする。ヨセフスの記述によると、ヨセフスはパリサイ派の支配に対し批判的な記述を残していることから、翻って、パリサイ派が主流派であったことが分かる。ただし、実際にパリサイ派が支配的でなくても、ヨセフスがパリサイ派に文句をつけていた可能性もあるので、これだけではSmith-Neusner説を覆したことにはならない。

そこで『律法』を見ると、「我々は民の大多数(ロブ・ハアム)から自分を引き離した(パラシュヌ)」という一節から、パリサイ派=主流派であった可能性を見て取ることができる(「引き離す」という言葉もパリサイ派を連想させる)。しかし、著者はロブ・ハアムは「民の多く」という意味のみであって、必ずしも「主流派」を意味しないと主張する。さらに、『律法』のセクションBでは神殿と祭司性について議論されていることと、ロブ・ハアムという語が敵対者とのセクト的な議論の中では用いられていないことから、著者は当時のパリサイ派は単独の主流派とはいえず、あくまで祭司グループに準ずる位置であったと述べる。『律法』が示しているのは、当時のユダヤ世界が、クムラン派、パリサイ派、そして神殿の支配階級(=サドカイ派)に分かれていることと、パリサイ派はその支配階級と同盟関係にあったことのみである。そしてこれらの結果はヨセフスの記述からすでに知られていることであった。

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