2016年9月30日金曜日

アンティオキア学派再考 Young, "Traditions of Exegesis"

  • Frances M. Young, "Traditions of Exegesis," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 734-51.
The New Cambridge History of the Bible: Volume 1, From the Beginnings to 600The New Cambridge History of the Bible: Volume 1, From the Beginnings to 600
James Carleton Paget

Cambridge University Press 2013-05-09
売り上げランキング : 325079

Amazonで詳しく見る by G-Tools

本論文は、特にアンティオキア学派に注目しながら、キリスト教の聖書解釈の諸特徴を明らかにしたものである。著者は、これまでの聖書解釈史の研究がアレクサンドリア学派やアンティオキア学派といった学派の方法論の違いに注目するあまり、共通する伝統の中にある議論の実際を等閑に付してしまっていると指摘している。

アンティオキア学派と見なされるのは、以下の教父たちである:ヨアンネス・クリュソストモス、タルソスのディオドロス、モプスエスティアのテオドロス、キュロスのテオドレトス、エメサのエウセビオス、そしてアドリアノスらである。

これまでの研究では、アレクサンドリア学派が霊的な寓意的(allegorical)解釈をその特徴とするのに対し、アンティオキア学派は字義的(literal)・歴史的な(historical)解釈をその特徴とすると考えられてきた。しかし、著者はそうした一貫した解釈伝統があると言い切っていいのかどうかを問うている。

アンティオキア学派は、少なくとも寓意的解釈を問題視している。ガラ4:24でパウロは明らかに寓意的解釈をしているが、これについてモプスエスティアのテオドロスは、パウロはここで歴史的解釈を退けているわけではなく、ただ過去と現在の出来事と比較するためのものとして寓意的解釈を用いているにすぎないと主張する。言い換えれば、アンティオキア学派が追及しているのは、ユダヤ教の字義的解釈とヘレニズムの寓意的解釈の中間の、予型論的解釈(typology)だということである(この用語自体は現代の研究者によるもの)。

タルソスのディオドロスによると、そもそもギリシア文学における寓意と聖書のそれとは異なるという。ギリシア文学における寓意とは、ある方法で言われている何かや出来事を別様に理解することである。一方で、聖書は歴史を捨て去ることなしに、「観想(テオーリア)」を展開することで、そうした出来事をより高次なレベルで理解するのだった。ディオドロスは、パウロが寓意と呼んでいるのは、この観想のことであると主張した。また彼は、寓意と「隠喩(トロポロギア)」あるいは「直喩(パラボレー)」との違いについても説明している。

テオドロスによれば、聖書解釈が聖書上に見られる文献学的・歴史的な問題の解決を目指すものであるのに対し、説教は明らかな言葉に関して語る教育的・倫理的なものであるという。しかしながら、一般に説教者として知られるクリュソストモスの著作にも問題解決的なものがあり、一方で聖書解釈者として知られるテオドロスの著作にも教育的なものがある。

アンティオキア学派の聖書解釈は、ただ文献学的・歴史的であるだけでなく、教育的・倫理的でもあるのである。倫理的な解釈をも含んでいる以上、アンティオキア学派の特徴である字義的・歴史的な解釈とは、現代の歴史批評家のそれとは大きく異なると言える。逆に、アレクサンドリア学派の代表格であるオリゲネスの聖書解釈にも、寓意的であると同時に、文献学的な方法論が用いられていることを忘れてはならない。

アンティオキア学派とアレクサンドリア学派との違いは、かつてホメロスやギリシア神話の解釈をめぐってなされた修辞的な学派と哲学的な学派との論争に比することができる。ただし、それぞれの学派の主張は、これまで考えられていたように一枚岩ではない。正確に言えば、寓意的解釈をめぐっては両学派は相対しているが、共に倫理的な解釈を重視している点では一致している。ただし、その倫理的な解釈をするための方法論として、アレクサンドリア学派が寓意的解釈を用いるのに対し、アンティオキア学派は説明的・予型論的な方法論である「観想(テオーリア)」を用いたのである。

アンティオキア学派の「観想(テオーリア)」は、人や出来事の類似性に注目し、人の意図や物語の連続における教義的な真理や倫理的な教えを見出すものである。一方で、アレクサンドリア学派の「寓意」は、テクスト上で言われていることとは別のことに隠れている、聖霊の意図を見つけるためのヒントを探し出すことである。アレクサンドリア学派が聖書テクストに地上的な領域と霊的な領域との二重のレベルを見るのに対し、アンティオキア学派はすべての聖書物語のうちに、神の人間愛の神的な働きを追求するのである。ただし、それぞれの特徴は相互に影響し合っている。

以上より、これまで言われてきたように、独立した異なる伝統というものは存在しないと言えるだろう。アンティオキア学派が寓意を否定したのは、それが救済の歴史を揺るがすかもしれないからだった。彼らはテクストの一つの意図に固執したが、歴史性や字義性はアンティオキア学派の主要な特徴とは言えない。

0 件のコメント:

コメントを投稿