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2016年9月28日水曜日

ラテン語聖書 Bogaert, "The Latin Bible"

  • Pierre-Maurice Bogaert, "The Latin Bible," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 505-26.
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James Carleton Paget

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本論文は、後600年までのラテン語聖書の成立史を扱っている。著者は成立史を三段階に分けている:第一に、古ラテン語訳、第二に、ヒエロニュムスの改訂と翻訳、そして第三に、古ラテン語訳とヒエロニュムスの翻訳との合流である。

古ラテン語訳。古ラテン語訳は後2世紀のアフリカで作られた。イタリアやローマでなくアフリカで作られたことについては、3世紀以降の北アフリカで、テルトゥリアヌスやキュプリアヌスなどの、ラテン語で書かれたキリスト教文学が興隆したことから理解できる。ローマ教会では4世紀になるまでギリシア語聖書が使われていた。

古ラテン語訳の情報源としては、以下の六つがある:
  1. 教父文学や中世文学での引用
  2. 古ラテン語訳が使われていた頃の聖書写本の断片(800年頃まで)
  3. カロリング朝の聖書(ウルガータ聖書内に含まれる古ラテン語訳の文書)
  4. ヒエロニュムスの翻訳に欠けている七十人訳由来の付加部分
  5. さまざまな典礼式文に含まれる聖書箇所
  6. カピトゥーラとティトゥリの順序
教父時代に、古ラテン語訳を始めとするラテン語聖書が独立した権威を持つことはなかった。ラテン世界にあっても、七十人訳こそが霊感を受けた聖書だったのである。

古ラテン語訳の巻物は見つかっていない。教父の証言やわずかな写本からは、当時の聖書は10巻以上のコーデックス型の書物の形式で読まれていたことが分かっている。これが4世紀の前半になると、次第に一つの大きなコーデックスにすべての文書が写されるようになった。カッシオドルスはこうした大きな写本を「パンデクト」と呼んだ。こうしたパンデクトにまとめられた諸文書は、カピトゥーラと呼ばれる区分に分けられ、番号とタイトルがふられていた。また一行は、ヘクサメーターの一行に当たる16音節ほどで書かれることが多かった。

福音書の順序は古ラテン語訳の時代では確定していなかった。北部イタリアではマタ・ヨハ・ルカ・マコの順、偽テオフィロスによる5世紀の福音書注解ではマタ・マコ・ヨハ・ルカの順、クラロモンタヌス写本ではマタ・ヨハ・マコ・ルカの順、アンブロシアステル、ヒエロニュムス、アウグスティヌスではマタ・ルカ・マコ・ヨハの順、テルトゥリアヌスやペタウのウィクトリヌスではヨハ・マタ・ルカ・マコの順になっている。

ヒエロニュムス。ヒエロニュムスは序文の中で翻訳理論を語り、また彼の姿勢を批判する者たちを逆批判した。彼の旧約聖書の翻訳は、著作に見られるようなキケロー風の散文と古ラテン語訳の逐語訳との中間を行くようなスタイルだった。

ヒエロニュムスの正典観は、ヘブライ語聖書に伝わっていない文書は含めないというものだった。ただし、例外としてエステル記とダニエル書の付加部分と、トビト記およびユディト記の翻訳をしている。

新約聖書に関して、ヒエロニュムスはすべての文書を翻訳したようなことを述べてはいるが、確実に彼が扱ったと言えるのは福音書のみである。福音書以外の文書に対する序文を書いておらず、また翻訳スタイルも異なっている。パウロ書簡の改訂とその序文を書いた人物として可能性があるのは、シリア人ルフィヌスという人物である。彼はローマにおけるペラギウス派の一員であり、かつてはヒエロニュムスの弟子のひとりであった。

ヒエロニュムスは、自身の翻訳を一冊にまとめたパンデクトを持つことはなかった。彼の翻訳は個別のコーデックス形式で回覧された。

古ラテン語訳とヒエロニュムスの翻訳との合流。極めて明らかな例は、エステル記、サムエル記・列王記、そして箴言である。ヘブライ語から翻訳されたエステル記には、ヒエロニュムス自身によってギリシア語テクストの加筆部分が付加され、オベロス記号がしるされた。5世紀になると、イタリアでサムエル記と列王記の古ラテン語訳がヒエロニュムスの訳に付け加えられた。この版はスペインやガリアで広く読まれた。箴言に関しては、ペレグリヌスという不詳の人物が、『ヘクサプラ』七十人訳に基づくヒエロニュムスの改訂版に、古ラテン語訳を付け加えた。

典礼で用いられることの多い詩篇と雅歌に関しては、ヒエロニュムスのヘブライ語に基づく翻訳ではなく、『ヘクサプラ』七十人訳に基づく改訂版が用いられた。

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